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秘密の魔法薬学士

作者: 原雷火

「この下賎な女を……クリスティーナ・ローゼンバーグだけを処刑すれば十分ですわ陛下!」


 王城の一室。国王陛下がベッドに横たわる隣で、伯爵令嬢ヴィヴィアン・レイヴンが私の顔を指さし叫ぶ。


 濡れた烏みたいな黒髪を振り乱し、ヴィヴィアンは鬼の首でも取ったように誇らしげ。


 病床の国王陛下は「うむ……」とだけ。取り囲む医療団の厳しい視線に晒されて、私は全身の力が抜けるのを感じた。


 ともに戦ってくれた金髪碧眼の美青年――


 第三王子セドリックがうなだれる。


「クリス……君だけに責を負わせるつもりはありません」


 悔しさをにじませるセドリックに私は返す。


「殿下に罪はありません。私の調合した魔法薬が悪いんです」


 これまで上手くいっていたのに、最悪のタイミングで私は致命的な大失敗をしたみたいだ。


 国王陛下の病気を治すはずが、症状を悪化させてしまった。


 もう……終わりだ。私の人生……。



 一ヶ月ほど前に遡る。


 私ことクリスティーナ・ローゼンバーグは遠い故郷を離れて、王都の名門エリクシル学園に通う二年生。


 専攻は魔法薬学。魔力を用いて出される薬に関する学問だ。

 ともかく無事に卒業して、魔法薬学士の資格を持ち帰るのが、私の目的だった。


 貴族とは名ばかりの貧乏男爵家。猫の額ほどの領地には、未だに魔法薬を扱う薬局がない。

 アルケミア王国の中でもドがつくほどの辺境だ。四方八方森だらけ。おかげで天然由来のハーブやキノコといった素材だけはたくさんあるけど。


 勉強してエリクシル学園に滑り込みで入学してから二年が経過した。


 成績は下から数える方が早い。落第しないギリギリだ。お金のやりくりをしながら、座学でなんとかしのいできたけど――


 実技研修が苦手だった。薬学科の同級生たちは、みんな王都の中心地にタウンハウスを持つお金持ちばっかり。


 試験調合のための基本素材は学園が用意してくれるけど、自由課題になると独自の工夫や素材の追加が認められる。


 材料費に糸目を付けない調合で、みんなして、すごい魔法薬を精製する。


 今日は特に最悪。学外からゲストを呼んでの特別講師回。


 エリクシル学園に、あのセドリック王子がやってきた。だから……最悪。


 実験教室に生徒たちが集められ、教壇に金髪碧眼の美しい顔立ちの青年が立つ。


 背中まである長い金糸の髪は、馬の尻尾みたいに後ろでまとめられていた。


 薄い金属フレームのメガネに、貴族らしい服装の上から白衣を羽織っている。


 この白衣。胸元に王冠の刺繍がされていた。


 アルケミア王国の魔法薬学士の誰もが憧れる、特別な服。袖を通すことができるのは選ばれし者だけだ。


 青年は着こなしていた。似合っていた。


 白衣の裾の長さを感じさせない。背が高く足が長く、貴公子然としたたたずまい。


 セドリックが教室に姿を現した途端、私以外の全女子生徒が「キャー」と黄色い悲鳴をあげるほど。


 特にご執心な学年首席の伯爵令嬢なんか、今にも気絶しそうな熱狂ぶりだ。


 格好いいとは思うけど、今から始まる試験が憂鬱ゆううつすぎて、はしゃぐ気持ちになれない。


 青年が言う。


「みなさんそれぞれ、本日の課題の魔法薬を机の上に出してください」


 丁寧でしっとりとした口ぶりに、落ち着いた声色。これで私と三つしか年が離れていないなんて、信じられない。大人びていた。


 セドリックはアルケミア王国の第三王子にして、学園の魔法薬学科の卒業生(当然のように首席)。学園に在学中の頃から、いくつもの革新的な魔法薬を生み出した生ける偉人。


 若くして王立魔法薬学研究所で所長も務めるすごい人だ。


 王族だからではなく、純粋な実力で所長の座についている……いわゆる天才。


 はぁ……しんどい。そんな人に自分の魔法薬を見せなきゃいけないなんて。


 教室の一番後ろの隅っこで、私は小さくなりながら試薬の液体が入った小瓶を机上に置いた。


 ああもう、煮るなり焼くなり好きにしてください。ほとんどを学園の用意した基本素材で作った、提出単位だけもらうための魔法薬ですから。


 他の子たちの試薬は……なんだかみんな輝いて見える。


 と、教室の前の方で「わぁ」やら「すっごーい」と、生徒たちが沸いた。


 なにかと思えば学年首席のヴィヴィアン。いつものことだ。


「あらあらみなさま、そんなに大きな声を出しては殿下が驚かれてしまいますわよ」


 魔法薬学の名門レイヴン伯爵家の息女様は、謙遜する振りが下手だった。


 今日もお金に物を言わせて、レイヴン家秘伝のレシピでさぞや素晴らしい魔法薬を調合したのでしょうね。


 きっと試薬の色が七色とか、そんなところか。周囲が声を上げるのが、よっぽど気持ち良いみたい。


 ヴィヴィアンはセドリックの再来なんて、学内で囁かれている。


 同学年に目立つ人がいるおかげで、私はモブらしく、しおらしく身の丈にあった学園生活を送れるわけだけど。


 ざわつく教室にセドリックの声が響いた。


「みなさん静粛に願います。では、さっそく審査に入ります」


 と、ヴィヴィアンが話の腰を折るように挙手した。


「セドリック殿下! 今回の特別試験で優秀な成績を修めた生徒には、将来、王立魔法薬学研究所への進路が確約されるというのは、本当でしょうか?」


 もう自分が所員の白衣に袖を通すと思ってるみたいね。


 他の生徒たちも悔しいというより、しょうがないよね。順当だよね。だって名門レイヴン家だもの。と、諦めていた。


 セドリックは――


「いったいどこでそのような噂が立ったのでしょうね」


 と、真顔で流した。そのまま続ける。


「みなさん手を膝の上に置いてください。それでは審査を開始します。今回の課題は一般家庭向けの鎮痛薬です。よろしいですね」


 特別講師はクリップボードに評価シートを挟むと、軽い足取りで机の列を縫うように歩く。


 えっ? と、思うくらいあっさりしていた。普通は成果物に試験紙をつけたり、一人一人の提出物を手に取ってチェックし、魔導具で魔力濃度を測定したりするのに……。


「失格。失格。失格。失格。失格……」


 一目見ただけでセドリックは評価シートの名簿に、不可を刻んでいった。


 誰も文句を言えない。相手が王族なのはもちろんだけど、王立魔法薬学研究所長に「なんで自分の魔法薬が失格なんですか!?」と、食ってかかる胆力は誰も持ち合わせていなかった。


 けど、本当にチラッと見ただけで評価できるものなのかしら? 適当につけてない?


 と、思ったところで私の番になる。下を向いて目を合わせないようにしていると――


 足音が止まった。あれ? みんな歩きながら評価していたのに、どうして?


 まさか――


 あまりにみすぼらしい魔法薬を出したから、怒ってる?


 うう、顔を上げたくない。沈黙が重くのしかかる。私のことも素通りしてくれないと、変に目立っちゃう。


「顔をあげてください……ええと……クリスティーナ……クリスさんでよろしいですか?」

「あ、はい!」


 全身がビクンとなった。名前を呼ばれて上を向くと、青年がメガネのレンズ越しにじっと私……じゃなく、机の上の試薬瓶を見つめていた。


 そのまま第三王子は首をゆ~っくりと傾げる。


 にゅ~っと音がするみたいな感じだった。


「わかりました」


 言うとセドリックは評価シートに何も記入せず、次の生徒の元へ。

 それからも、彼が歩みを止めることはなく審査は進み、最後にヴィヴィアンの前で立ち止まった。


「いかがかしらセドリック様? あたくしの鎮痛薬は」

「良くできていますね。名門レイヴン家の魔法薬は治験を重ねた信頼のおけるものばかり。被験者に相応の対価を支払っていればこそ。効果が高いのも頷けます。素晴らしい技術によって調合された一級品です。生死の境を行き来する上級冒険者たちにとっては垂涎の品でしょう」


 べた褒めだった。当然か。


「うふふ♪ 仕方有りませんわよね。皆様ごめんあそばせ。レベルが違いすぎて、あたくし以外全員、不可になってしまいましたわね。おーっほっほっほ!」


 本当に絵に描いたようなお嬢様仕草をする。普通に浮いてると思うんだけど、彼女の実力と家柄が反論を許さない。


 教壇に戻ったセドリックが言う。


「ではヴィヴィアンさんとクリスさん。試薬瓶を持ってそれぞれ前に来てください」

「えっ!?」


 思わず変な声が出た。私、呼ばれたの?


 前の方で起立したヴィヴィアンが振り返ってじっと、こっちを睨む。


「あら、どうしてあんな田舎娘と、あたくしが並べられなければいけないのかしら?」


 当たりが強いなぁ。こっちは貴女の視界に入らないように、気を遣っているのに。


 セドリックは小さく咳払いを挟むと。


「今から最も素晴らしい薬と最低の薬についてお話します」


 途端にヴィヴィアンは上機嫌。


「あらあらぁ〜♪ そういうことでしたのね。今回、不可を取ってしまった皆様方に朗報ですわ! それよりも下の超がつくほどのド底辺がいましてよ!」


 教室内がざわついた。みんな口々に「名門だよな」「やっぱそうか」「どうして同じ年度に生まれちゃったんだろ」「一年留年した方がマシ」と言葉を漏らす。


 私は愚痴さえ言えない。


 人生最悪の日……ううん、二番目か。お母様を亡くした日の次くらいに、悲しい気持ちになった。


 ヴィヴィアンが言う。


「ほら、何をしてますの劣等生? 早く前に出ていらっしゃい。殿下を待たせるつもりかしら? そのお粗末な鎮痛薬、今から自分で飲んでおいた方がよろしいんじゃなくて? あら残念ね。学園が用意した素材だけで作ったのでしたっけ? 偽薬のほうがマシかもしれませんわねぇ」


 本当に腹が立つ。言いたい放題で。

 絶対……嫌。


 セドリックが言う。


「クリスさん。お願いします。このままでは成績がつけられません」


 うう、これも単位のため……か。我慢よ。我慢するのよ私。今回の特別講義は、評価にかかわらず提出すれば単位になるのだから。


「わかり……ました」


 泣きそうになるのをこらえて教室の前へ。


 まるで今から絞首刑に処されるみたいな気持ちだ。


 一方、学年首席のヴィヴィアンは上機嫌に鼻歌交じり。家柄も実力も圧倒的に格下な私に勝ち誇って、なにがそんなに楽しいのかしら。


 二つの試薬瓶が教卓に並んだ。ヴィヴィアンのそれは液体が揺れる度に色を変える不思議な魔法薬。一方こちらは、薄く濁った灰色をしていた。


 セドリックが私に訊く。


「薬液が灰色がかっていますね? なぜでしょう? 学園の基本レシピ通りであれば、薄緑色になるはずですが」

「ええと……シャドウミント抽出物を加えました」


 途端にヴィヴィアンが笑う。手で口元を隠していても、下品だ。


「おーっほっほっほ! 何かと思えばシャドウミントなんて、そこいらへんの日影に生えている雑草じゃない? あたくしはムーンブロッサムのフルムーン種。その高純度抽出エキスを惜しみなく使用しましたのに。まあ、貧乏男爵家では用意できませんわよね」


 ただでさえ高級な素材を純度を高めて使うなんて。扱いが難しいけど薬効はとんでもなさそうだ。


 ムーンブロッサムは夜にしか咲かない白い月のような花で、フルムーン種は満月の夜にだけ花開く希少なもの。即効性のある鎮痛作用から、上級の冒険者たちに人気が高い。


 比べるまでも無く今回の試験はヴィヴィアンの一人勝ち。本当に、やる意味無いんじゃないかしら。

 単位が出なければボイコットすべきところだ。


 セドリックは腕を組んで深くうなずいた。


「ヴィヴィアンさんの試薬は最高の鎮痛効果が期待できます。片腕が切り飛ばされても痛みすら感じず、戦い続けることができるでしょうね」


 ヴィヴィアンがすごいのは高級素材を余すところなく使って、その薬効を確実に引き出す調合技術。


 きっと幼少期から使い慣れていたのだと思う。


 彼女が描く絵には色とりどりの絵具が用いられていた。


 私にあるのはモノクロの世界だけ。けど、逆にね。どれだけ好きに使ってもいいと言われても、困ってしまう。私はきっと……色を持て余す。


 だから、自分にできることを、できる範囲内でやりきった。


 セドリックに認められて天にも昇るようなヴィヴィアン。


 地を這う虫みたいな私とは大違い。


 セドリックがこちらに向き直る。


「クリスさんはなぜ鎮痛薬にシャドウミントを加えたのでしょうか?」


 シャドウミントは暗所に生える黒い葉の植物で、煎じて飲むとリラックス効果が得られる野草だった。


「鎮痛作用にリラックス効果を付与しました。鎮痛そのものは支給されたペインリーフで十分と考えました」

「なるほど。しかしシャドウミントを加えて副次的な効果を持たせると、本来の薬効……ペインリーフが持つ鎮痛効果は下がってしまいます」

「効果の出方が緩やかになるので、長くゆっくり効くように調整してみました」

「――ッ!?」


 セドリックが青い瞳を丸くした。


「あの、何か変なこと、言っちゃいましたか?」

「今回の配合割合の根拠を教えてください」


 根拠? あっ……ええと……言いづらいな。ごまかそう。


「特には無いです。なんとなくで決めました」

「偶然……にしては、あまりに出来すぎています。シャドウミント抽出物はペインリーフの成分と合わさると、強烈な眠気を引き起こすのですが?」

「眠くならない程度に混ぜました。シャドウミントは安価で手に入りますから、いくらでも試せましたし」

「…………」


 セドリックは黙り込んでしまった。

 詰められてるみたいで緊張する。


 この人、なんで成分の配合割合なんて訊いてきたんだろう。


 青年はピンと人差し指を立てた。


「最後に質問です。あなたはどうして弱い薬を調合したのですか?」

「ええと……自分が飲むなら優しいお薬がいいかなって……」


 痛みがピタリと収まるみたいな劇的な効果はない。けど、痛みがほどほど緩和される。一度飲めば一日は保つ。そうなるように仕上げた。


 セドリックは口元をかすかに緩ませた。ずっと真面目な顔をしていたから、笑うんだこの人……って思った。


 二つ並んだ試薬瓶の片方を青年は手に取った。


「みなさん、今回の試験で最も優れているのは……クリスさんの試薬です」


「「「「ええええーッ!?」」」」


 不満混じりの大合唱。って、ちょっと待って?


 どういうことなの!?


 私以上に驚いていたのは、教卓を挟んで並び立つヴィヴィアンだ。


「じゃ、じゃあ、あたくしの鎮痛薬が一番良くないと仰いますの!?」


 半狂乱のヴィヴィアンにセドリックは「その通りです」とピシャリ。


「い、意味がわかりませんわよ! そんな効き目があるかもわからない雑草入りの魔法薬なんかに、負けるわけありませんのに!!」


 青年は悲しげな目をして首を左右に振る。


「いいですかヴィヴィアンさん。君の配合では副作用が強く、効果切れのあとに服用した人間が、全身を引き裂かれるほどの痛みを感じることになるでしょう。一般家庭向けとしては……最低です」


 冷たい声。だけど、セドリックの言う通りだった。強すぎる薬とは得てしてそういうものだ。


 青年は続けた。


「皆さんの鎮痛薬は、どれも価格が高くなるか副作用が強くなるものばかり。飲む人のことをないがしろにして、自身の調合技術を見せつけたいのですか? 魔法薬は自己満足のためにあるのではありません」


 教室が静まりかえった。ヴィヴィアンは全身をわななかせ、表情を引きつらせる。


 青年が私に優しい眼差しを向けた。


「クリスさんは自分が飲むことを前提に調合しました。確かに薬効は落ちますが、リラックス効果と延長効果が見込めます。この配合であれば、飲めば一日効き続けるでしょう。魔力を練り込む合成技術が甘いのが惜しいですね。副作用を完全に抑え込むことができれば、より良くなるはずです」


 うわ……私が合成が苦手なことまで、なんで解っちゃうの?

 けど……ちゃんと褒めてもらえた。


 魔法薬学科に入って、初めて……嬉しいと思った。


「きょ、恐縮です殿下」

「自信を持ってください。今回の課題への理解力は、君が誰よりも高いのですから。感心しました。シャドウミントの経済性も、服用回数が少なくて済むのも家計に優しいですし」

「ありがとう……ございます」

「ただ……」


 うっ……まだ何かあるの?


「な、なんでしょう?」

「気になるんですよね。シャドウミントの配合比率が。偶然では片付けられません。もし、ラッキーだというのなら神の気まぐれです」

「こ、幸運でした」

「この配合に到るまで何百……いえ何千回何万回と試作を繰り返す必要があるのです」

「そそそそうなんですか?」

「はぁ……本当に偶然の産物なのですね。課題発表をしたのは三日前ですし、調合しても治験の時間が……一万分の一の誤差を三日で調整できるとは……いや、やはりおかしいような……」


 う、うう、うわあああああッ!!


 私のこと……疑ってる。


 普通じゃないって思ってる顔だ。


 そう――

 私は普通じゃない。


 実家のお父様が言うには、私はユニークスキルの持ち主なのだとか。たまに、こういった才能の持ち主が生まれるという。


 自分でもよくわからないのだけれど、授かったのは鑑定スキルの一種みたい。


 魔法薬の合成の力だと嬉しかったのだけど、残念。


 私のスキルは端的に言えば「未来鑑定」だった。


 対象物を使用した時の効果を使わずとも理解できる。加えて、使ったあとにどうなるかも合わせて知ることができる。


 これを利用して時間のかかる治験を短縮した。


 今回作った鎮痛薬は、配合をミスすると全然効かないか睡眠導入剤になってしまうので、試作しながらちょうどいい効果になるところを探っていった。その結果だった。


 ほどほど効いて長く保つ。効果が切れると眠くなる副作用が抑え込めなかったのは、単純に私の技術が足りないから。


 数式でいえば問題と解答が判明しているので、それを元に途中式を導き出すみたいな感じ。


 地方の貧乏男爵家の娘が王都の名門エリクシル学園に入学できたのも、この力のおかげ。


 だけど――


 他人に言えば必ず不幸になる。ユニークスキルとは、そういうものだとお父様に教えられてきた。


 もし学園で秘密を漏らせば、悪い意味で注目の的。


 それはまずいのだ。無事に卒業しなきゃいけないから。


 だからスキルに頼った時は、子供の頃からずっと「たまたま上手く出来た」で通している。


 青年が口を開いた。


「クリスさんには秀の評価をつけたいと思います」


 秀は優より上の特別な評価だった。


 ヴィヴィアンが唇を噛んでセドリックを睨む。


「あ、あたくしが……この、あたくしが不可と仰いまして!?」

「はい。順位をつけるなら最下位ですね。価格も高価も副作用も高すぎますから」

「あり得ませんわ! 信じられませんわ!!」

「いいですかヴィヴィアンさん。最高のものが最適とは限らないのです。魔法薬学士の技術は苦しむ人を救うためにあるのですから」

「ううっ……」


 今にも泣き出しそうなヴィヴィアンに、ちょっとだけいい気味だと思った。

 彼女にとってセドリックは憧れの人で、認めてもらうのをずっと楽しみにしていたみたい。


 だけど現実は違った。


 どういうわけか、私が評価されちゃった。

 けど、私がいなくても、ヴィヴィアンは不可をもらっていたと思う。


 黒髪が揺れて、光の無い黒い瞳が私を睨む。


「どうして……あなたみたいな劣等生に……」

「う、運が良かっただけですから……」


 愛想笑いをすれば、それはそれで気に入らないとヴィヴィアンは怒り出しそうだ。

 極力、しおらしく返す。返したつもり。なのに――


 彼女は爆発した。


「そうよ! 運が良かっただけじゃない!?」


 ヴィヴィアンはセドリックに向き直り、祈るように胸元で手を組む。


「どうか……どうかもう一度だけチャンスをくださいましセドリック様! 次こそは下級貴族の小娘に遅れなど取りませんわ!!」


 え? ちょっと。なんで私を巻き込むの? チャンスなら一人で勝手にもらえばいいのに。


 セドリックは自身の細いあごに手で触れて思考する素振りを見せると。


「良いでしょう。では、お二人に特別課題を提案します」

「ええっ!? 私も受けなきゃいけないんですか!?」


 思わず声が出た。ヴィヴィアンがずっと睨んでくる。


「当たり前でしてよ。あなたを叩き潰して、あたくしの優秀さを改めて証明しなければ収まりませんわ!!」


 うわぁ最悪。この特別課題って提出すれば単位になるのかしら。


 ヴィヴィアンはセドリックに上目遣いだ。


「どのような課題ですの? なんでも調合してみせますわ!」


 青年は淡々とした口ぶりで。


「そうですね。ではお二人には……対人用の証拠が残らない致死毒物の生成を行ってもらいます。学園長に事情を説明しておきますので、二人とも学園の施設や素材は自由に使ってください。期限は十日間。後日、指定の場所にて審査を行います。詳細は追って伝えますね」


 はぁ?


 人を殺す毒を作れですって? しかも、毒の痕跡が残らないなんて、暗殺者の片棒を担ぐみたいじゃない。


 突然24色入りの絵具セットを渡されて、人の死を描けというの?


 人を癒やし、生かす薬を作りたいのに逝かしてどうするのよ。もう。


 セドリックはきょとんとした顔だ。


「不服ですか?」


 ヴィヴィアンが声を震わせる。


「え、ええと、何も全然問題ありませんわよ! お、お、おーっほっほっほっほ!」


 額に冷や汗垂らしてるのに、懲りないお嬢様。


 あーもう。毒と薬は紙一重だし、毒物から薬になる魔素が抽出できることも多いというけど……調合したことないわよ。毒なんて。


 ヴィヴィアンが私の顔を指さす。


「今なら負けを認めて土下座で済ませてあげてもよろしくてよ?」


 なんで勝手に負けて勝手にキレて勝手に謝罪要求して土下座させようとしてるのよ。


 私は小さく挙手した。


「殿下に質問です」

「なんでしょうかクリスさん?」

「提出すれば単位は出ますか?」

「はい、もちろん。そうなるよう学園長にきちんと私から、お願いしますから」

「じゃあ……やります」


 毒なんて物騒なものを作らされるのだから、単位くらいもらっても罰は当たらないわよね。


 こうして――


 私は成り行きで、痕跡の残らない毒薬を調合することになった。


 犯罪に使ったりしないわよね第三王子様?



 ああああもうなによあの小娘は!


 許せない許せない許せない許せない! あたくしのセドリック様に色目を使いましたわね!


 こんな薬はいらないわ! あたくしは試薬の小瓶を校舎裏で地面に叩きつけた。


 掛かった費用は二百万ほど。これで絶対に勝って、選ばれて、あたくしが王立魔法薬学研究所に入所して、セドリック様の助手になる。


 予定をあの女が全部……ぶち壊した。


 すぐに正気に戻してあげますわねセドリック様。下民の女のまやかしの魔法薬で、曇った目を綺麗にしてあげましてよ。


 だってそうでしょう?


 毒薬なんて……当家の最も得意とするところじゃない。課題って言われたから、ちょっと驚いちゃったけど……。


 これまでレイヴン家は何百何千人と治験で殺してきたのよ。もちろん、罪人ばかりね。みんな魔法薬学の進歩に役立ってくれたわ。


 お父様にお願いして罪人を手配してもらわなきゃ。


 セドリック様もわかっていて、殺人毒を課題にしてくださったのだもの。期待に応えないと……。


 まずは手頃な人間が手に入るまで、動物実験ね。あたくしネコちゃんもワンちゃんもだ~い好き。



 出来ない出来ない出来ない出来ない。


 なんなのよ痕跡を消すって! 毒ならいくらでも、何種類でも秘伝のレシピがあるけれど。


 どうがんばっても、お金をかけても物量投入しても、血中に毒素と魔素が残ってしまって……魔法薬だと一発でバレてしまうじゃないの!!


 ああもう、やっぱり動物実験じゃ無理みたい。しかもちょうど良い死刑囚がいないっていうし。


 人間じゃないとダメなのに。


 ああ、うん。きっとそうね。無理だったのよ。この課題、正解なんて最初から無いんだわ。


 どうせあの下賎な小娘だって、作れないに決まってる。


 あたくしにできないものが、できるわけないのだもの。


 ともかく、あと三日――


 材料の質と技術の粋を結集して、残存成分と魔素の気配を極力薄めていくしかありませんわ。


 今回の課題は、どれだけ痕跡を減らせるかという戦い。


 この勝負、確実に勝利はしますけれど、完璧に痕跡を消せないのが悔しいですわね。


 最近、お猿さんが好きになりましたわ♥ 白目を剥く瞬間がとってもかわいいんですのよ。おーっほっほっほっほ!!



 十日後――


 私は指定された場所に足を運んだ。


 目の前には高い尖塔を備えた王城がそびえている。


 衛兵の案内で跳ね橋を渡る。


 王立魔法薬学研究所は王城内にあった。


 興味が無かったから、全然知らなかった。


 今回の特別試験。材料とレシピをそれぞれ用意して、調合は研究所内で行うというものだ。


 器具は一流。失敗の言い訳にはできない。それになにより、同じ環境で作るのだから公平ね。


 城内地下にある研究施設に迎え入れられる。


 先客が二人。一人はヴィヴィアン。私を見るなり彼女は鼻で笑った。


 そして――


 今回も審判役を務める金髪碧眼の美青年セドリックだ。


「迷子にならずにちゃんと来ることができましたね」

「子供じゃありませんから」

「ヴィヴィアンさんの準備は整っています。どうですかクリスさん?」

「いつでも大丈夫です」

「結構。では、空いている作業台と器具を使ってください」


 なんだか子供扱いされたみたい。三つしか違わないくせに。


 セドリックだって、まだ子供みたいなものじゃないの。


「では、始めてください。制限時間は一時間とします」


 ヴィヴィアンが対岸の作業台の上に立ち、私を見下ろしながら指さした。


「泣いて謝れば許してさしあげたというのに、無駄な抵抗をするなんて醜いですわ。潔く負けを認めなさい」

「作業台の上に土足で立つのは良くないと思うんですけど」

「んまああああ! 口答えするなんて許せませんわ! よろしくてよ……徹底的に潰して差し上げますわね!!」


 始まる前から元気いっぱいで羨ましい。元々、単位目当てだしこっちは負けても構わない……というか、これ以上ヴィヴィアンに絡まれたくないから、負けたいくらいなのに。


 私が怖いのはセドリックだ。


 前回の鎮痛薬の時に、まるですべてを見透かすみたいな目をしていたのが、気がかりだった。


 手を抜けば見破られる。だから、ちゃんと課題に取り組んで、できることをしたと証明しないと。


 私は持ち込んだ素材類を並べて、想定した手順で魔法薬……痕跡の残らない毒の調合を開始した。


 二つ作らなければいけないから、余計なことをしている暇は無かった。



 一時間きっかりのところで、セドリックがハンドベルを鳴らす。


「そこまで。二人とも作業を終えてください」


 私は時間ぎりぎり。ヴィヴィアンは余裕たっぷりで、器具の洗浄と後片付けまで終えて手際がいい。


 紅茶があればティータイムまでしそうだ。


 彼女の試薬瓶は一つ。紫色のいかにも毒な雰囲気。薬液の色味で決まるものではないけれど、魔法薬って割と名は体を……的なところがある。


 私は黒い試薬と白い試薬。今回の課題を自分なりに咀嚼そしゃくした結果、二つの魔法薬を作ることになった。


 セドリックが二つの作業台の中点に立つ。


「お二人ともお疲れ様でした」


 ちらり……と青年はヴィヴィアンの試薬瓶を確認する。

 彼は小さく息を吐き、私の方を向く。


 頷く。ちょっと、どういう反応なのよそれ。


 改めて第三王子が口を開いた。


「ではお二人に問います。その毒……飲むことができますか?」


 ヴィヴィアンは光の無い黒い瞳を丸くした。


「な、なな、何を仰いますの!? 殺人毒ですわよ? 飲んだら死んでしまいますわ!!」


 セドリックはヴィヴィアンには応えず、私を見る。


「飲めますかクリスさん」

「はい。あと、採血をお願いします」

「わかりました」


 ヴィヴィアンが立ち尽くす。セドリックは手際よく、採血用の器具を用意して祝福を施した。針と細いガラス管で作られたものだ。


 こうなる可能性を、青年も想定していたのかもしれない。


 私は黒い魔法薬を手に取った。試薬の封を開ける。


 ヴィヴィアンが半笑いになる。


「ば、バカですの? まさかその毒、致死量に満たない出来損ないなのかしら? あーそうよねだから飲めますのよね?」


 違うんだけど。ま、いっか。私は黒い液体を飲み干すと、作業用の椅子に座って膝を揃えた。


 まくった腕を差し出す。


「お手数ですがよろしくお願いします。身体にはすぐ回るようにしてありますが、一分ほどで毒が効果を発揮するので……」

「時間をそこまで正確に……わかりました。すぐにサンプルを採取しましょう」


 皮膚にもセドリックが祝福を施した。彼の指になぞられて、ぞくっとなる。男の人に触られるのって、緊張するものなんだ。 


 まだ毒が効果を発揮する前なのに、心臓の鼓動が高鳴った。


 祝福により皮膚が清浄な状態になったところで静脈に針が落ちる。


 チクリとする。けど、痛みは無い。見る間にガラス管に私の血液が満たされた。


 針を抜く。うん……ちょっと痛気持ち良い。セドリックは上手かった。


 そして――


 目の前から色が消え、音が無くなる。ちゃんと毒が効いているのを段階的に感じる。


 このまま五感を失い最後には静かに、眠るように逝く。もう、声も出せない。


 私はもう一つの試薬瓶……白い魔法薬を開封し飲み干した。


 あと十秒遅かったら腕が動かなくなって、死んでいたと思う。


 全部、想定通り。


 失われた五感がゆっくり戻る。


 音を感じられるようになるとヴィヴィアンのキャンキャン吠える声が鼓膜を揺らした。


「な、なんですの!? 茶番ですわね! ど、どうせ上手く調合できなかったから、それらしい色の偽薬を用意したのでしょう!?」


 負け惜しみっぽく聞こえた。多分だけどヴィヴィアンも理解したのだ。


 専用の解毒薬の有無。


 セドリックが口を開いた。


「お静かに。大丈夫ですかクリスさん?」

「はい、なんとか」

「君はもしかしたら、とんでもない人なのかもしれませんね。早速サンプルを解析しましょう」


 ヴィヴィアンには見向きもせず、彼は魔導器に私の血が詰まったガラス管をセットして、双眼式の拡大鏡でのぞき込む。


 セドリックの魔力に呼応して魔導器が血中の毒素と魔素の反応を検出した。


 青年は拡大鏡から目を離すと。


「致死量の毒素に魔法薬の特徴である魔素を検出しました。どちらも痕跡として、はっきり残っていますね」


 ヴィヴィアンが黒髪を振り乱す。


「ど、毒には違いないようですけれど、やっぱり所詮は下賎な女ね! 痕跡を消す努力をしてないなんて。解毒薬を作ってきたからなんだっていうの? あたくしの毒の方が痕跡が少なくて発見しにくくなっていましてよ!」


 証明する術を用意しなかったら、せっかくの技術も意味が無いのに。


 私は呼吸を整えるとセドリックに告げた。


「一時間で血中から毒素の痕跡が消えるように調整してあります」

「魔素への対処はどうしますか?」

「私の技術では毒素を消すので手一杯で、魔素を隠蔽できませんでした。なので、事前に対象には他の魔法薬を飲ませるなりして、別の魔素を混在させ偽装する……というのはどうですか?」

「木を隠すなら森……ですか」

「はい……見破る人は見破ると思いますが……」


 青年は顎を手でさする。


「いや……これは……参りましたね。今回の課題は解毒薬を用意することに気づけるか? というものでしたが、毒を迷い無く飲み干すとは。クリスさんはご自身が作った解毒薬が効かなかったら死んでいたのですよ? 怖くなかったのですか?」

「ええと……緊張していて気づかなかったです」

「緊張……ですか」


 じっーっと見ないで欲しいんですけど。大型犬みたいだ。

 青年は少しだけムッと顔をしかめる。


「しかし、相変わらず調合が甘いですね。毒薬も解毒薬も無駄を省けば今の半量で効果するものができたと思います」


 ぐうの音も出ない。


 ヴィヴィアンがまた鳴きだした。


「調合技術が低くて運任せなんてありえませんわよ! それに一時間で毒素が消えるですって? ちゃんちゃらおかしいですわ! すぐにバレる嘘をついて恥ずかしくありませんの?」


一時間後――


 拡大鏡から目を離すとセドリックは呟いた。


「本当に……毒素が消えていますね。時間的な精度がぴったりです……驚きました。まるで最初から正解を知っていたかのようです」


 やば。そんなことまで解っちゃうの?

 なんとかごまかさないと。


「あ、えっと、だ、だいたい一時間くらい……かなぁって」


 青年がジトっとした目つきになった。ああこれ、信じてもらえてないやつだ。


 だけど、すぐにセドリックの眼差しが穏やかになった。


「クリスさん……君にはなにか、特別なセンスがあるようです。ただ、それだけではありません。工夫し考え、自分なりに答えを導き出すことができる。その力を生かす環境さえ整えば、何か大きなことを成し遂げる人なのかもしれません」

「は、はいぃ?」

「どうでしょうか。卒業後と言わず、いますぐ王立魔法薬学研究所に来てくれませんか? 私に力を貸して欲しいのです」


 え? あ? え?


 えええええええええええええええええええッ!?


 いったい、どういうこと?


 ヴィヴィアンが悲鳴を上げた。


「いやあああああああああ! なんで! どうして、あたくしではありませんの!?」

「君は優秀ですヴィヴィアンさん。ただ、君に出来ることは私でもできてしまいますから」

「そんな……あたくし、必ずお役に立ってみせますわ! ですから助手にするなら、あたくしを……」

「君ほどの実力があればレイヴン家の次期当主になることもできるでしょう。志を高くもち、努力を重ねれば最高位である宮廷魔法薬学士にだって……」

「ううっ……ううううっ……」


 黒い瞳の憎悪が私に向けられた。


 二人とも私の返答待ちだ。


 どうしよう。元々、魔法薬学士の資格が欲しいだけだった。地元に小さくてもいいから、魔法薬を取り扱う薬局を建てたい。


 それだけなのに。

 セドリックの青い瞳が真剣な眼差しで訴える。


「君の才能をアルケミア王国のために捧げてはいただけませんか? 足りない部分は私が補います」


 殿下が……頭を下げた。

 地方の男爵の娘に。


 王族なのに。

 この人は……必死だ。


「殿下、顔を上げてください。こ、困ります」

「君から良い返事をもらえるまで、下を向き続ける覚悟ですよ」

「あうぅ……」

「君のことを少しだけ調べさせてもらいました。早くに母君を……石化病で亡くされてしまったと。故郷に薬局を建てたいのですよね」

「は、はい……だから……卒業して地元に帰らないと」

「多くの人を救って欲しい。君の故郷もその中に含まれます」

「私にできるとは……恐れ多いです殿下」


 救いたかったのは手の届く範囲内の、ごく身近な人たち。私は国家規模の大業を成すような人間じゃない。


 身の丈に合った生き方が望みだ。王立魔法薬学研究所に入所しても、やっていけるとは思えない。


 セドリックが顔を上げた。良かった。諦めてくれたみたい。

 深刻そうな面持ちで。


「新しい石化病が広まりつつあるんです」

「え? そ、そうなんですか?」

「治療のすべが見つかっていません。従来の魔法薬は効かず、病は確実にこの国をむしばむでしょう」


 石化病……。

 お母様の顔が思い浮かんだ。最初は肌が鱗状になって、次第に石に変わり、最後は臓器まで固まって……亡くなった。


 普通の薬では石化の進行を遅らせることさえできなかった。


 後にそれがバジリスクという爬虫類型の魔物の魔素によるものだとわかった。あの時、町に魔法薬学士がいれば……解毒薬を調合してお母様の命を救えたかもしれない。


 貧乏な男爵家の狭い所領には、魔法薬学士を招聘しょうへいできるだけの金銭的余裕はなかった。


 そもそもが、名門名家のエリートが就く仕事だ。仮にお金を積んだとしても、辺境に来てくれる魔法薬学士は……たぶんいない。


 だから――


 私がなるしかないんだ。どんな屈辱を受けても、馬鹿にされても、何を言われても。


 今日までそれだけを目標に頑張ってきた。


 国を救う暇なんて……ないんだ。


 セドリックは言う。


「私の父……アルケミア国王が……新種の石化病にかかっています。私は……救いたいのです」


 同じ目をしていた。お母様を亡くす直前のお父様と、青年は同じだった。


 瞳の奥に不安と諦めの心が揺らぐ。ああ、そんな目で私を見ないで。胸が締め付けられるから。


 私が手伝ってどうにかできるとは思えない。


 けど――


 背を向けたら、私は後悔……するかも。


 これが運命というのなら。


 意を決する。


「殿下……こんなことを言うのは、とても失礼で無礼だと思いますが……条件があります」

「なんなりと仰ってください」

「私の故郷に魔法薬を扱う薬局と常駐できる魔法薬学士を置いてください」

「お安いご用です。では、協力していただけるのですね?」


 青年は手を差し伸べる。

 プロポーズされてるような気持ちになった。

 男の人に求められるのなんて……初めて、緊張する。


「は……はい」


 彼の手を取った。青年は心底、安堵したようにゆっくり息を吐く。そして今までに見せたことがない、朗らかな笑顔を浮かべる。


「薬局と言わず治療院を建てましょう。今日からクリスさんは王立魔法薬学研究所の所員です。それに伴いまして、学園を卒業して得られる資格よりも一つ上の、上級魔法薬学士に認定されます」

「ええっ? えっと……はい?」

「優の上の秀ということです。上級職ですから待遇も相応のものになります。よろしくお願いしますねクリスさん」


 メガネのレンズの向こう側でセドリックは嬉しそうに目を細めた。


 やばい。見つめられてほだされて、勢い余って悪魔と契約しちゃったかも。


 そういえばずっと静かだと思ったら……。


 ヴィヴィアンはいつの間にか部屋から消えていた。


 青年がため息を一つ。


「君との勝負で敗北を悟って身をひいたのでしょう」

「あの人、そんなに聞き分けが良い方じゃないと思いますよ……ハッ!? し、失礼しました。あの、高貴な御方とお話しすることなんて全然無くて……殿下」

「構いません。今くらいだと私も助かります。これからは殿下ではなく、所長と呼んでください。一人の魔法薬学士として……同志として君に接したいですから」


 偉い人から気さくにしてねと言われても、できないんですけど!!


 ということもあって――


 私はその日を境に学園ではなく、王立魔法薬研究所の預かりになった。



 エリクシル学園を二年次の途中で飛び級卒業扱い。

 基本となる魔法薬学士の資格を得て、王立魔法薬学研究所に入所。同日付で上級魔法薬学士認定を受ける。


 エリクシル学園創立以来の快挙……って、実感が湧かないけど。


 加えて魔法薬学士になってから三時間後に上級魔法薬学士になるのは、王国史上最速の出世だそうな。


 下宿先の寮から生活の場所が王城になった。殿下の王子様権限がこれでもかと働いたみたい。


 広い個室が与えられた。子供の頃に読んだ物語のお姫様になった気分。


 彼曰く「衣食住、満足のいくものを用意します。欲しいものがあれば仰ってください。さあ存分に研究に明け暮れましょう!」とのこと。


 やばい人だった。


 第三王子は仕事中毒ワーカーホリックだ。私は城に軟禁状態。魔王城に捕らえられるのはお姫様と相場が決まっている。お城に住むなんてお姫様みたいって思ったけど、どうしてこうなった我が人生?


 朝起きて、身支度を済ませるとセドリックと朝食を摂り、そのまま地下の研究室へ拉致監禁。昼まで研究。昼食。研究。おやつ休憩。研究。夕食。入浴。今日の研究結果について二人でミーティング。日をまたぐころようやく就寝。


 城の外には一切出ない。すべてが完結する暮らし。他の所員もいるけど、みんな王都にそれぞれ自宅があるので帰ってしまう。


 セドリックの夜の相手をできるのは、助手に任命された私だけ。


 言い方に難ありだけど、実際に毎晩熱い議論を交わすことになった。


 最初は意見を出すのも怖かったけど、段々、完璧に見えたセドリックの本性があらわになって、生活力が皆無なところとか、魔法薬バカなところとか、研究器具マニアなところとか、ダメな……人間臭い部分が解ってきた。


 ホッとした。案外、ちゃんとしてないじゃない。


 三日もすれば私も言葉がなめらかになってきて、殿下ではなく所長と呼ぶのにも抵抗が無くなった。


 学園に居た頃、陰に隠れて目立たないように……シャドウミントみたいにしてきたのが嘘みたい。


 ここでは誰も私を踏みつけたり、踏みにじったりしないのだ。


 王子様のお気に入りが鳴り物入りで……ってことだから、所員の先輩方もあまりいい気はしなかったんじゃないか。なんて心配すら無用だった。


 みんなセドリックを尊敬していたし、彼の性格も熟知している。とある先輩女性所員から「王族だからって、あんまり所長を甘やかしてはダメよ。すぐに調子に乗るから。ちゃんと手綱を握ってあげてね」だって。


 まるで金色の暴れ馬だ。


 けど――


 やっぱりセドリックはすごい人。


 私を招聘しょうへいする前から、新しい石化病について研究を進めていた。


 セドリックの父親……つまりアルケミア王国の国王陛下の症状は以下の通り。


 これまでの石化病の例に漏れず、肌が硬質化してやがて石になってしまうという基本は変わらない。


 ただ石化した時に肌が樹皮状になるというのが、新種の特徴だ。

 発病の原因は不明。症例から樹皮石化症と名付けられた。


 通常の薬を一切受け付けず、セドリックが調合した最高品質の魔法薬をもってしても、病気の進行を遅らせるので手一杯。


 セドリックが研究を進めた結果、どうやら呪詛が病と一体化した半呪半病なのではないか……と、仮説が立った。


 問題はあくまで仮説でしかないこと。これまでの石化病の症例から推測することはできても、肝心な部分がわからない。


 陛下の血液を調べることで、この病の根源を特定しようと何度も試みた。


 けど、皮膚の硬化が始まり症状が確認された時には、魔素も呪素(呪詛と混同しそうになったけど、呪いの成分? みたいな。毒素っぽい意味あいらしい)が体内から消えてしまって、原因の特定が困難……というか、不可能だった。


 まるで証拠を残さない毒物みたいだ。


 手がかりがないため、セドリックが行ったのは実に脳筋的な対処方法。


 効きそうな薬草や素材で試作品を作りまくる。とはいえ、組み合わせは無数にあるし、配合バランスが少しでも違えば魔法薬は全く別の性質を見せる。


 試作品の数は二千を超えた。そのすべてを国王陛下に投与できるわけもなかった。


 陛下にもお会いした。病床にありながら威厳を感じる方だった。痩せ細り、樹皮石化症の進行で枯れ木のような指や腕になってしまっても、瞳には強く生きる意思が宿っている。


「我が命が尽きるまで、存分に試すがいいセドリックよ。民のために最後までともに戦おうではないか」


 死が迫っているのを感じさせない。これが王様なのだ。


「父上。必ずや病の根源を見つけてみせます。彼女と……クリスとともに」


 少し前から「さん付け」もされなくなった。距離、縮まったんだなと思う。

 もちろん私は「所長」もしくは「セドリック様」と敬称を欠かさないけど。


 陛下は優しげに目を細めた。セドリックとそっくりだ。親子なんだと改めて思う。


「必ずや解決の糸口を掴むのだぞ。我をこの病でたおれる最後の一人にしてくれ。お主であれば……できるだろう」

「はい、陛下」


 交わした言葉はそれだけだった。重みを感じた。陛下は御身を……命を賭していた。



 数日が経ち――


 セドリックが現在考える、すべての可能性の洗い出しを私は任された。


「素材と配合比率に調合方法までは、お渡しした資料の通りです」


 二千種類の試薬瓶が研究所内の会議室の円卓に処狭しと並ぶ。瓶には通し番号が振られていた。


 私の手には仕様書の束だ。


「試薬について質問があれば、口頭で説明します。では始めましょう。君の直感でこれらの薬の中に、樹皮石化症を止めるものがあるか判定してください。参考程度です。あくまで直感。インスピレーション。印象で語ってくださって構いません」


 不思議だった。セドリックはいつも魔法薬を見ただけで理解してしまうのに。


「どうして所長ご自身でなさらないのですか?」

「あ、ああ……ええと……私にできるのは魔法薬の……その……ともかく君の双肩に未来がかかっています! さあ、はりきってどうぞ!」


 普段の所長っぽくない歯切れの悪さだ。


 はぁ……。


 二千本の試薬瓶VS私である。幸いなことに……いや不幸かもしれないけど、できなくもないというか、できてしまう。


 もしかしたら最も得意まであるかも。私のユニークスキルの真骨頂だ。


 まだ彼にも誰にも「未来鑑定」スキルのことは明かしていない。


 ユニークスキルを授かった人間は、みだりにそれを口にするべきではない。ずっとそうやって生きてきたから、言い出せないままだ。


 けど便宜上、直感ということなら……。


 私は資料の束を読む振りをしながら、一本ずつ手に取って未来鑑定を行った。



 日の出から始めて気づけば日付が変わっていた。食事は会議室で三食サンドイッチ。


 二千本を全部鑑定した。


 一年投与を続けたという未来までセットだ。回復傾向がわずかでもみられたものは、五年投与まで期間延長。


 どの魔法薬も陛下を救うことはできなかった。


 結果をセドリックに伝えると、青年はがっくりと膝から崩れ落ちて床につっぷした。


「そんな……全滅ですか?」

「す、すみません。ごめんなさい。あの、私の言うことなんてほら、当てずっぽうですから」


 生まれたての子鹿のように足をプルプルさせながら、セドリックはなんとか立ち上がる。


 ずれたメガネを掛け直し、今にも瀕死の重傷人みたいな顔で言う。


「いや、現実を受け入れましょう。君が違うというのなら、ここにある試薬ではないのです」

「あの、どうしてそんなに私のことを信じてくれるんですか?」


 青年は呼吸を整え直すと。


「君が素敵な人だからです」

「はいぃ? 冗談ですよね?」

「本気です。人を信じるというのは、そういうことでしょう?」

「それはそうかもしれませんけど……」

「君が調合した魔法薬は不器用ながらも、誠実でした。飲む人のことを第一に考える。なによりも、君の人柄を雄弁に語ってくれました。君は素敵な人だと」


 もしかして、褒められてる?


 顔が熱くなってきた。


「大丈夫ですか? 発熱しているようですが?」

「ご心配なくぅッ!!」

「ああ、どんどん赤くなっているではありませんか!?」


 スッとセドリックが額を合わせる。おでこ同士がごっつんこした。


 吐息が届く近さだ。いきなりすぎるから! 人と人との距離感の縮め方! どうなってるのよ!! こ、こんなの……キスとかする恋人同士のやつじゃない!


「熱っぽいですね。今日は無理をさせてしまいました。明日は一日ゆっくり休暇をとってください」

「は、はひぃ」


 青年が離れると私は腰砕けになって、会議室の椅子にぺたんとお尻を付けた。


 もう、誰のせいだと思っているのよ。

 って、明日、私がお休みだとしたら、所長はどうするのかしら?


「所長も明日はお休みですか?」

「君に全部却下された以上、次の手を考えないといけないですから」


 仕事中毒ここに極まれり。

 

 力になりたかったのに、私がしたことはセドリックの努力を全部、水の泡にしただけ。


「今度はしょんぼりしてしまいましたねクリス?」

「あ、あの、所長の努力を全否定してしまったわけですし」

「心配ご無用。むしろ、君のおかげで次に進めます。ここにある二千本の試薬瓶のどこかに、正解があるかもしれないと疑念を持たずに済みますから」

「そういうものなんですか?」

「新しい着想のために頭の空き容量を確保できました。とはいえ、今はアイディアを搾り尽くして出涸でがらしですが。さて、次の一手はどうしたものか」


 二千本の試薬は様々なアプローチをしていた。

 ハーブやキノコ類といった定番から、魔物の角とか牙とか鱗まで。


 私の所感だと、どの素材も中核を成す感じがしなかった。


「たぶん、今まで採用した素材のどれでもないと思います」

「君はいつもおっかなびっくりしているのに、魔法薬については自信……いや、確信めいたものをもって話しているように見えます。それも直感……ですか?」

「あ、えっと……はい! 直感です」

「…………」

 

 黙り込むと青年は空いている椅子に腰掛けた。


 背もたれ側を前にして抱くようにする。お行儀が悪いかも。


「君にだけは……打ち明けてもいいかもしれないですね」

「は、はい!?」

「大事な話です。そして……他の誰にも秘密にしてください」


 私は息を呑む。今までにないくらい、セドリックは真面目だ。


「約束します。なんでしょうか?」


 もしかして、告白されたりはしないわよね。うん、このタイミングで好きだなんて言われても。って、それってセドリックが私のことを好きってことになっちゃうじゃない。


 あーもう、バカバカ。自意識過剰よ。所長は上司。私は助手。ここにいるのは直感を彼に買われたから。


 それ以上でも、以下でもない。


 青年は静かに続けた。


「私が魔法薬を見ただけで、なんでも解るみたいだ……とは思いませんでしたか?」

「は、はい。すごいなって」

「なんてことはないんです。そういった力を授かって生まれただけ。だから、私が兄たちに代わって父上を救わなければいけません」

「力……って、ユニークスキルのことですか?」

「よく御存知ですね」


 セドリックはじっと私の目を見た。


 ああもう、これ、バレてるかも。

 

 なのに、なぜだろう。安心している自分がいた。


 私だけじゃないんだ。不思議な力を持って生まれた人って。仲間意識なのかな。不敬だとは思うけど。


 そして――


 セドリックは自分がユニークスキルを持っていると告白はしたけど、私にはそれ以上、何も訊かなかった。


 彼は語る。


 その能力は「分離分解」というもので、知っているのは国王陛下だけ。兄二人にも秘密にしていた。脅威と思われれば、身の危険があるのも王族なのだ。


 薄々感づかれてはいるでしょうけどね。と、セドリックは力なく笑った。


「具体的にはどんな能力なんですか?」

「見ただけで理解わかってしまうんです。実物の魔法薬を視認すると、材料も製法も丸裸にできる。どんな魔法薬も材料や配合比率に調合方法まで、秘密を曝くことができました」

「だから一目見ただけで、評価をできちゃうんですね」

「はい。ほんの少しの残滓からでも……ね」


 すごいスキルなのに青年は困り顔だ。


「どうしてしょんぼりしているんですか所長?」

「この力を利用して、私は現在の地位に就きました」

「わ、悪いことしたんですか!?」


 セドリックはもう一度「はい」と白状した。


「製法が途絶えてしまった再現不能な魔法薬が無数にあるのです。わずかな残滓ざんしから失われた技術をいくつも再現しました。元は先人たちの生み出したもので、私の行為は模倣に過ぎません」

「じゃ、じゃあ秘密にしていないといけませんね!」

「私の正体を知って幻滅しないのですか?」

「それはそれ。これはこれです。レシピがわかっていても調合の技術が未熟なら再現はできないですし、もう誰にもつくれないレシピを甦らせたと言えますから。やっぱりすごいと思います!」


 こんな力を持っているとバレたら、他国から暗殺者がダース単位で送り込まれてもおかしくない。


 世間知らずな私でも、そう思った。だからユニークスキルのことを、他人に漏らしてはいけないんだ。


 なのに、自身の命に関わる秘密を、私に言うなんて。


 それくらい、セドリックに信じてもらえているのかな……私。


 青年が少しだけ下を向く。


「君にはずっと……ここにいて欲しい。私の隣に……と、思います。ですが……君という可能性を閉じ込める鳥かごにはなりたくありません」

「は、はぁ」

「樹皮石化症の件が落ち着いたら、自由になってください。ですからどうか……それまでは私と共に戦って欲しいのです」

「もちろんですよ! 微力を尽くしますね所長!」


 できるだけ明るく返した。


 樹皮石化症の件が落ち着くといっても二つの結末がある。陛下が倒れ原因を特定できず、後に蔓延して多くの人が犠牲になるか、これを根絶し国も陛下も人々も、すべて救うか。


 後者の未来を掴むために、私にできることって……なんだろう。



 夢を見た。

 お母様が石化病で亡くなる直前の夢だ。


 体温を失って固くなった腕で私を抱きしめて、頭を撫でてくれた。


「クリスちゃん……お父様をよろしくね」

「いやよ……おかあさま……いなくならないで」

「大丈夫よ。わたしはいなくならないわ。あなたの心の中に残り続けるの。人の想いとはそういうものだから」

「いやよ……いやいやいや! どうしておかあさまがこんなひどいめにあわなきゃいけないのよ! かみさまのばか!」

「誰も恨んではいけないわ。憎しみや悲しみだけが残り続ければ、それは呪いになってしまうから。いずれあなたの大切な人にまで、そういったものが向けられてしまう。だから前を向いて。わたしの分まで、いっぱい人生を楽しむの。あなたの感じた幸せを……喜びを、たくさんの人に分けてあげてね」

「なら、わたしのしあわせ、おかあさまにあげるから!」

「ありがとうクリスちゃん。あなたが生まれてきてくれて、いっぱい幸せをもらったの。だからもう、苦しくないわ」

「いやよ……ううっ……おかあさまと、ずっといっしょにいたいよぉ」

「わたしの想いはあなたの中に溶けて一つになるのよ」

「一つに?」

「そう。これからは……いつだっていっしょだから。ずっと、ずっと、見守っているからね」


 目が覚めた時、私は泣いていた。


 自然と言葉が漏れた。


「思いは心の中に残り続けて、負の感情は呪いに変わる……」


 樹皮石化症は呪素を含んだ病気だ。呪いの根源さえ判明すれば、特効薬開発の糸口になる。


 問題は発症した人間の体内から呪素が消えてしまうこと。


 お母様の言葉を、どうして今、思い出したのだろう。


 想いは一つになる。私の中にお母様が託したものが、ちゃんと残っているのかしら。


 受け継ぐ想い。引き継がれる願い。告ぐ……次ぐ……継ぐ……接ぐ……嗣ぐ……。


「あっ……もしかして」


 お母様は手負いの野犬に噛まれて発症した。

 毒はバジリスクのものなのに。原因は野犬だった。

 だから早い段階で処置ができずに……お母様は手遅れになった。


「呪いは……他の生物を介して人間にたどり着いた時に発症するのかもしれない」


 人間にとって毒になるものが、他の生物に無害なこともある。人間に無害なものが、他の生物にとって毒になるように。


 人間の体内に取り込まれるまで、呪いはずっと種のまま。花を咲かせる土壌を求めて、様々な生物を媒介し、終着地点を目指すのだ。


 ゆえに呪素は媒介者を殺さない。


 人間に宿った時に消えてしまうのは、そこがゴールだから。


「なら種の状態で呪素を取り込んでいる、他の生物からなら観測できるかもしれないじゃない!」


 すべてがカチッとはまると、私はベッドから飛び出した。天啓なんて生まれて初めて。今すぐこのぐちゃぐちゃになった頭の中をセドリックに吐き出して、整理整頓したい衝動に駆られた。


 きっと、この瞬間のためにお母様は夢枕に立ってくれたんだ。


 見守っていてね。お母様の想い……やっと理解できそうだから。



 私とセドリックは王宮の資料庫に詰める。壁一面の棚に資料が収まった図書館みたいな部屋だ。


 樹皮石化症の患者が出始めている土地を調べると、ある共通点が浮かび上がる。


 羊だった。一般的な家畜なのでセドリックも気づいていなかった。


 あのふわふわでもこもこな羊から、ノミやシラミに蚊といった生物を介して陛下の体内に呪いを運んだ可能性があった。


 地方に視察に行った時に、感染したとみて間違い無い。


 集められた資料を眺めていると、樹皮石化症に発症する者としない者がいるのにも気づいた。


「所長。この違いはいったい……」

「一定以上の魔力に反応するようですね。父上は歴代屈指の魔力を持った王ですから」


 誰よりも早く発症した理由。視察に同行した人間に症状が出ていないこと。


 この人たちも潜在的に感染の疑いがある。けど、調べて何も出なかった。陛下と同じで、呪素が体内に溶けてしまったあとなのだ。


 もう検出できない。


 問題は、地方で少しずつ樹皮石化症の感染事例が挙がり始めていること。


 セドリックは資料とにらめっこしながら眉間にしわを寄せた。


「どうやら辺境地域から徐々に閾値いきちが低くなっているようです。感染が拡大しているみたいですね」

「つまり、元々は高い魔力の持ち主だけが発症する病気だったけど、そのハードルが時間とともに下がっていっている……と?」

「このままいけば、アルケミア王国は樹皮肌の石像ばかりになってしまうでしょう。恐ろしことです」


 ユニークスキルと違って、魔力は人間誰しも持っている。多いか少ないかの違いこそあれ。


 多い人から順番に、石化の鎌を担いだ死神がドアをノックしていく。


 絶望的だった。


 それでも、呪素を運ぶ媒介者をついに突き止めることができたのだ。


「お手柄ですクリス。君はこの国を救った英雄です」

「勝負はこれからです。すぐに現地から羊の血液サンプルをたくさん送ってもらいましょう!」


 青年がほっと安堵の表情を浮かべた。


「羊が無事なことを考えれば、おそらく発症を抑制する魔素があるのでしょう」

「希望が見えてきましたね所長。たぶん、その不活性化させる魔素が、特効魔法薬に足りなかった最後の素材なんですよ!」


 二千種類の試薬のどれかに不活性魔素を組み込むことができれば、特効魔法薬の完成だ。


 セドリックが試行錯誤を繰り返したことも、それを私がチェックしたのも、何一つ無駄じゃない。無駄になんてさせやしない。


 必ず特効魔法薬を完成させるんだ。



 そして時は今に戻る。


 すべてが上手くいくはずだった。セドリックの監修の元、私が完成させた特効魔法薬。


 陛下の医療団からは「そんな治験も済んでいないものを使うわけにはいかない」って、さんざん言われたけど。


 私の未来鑑定は成功すると教えてくれた。


 最後はセドリックが「全責任は私がとります」と、背中を押してくれた。


 薬を受け取った医療団。最後の処置は彼ら任せになってしまったけど……。


 陛下も信じてくださった。


 なのに――


 失敗した。特効魔法薬は国王陛下の病状を悪化させた。陛下の身体を急速に石化病が蝕んだ。樹皮と鱗が混ざり合った、酷いものに。


 その時だった。


 陛下の寝室にヴィヴィアンがやってきたのは。彼女の叔父は宮廷魔法薬学士で、陛下の医療団の最高顧問でもあった。


 ヴィヴィアンは「あたくしなら、その石化病を治すことができますわ!」と、魔法薬を持ち込んだのだ。


 投薬後、陛下は息を吹き返した。


 そして私はヴィヴィアンに告発された。


 陛下は悲しげな表情で、私とセドリックを見つめた。


 ヴィヴィアンは高笑いだ。


「おーっほっほっほっほ! 所詮しょせんは下賎な女の浅知恵ですわね。これで実力の違いがはっきりわかったでしょう? 偉大なるアルケミア王国を救うのは、このあたくしをおいて他にありませんわ! 陛下! このあたくしを、是非セドリック様の助手にしてくださいまし!」


 失敗した私を衛兵たちが取り囲む。

 すぐさまセドリックが割って入った。


「彼女は……クリスは持てる力を尽くしました。無礼な真似は私が許しません」


 これ以上、セドリックに迷惑は掛けられない。

 私を庇って無茶をさせたら、彼の立場がどんどん悪くなる。


「行きます……どこにでも……罰も受けます」


 歩きだそうとする私の背中を――


 セドリックはぎゅっと抱きしめた。温かかった。お母様を思い出した。


「君だけにつらい思いはさせません」


 ヴィヴィアンが彼女の作った特効魔法薬の瓶を手に笑う。


「あらあらあらぁ~。殿下ってばお優しい。けど、その女こそ諸悪の権化ですわ! 死ぬならそうね。せっかくですし、あたくしの新薬の被検体になってくれませんこと? たっぷりじっくりかわいがってあげましてよ」


 セドリックがヴィヴィアンを見据えた。


 瞬間――


 彼は笑った。


「はは……ははははッ! なるほど……そういうことでしたかヴィヴィアンさん……いや、魔女とお呼びすべきかもしれません」


 急にどうしちゃったの所長? おかしくなっちゃったのかしら?


 私もヴィヴィアンを見る。


 誇らしげに手にした魔法薬の瓶に、かすかに残っていたみたい。


 魔法薬の残滓ざんしが。それをセドリックが見た。理解した。彼は……笑ったのだ。


 セドリックの豹変にヴィヴィアンは後ずさる。


「な、なんですの急に!?」

「その手の瓶をこちらへ」

「こ、これは当家の秘伝の魔法薬ですわ! そう易々とは……」

「素晴らしいものなのでしょう? 後学のため、見せていただいてもよろしいですよね。問題はないはずです」

「で、できませんわ」


 ずっと状況を静観していた陛下が口を開いた。


「ヴィヴィアンと言ったな。レイヴン家の……お主は叔父に呼ばれたというが……」


 国王陛下の視線が医療団の中心に立つ、初老の男を見据えた。この国に片手で数えるほどしかいない、宮廷魔法薬学士だ。

 男は震え上がる。


「へ、陛下。姪はその……興奮状態にありまして……」


 国王陛下は視線で合図をする。衛兵たちが男を取り囲み、ヴィヴィアンの手から小瓶を没収した。


「ちょっと! なにしますの! 返しなさい! 返してッ!!」


 ものすごい慌てよう。


 衛兵は小瓶を持ってセドリックの元へ。彼は受け取ると頷き、今度は私にそれを手渡した。


「私にも……わかりますか?」

「ええ、君ならきっと理解できるはずです」


 この特効薬が怪しいというの?

 瓶を手にして未来鑑定を行った。


「これは……バジリスク由来の鱗状石化症に効く特効薬……ですか?」


 この薬があれば、あの日のお母様を救うことができた。


 私が一番ほしかったものが、今、手の中にあった。


 どうしてこんなところに? 陛下に投与されたというの? それで……治るだなんて。


 セドリックはメガネのブリッジを中指で押し上げてヴィヴィアンに告げる。


「私もクリスと同意見です。主成分はバジリスクの白血といったところでしょうか。毒を持った生物が、自身の毒に冒されないように持つ魔素を原料としています。当然、樹皮状石化症には効きません。ヴィヴィアン……私に魔法薬を看破されることは、わかっていたはず。瓶を見せたのはうかつでしたね」

「ち、ちが……ちがいますの! 誤解ですわ! そう! これは、あたくしが独自に開発した魔法薬ですのよ!」

「陛下の病状が急速に悪化したのは、バジリスク毒を投与されたからでしょう。そこにきてヴィヴィアン……君が鱗状石化症にしか効かない特効薬を持ち込んだとなれば……」


 第三王子の一睨みで、宮廷魔法薬学士が「ひぃ」と尻餅をついた。


 ヴィヴィアンが叫ぶ。


「叔父様! 心配いりませんわ! ちゃんと効いて陛下を治すことができましたもの! 正義は、あたくしたちとともにありましてよ!」


 セドリックはゆっくり首を左右に振った。


「概ね、状況は把握できました。クリスが調合した樹皮石化症の特効魔法薬は父上には投与されず、そこで腰を抜かした男の手により、バジリスク毒にすり替えられたのでしょう。父上の専属医療団を預かる立場を利用して……よくもやってくれたものです」


 じゃあ、私の魔法薬が失敗したんじゃ……なかったんだ。


 私は自分を信じ切れなかったけど、セドリックは最後まで信じてくれた。ユニークスキルのことなんて、打ち明けてないのに。


 ヴィヴィアンが黒髪を振り乱した。


「違いますわ! その女が失敗したの! うん! そう! 他に考えられませんもの! どうしてセドリック様は、そんな下賎の女の言うことを鵜呑みにしてしまいますの?」

「少し黙ってください」


 冷たい眼差し。抑揚の無い声。途方も無い圧をかけられたヴィヴィアンは息を呑む。


 国王陛下が口を開いた。


「セドリックよ。どうしてお前はそこまで、彼女を信じられるのだ? 直感などという、あやふやなもので……」

「父上……それは……」


 所長は言葉に詰まる。

 

 ちゃんと、明かしていないから。私が自分のユニークスキルのことを。


 秘密にしている方がいいのだと、ずっと信じてきた。


 お父様、ごめんなさい。私、もう我慢しません。


 もう、どうにでも……なれだ。


「陛下。私には……ユニークスキルがあります。セドリック様にも明かしていませんでしたが、聡明な殿下は気づいておられました。もう隠し立てしません。私には『未来鑑定』の力があるのです」


 それから――


 全部ぶちまけた。地方のド田舎の男爵家の娘が、王都の名門校に入学できたのも、セドリックに目を掛けられたのも。


 全部、未来鑑定スキルの力を使ったからだ……と。


 陛下は「ふむ」と頷くと。


「では、お主は魔法薬の効果を鑑定し、それを数年先まで使い続けた時の結果まで知ることができるというのか?」

「仰る通りです陛下。樹皮状石化症を根絶できる特効魔法薬は、必ず陛下のお命を……お救いいたします!!」

「よかろう。信じよう。いや……疑ってすまなかったな……我も最愛の息子が信じるお主を……信じることができなかった」

「そんな……恐れ多いです陛下」


 国王陛下の視線がわななく黒髪の少女に注がれた。


「なにか言い残すことはあるか?」

「え……ええ!?」

「自作自演だ。しかも、お主の魔法薬を飲み続けたところで、樹皮状石化症には一切効かぬのだろう。国王をたばかった罪。軽くはないぞ」


 合わせて彼女の叔父の宮廷魔法薬学士にも「死刑」が宣告された。


 ヴィヴィアンは絶叫しながら、叔父の男ともども衛兵によって連れて行かれた。


「ありえませんわ! あの小娘にそんなユニークスキルだなんて! 信じられませんわよ! もし本当なら治験の時間も手間もコストもかからないじゃない!! ズルですわ! インチキですわ!」


 もう告白してしまったから、開き直って生きていくしかない。

 どうぞお好きに、なんとでも言えば良いわ。


 荷が下りたところで、セドリックが私の肩をぽんと叩く。


「もう一度、やり直しましょうクリス」

「は、はい。所長」

「ところで……打ち明けてしまって本当に……良かったのですか?」

「自分で言うと決めたことです。後悔はありません」



 ヴィヴィアンと叔父の男(名前はカイランだとあとで知った)は、国家反逆罪で処刑された。二人も大罪人を出したレイヴン家は一気に没落。その名声は地に落ちた。


 もう一度、作り直した特効魔法薬によって、陛下の樹皮石化症は寛解かんかい。完治とまではいかず、後遺症が残ってしまったけれど、公務に支障がない程度に収まった。


 羊を放牧している地域を中心に、樹皮石化症の特効魔法薬はまんべんなく行き渡り、大きな被害を出すことはなく事態は収束しつつある。


 羊のさらに元になった、呪詛の根源を探り当てる研究が始まったところだ。


 もう、大丈夫。


 夜になり他の所員たちが帰った王立魔法薬学研究所の研究室で――


 セドリックと二人きり。彼は寂しげな表情で私に訊いた。


「君のおかげで、この国は救われました。本当に……感謝しています。私一人ではどうすることもできませんでした」

「所長……私だって一人じゃなんにもできません。解決の糸口だって、お母様に助けてもらったようなものですから」


 母が夢枕に立ったことも、セドリックには伝えている。


「そうでしたね。私たち一人一人では、成し遂げられなかったのでしょう……ところで、これからのことなのですが……」


 実家に帰って治療院を運営するという道も、私にはある。


「いいですよ。ここに居場所があるなら、ずっと所長の助手をしてあげても」

「待ってください。ええと……その……先回りですか……困りました……ですが……ですけれども!」


 青年は跪くと白衣のポケットから小箱を取り出した。


 二枚貝のように開くと、中に指輪が収まっていた。


 これって……もしかして!? 私はずっと助手をするとは言ったけど……。


 青年はかすかに頬を赤らめて。


「私は急ぎすぎているでしょうか?」

「い、いいえ、そんなことありません! もし、そうだったら嬉しいって、密かに憧れていましたから」


 彼の手でリングが指に収まる。青年は物語に出てくる白い騎士のように、私の手の甲に軽く口づけした。


「君を愛しています。どうか……私の……妃になってくださいクリスティーナ」

「はい! こちらこそ……ふつつかものですが……よろしくお願いします」


 私たちは結ばれた。


 新しい未来を、ここから二人で紡いで繋いでいこう。

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― 新着の感想 ―
[良い点] どらまちっく [一言] 王子様ぽんこつ風味で草 悪役がチンピラムーブ(陛下をダシにする)なのが舞台装置で気の毒な感じ。痛快ですけどね。 しっかりくっついてハッピーエンド。うまうま〜。 …
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