荒れた生活は、できるだけ避けたい
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さもないと財布を家に忘れる呪いをかけます
理音の父と母は、麻雀を通して出会った。父はそのなれそめについて自分から語りたがるタイプではなかったが、風のうわさや、親戚との会話から自然と粗筋を知ることはできる。
父はその昔、麻雀で生活していた。プロだといえば聞こえはいいが、実のところ社会から認められることのない職業だ。人はそれを雀ゴロ、裏プロという。つまるところ、賭け麻雀の稼ぎで生計を立てていた。
いや、立てていたといっていいのか分からない。なぜならば、どんなに腕がよくても、そのアウトプットは荒れるゲームだからだ。
そして昔、父・寿人は荒れていた。
新宿や池袋の裏雀荘をめぐり、千点三千円以上――一晩で六十万円近くが余裕で動くレート――の麻雀を毎日のように打っていた。
勝てば夜の店で豪遊し、負ければその憂さ晴らしとばかりに豪遊し、少しばかりのお金を持って家に帰る。
そんな生活を送っていた。
そしてなにより、荒れた生活を送れるだけの環境があった。
当時、酒井家が経営する『宝石』――当時は理音の祖父・寿人の父のものだった――は、寿人が継ぐことがほぼ確定していた。昔のことだから、子が父の店を継ぐなんてことは、当たり前だった。
『宝石』はそこまで流行っている店ではないとはいえ、放っておいても一家族を余裕で食べさせるだけの利益を上げていた。
太い実家に帰れば、金もあるし飯もあるのだ。
多少負けが越したところで、問題はなかった。
父の進路は確定していた。同世代の人間は、高校生になると進路を意識し、就職か進学か考える。進学するならば修める学問を選び、就職するならば工場か事務仕事かなどと考える。しかし、そのどれひとつとして悩む必要がなかった。
悩む余地もなかった。
勉強しなくたって、大学進学のためにあくせくしなくたっていい。そう考える父の心は、将来を約束される安心感とともに、敷かれたレールの上だけを走らされる空しさにもとらわれた。
結果として、悪い友達に出会い、悪い人たちと遊ぶ生活に傾いた。
傾いたところで、さほど問題はなかった。傾きまくって荒れてはいても、一線は超えないだけの麻雀を打てたからだ。
父は、麻雀の理論に明るい人間ではない。
アガリに向かいやすくする手の進め方を効率的に進める人間ではない。
しかし直観的に、アガリへの最短距離を選び取ることができた。
だから、誰よりも早く点棒を奪い取る棋風に至れる。
相手の手牌を数理的に読んで、取るべき防御策を論理的に導く人間でもない。そこまで、頭の良い人間ではない。
だけれども、目線や癖、空気を瞬発的に読みとって、対戦相手の戦略を自分のことのように知ることもできる。
時には大負けもするが、それ以上に勝ち越すこともあった。
腕自慢を相手に、ずっと渡り合っていた。
父は、最強だと自負していた。
ある日、父は新宿歌舞伎町のとある雀荘に向かった。
そこは正規の営業許可を取った店だが、知る人ぞ知る高レートの卓が立つことで知られていた。
表向き、正業の雀荘を経営するうえでは、節度を守ったレートを設定する必要がある。しかし、招待された客が符牒を言うことで、裏ルールで打つことができた。
父は、その日が初めての来店だった。まず店長を呼び出し、「タカマツさんの卓」に呼ばれたと言って、さらに「氷少な目のレモンサワーと焼き鳥」を注文した。
案内された卓は、店の奥の個室にあった。
古い麻雀卓が一つある部屋を見て、父は驚いた。
とんでもない美人が座っていたからだ。