書きたい私、書けなかった私
……大変な事件に関わってしまった。
一般人であれば、まず関わることのないような出来事の当事者……になってしまったのだ。
当事者と言っても、微妙に本人ではないので、一番身近で大事件を目の当たりにしているといった状況では、あるが。
見慣れない識者が、連日周りをうろついている。
聞き慣れない単語が、連日耳に届いている。
実に好奇心をくすぐる展開が、連日目の前で繰り広げられている。
……初めて経験する事ばかりで、非常にテンションが上がる。
テレビの中でしか見なかった光景の中に、自分がいるのだ。
小説の中でしかありえなかった展開が、どんどこどんどこ押し寄せてくるのだ。
妄想することもなかったリアルが、実に淡々と目の前で流れているのだ。
……こんな経験、普通の人だったらまず体感することはできまい。
私の中の、作家魂がくすぐられる。
……絶好の、ネタがここに転がっている。
私の中の、クリエイターの血が騒ぐ。
……ちょっといじって、物語にして発表したい。
私の中の、物書きとしての欲がじりじりと顔を出す。
書くべきか、書かざるべきか。
書いたらどうなる?書いたら分かる。
書くべきだろう、書くべきではない。
書いていいものか、書いたらまずいものなのか。
書いてみたいと思う気持ちと、書いたらダメだという律する心が、バチバチと対戦している。
……書きたい。
今なら、書きたい感情が…溢れている。
……書くべきだ。
今書かなければ、書きたい感情は…落ち着いてしまう。
……書かなければ。
今書いておかなければ、書きたい感情は、頭の中に揺蕩う出来事の記憶へと変わってしまうのだ。
書きたい気持ちが、若干有利か。
ペンを手に取り、白い紙の前に……陣取る。
ペンを握り、白い紙の上に……インクを、落とす。
ペンを滑らせ、白い紙には、文字が連なり始めた。
―――青天霹靂とは、こういう事に違いない。私は妙に落ち着いた面持ちで、事の成り行きを見守っていた。
実に好調な滑り出しだ。
万人を引き付ける、物語を予感する。
この物語を発表すれば、世界は必ず震撼する。
一気に序章を書き、ふと我に返った。
これから、私は物語の核心部分を書くのだ。
ここから、私はリアルな人間関係のあれこれを書くのだ。
好奇心を掻き立てる装飾にまみれた言葉ではなく、現実のグロテスクを忠実に文字にしなければならないのだ。
……書いていいのか。
混乱のさなかを他人事で書き立てることに躊躇する。
……書かない方がよさそうだ。
混乱に乗じて事の成り行きを茶化すのは人として恥ずべきことだ。
……書いたら後戻りはできない。
混乱が落ち着いたときに物語を目にした誰かが傷つく可能性は否定できない。
書いてはいけないのだと、己を律する気持ちが立ちはだかる。
……書くべきか、書かざるべきか。
……書いたら、どうなる?
……書いたら、分かる。
……そうだな、まずは書いてみよう。
面白おかしく、自分のセンスも取り入れて派手に飾り立てて。
書き終わってみれば、現実のエグみのない素晴らしい物語に変わることもあるだろう。
全く違う展開になれば、発表したところで当事者には気付かれまい。
そもそも、当事者に見つかる可能性は低い。
混乱のさなか、細かく連なった文字を読む余裕はないのだ。
混乱のさなか、落ち着いて椅子に座る間もないのだ。
混乱のさなか、私の動向など気にするはずがないのだ。
安心して、大混乱の現場を文字に認めた。
完成してみれば、実に大げさで何とも目新しい、注目を浴びること間違いなしの素晴らしい物語となった。
あとは、この物語をパソコンに入力し、文章チェックと校正を済ませて、投稿するのみだ。
私は早速パソコンを立ち上げ、下書きの紙をキーボード前にセットして作業に取り掛かろうと。
「ごめん、ちょっと書類作りたいからパソコン貸して!!」
突如、一階で専門家の皆さんと会議中だった旦那が乱入してきて!!!
「ちょ!!いきなり入ってこないでよ!!ってはい?!」
「ごめんごめん、緊急事態発生、ハイズレてズレて……。」
ガガッ!!!
パソコンチェアに座ってる私ごと、執筆中のパソコン画面の前から横にずらされて!!!
あいた場所にすかさずでかい体を滑り込ませ、人のパソコンの前に陣取る不届きものの姿!!!
紙も入力中の画面もそのままに、見られてはならぬものが、一番見られたくない人の目の前にいイイイイイいい!!!
「……ねえ、このおろかな肥満体型の男性って、誰のこと……?」
書きたい私は、書いたけど、発表することはできませんでしたと言う、お話……。