座敷わらし
いい加減長くなってきたので、改めて座敷わらしについてこれまで語ったことを列記してみよう。
・柳田国男大先生、水木しげる大先生がネタにした。
・座敷ばっけとは無関係。
・神隠し(行方不明)に遭った家族が里に迷い込んだ可能性がある。
・家にいれば栄えるが、居なくなると急激に家が絶える。
・成人男性がいない
・村の住人の誰も見知ったことのない顔である
・いなくなった後の家は、忌みものとして扱われることがある。
・裕福な家で庇護を受けているような見た目をしている
・東北地方に分布する
…おお、意外とちゃんと考えているように見える。
良かった…
さて、本題の続きである。
言い伝えによれば、座敷わらしがいなくなった家では「毒キノコを食べて皆死んでしまった」「火事に遭って、家人共々皆いなくなってしまった」等という災難に見舞われている。
まるで座敷わらしの加護を失うと、一族郎党皆殺しにされるみたいだ。
そういえば座敷わらしは家を移る際、「あの家はもう駄目だから」と口にすることがある。
まるでその家が滅んでしまうことを知って、難を逃れるために家を出るようではないか。
存在するだけで富をもたらす事の出来るほどの存在であるなら、災いを予見して家人を助けることも出来るはず。
いったい何故、家人を見捨てて自分達だけ難を逃れるのだろう…
このことからも、単に『福をもたらす存在』とは言い難い。
この際、福をもたらすということには目をつぶって、なぜ苛烈なまでに家を滅ぼしてしまうのか、考えてみたい。
以前も述べたが、貧乏神が憑り付いてもそこまで急激に家は絶えない。
まるで、座敷わらしに関わった家人全てを亡き者にしなければいけないかのようではないか。
権力争いの場合、禍根を残さぬように一族郎党皆殺しにすることは珍しくない。
特に家長たりえる男子は生かしておかない。幼い女子は見逃される場合もあるが、戦いの前に女子供だけでも先に逃がしてしまう場合が多い。
女の子を逃がす際には、換金できる高価なものを持たせ、縁者を頼る。
どうせなら、政の中心からなるべく離れているところが良い。
当然、身に着けている着物は、逃亡先にいる一般的な子供たちより良いものを身に着けていることになる。
この子供が、逃亡先でうっかり他所の者に見つかってしまったら…
権力争いに敗れたとはいえ、権力者の娘を預かるわけである。
粗末な生活をさせるわけにもいかず、持参したあれこれを換金したりしながら(逃亡先から見れば)贅沢な暮らしをさせることになる。
贅沢品を買ったりしているくせに質素な生活を続けていれば、変に注目を浴びてしまう。
少しずつ、自分達の生活も相応に豊かにして見せなければなるまい。
権力者の娘に付いてきた使用人達に混じって奉公するにしても、表向きは家長である。
周囲に気取らせてはならない。
内心では冷や汗をかきながら苦労して生活しているのに、事情を知る由もない村人がある日突然女の子を見つけてしまうのである。
『福の神ということにしてしまおう』
そうすれば、暮らし向きが良くなったことも説明出来て一石二鳥である。
解決策としては良かったのかもしれないが、人の口に戸は立てられない。
福の神が住み付いた長者の話は、いつしか探索の網にかかってしまうこともあったかもしれない。
探索の手が伸びたことを知った付き人が、次の逃亡先を手配したとして途中で誰かに話を聞かれていないとも限らない
「あの家はもう駄目だから他所に移す」
そんな話が囁かれた後、追手が件の家に迫り…
そう考えると色々と辻褄があってくる。
そもそも、逃亡させるケースがあまりないから男の子の座敷わらしは珍しく、目撃されるのは稚児姿である。逃げる訳にはいかない青年は、当然座敷わらし足り得ない。
逃亡先として不適切な中央付近には伝説は存在せず、鬼の棲まう東北に散見されるようになる。
村人の目からは極力隠されているので、誰も見たことがないのは当たり前。
成長した先の話をするなど言語道断。知っていたとて話せばどんな災いが降りかかってくるかわからないから成長する話はない。
暮らし向きが豊かになるのは、逃亡資金が田舎には不釣り合いなほど潤沢であったから。
居場所がばれれば、匿ったものは同罪として扱われ、情け容赦なく滅ぼされる…
滅んだ家が『忌もの』として扱われたのも、そんな背景があったからかもしれない。
「語るなかれ聞くなかれ。妖に関わると、どんな障りがあるかわからない」
い換えると「面白おかしく噂話に興じてはいけない。権力者の耳に入ったら、どんな目に遭わされるかわかったものではない」
自分達ではどうやっても抵抗することのできない権力と苛烈な暴力に背を向け、昔話を隠れ蓑にひっそりと真実は伝え続けられたのではないだろうか。