福の神
もはや本題が忘れ去られてしまうのではないかというくらい脱線してしまったが、ここで語りたいのは座敷わらしについてである。
改めて確認すると、座敷わらしは遠野物語などに登場する妖怪で、住まう家は繁栄するが、出て行った家は寂れてしまうという。
実際の伝承では、座敷わらしの出て行った家は寂れるどころか滅んでしまい、一部には忌もののように扱われる場合がある。
座敷わらしがいなくなった後、火事にあって焼けたという家の残骸をなるべく見ないようにしながら、人々は座敷わらしについてひそひそと噂しあったのだという。
では、何故座敷わらしの住まう家は栄え、いなくなると途端に滅んでしまうのか、考えてみたいと思う。
例えば福の神であるなら、いなくなった後は徐々に家が寂れていき、数代かけて家が絶えるという話はいくつか存在する。
福の神に近い子供の存在としては、洟垂れ小僧を例にとってみよう。
これも子供がいることで富をもたらし、いなくなったことで富を失う話だからちょうどいいかもしれない。
昔々、あるところに云々。神様に良い事をしたお爺さんのところに、お礼として何でも願いをかなえてくれる(不思議なポケットのついていない)小僧が遣わされた。
この小僧は汚い身なりをしており、いつも鼻水を垂らしていたが、お爺さんの望みをなんでも叶えてくれた。おかげで大金持ちになったお爺さんは、いつまでも汚いなりをして洟を垂らしている小僧が疎ましくなり、神様のもとへ帰るようお願いしたところ、小僧もろとももたらされた富も消えてしまったというお話である。
この話でも洟垂れ小僧がいなくなる際に、せいぜいが富が消えてしまう程度で、家人は無事である。
ところが、座敷わらしが居なくなった家は、使用人を含めて一家のほとんどの者が死に絶えてしまう。一夜にして家が滅んでしまうのである。
例え貧乏神が取り憑いた家でも、ここまであからさまに没落はしない。
座敷わらしは、福の神などではないのだろうか。
福の神以外で、幸運をもたらすものとして「迷い家」というものがある。
山奥で道に迷った先で、立派な作りの家を発見するが家人は誰もいない。
まるでついさっきまで人が暮らしていたような気配はあるものの、全くの無人である。
この家から、何か持ち帰ると裕福になれる(持ち帰らないで帰ると、後日川で洗濯している所に綺麗なお椀が流れてきて福をもたらす)という、夢のような話だが、こちらはその後の没落にはつながらないし、そもそも人影すら登場しない。
座敷わらしと福の神に共通する点といえば、概ね「綺麗な身なりをしている」ことと、村の住人の誰もが「知らない人」という点だろうか。
では、違いは何だろう。
福の神のイメージといえば、肌艶のよいふくよかな体型の男性、もしくは美しい女性といったところか。宝船の七福神を並べておけば、一般的な福の神のイメージとしては合格点なのではないだろうか。
座敷わらしはといえば、その名の通り子供の姿が一般的で、女の子の話が圧倒的に多いとはいえ、男女両方の話が伝わっている。
成人の姿で語られるのは年若い女性だけで、成人した男性姿の座敷わらしの話は、どこにも伝わっていない。(と思う)
前回の脱線で出てきた座敷ばっけは家の経済に何の影響も及ぼせないので、今回は省いて考えるとすれば、老人も含まれない。
座敷わらしと福の神との決定的な違いは、「成人男性がいない」ことと「一気に家が滅びる」ことだろうか。
福の神は、祀ると御利益として富をもたらす(貧乏神も丁寧に祀ると富をもたらす)が、座敷わらしは存在するだけで富をもたらす。
見た目を比較しても、経済的な成功を体現しているかのような福の神に比べると、裕福な家で庇護を受けている家族といった印象を受ける。
福の神は、自分で稼いだ富を分け与えるが、座敷わらしは実家の仕送りで預かり先の懐が潤うといったところか。
そういえば、河童や福の神の話は、類型が全国各地に見られるものだが、座敷わらしは主に北東北に分布している気がする。
東北といえば鬼が棲まう地ではあるが、何か関連性はあるのだろうか。
伝説上の鬼は、頭に角を生やし、時には人を喰う妖怪として知られるが、東北の鬼といえば朝廷に敵対する権力者の事である。
その鬼の棲む東北は、政権の目から逃れやすいという事も有り、江戸時代には隠れキリシタンが数多く逃げ込んで潜んでいた、そんな地方である。
その他にも隠れ念仏なる怪しげなものが平成の世にまで残っていたりする。(私が目撃した方々はまだ存命であったはず。令和の世にも残っているかも)
余談だが、津軽地方に伝わるナニャトヤラは、ヘブライ語の歌が訛って伝わったという話もある。諸説あるが、隠れキリシタンどころかヘブライのとても有名な方の伝説等、興味深い話が沢山転がっているので、調べてみると楽しい時間を過ごせること請け合いである。
…何の話だったか。
これ以上脱線してしまう前に、座敷わらしに話を戻そうと思ったのだが、このまま続けてしまうととんでもなく長くなりそうなので、続きはまた次回ということで。