彩-iro-① (仮)
「加地!」
「あ?」
山積みになった書類の間から顔を出した、無精髭に寝癖の男。タバコに火をつけようとしたところを呼ばれ、少し不機嫌に応えた。
「なんだよ?」
「何だよじゃないだろ。お前な、一応これでも俺は上司なんだぞ」
「同期じゃねぇか。固ェこと言うなや滝沢」
「回りの目もある。いい加減にしろ」
チッ…と、軽く舌打ちをしてタバコに火をつけた加地洋介。同期で上司の滝沢を、邪魔臭そうな視線で撫でた。ため息をつきながら書類の束を渡す滝沢。加地は、そこに置いとけとさらに視線で合図した。
「片付けろよ。置く場所がないだろ」
「うるせぇよ。嫁かお前は」
「独身貴族が何言ってんだ」
書類の山の頂上に、持ってきた書類の束を置く滝沢。標高が高くなる山に雪崩が起きなかった事を確認すると、目を通しておけと一言残し、加地を後にした。
『購買希望リスト』と銘打たれた書類。取り敢えず手に取る加地。タバコの煙が目を撫で、燃焼材の独特な痛みで眉をしかめる。
飛田亮 『月の夜と』
高橋新二 『水景』
ジェフ・セトアニ 『納屋と娘』
仁田翔子 『母』
李 正燕 『艶鏡』
エトセトラ、エトセトラ…。
「金持ちの考えることはわからんな」
書かれていたのは、画家と、その絵のタイトルだった。ザッと目を通しただけでも、100は超えるリストだと言うことはわかる。
彼の、加地洋介の仕事は、希望されている絵を希望しているいわゆる『富裕層』に仲介する仕事だ。画商と言えば華は立つが、彼の風体からはその様な上品な匂いは感じられなかった。
希望額は書かれていない。加地が仕入れる額に、粗利をのせて富裕層に商談するマージン業、とでも言っておこうか。小さな会社だが、加地のような風来坊が社に残れているのも、この粗利の部分を会社に評価されているからである。
通常絵画の価格というのは、画家本人と画商、そして個展やデパートなど展示場と絡み、画法、大きさ、そして勿論時代の流行によって左右され、決まる。しかし、加地が手掛けている仕事はこれらには当てはまらない。
そもそも画家が流通させる気のない絵画を買い付け、欲しがっている者達に売り付ける。いわゆる『富裕層』の収集欲を満たして差し上げることで、対価を得ているのだ。無論、画家から奪う、盗むといったことは行わない。画家と、加地の人間関係が物を言う、そういった泥臭い地道なビジネスである。
「さて…」
リストの中から目ぼしい画家を探す。知っている画家や、過去取引させてもらった画家、自分の持っているコネクションが活きそうな画家、タバコを持った手でこめかみを掻きながら目を通す。
「あら、珍しい。仕事する気?」
ふと、声の方に目をやる加地。そんなんじゃねぇよ…と、軽く笑って、再びリストに目を落とした。
「お前こそ、どっかのお抱え画家の個展、うまくいってんのか?美華…」
「全然だめ。やる気ないのよ、あのコ。個展開催までもう3ヶ月切ってるってのに、新作二枚。あとは、売れ残りの処分セールみたいな、どこぞのデパートで飾ってあるようなものばかりね。切り時だわ」
「おいおい、若い芽を振り回すなよ」
「チャンスを掴もうとしない人は嫌いなだけよ」
ため息をつく女性。タイトなスカートを着こなし、ほんの少しウェーブがかかった髪を軽くかき上げる仕草は、大人の艶やかさを醸すには十分だった。加地と同じ社で部所が違う中村美華は、たまに愚痴を溢しにこうやって加地のデスクに寄る。
「チャンスねぇ…。お前もそいつが掴めていたら、今頃寿退社でここに居なかったのかもな」
「うるさいわね。同族嫌悪とでも言いたいわけ?」
美華の鋭い視線と、加地の笑い声が響いた。
「まぁ、いい画家育ててくれよ。で、ゆくゆくは俺の仕事に使わせてくれ」
「出た。暴利を貪る悪徳ブローカー。良い死に方しないわよ?」
「人聞き悪いな。俺は、クライアントも仕入れ先も、良い関係築いてきてんだぜ?」
「そう思わせるのが巧いのよ、あんたは」
「バカ言うなよ。だからこそのリピーターってもんだ。まぁいい。俺もそろそろ出る。お前も仕事しろ。滝沢にどやされんぞ?」
「あら、滝沢さんはあんたと違って紳士よ?」
「そう思わせるのが巧いんだよ」
タバコを消して、鞄にリストを入れながら美華に答えた。目で、またな!と挨拶し、そこをあとにしようとする加地。ふと、美華を通りすぎるときのほのかな良い香りが心地よく感じたが、咳払いをすることでそれを否定し、時計に目をやる。
「あ、そうそう、経理の三木君、あんたをさがしてたわよ?」
「透が?」
「ええ。なにしたのよ?」
「なんにもしてねぇよ」
「どうせ落ちない領収書でもまわしたんでしょ」
少しの沈黙。なにかを思いだし、バツの悪そうに眉を描く加地。
「あきれた」
肩をすくめ、軽く首を振る美華。
「あー・・・なんだ、うん。透の件はお前に預けた。じゃあな!」
逃げるように部屋をあとにする加地。まぁ、いつもの光景といえばそうなのだが… 。
「あ!ちょっと!」
要らぬことを無理やり預けられた美華。止めようにも加地の姿はすでになく、ただ開いた扉が慣性で揺れていた。深いため息をひとつ。それに合わせて扉が揺れた気さえした。
「ホントにどうしようもないわね、あの男」
つけっぱなしの室内灯を呆れた仕草で雑に切る。強めの音とセットで扉を閉め、美華も加地の部屋をあとにした…。