二人の彩花
タイムリープ的な設定だったと思います。
2002年 新井彩花18歳。
料理、裁縫、家事いっさい駄目。
高校を1年で自主退学し、その後1年の間ひまを持て余していた。
2052年 新井彩花68歳。
「いつ関東に大きな地震が来てもおかしくない!」
そう言われはじめてからすでに60年が経とうとしていた。
かの関東大震災から129年、東京の町は今だ大きな損傷も持たず構えていた。
高層ビルはまるでジャングルの木々のようにその土地を埋め尽くしている。
ぽっかりと空いた穴のような場所には本物の樹木がわずかな陽光さえ逃すまいと、体いっぱいに葉を茂らせていた。
「あなたたちも大変ねぇ」
一人の老婆が愛しそうに目を細め、一本の木を見上げている。
……老婆と言っては失礼かもしれない。
白髪に重度の老眼鏡を携えているが、心は今でも若いのだと言い張っている。
「昔はもっと木があったのに、今ではみんなマンションになっちゃって、悲しいわねぇ」
年老いた彩花は木の根元に目を移した。太い幹が土にもぐり足もとのレンガだたみをゆがませていた。
「もっと広い所で思い切り根を張りたいでしょうにねぇ。」
その時、地面は揺れた。彩花は倒れた木に足を挟まれ動かないでいる。
近くにいた少女は迷う。助けるには力が足りない。周りの建物はいつ崩れてしまうかも分からない。
震える若い娘に、老婆は花を模ったブローチを握らせた。
「あなたは生きなさい。こんな年寄りが生き残ったってたいして長く持たないんだから。どうして生きるのかなんて、悩むだけ悩めばいいじゃない、悩んでるうちはまだ生きなさい。私もあなたくらいの歳、ううん、もっと前だったかもしれない。何で自分が生きてるのか、意味のないことのような気がして死んでしまおうかなんて考えたものよ。でもね、やっぱりこんな歳まで生きちゃったわ。いやなこともたくさんあったけど、生きててよかったって、そう思うことも多かったわ。あなたもそれを知らないで死ぬなんて、絶対損よ。知らなくちゃ。あなたを必要としてる人、きっといるわよ」
必死に走り逃げる最中、少女は彩花にもらったブローチを落とした。
からから……。
かわいた音をたててブローチは転がる。
(別にたいしたものじゃないんだし……)
戸惑いながらもそう判断して、少女は先へと走り出そうとした。
(あんな物にかまってる暇なんてない! 今は逃げないと死んじゃうんだから、早く行かなきゃ)
「おねえちゃん、」
小さな声がした。
しかし、少女はその声に気付かず、一心に人々の向かう方へ走ろうとしていた。
「おねーちゃん!」
4、5歳の男の子が少女の服を引っ張った。
少女ははっとして振り返る。
「これ、落としたよお姉ちゃん」
男の子はブローチを少女に見せた。
(こんなの拾ってたの? 信じらんない。あぁ、早く行かなきゃ、早く行かなきゃ)
受け取ると同時に少女はまた走り出そうと顔を上げた。
その先に何があるかは分からないけど、みんなが行く先に行けばきっと助かると思った。
「気をつけてね」
すでに自分のことなど忘れたかのような少女に向かって男の子は微笑んで言った。
きをつけてね。
(気をつけてね……気をつけてね……気をつけてね……)
走り出そうとした少女は馬鹿みたいに頭の中でその言葉を繰り返していた。
(気をつけてね?)
一瞬の疑問符と共に少女は男の子を振り返った。
男の子はまだじっとこちらを見ていた。
なにか胸の奥が揺れ動くような感じがした。何かがあふれるような。
「あ……ありがとう」
自分でもあきれるほど力のないような声。少女はもっと何か言いたいことがあるのにわからなくて戸惑う。
とっさに出たやっとの言葉がそれだった。
男の子は少し照れくさそうに、嬉しそうに笑った。
「どういたしまして」
一音一音をはっきりと言って、走りつづける大人たちの足の間を抜けて男の子は消えていった。




