中編
「スウ、この問題はどう解けばいいの?」
と話すように口を動かす。
スウは唇の動きで理解できる。
ここは図書館だから、実際に声を出す必要はないのは助かる。
「一つの式に分数と小数が混じってるでしょ。こういうのは、まず分数に揃えて」
「どうして小数じゃダメなの?」
「1を3で割ってみて。0.3333……無限に続いて解答用紙埋まっちゃうじゃん」
絶対、そういう問題じゃない。
だけどスウの説明は不思議と頭に入る。
山田君によると、妖精の妖力によるものらしい。
わたしが一番理解しやすい方法で説明してくれるのだとか。
ふう、解き終えた。
「太恵ちゃん、お疲れさま」
一問解く度にねぎらってくれるから解き甲斐もある。
スウのこういうところは好きだ。
「今のでレベルいくつあがったの?」
「0.01。あと小数点は切捨てだからね」
容赦なく言い放つ。
スウのこういうところは嫌いだ。
「解いても解いてもキリがないじゃん」
「あと五問でレベル11になるよ」
「今日まで一週間続けて九五問。それでやっと1アップなの……」
「嫌なら止めれば? あたしは全然困らない」
「算数の妖精が何言ってるの!」
「関係ないよ。ううん、止めてくれた方が太恵ちゃんの無様な姿笑えて嬉しいかも」
なんて最悪な妖精、しかもけらけら笑いながら。
スウのこういうところは大っ嫌いだ!
ここまで言われちゃ引くに引けないけどね!
ふう……。
溜息ついたところで、隣に座る山田君が腕をつついてきた。
休憩の合図だ。
※※※
ベンチについたところで大きく伸び。
ポットと紙コップを取りだして、二人分のお茶を入れる。
「まったく、スウったら」
今まで声に出せなかった分、つい口に出してしまった。
すると山田君から意外な答えが返ってきた。
「大変そうだね」
「わかるの? わたし、何も話してないけど」
「顔に出てる。口元緩んだり、眉釣り上がったり」
わっ、恥ずかしい。
「見てたんだ」
「見るつもりなくても自然に目に入るよ。あとシャーペンの動きが速くなった」
「自分じゃわかんないけど……それだけ進歩したのかな」
「まだ早いよ。単に算数への苦手意識が薄れてきたんじゃない?」
スウもスウなら、山田君も山田君だ。
ひねた毒舌と思ったままの率直。
タイプは違うけど、二人とも心をぐさぐさ刺してくる。
少しくらい認めてくれてもいいじゃんか。
でも山田君の言う通りかも。
前より算数の問題に向かうのが苦にならなくなってる。
「問題を解く」というより「スウと話す」という感覚だから。
「一週間で、やっとレベル1アップ。目標にはまだまだ遠いなあ」
「H大付属の算数のレベルは25。この調子で続ければ入試に丁度間に合うよ」
わたしはそういうことを言ってもらいたくてグチを言ってるんじゃない。
ただ「うんうん」とうなずいて聞いてもらいたいだけなのに。
だけど彼にそういう気持ちが絶対わかんないのは十分承知してる。
だから会話になるよう、次のように返す。
「そうなるように頑張る」
「うんうん」
ここで、ようやく『うんうん』。
こういう人なんだ。
でも、これはこれで嬉しいかもと思ったりする。
それに……。
山田君がプリントを手渡してくる。
「最初に渡したの終わりそうだから次の問題ね。今度は九〇問」
「最初のより一〇問少ないね」
「その分、難しくなってるよ」
ざっと問題を見渡すと言葉通り少しだけ難しい。
だけどそれ以上に気になるのはプリントそのもの。
問題の全ては活字。
問題集やネットからの切り貼りなんだろう。
解答もそうだけど、一部は手書き。
きっと山田君が自分で解いて作ってくれたものだ。
そもそも、これだけの量の問題や解答を切り貼りする。
そんな絶対面倒に決まってる作業を、わたしのためにしてくれてるのが嬉しい。
もちろん「漫画を代わりに借りる」という交換条件があるからだけど。
それだけ漫画が好きなんだろうな。
「じゃあ、今度はわたしから」
カバンから移して、用意していた包みを手渡す。
山田君が開いて、中身を口に入れる。
「ん、今日のも美味しい。カリカリしてて、すごく甘いんだけどアーモンドのおかげでしつこくなくて。このお菓子はなんて名前?」
「マカロン」
「ふーん、そっか。ありがとう」
相変わらず表情を変えずの、そっけない返事。
だけど本当に喜んでくれるのが何となくわかるようになった。
イラストをほめた時にも感じたけど、どこか顔の筋肉が緩んだ感じになる。
何より……。
「あーっ! わたしの分がない!」
「あ、ごめん」
と何回同じ会話をしただろう。
日曜日除く一週間だから六回だけど。
つい全部食べてしまうのは心からおいしいと思ってくれてるからのはず。
変なところで学習能力ないとは思うけど、そこが見かけや言動に反して可愛らしい。
あと、今日のマカロンもそうだけど、お菓子については山田君が知らなくて、わたしが知っていたりする。
そんな時はちょっぴり優越感。
色んな理由があわさって、張りきってお菓子を作ってきてたりする。
さてと。
「そろそろ戻ろ。早くレベル11にしたい」
※※※
一二月に入った。
相変わらず毎日まんが図書館通いの毎日。
変わったことといえば、寒くなって外で休憩するのが辛くなったことくらい。
それともう一つ。
「おめでとう! 太恵ちゃん、レベル20に上がったよ!」
「やった! 家でもプリント解いた甲斐があった!」
わたしはいつの間にか算数が楽しくなっていた。
問題解けるようになるのも、自分の実力をレベルではっきり示されるのも面白い。
だから帰宅してからもプリントに取り組むようになった。
「これも美人でスタイルよくて有能なあたしのおかげ、感謝してよね」
小さくてかわいいとは思うけど、美人でスタイルいいかはどうかと思う。
その前に算数と全く関係ない。
だけど「有能」については、そんな形容でも表現しきれない。
「感謝するする、全部スウのおかげ」
「太恵ちゃんが頑張ったからだよ。山田君のプリントもあるけど」
どうして、この子はああ言えばこう言う。
最初からそう言ってくれればいいのに。
タイミングの悪さは山田君と似てる。
だけどスウの場合はひねくれてるだけなのが、かなり違う。
でも、もう慣れた。
どこか憎めないのも山田君と似てるし。
「あたしの顔見て、何をニヤニヤしてるの?」
「別に? スウの気のせいだよ」
そうだ、レベル20になったということは!
最初のきっかけになった問題を解いてみよう。
問題集を開く。
「スウ、この問題の解き方教えて?」
「これはね……」
スウの指示によって、問題の先がどんどん見えていく。
解き終わって解答を見る。
「合ってる」
「当然じゃん。このスウ様が教えてるんだよ」
ふんぞり返って胸を張る。
でもそんなことしなくたってわかるってば。
一ヶ月前はキョウコ先生すらギブアップした問題なんだよ。
スウの助けなしに、そんなの解けるようになるわけがない。
黙って喜びにふけっていたら、スウがぼそりとつぶやいた。
「太恵ちゃんも胸張りなよ。あたしのおかげだけと思ったら大間違いなんだからね」
この子は……。
「遠慮しとく。でもこれで明日の模試にも間に合った」
明日は全国規模の進学塾の模試。
塾には通えないけど模試は受けてる。
「目指せH大付属A判定!」
「おー!」
「算数以外の科目は、あたし知らないけどね」
「一言多いの!」
──二週間後。
返ってきた成績表を見た瞬間、黑目が目玉の裏側に隠れるくらい仰天した。
【H大付属:判定A】
前回はE、いわゆる判定不能だったのに!
他の科目がとびきりできたのはあるけど……何回見ても「A」って書いてる。
これならスウのレベルが25になればA判定確実、H大付属合格が見えてきた!
しかも全国成績優秀者のページ。
一番下には【穂村太恵】、わたしの名前がはっきりと記されていた。
山田君に報告のメール。
そういえばアドレスは聞いてたけど出すのは初めてだ。
すぐに来た返信には【おめでとう】とだけ書かれてた。
タイトルは「Re:」がくっついただけ。
絵文字もない。
でもそんな文面に、やっぱり彼らしいと笑ってしまった。
※※※
翌日、学校に行くと男子達がわたしの隣──山田君の席を陣取っていた。
別に珍しいことでもないので席に着く。
すると珍しい、というか耳を疑う台詞が聞こえた。
「ポチャ恵のせいだよ」
なんですって!?
声の主は小畑君。
山田君が転校してくるまでは学校成績トップだった子だ。
わたしは彼とほとんど話したことすらない。
それなのに何をしたというの?
しかもポチャ恵呼ばわりで。
怒るのを我慢して、山田君譲りのポーカーフェイスで耳を傾ける。
「クリスマスに10連出るまでガチャやらしてくれるってママと約束してたのにさ。模試の成績優秀者から今回落ちちゃって。激おこられて、約束も取消になっちゃって──」
それで?
「──よく見たら成績優秀者には1点足りなかっただけ。ページ見てみたらポチャ恵が最後に載ってるじゃん?──」
それで?
「──ポチャ恵いなければ俺が載ったのにさ。まぐれかカンニングか知らないけど、デブのくせして生意気なんだよ」
ひどい……確かにまぐれだし、スウのおかげだからカンニングかもしれない。
だけど、デブがどうとか関係ない!
でも、とどめの一言が聞こえてきた。
「ポチャ恵、一体どうしてくれんだよ」
間違いない。
みんなで話してる振りして、わたしに言ってるんだ。
そんなのわたしのせいじゃない!
叫びたい。
だけど小畑君達がどんな表情で見てるかと思うと、怖くて顔も向けられない。
──今となっては聞き慣れた声が耳に届いた。
「『オバカ』君。そこ僕の席だから、どいてくれないかな?」
振り向くと、いつの間にか山田君がいた。
いつも通りのポーカーフェイス。
一方の小畑君は顔を真っ赤にし、他の子達はおろおろしている。
「今何て言った?」
山田君が淡々と繰り返す。
「『オバカ』君って言ったんだよ。それとも『大バカ』君の方がいい?」
「お前、いったい何様のつもりだ」
「君こそ、名前もじって汚い言葉投げつけられる相手の気持ち考えたことある?」
山田君も一度は口にした。
でも勘違いですぐ謝ってくれたし、「失礼」って言ってたものね。
「知ったことか。それにポチャ恵がデブなのは事実だろうが」
「じゃあ僕も知ったことじゃない。そして君が僕よりバカなのは事実だよね」
そんなこと言っちゃダメ!
でも声が出ない。
だって「僕は僕にしか興味ない」と言ってた山田君が。
半分宇宙人とまで思ってた山田君が。
イラストを描く以上にこんなことしそうにない山田君が。
今、いったい誰のために小畑君を煽ってるのか。
叫ぼうとしても喉が締め付けられる。
「ふざけるな!」
「ふざけてないよ。『撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけ』という有名な小説の台詞がある。覚悟もないのに人を撃ったらどうなるか、僕は君に教えてあげてるだけ」
「じゃあ、俺も教えてやるよ!」
ガタンと激しい音。
小畑君が山田君に殴りかかっ──た?
ううん、彼の拳は山田君の眼前で掴まれてしまっていた。
「ありがとう。でも僕は覚悟決めてるから、君に教えてもらうまでもない」
言いながら素早く身を翻し、小畑君の腕を固めた。
「いてええええええ! は、離せ!」
「わかってくれたのなら離してあげる。だけどわかってくれないのなら──」
山田君が言葉を溜めた。
代わりに小畑君の叫び声が続く。
「わかった、わかったから!」
「何か言葉が足りなくない、『小畑』君?」
「太恵、ごめん! ごめんなさい!」
山田君が手を放した。
そして、目線を教室の真ん中へ投げる。
小畑君と取り囲んでいた男子達は逃げるように自分の席へ戻っていった。
山田君が椅子に腰を下ろす。
御礼、言わないと。
「あ、ありがとう……」
「別に」
たったそれだけ。
もう、こういう人なのはわかりきってる。
きっと「別に」の後に続くのも「太恵のためじゃない」。
山田君の中にある信念のためだ。
だけど、それでも、あたしのためだったのは間違いないよね。
どうしよう。
なんか心臓がばくばくしてる……。