一年目、二月
2020.12.14
挿絵を挿入しました。
二月の透き通るような淡い水色の空の下。
寒い寒いと教室で喚くクラスメイト達を一瞥し、私は“すまーとふぉん”を片手で操作した。どうにか扱いにも慣れてきたところだ。
学校にこれらの機器を持ち込んではならぬとお達しがあるが、皆無視している。授業に関係がないものだからということで持ち込みが禁じられているわけだが、例えば最近流行の拐引にはこういった機器があったほうが良いのではないかと私は思うのだが。
教師に見つからぬ様隠し持っているが、時折抜き打ち検査があるので注意が必要だ。しかし、次の日取りくらい、私ならば知る事が出来るので容易いことよ。アサギもこういった能力を上手く使いこなすことが出来たらば、もう少し要領良く生きられただろうに。
先程から何をしているのかというと、ニュースを見ている。
あぁ、あった。
『小惑星地球に接近』
という見出しだ。
いや何、刺激が好きなのかと思ってな、宇宙に浮遊していた小惑星をこちらに呼んでみた。衝突することはないが、これで人間達がどう右往左往するのか興味深くてね。
突如軌道を変えて接近した惑星に右往左往する研究者達もいたが、やはり一般人には無縁の事件なのか、そこまで騒ぎにはならぬようだ。実際間近に迫らねば危機を感じぬ、平和に慣れ過ぎた人間が住む惑星が地球なのだろうか。いや、常に危機に直面し生活している人間も地球上には存在するので、一概には言えないな。
さて、非常に残念だが、私には地球を破壊することが出来ない。ので、本当に衝突させてはいけないのだよ。
アサギと約束しているというか……アサギが描く筋書通りにしか私は動けぬので。
奴らもそれを知っているから、腹が立つ。
掌の上で転がされている事に気づけ、アサギ。
そういえば、先日またユキを見かけた。早熟な女子中学生の様に以前より派手な衣装を着こんでいたが、表情は暗かったな。
大丈夫だろうか、というか、大丈夫ではないのだ。
どうも友人を間違えたらしく、四苦八苦しているらしい。彼女の希望通りの中学生活は、数か月で破綻していたらしい。すまんな、興味がなかったのでそちらは見ていなかったよ。
私は黒のショートコートに身を包み図書館へ出向いていた、彼女は白のロングコートに身を包み、駅へと向かっていた。
互いの視線は確実に交差したが、やはり会釈すらしてくれなかった。勇者になる前まで常に行動を共にしていた仲だが、寂しいものだ。
ついでに、リョウは廊下で会ってもこちらを見ているだけで、何も言わない。最近は弟達とも遊ばなくなってしまったので、顔を忘れそうだ。
なぁんて、な。
知っているよ、リョウ。お前が何を考えているかを。トビィが傍にいられないから、アサギの庇護を買って出たお前は、そ知らぬふりをして私を監視している。記憶を封印されているというのに、身体がこちらへ向いてしまう。
これぞまさに、絆というものだろう。直にお前は、全ての記憶を蘇らせる。
それも私は、知っている。
そういうわけで、そろそろ準備せねばならんな。
魚が並ぶ店を一瞥していたトビィは、その品揃えに落胆し踵を返した。目当ての種がいなかったのだ、自分で釣っている暇などないが燻製を作りたかったので立ち寄ってみたものの、無駄足だったと小さく溜息を零す。
ここは惑星クレオの都市ジェノヴァ。
勇者らが最初に訪れた都だ。三つの方向へと分散することになってしまった、感慨深い場所でもある。正しくは魔王に攫われたアサギを含めて四方向か。
「誰か、そいつを掴まえてくれ!」
野太い怒鳴り声に、トビィが怪訝な表情を浮かべる。すぐに周囲もざわつき始め、やがて女性らの悲鳴が上がり始めた。
見上げれば、小柄な少年が屋根を器用に渡っていた。それは愛くるしい栗鼠のようだが、怒り狂っている店主から察するにそんな可愛らしいものではないのだろう。
「泥棒だ! うちの商品を勝手に食った挙句、代金を支払わねぇ不届きモンだ!」
次から次へと屋根を渡る少年は、確かに口を膨らませて何かを食っている。追われているというのに、懐から肉まんらしきものを取り出して、追加で食べている。肝が据わっているというべきか、常習犯というべきか。
関わるのは面倒だと、トビィは首を竦めた。こういった犯罪事に首を突っ込む気質ではない、アリナ辺りであれば率先して突撃しただろうが。
だが、彼は彼と会わねばならんのだよ。
喧騒から離れて歩いていると、前方から大きな帽子を被った女性が小走りに駆けて来た。その風貌に思わず目を止めたトビィは、一瞬言葉を失う。
「アサギ?」
そう、走り方や背格好が、アサギにそっくりだったのだ。
このトビィが見誤るのだから、相当似ていたのだろう。だが、瞬時に別人だと悟り、無視して横を通り過ぎようとする。狭い路だったので、左に避けた。女は軽く会釈をし、脇をすり抜けようとしたのだが。
「ようやく好みのにーちゃん見つけたよ、匿って」
トビィの顔を見るなり、無邪気に微笑んだ女、いや、少年は飛びつくようにその屈強な身体にしがみ付く。
「っ!?」
油断したとはいえ、抱き付かれるなどトビィらしくもないが、動揺したので仕方がない。大きなつばの帽子には動物の毛皮で出来た飾りがついており、暖かそうな外套はいかにも高級そうな光を放っている。良家の娘だと思ったら男だったので面食らったわけではなく、声と顔がアサギに似ていた為だ。
別人だと知りながら、やはりトビィは躊躇してしまった。
「あーよかった、むさ苦しい男しかいなかったもんだから、抱き付くのに抵抗があってさぁ。んー、イイ匂い、やはり美丈夫は違うね」
すんすんと鼻を鳴らし腰に腕を回して胸元の香りを嗅ぐ少年に、トビィの鳥肌が立つ。
「すまんが、オレにこういう趣味はない」
顔を引きつらせてそう告げると、大勢の足音が近づいてきているのに気づいた。
「くそっ、あの餓鬼何処に消えやがった!」
地面を踏み落とす勢いで歩いて来た男は、トビィらを見ると忌々しそうに視線を逸らし通り過ぎる。どうやら、恋人同士に思われたのだろう。
悟ったトビィは、蒼褪めた。
「貴様っ」
男達が遠のくと、少年は悪びれた様子もなく激昂しているトビィに微笑む。
やはり、トビィの心が乱れた。相手が男であれ、アサギに似ていると身体が勝手に反応してしまうらしい。
「助かったよ、今日も幸運に感謝!」
「貴様、先程騒がせていた盗人か」
屋根の上を走り回っていた少年と同一人物だと察し、トビィは眉間に青筋を浮かべる。関わる気がなかったが、相手から接触されては仕方がない。首根っこを掴まえ、役人に突き出すべく歩き出す。
「ま、待ってよ旦那! 見逃してよ、なんなら今晩お相手するからさっ」
「気色悪い事を言うな。先程も言った通りオレにそんな趣味はない、自信があるなら店で働き金を貯え盗みを止めろ」
「嫌だよ、醜い客が来たらどーすんのさ。僕は美しいものが好きなんだ」
胸糞悪い男に捕まったと唇を尖らせるトビィだが、反省の色を見せずに余裕の笑みを浮かべている少年を見下ろし、胸に引っかかるものに気づく。
誰かに、酷く似ていると思った。
アサギではない、アサギに極僅か似ていて品のないやかましい小娘を思い出し、目を白黒させる。
そう、マビルに似ている事に気づいた。
「ねぇ、頼むよ旦那! 助けてっ。こんなか弱い僕が投獄されたら、毎晩毎晩異臭漂うむさ苦しいおっさん達に手籠めにされちゃうっ」
容姿に自信がある口ぶりといい、高慢な態度といい、瞳も髪の色もマビルと同じだ。
「ねぇ、もう、なんとか言ってよ! あぁぁぁあ、アサギ姉さんたすけてええええええええ」
足取り荒く突き進んでいたトビィは、その言葉に歩みを止めるしかなかった。自分が知らぬ相手からアサギという名が飛び出したことに驚愕し、瞳を見開く。
「あれ? もしかしてアサギ姉さんのコト知ってる人? ……っていうか、ひょっとして“トビィ”さん?」
「貴様、誰だ」
女性の衣服を着こんだトーマとトビィは、こうして出会えた。
あちらが順調に進んでいるようなので、私も図書館で宇宙に纏わる本を大量に借りて来た。机に広げ読み耽り、骨休めで青白い上弦の月をカーテンの隙間からそっと見上げる。ベルーガが好みそうなオレンジペコを啜り、溜息を長く吐き続ける。
もうすぐ、私がこうして表に出てから一年が経過するらしい。一人寂しく、誕生日でも祝うとしよう。