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一年目、七月

 イルチャとは、第三皇子マルケスの教育係であった男である。

 その正体はベルーガの腹違いの兄だが、本人以外誰も知らぬ隠蔽された事実だ。先の皇帝譲り、つまりはベルーガと同色の瞳を持つが、過去に受けた火傷により端正であったと予測される顔は、見るも無残。それゆえ、酷似している瞳に誰も気づかなかった。

 

「アサギが生かしたのであれば、私も生かすしかあるまい」


 帝都の一室へ足を踏み入れたベルーガは軽い溜息を吐き、後方のトビィに肩を竦める。

 室内の全貌が明らかになると、トビィも同じ様に肩を竦めか細い溜息を吐くしかなかった。

 幾人かの兵が滞在しているその部屋には、簡易なベッドが一つ。そこで寝ていたイルチャは、ベルーガの声に耳を傾けると顔を向け弱弱しい笑顔を浮かべる。

 

「ベルーガ皇子」


 自らが放った火炎に包まれたイルチャは、再起不能と思われた。正直、手の施しようがない状態だった。しかし、どういうわけか不思議と回復へ向かい、あろうことか過去の火傷すら完治しつつある。その為、前皇帝譲りの凛々しい瞳と、母親譲りの整った顔立ちが浮き彫りになっている。

 宮廷内に滞在する下々の者は彼の生い立ちについて噂したが、現皇帝とベルーガの圧力により口を噤んでいる現状だ。

 半身を起こそうとしたイルチャを、ベルーガは片手で制した。

 

「無理をせずとも良い。幾日も起きておらぬのだ、急に動いては身体に障る」

「申し訳ございません。謝罪する言葉ももう見つからぬと言うのに、いえ、本当ならば極刑が正しいというのに」

「何度も言った、マルケスはお前を必要としている。それに、有能な者を失くしては今後に響く」

「本当に、感謝の気持ちで胸が張り裂けそうです」


 すすり泣くイルチャに、ベルーガは苦笑する。

 トビィは冷ややかな視線でイルチャを見つめていた。目の前にいる気弱そうな男が、帝国崩壊を望んでいたとは信じ難い。

 

「アサギ様に謝罪したいのです」

「そうか。当分こちらには来られぬが、その日の為に養生してくれ」

「御意に」


 イルチャが顔を顰め咳き込んだ為、ベルーガとトビィは一旦退室した。本調子ではないので会話をするだけで体力を消耗する、身を案じ、時間を置いて訪問することとした。

 運ばれて来た茶を啜りながら、ベルーガが何気なく視線をトビィへ向ける。

 

「……憑きモノが落ちたような」


 渋い顔をしてそう告げるトビィに、ベルーガが深く頷く。

 トビィは以前のイルチャを知らない。しかし、話に聞いていた人物とは、あまりにもかけ離れている。

 

「似たような男を知っている」


 忌々しそうにカップを置くと、頬杖ついて奥歯を強く噛む。

 それが誰なのかすでにベルーガは察しがついていたので、敢えて名を問わなかった。

 暫くして体調が回復したとの報告があり、再びイルチャの病室へと足を運ぶ。この時にはすでに、二人共考えは纏まっていた。「トビィに再度話をしてくれ」とベルーガに頼まれ、力なく頷いたイルチャは重たい唇を開く。

 

「声が、聞こえたのです」


 悔しそうな表情でたどたどしく語るイルチャに、二人は確信した。数分イルチャの言葉に耳を傾けていたが、再び顔色が蒼白になった為部屋を出る。

 

「信じ難い事だが……“悪魔の囁き”という言葉がこれほどまでに合うだろうか。単に魔が差した、ではすまされない」

「間違いなく“悪魔”に囁かれたんだろう、その悪魔が何か皆目見当つかんが」


 自分の行為を正当化し、後押ししてくれる“声”が常に身近にあったというイルチャの証言は、言い逃れにしか聞こえないと思うのが一般的だろう。しかし、ベルーガとトビィは信憑に足ると判断した。

 イルチャは、自分が前皇帝の子である事を隠し通している。その為、何故帝国への憎しみに駆られたかの部分は曖昧だ。だが、優秀なベルーガへの嫉妬と憎悪が異常に膨らんだという醜い心は、包み隠さず話した。数年前にも帝都で殺害を試み、その際にアサギと思われる少女に妨害された事も全て暴露した。

 その事件はベルーガも腑に落ちない点があった為、数年を得て真相に辿り着けた事となった。襲撃を受け確実に死を覚悟したが、アサギが関与していたならば納得できる。

 

「アサギは、私を救うばかりだ。多少頼って欲しいのだが、あれは勝手に動き回る」


 要塞でくるくる動き回っていた姿を思い出し哀愁の色を瞳に浮かべたベルーガに同調し、トビィもまた瞳を伏せる。

 

「トランシスもその声によって精神を蝕まれていたと考えるのが妥当、か」


 二人の豹変ぶりを目の当たりにしたトビィは、その仮説を立てた事により違和感を覚えた一連の行動を理解する。

 

「アイツは情けない程、小心者だ。僅かな時間でも離れてしまうと、アサギに猜疑心を抱いてしまうのだろう。愛しているのに、信じてやれない。愛しているから、憎しみが膨張する」


 あべこべだったトランシスの言葉を思い出しながら、トビィは頭を抱える。道理で答えが相違していた筈だ。

 

「ただの気の触れた男だと思っていたが、どうやら違ったらしい」

「問題は囁く“悪魔”だ。それを特定せぬ限り、払拭出来んな」


 ベルーガとトビィは顔を見合わせ、互いにしかめっ面を見せた。

 

「そもそも、君達と私は惑星が違う。本来ならば顔を合わせる事もない」

「オレ達も、ベルーガ達も、当然互いの惑星の事など知る由もない」

「だが、その“悪魔”はどの惑星でも囁くことが出来る……」


 顔面が突っ張り、トビィが嫌な笑いを浮かべる。背筋が凍りそうな程、一瞬寒気を感じた。

 

「単なる“悪魔”ならばオレが斬り裂く、しかし、ひょっとすると斬れる相手ではないかもれん」

「もう一つ気がかりな事がある。……どうして此度のみ、私達は過去を鮮明に思い出したのだろう。今までも何処となく過去からの縁を痛感したような記憶があるが、おぼろげだ。もし今と同じ様な状況下で思い出すことが出来たならば、惨劇を回避出来ただろうに」

 

 そこだよ、ベルーガ、トビィ。

 つまり、奴らは“王手”なのだ。ここまで来たら、君らが過去を思い出し抜け出そうと足搔いても所詮無駄な事。

 だから君らは思い出すことが出来た。

 いや、正確に言えば、思い出すことを許可されたのだ。

 私がこうしてアサギの器を動かしている時点で、もう遅いのだよ。残念だったね。


 コンクリートで舗装された道に、夏の光が痛い程照り返る。

 これが土であるならば、下からの攻撃を受ける事もないだろう。

 人間は、その器用な手先で様々なものを産み出してきた。それらすべてが良いものではないのが、非常に残念だ。

 しかし、それも摂理なのだろう。

 部活動の一貫で、書画展なるものを部員らと観に来た。皆寡黙の為ひっそりと作品を見ているだけなのだが、存外楽しく思う。ただ、これらを手本として所に挑む事は大変難解だ。勢いのある字であったり、今にも動き出しそうな程滑らかな曲線を描いている字であったり、個性豊かな書が並んでいるが、私の技量では無理だ。

 

「田上さん、少しいいかな」


 夕暮れ前、バスを降りると部長に呼び止められた。部長は男で、これといって特記することのない平凡な少年である。物静かで言葉を交わしたことすら、数回しかない。几帳面で、真面目を絵に描いたような男ではある。

 

「はい」


 皆が帰宅する中、呼び止められ立ち止まった私は振り返った。蝉の鳴く声は騒々しく、気弱そうな彼の声など掻き消してしまいそうだ。

 部長は、様子を窺うようにじっとこちらの瞳を見つめている。まるで、切々と思いの丈を訴える様に。

 なるほど、これが“告白”というものか。

 やはり中身が私でも、器がアサギでは結局男を引き寄せてしまうらしい。

 失敗した。

 

「少し歩こう」

「はい」


 大方、人気のない場所へ行くのだろう。流石にバス停で愛の告白をするような男ではあるまい。

 私は大人しくついていった、答えは決まっているのだが。

 キィィ、キィッ、キイィと、何処かで聞いたような音が耳に纏わりつく。公園で錆びたブランコが、子供らによって精一杯揺らされていた。なるほど、誠実な部長が告白の場に選んだのはバス停近くの公園か。

 だがしかし、この場所は夜になると表情を変える。乳繰り合うのに絶好の場である事を、つい最近知った。

 

「田上さん」

「はい」


 彼の緊迫した様子がこちらにも伝わってくる、なんだか見ていて気の毒だ。

 

「以前から、今時珍しい純粋な子だと思っていたんだ」


 今時? ふむ、年齢はそう変わらぬが、随分と爺臭い言い方だの。

 

「そうでしょうか」

「姿勢も綺麗だし、落ち着いているし、大和撫子という言葉が相応しい人だと思っている」

「そうでしょうか」


 そうでしょうか、としか言いようがない。

 

「僕と交際していただけませんか。周囲の様な破廉恥なものではなく、もっと純真で誠実な関係でいたいと思っています」


 想定外な男であった。このような気難しい告白を受けた事など、幾らアサギでもなかったな。

 言いたいことは山ほどあったが、面倒なので一文で済ませる事にした。

 

「ありがとうございます、尊敬する部長にそう言って頂けてとても感謝いたします。ですが、私はずっと以前から、一人の方を想い続けているのです。例え想いが報われないと知っていたとしても、彼を愛しています。ですので、お気持ちに応える事は出来ません。今まで通り普通に、部員として、皆と同じ様に接してください」


 腰を丁寧に折った。唖然としている部長を置き去りにし、踵を返して帰路につく。

 どうだろう、アサギの様に断る事が出来ただろうか。

 アサギの真似は、疲れる。

 しかし、手を打たねばならんな。惚れられては困る、全く忌々しい器よ。

 この器は、男を引き寄せるように出来ている。

 男、と言っても、不特定多数ではなく、ただ一人の男の為だけにあるのだが……。

 道端に砂糖を転ばせば、当然多くの蟻が集るだろう。同じ様なものだ。

 アサギの本質は隠したくとも隠せぬので、甘い蜜を吸うように引き寄せられてしまう。

 そうなのだ、これが最大の問題なのだ。引き寄せたかった男は一人だけだというのに、全てにおいて作用してしまう。

 男が群がるのも、動植物に好かれるのも、全てはアサギの本質ゆえ。

 アサギ本人は全く理解しておらぬというのに、イノチあるモノ達は敏感に嗅ぎ分けて寄って来る。

 側にいるだけで、心地良く感じるのだ。

 さらに親密になれば、己の力を増す作用を引き起こす。

 幾度も生まれ変わり自分の力を無意識のうちに制御してきたおかげで、どうにか同性からも好かれるようになったものの、最初の頃は散々であったな。それもそのはず、子孫を残すという生物学的本能から見て、同性にとってアサギは敵だ。何しろ、交尾する予定の男共を根こそぎ盗っていく可能性があるのだから。アサギを攻撃するのも、頷ける。

 まさに、女王蜂そのものよ。本人にその気がなくとも、な。

 アサギの恩恵を受けようと躍起になっているモノは、何もイノチあるモノだけではない。いや、奴らもイノチあるモノなのか。

 奴らは奴らで、必死なのだ。アサギを取り返すべく。

 家に帰ると、窓から夜空を見上げる。今宵の月は、なかなかに見事だ。

 そうか、もう、七月も終わろうとしているのか。

お読みいただきありがとうございました。


更新予定

★6日・火曜日

☆8日・木曜日

★10日・土曜日

・・・と、なっております(’ ’ )<たぶんきっと、大丈夫!

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