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一年目、五月

 四月上旬の冷え冷えと曇り立った暮れ方、ようやく凍てつく冬を乗り越えたベルーガは来訪者であるトビィにしかめっ面を向けていた。

 

「……夫である私がその別れに立ち会えなかったとは。君の事は信頼していたのだが」


 眉間に皺を寄せ、射殺すような視線を向けるベルーガと真正面から対峙し、トビィは飄々と告げる。

 

「すまない、忘れていた」


 張り詰めた空気が流れたが、ベルーガが苦笑し、髪をかき上げる。

 

「君も気苦労が絶えないな」


 その言葉は、ベルーガがトビィの意図を理解した証拠だ。

 ベルーガの存在を忘れるわけがない、単にトランシスと遭わせたくなかっただけだ。トビィなりの配慮だった。

 

「恋敵の肩を持つ君は、実に尊大な心を所持している様で。……私は見習う力量を持ち合わせていない卑屈な男だったらしい」

「そうだろうか、アンタも似たようなモンだろ」


 ぶっきらぼうに告げたトビィは、差し出されていたワインを口に含んだ。芳醇な辛口の白ワインは、舌の上で心地良く転がる。

 

「でなければ、アイツを嗾けるわけがない」


 気持ちを込めるでもなく、さらりと言う。山羊のチーズをつまみ、遠慮なくこの部屋に順応したようにワインを煽る。ベルーガの前にワイングラスが用意されていないことを不審に思い、僅かに瞳を開いた。

 

「すまない、酒は苦手でね」

「こいつは驚いた、酒豪に見えるが」

「よく言われるが、生憎からっきしだよ。相手になれず申し訳ない」

「そういえば……そうだったような」


 散らばっていた記憶の断片が、一つの真実を構成する。

 思案していたトビィは、甦り出した過去の記憶に一人で相槌を打った。

 

「思い出した、アンタは常に茶ばかり飲んでいた」


 “武術観戦”の時も、“食事会”の時も、“密談”の時も、“山奥の村”でも。

 それから。

 

「妙だな、今一つ思い出せない時期がある」


 ぼんやりと呟くトビィを盗み見てから、ベルーガが深い溜息を吐いた。

 

「君は双子の兄に代わり竜騎士を務め、私はその双璧とされる騎士団長だった。若き国王には強力な先視の能力を持つ神官がいて」


 トビィが、椅子から勢いよく立ち上がった。切迫した表情に宥めるような視線を送ったベルーガは、口元に笑みを浮かべる。

 

「やはり、私の稚拙な脳が描いた夢物語ではないようだな。君らは酒が好きでよく国王と戯れていたが、私は離れて紅茶を啜っていたことが、つい先日のように思えてきたよ」


 力が抜けた様に、トビィが腰を下ろすと、気が抜けた音が響く。左手で顔面を覆い隠し、狼狽している姿を見られないようにした。

 

「なんともまぁ、不思議なものだな。互いに信頼を寄せているのは、遠い過去からの縁が原因の様だ」

「……アンタの言う通り、そういうことらしい」


 疲弊したくぐもった声を、トビィが発する。


「我らは全員、竹馬の友だったようで」

「そうだった気がしてきた」


 項垂れているトビィに、ベルーガはやんわりと微笑む。が、途端に瞳に鋭い光を走らせる。

 

「それが、どういうわけか途中で破綻した」

「アサギ、か」


 トビィは手を退けると、敵地に足を踏み入れたような険しい顔を見せる。

 若干頷いたベルーガは、憂鬱な色を瞳に浮かべて珍しくどもった。

 

「そう、だろうな。アサギが来てから、我らは讐敵のように憎悪し合うほど、険悪極まる仲となった」

「アサギをオレ達が盗り合ったから……だろ?」

「恐らく。誰しもがアサギを欲し、醜悪な争いへと足を踏み入れた」

「これで僅かながらにアサギの心情が理解出来た気がする。アサギもそれを思い出したとするならば、悔いて心を砕いたとしても……致し方がない」


 傾国の美姫、破壊の姫君、魔性の女。男共を狂わせて破滅へと導く、無邪気な悪魔。もし二人の憶測が正しいとするならば、アサギが来た事によって決裂した者達が続出したことになる。

 唇を噛んだトビィから視線を外し、長い足を組み直したベルーガは重苦しく吐露する。

 

「しかし、妙だとは思わないか。私は解せぬ」


 顔を上げたトビィに視線を合わせることはなく、陰鬱な顔で紅茶を啜る。

 

「我ら程の男が。アサギが幾ら美しいからといって、早々争いに身を投じるだろうか。“あの時”、我らは確かに二人を祝福した筈だ。『お前には勿体ない娘だ』とも私は告げたし、逆に『本当に正体不明のあの娘でお前は良いのか』とも訊ねた気がする」

「それは……確かにそんな気がするが」

「トビィ」


 ベルーガに名を呼ばれ、トビィの頬が引き攣った。全身に稲妻が走った様に、手先がまだ痺れている。昔、親し気に名を呼ばれていたことを痛感した。

 

「正念場だ。私達はいい加減不毛な転生の謎を解かねばならない」

「激しく同意、宜しくベルーガ」


 二人はどちらが言い出したわけでもなく、手を差し出した。

 そうして固く握り締め、目を交わし合い、以心伝心で伝え合う。

 

「リョウとも話がしたい、彼を連れて来てくれないか」

「先程説明したように、リョウはチキュウの勇者だ。ここへは来られない。……トランシスなら連れてきても構わないが」


 ぎこちなく微笑んだトビィに、ベルーガは無言で頷いた。そうして、不敵な笑みを浮かべる。

 

「成程。簡単に謎を解かせては頂けないように仕向けられていると解釈しようか」


 きゅ、と唇を結んだトビィに背を向けて立ち上がったベルーガは、夜の帳が下りてきた空を見つめた。

 

「我らが親しくては困る者が存在すると……そう考えてみてはどうだろう」


 問いかけの様なベルーガの言葉だが、トビィはすぐに訴えを察した。表情を険しくし大きく頷くと、立ち上がる。

 肩を並べて夜空を見上げた。

 そうなのだ。

 そうなのだよ、トビィとベルーガ。

 そこに気づいたのは良いのだが、もう、遅いのだ。

 僅かな差で、奴らが上手だったのだよ。

 だから私が、ここにいる。

 

 中学生になると、部活動というものに強制的に入らねばならないようで。なるべく目立たない部活が何か解らず、私は書道部とやらに入部した。本当は入りたくなどなかったのだが、どれか一つを選択せねばならぬというので、最も人数が少ない部活を選択したのだ。月水金の放課後、ひたすら書に打ち込むという活動なので、他のものより比較的拘束時間が短いことは気に入っている。

 存外、墨汁の香りは懐かしい気がして気に入った。そうして、姿勢を正し、一筆、一筆と丁寧に半紙に綴る事も、心が安らぐ気がして愉しいと思う。

 よき部活に出逢えた。

 

『ユキは吹奏楽部に入るの?』

『うーん、どうしようかなぁ。茶道も素敵だと思うの』

『そっかぁ、ユキはそういう清楚な部活ってとても似合いそう!』

『アサギちゃんは?』

『私? 私は……』


 はて。アレは何に入りたがっていただろうか。すまんな、希望する部活に入らなくて。

 空いた時間は、図書室へ出向いていた。

 本は良い、知識を増やすことが出来る。

 まぁ、知識を増やしたところで使用できる場面に遭遇することなどあまりないのだろうが。恐らく、知っていて損はないだろう。

 それにしても、人間とはとても面白い。

 他の多くの種は、生き永らえ子孫を残す為に摸索して生きている。常に死と隣り合わせだからだろうな。

 昔は、人間もそうだったのだろう。いや、今でもそうして生きている人間もいるだろう。

 産まれたばかりの子が奇形であったり脆弱であれば、他の兄弟を生かす為にその場で殺す親もいる。怪我をして弱ったものは見捨て、新しい地へと旅立つ種族もいる。それが、本来の生き方なのだと思っていたが、人間は豊富な知恵を得た特別な種族だ。

 いまや、子作りの行為は単なる快楽を得る為の手段であり、不要な子は作らぬ為、様々な手段を用いる。

 アサギが思い描いていた子作りの定義など大昔の事だからな、変化し続ける宇宙の対応についていくのは大変だったろうよ。

 親に見放されたとしても、産まれてきたならば助けられ、人生を謳歌出来る様な施設もあるようだ。まぁ、そのような場所に辿り着けるかどうかはその個体次第だが。

 人生は、平等であり、不平等。

 全く、不思議なものだと痛感する。

 一体、何のために産まれ、どうして生きるのか。

 と、色々考えたところで私にはどうにも出来ぬが……そもそも、この中学生とやらが不思議だ。

 小学生の時は、近所の子供らと待ち合わせをして集団で登校したのだが、中学ではそうしなくてよいらしい。

 何故なのだろう。

 部活によって朝の時間が違う為だと考えたが、そういうわけでもない。出来るだけ集団で行動せよ、とは告げられていないのでね。

 その為、私は常に一人で登下校を繰り返しているが……。

 そうそう、そういえばリョウがすでに不可解だ。

 記憶が封印されてしまったとはいえ、アサギとは親しい仲だった。それが、中学になった途端、疎遠になりおった。

 男が女と親しくするのはむず痒い年頃なのだそうだ、全く持って理解不能よ。

 その割に、クラスの中では誰と誰が付き合いだした、だの親密な関係へと進む個体もいる。

 どうなっているのだ。

 そもそも、子作りするわけでもないのに、何故寄り添おうとするのだろうか。やはり、生物学的本能に仕組まれてしまった感情が作用しているのだろうか。

 さっぱり解らぬ。

 そういえば、個体値を調べる為なのだろうが、体力テストなるものに参加した。

 実に面白い、それで不出来な者は蹴落とされるのかと思ったが、そういうわけではないらしい。

 もし。

 人間に、脅威となる種族がいたとしたら。

 増えすぎるのを抑止する為、間引きとしてこのような手段がとられるのだろうな。その為の予行練習でもしているのだろうか、など、色々と考えると興味深い。

 さて、目立つと面倒なので適当にテストを受けたのだが。つまり、全てにおいて平均の結果を出した。真面目に受けると、この身体は優秀な成績を残してしまう。

 

「今年の一年に、すげーのがいるってよ! 五十メートル最速!」


 埃っぽい校庭の隅で佇んでいると、一角がざわめき波紋の様に広がった。

 何気なく顔をそちらに向けると、見知った顔が中心に立っている。

 ケンイチ。

 首の汗を拭い、多くの友人らに囲まれて笑っている。小柄な彼は、小動物の様で皆にも可愛がられるだろう。それが、本人は不服だろうが。

 一瞬だけ目があったが、私達は微笑み合う事も会釈をする事もなかった。

 

「うぉ、こっちの一年もすんげー!」


 さらにどよめく。察しはついたが、とりあえずそちらに顔を向けると、案の定ダイキが中央にいる。彼はケンイチと違い大柄なので、何処に居ても人目につく。そういえば、それが嫌だと本人は言っていたか。

 私は彼らを見渡してから、走り幅跳びなるものの測定をする為に砂場へと足を向けた。

 この中学に、勇者は三人。リョウにケンイチ、そしてダイキ。彼らは全て別のクラスに散った。幾多の修羅場を潜り抜けてきた仲だというのに、今では会話もないらしい。

 神クレロの記憶封印の術は、成功したのだろう。

 人間の縁とは、本当に奇妙なもので。

 脆く崩れやすく、容易く消えやすく、突然強固になる。

 だからこそ、人は。

 必死で生きるのだろうか。

 砂で塗れたスニーカーを見下ろし、私は髪をかき上げた。

 空は、吹き抜けるような青空だった。

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