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一年目、四月

 それは、奴らの思惑通りに。

 彼女は、彼の言葉を真実だと受け入れ、疑わない。

 彼女の性格を、そして二人の関係を、よぉく把握していた奴らにとって、それは造作もないことだった。

 魂を八回も廻れば、彼女に劣等感を植え付ける事など容易い事。

 彼女が奥底に閉じ込めた疑念の隙間を、少しずつ広げてやるだけでいい。

 修復されなければ、脆弱な心は壊れる。

 そう、壊れた。

 時間は随分と費やしてしまったが。

 彼らはここまで来てしまえば微量な反乱分子など、取るに足らない存在だと思っている。

 

 ***

 

 その森は、何処までも残酷なまでに優しい。

 そよぐ風が、新緑の香りを小屋に運び入れると、男は一層嘆いた。

 

「アサギ、アサギ、アサギ」


 恋人の名を呼び続ける男の瞳からは、そろそろ尽きるのではないかというほどに涙が零れ落ちていた。

 男が恋人と暮らしていた懐かしい場所を再生した娘は、もういない。

 見た目とは裏腹に、忘れることが出来ぬ地獄の様な場所をよくもまぁこさえたものだ。

 

「代わる、何か口にしろ」

「い、いやだ、いやだ! 目を離したらアサギが何処かへ行ってしまう!」

「落ち着け、何処にも行かない。オレが見ている、不安なら手を握っていれば良い」

「あ、ああああ」


 痩せこけたトランシスに厭きれた溜息を吐き、トビィは語尾を強めて言い放った。

 無造作に床に座る。持ってきた食料を膝に置き、抱えていたアサギの手を握らせると、二人の身体を抱き締めた。

 

「いいから、喰え。アサギが目覚めた時にお前がそれでは、アサギが哀しむ」


 茫漠とした悲哀の中に突き落とされたトランシスを一瞥し、心痛な眼差しをアサギに向ける。唇を噛み、細い腰を強めに抱いた。

 トランシスは、差し出された食事を少しだけ齧った。マダーニが用意してくれたハムとチーズを挟んだパンだが、どうしても食欲がなくて全てを胃に収める事が出来ない。しかし、トモハルから受け取った地球産のスープジャーの中身だけは、どうにか平らげた。

 中身は、トビィが煮込んだ野菜スープだ。

 恐らく、最も長い間アサギと時を過ごしたトビィだからこそ、味付けを似せることが出来たのだろう。もともと器用な男だ、容易い事なのかもしれない。

 空になったスープジャーを見下ろし、アサギの髪に指を通しながらトビィは淡々と告げた。

 

「アサギを、天界城へと連れて行く」


 トランシスは項垂れたが、口を閉ざしている。

 

「双方限界だろう、このままでは共倒れになる」


 トランシスは、皮肉めいて嗤った。

 

「誰もオレの事など気に留めないだろ、トビィくらいなもんだ。でも、アサギだけは助けたいと」

「勘違いするな、オレも助けたいのはアサギだけ。お前の事など、知った事ではない。……だが、アサギにとってお前が必要だと知っている以上、オレはお前も助けるより他ない」


 それはぶっきらぼうな言い方だった、照れ隠しをしているようにも見えたし、本心であるようにも思えた。それでも、トランシスは嬉しかった。

 おそらく、トビィだけが自分の唯一の味方だ。

 

「神と勇者達が相談した結果、アサギの記憶を消すという事で一致した」


 トランシスの肩が震えたのを見てから、トビィは唇を僅かに噛み、続ける。

 

「勇者になった時……つまり、異界の者と接触してしまった以降の記憶を抹消するそうだ。まぁ、正確に言えば抹消ではなく、封印だそうだが」


 トビィは、ぽつぽつと語った。

 記憶を消されるのは、異界と関わってしまった地球の者全員だと。

 最初に提案したのは神クレロであり、最後まで渋ったのが勇者トモハルだと。

 アサギのみの記憶を消しては彼女を気にかける勇者達及びその家族の存在が、封印を解く要因になりかねないと説得された。勇者らはすぐに了承したが、愛するマビルへの想いまでも消されてしまうと知ったトモハルが必死に抵抗していた。当然、思い出の品も没収されてしまう。マビルの所持品やら写真やらは、トビィが保管すると申し出た為、断腸の思いで納得したという。

 

「トモハル……」


 虚ろな声で、トランシスが呟く。

 愛する女を失った悲しみは、解るつもりだ。だが、自分より五歳年下のあの勇者は、常に前向きで芯が強く、悔しいが惚れ惚れする。


「アイツは昔から強かった気がする、トビィと同じ様に。羨ましいよ」


 嘆く様にそう言ったが、トビィは聞き流した。

 

「オレ達の記憶は残るらしいが、嫌なら勇者達と同様に消して貰えるそうだ。どうだ、綺麗さっぱり忘れ、この世界でやり直してみるのも手かもしれん」


 物思いに更け、トビィがぼそりと呟く。それは、自分に問いかけているようにも聞こえた。

 

「断る。このオレがアサギを忘れてどうすんだよ、それに、あの間抜け神ごときに、オレのアサギへの想いを消すことが出来るわけがない」


 急に声を張り上げたトランシスに、若干トビィは瞳を開いた。しかし、驚いた色を示すでもなく、唇の端に優しい笑みを浮かべる。

 

「だろうな。珍しく意見が一致した」


 肩を軽く叩くと、アサギを抱きかかえたまま立ち上がった。引き摺られるように、トランシスも重たい腰を上げる。

 床から身体を離すのは、何日ぶりだろうか。

 

「当然、チキュウにオレ達が行く事は出来ないんだよな」


 低い声を出したトランシスに、トビィが頷く。

 

「あぁ。このままアサギを連れて天界城へ行けば、すぐにでも遮断される」


 二人は、アサギを見つめた。もう何日も眠り続けたままだが、まるで朝露を浴びた花の様に美しく艶がある。

 

「もしオレが、このまま二人きりで居させてくれと頼んだら」


 押し殺すような声でトランシスが告げると、トビィが鼻で笑う。

 

「オレがお前を斬り、アサギを連れて行くだけだ。……殺しはしないが」

「では、このまま三人で暮らそうと提案したら」


 トビィは、瞳を細めた。ゆっくりと瞬きをして、諦めた様に首を横に振る。

 

「どうして恋敵と三人で暮らさねばならんのだ、オレにはそんな趣味はない」


 トランシスは、トビィの横顔を見ていた。

 

「断る」 

 

 間から、先の言葉が真実ではないと判断した。そういった道もあることを、恐らくは想像したのだろう。

 

「トビィは怖くない? アサギともう二度と会う事が出来ない可能性があるんだろ?」


 恐怖を口にしたら、トランシスの身体が否応なしに震え出した。やはり目覚めないアサギでも傍にいて欲しいと思い直し、トビィと真正面から戦う決意までした。

 

「オレはアサギに必ず逢う。それ以外の事は考えない」


 しかし、凛とした態度のトビィに愕然とし、鼻を啜る。滾っていた決死の覚悟が、揺らいだ。


「お前は、強いな。ホント、羨ましい」

「しゃんとしろ。お前は……アサギに惚れられた唯一の男なのだから」


 意外な言葉に、トランシスは二度見した。アサギを見つめながらやはり溢れ出した涙を止めることが出来ず、歩き出したトビィに寄り添う。

 

「アサギを愛しているならば。アサギを救う事だけを考えろ」

「記憶を消したら、アサギは以前の様に朗らかに笑ってくれるんだろうか」

「あぁ。でなければ、浮かばれない」


 紫銀の髪を揺らし、二人の男は小屋を出た。その腕に、二人が愛する新緑の髪の娘を抱いて。

 

 天界城へやって来た三人を見て、仲間達が一斉に駆け付けた。

 勇者達は幾分か落ち着いており、トビィに悲痛な表情を向けるばかりだった。

 とりわけ狼狽していたのはリュウだ、呼んでも応じないアサギに悲鳴を上げ続ける。常に明るいアサギしか見ていなかった為、人形の様に微動だしない姿に絶望したのだろう。友人でありながら彼女を護れなかった事を悔い、また、ハイに向ける顔がないと己を責める。彼のせいなど、微塵もないというのに。優し過ぎた元魔王は、心に深手を負った。

 トビィから報告を聞いていたものの、アサギの現状を見た天界人達も動揺した。

 小さいながらに魔王を倒し、天界城を走り回っていた勇者が。

 何者を前にしても屈せず立ち向かっていた、あのアサギが。

 まるで集団で幻覚を見せられていたのではないかと思う程に、その存在が儚く見える。

 天界城は、異様な感情に包まれた。嘆き悲しむ者、アサギの存在自体に恐れを抱く者、近く親しき者は希望を持ち前を見据え、もしくは現実を受け入れられず目を背けるか。

 すなわち、混沌。

 それでも、皆に囲まれた魂の抜けた器は秀麗だった。ただ、その表情は見ている者の精神状態により笑っているようにも泣いている様にも見える。


「もし。我の魔力を超える程、強い想いがあったとしたら。消去の魔法が解けて、記憶が戻ってしまう。……としても。決して他の仲間には話さぬように、それだけは約束して欲しい」

「万が一。自分と同じ様に記憶が戻った勇者に出会えたのなら、話してもいいということですよね。記憶を呼び覚ます行動は慎むけれど、思い出した者同士が接触するのは構わないですよね?」


 まるで通夜の様な空気の中、リョウの声が裂くように響く。神クレロの前に立つと、自信たっぷりに笑みを浮かべて言い放つ。


「思い出す、と言い切るのか勇者リョウよ」

「僕は思い出すよ、アサギを思い出すよ」

 

 リョウは、呼吸をするようにそう宣言すると、勇者らの顔を見渡した。

 ミノルは固く頷き、ケンイチは拳を握り締め、ダイキはやんわりと微笑む。

 そうして、トモハルは真剣な面持ちでリョウと向き合った。二人共、言葉を交わさなかった。しかし、最後に精一杯の強がりを見せる様に同時に頷いた。

 その後、リョウは記憶を消されるまでの間ひたすらトビィと熱心に会話をした。その二人の間に割り込む者はおらず、彼らの会話は、誰も聞いていない。

 聞いていたとしても、おおよそ理解不能であっただろう。

 トランシスは、アサギの手を握り締め続けた。「愛してる愛してる、愛してる」と言い続けた。

 

 アサギよ。

 お前の為に、こうしてニンゲン達は動いている。

 アサギよ。

 呼びかけたところで、お前は聞きもしない。

 それが最善だと思い込んでいるお前は、このまま誤った方向へ進んでいくのだ。  

 

 見慣れた校舎が桜の花に彩られ、艶やかな春色を演出する三月。

 昨年六月に勇者となり異界へ出向いた小学生の勇者らは、この日、その全てに関わる記憶を失った。

 卒業式を迎えた彼らは、四月から中学校へと進学する。

 この小学校は、住居によって中学が二つに分かれてしまう。隣人であるトモハルとミノルは、当然同じ中学だ。その他の勇者らは、彼ら二人とは違う路を歩む。

 記憶を失えば、それまであった交流も当然消える。もともと親しかったミノルとトモハルは同じ様に過ごしているが、リョウは誰とも親しくなかった為、ほぼ一人だった。

 この件で喜んだ者がいるとしたら、勇者ユキだろう。

 親友を裏切ったことも全て綺麗さっぱり忘れ、私立の中学へと旅立ったのだから。泥まみれになり異世界を旅したことも、ケンイチと付き合った事も、アサギから相談を受けて無視をし続けたことも、夢物語。最早、悪夢か。

 淡い桃色が続く路を、私は歩く。

 紺色のセーラー服とやらに身を包み、目立たぬ様視線を地面に落として進む。

 私の名前は、タガミマヒル。

 漢字で書くと、田上真昼。

 いつぞや、アサギが勝手に戸籍上の名を書き換えたせいで、地球の日本に浅葱という娘は存在していない。

 本当に、地球上から消えてしまったのだ。

 家族らも、自分らの娘が「マヒル」だと思い込んでいる。

 口数少なく、友達のいない、何処に居ても目立たない、そんな地味な娘。

 それが、私が演じるこの器よ。

 見た目はアサギなのだがな、何しろ中身が違うのでね。

 あのように華やかには振る舞えぬよ。

 な、だから言ったろう? 

 この物語にアサギは出て来ぬ、と。

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