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三年目、十月

 不自然な程明るい空の下、トランシスは写真を片手に始終笑みを浮かべていた。

 

「アサギは、今日も可愛い」


 飽きることなく眺めている写真には、アサギしか写っていない。トビィに頼み込んで譲ってもらった一枚だ、トランシスが所持していた写真は全て失ってしまったので仕方がない。

 後方でその様子を訝し気に観ているトビィは、小さく溜息を吐いた。「気分が良いから」と言うので惑星マクディへと連れて来たが、果たして本当に“良い”のか。幾度か天界城にて発狂していたことといい、今現在傍観している限りでは“良い”とは思えない。

 

「うん、可愛い。本当に可愛い、どうしてオレのアサギはこんなにも可愛いのだろう」


 と、写真に向かって語り続けるトランシスに、トビィは背筋が凍った。この上なく穏やかな表情だが、それが一層不気味だ。細やかな事が切っ掛けで豹変しかねない程の危うさを感じる。

 ベルーガは、トランシスに面会を申し入れている。しかし、問うまでもなくトビィは断り続けていた。今二人を引き合わせる事は、至極危険である。精神が不安定なトランシスが、目の敵にしているベルーガと対面した場合、止める間もなく攻撃を繰り出しそうだった。

 アサギが不在な今、尚更だ。

 トランシスはベルーガに対し、不要な劣等感と敗北感を抱いている。最愛のアサギを妻とした男、それだけでも腸が煮えくり返るだろうに、トビィは知らぬことだがアサギの口から「執着している」と直に聞かされている。

 トランシスにとって、アサギの想い人はベルーガという認識だ。自分はやはり想い人から外れてしまったのだと心底悔やみ妬み落胆し、やり場のない憤怒と絶望を腹に閉じ込めている。

 惑星マクディのアサギが創り上げた丘の上で、トランシスは誰にも邪魔されない二人だけの時を刻んでいた。この場所には、アサギの力が働いている。彼女を力を最も身近に感じられるトランシスにとって、居心地が良い場所だ。

 可哀想に、奴らが邪魔せねば二人は今も昔もこの場所で末永く幸せに暮らしていただろうに。

 数日後トビィが再び足を運ぶと、トランシスの状態が悪化していた。

 体力的には問題ない、きちんと食事も摂取している。しかし。

 

「アサギ、トビィが来たよ。紅茶を淹れてあげようか」


 飢えきった凶暴な恋心ではない、夢現のような恋に身も心も浸りきっているような、そんな様子だった。

 

「そうだね、昨日焼いたパンとスープも出そうか。トビィ、簡単な食事でも大丈夫かな」

「……問題ない」

「よかった! アサギの作るスープは美味しいだろ? オレが殆ど飲んだからあんまり残ってないんだけどさ、どうにか一杯分はあるよ」


 トビィは、話を合わせた。強張った表情だったが、冷静さを保ち声は震えなかった筈だった。

 

「アサギ、オレは何を手伝おう?」


 忙しなく行動しているトランシスを、まるで敵兵の行動を探るかのように鋭利な視線で睨み付けているトビィは促されるまま着席する。

 それは、酷く滑稽な光景だった。

 トビィの目の前で、トランシスは多彩な表情を浮かべている。誰もいないが“アサギがいる”と思い込んで行動している為、独り芝居にしか見えない。確かに、温められたスープは出て来た。だが、これをアサギが作った筈がない、トランシスが自分で作ったのだろう。

 

 ……意識の混濁、いや、幻覚。

 

 パンを齧りながら、アサギと会話している“らしい”トランシスを監視する。発狂し暴れまわり、途端泣き出す頃に比べたら確かに見た目は物腰柔らかだ、だが、こちらのほうが狂気に囚われている気がした。足元が冷や水に浸っているかのように、トビィは寒さで身体を震わせている。スープの味など、解らない。

 

「おい、体調は戻ったのか。何か違和感を感じたりしないのか」

「え、何で? こうしてアサギが居てくれるから大丈夫だよ、めっちゃ元気」


 狂人は、基本自分が正常だと思い込んでいる。傍から見た自分が如何に奇態か、知る由もない。問いかけたところで「正常だ」と言葉を返す。彼にとってその世界こそが現実なのだから、何時まで経っても噛み合うことはない。甘い蜜に浸された世界で生きているトランシスは夢心地であり、自己防衛の為淡々しい境界線の内側を歩いているのだろう。現実を直視したら、自分の世界が破壊されることを悟っているのかもしれない。

 トビィは唇を噛み締め、「今夜はここに泊まる」と小さく漏らした。流石に、この状態のトランシスを放置して去る事が出来なかったのだ。

 

「えぇ!? オレとアサギの仲を邪魔する気? ……え? うーん、アサギがいいっていうなら、仕方がないかぁ。でもさぁ、オレとアサギのベッドしかないじゃんね、トビィは何処で寝るわけ?」

「床で構わない」

「シーツくらいは貸すよ。っていうか、アサギの寝顔とか覗き込むなよ、オレ専用なんだから」

「疲れているからすぐに眠るさ、余計な気を回すな」


 そうして暗闇が周囲を支配すると、トビィはすぐさま床に横になった。特に何をしたわけでもないが、酷く疲労感が圧し掛かってきた。やはり、人間は体力的よりも精神的に苦痛を与えられた方が負担を感じるのだろう。窓から差し込む月の光をぼんやりと瞳の端に入れていると、突如上がった奇声に大きく目を見開いた。

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 見れば、トランシスがベッドから転がり落ちて喚いている。恐怖による何かが裂けるような激しい叫び声に、トビィは一も二もなく起き上がると駆け付けた。

 

「どうした、しっかりしろ!」


 声をかけるが、トランシスは魂を絞り出すような呻き声を上げ続けるばかりだ。あまりの騒々しさに森の鳥達が恐れ戦き飛び立ち、奇襲を受けたかのような羽音が周囲にこだまする。

 

「落ち着け、大丈夫だ、しっかりしろ!」


 トランシスは血走った瞳をカッと見開き、唾液を垂らしながら小刻みに震える手を伸ばした。物言いたげに口を動かそうとするが、悲鳴が邪魔するように先に出てしまう。どうにか耳を寄せて聞き取ろうと躍起になると、ようやく途切れ途切れの言葉が拾えた。

 アサギが、いない。

 オレは何も、していない。

 ただ、愛しているだけなのに。

 どうして、何故。

 あらかた拾い終えると、トビィは意を決して鳩尾に拳を叩きこみトランシスを気絶させた。低い呻吟の後、ようやく小屋に静寂が戻る。悔しさが滲み出る眉を寄せ、ぐったりと動かないその身体を担ぎ天界城へと戻った。

 

 ……ここにいては、コイツは駄目になる。

 

 ここにいては、というよりも、アサギがいなくては、だとトビィも気づいていたが、口にはしないと心に誓った。

 

「君は想像以上にお人好しで、そして過保護だ」

「どうとでも言ってくれ」


 呆れたような声を出すベルーガに不貞腐れ、トビィはそっぽを向く。トランシスの容態を報告しに来たトビィは、ベルーガの傍が最も寛げることを知った。やはり、過去からの縁で結ばれている仲だろう、他の者達には相談できぬ事も、彼にならばするりと口にする。

 手が空いた時にトーマに剣を教えている事、魔族達が不穏な動きを見せている事、その収拾にかつての仲間達が動き出した事、そして。

 

「以前話しただろう、オレ達の世界には神が存在してな」

「私達は神の存在を認めつつも、直に会う機会などないが、トビィ達の世界では神との交流が通常だったな」


 通常、というわけではないが、トビィは苦笑し続けた。

 

「天界に浮かぶ居城が神の住処なのだが……徐々に高度が下がって来た」


 以前、急激に降下したものの、どうにか浮遊していた天界城。ここへきて、今度は緩やかに高度を下げていた。神クレロが風景の違いから事実に気づき、ドラゴンに乗り空を駆けまわっていたトビィも、違和感を覚え申告した。

 天界城が浮かんでいる道理を誰も知らぬ、天界人からしたらさぞ恐ろしかろう。


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