7.ここはどこですか?
夕食までの時間、ラピスさんにお願いして筆記具を用意してもらって黙々と日記を読み、現代文に替えて書き写す。
読めない部分は「?」と付けて、とにかくわかる部分を書き写して、周りの文字から類推して後から仮の文字を入れていけば大丈夫だろう。
「そろそろ夕食の時間です」
「また王族の人たちと一緒に、ですか?」
「いえ。ああいった会食はあまり頻繁ではありません」
広い食堂ではあるが、王族の人たちは公務で忙しかったりして食事の時間はバラバラで、それぞれの席は決まっていても同時に顔を合わせて、ということは珍しいらしい。
何かのイベントや、王様の声かけなどで時折ある程度らしい。
その“何かのイベント”の一つが、選択者である私の登場だったわけで、王様もオブシディアンさんも、予定を返上して夕食の席に集まったとか。
「お部屋にご用意いたしましょうか」
「あ、はい。助かります」
ちょっと寂しいな、とは思った。
仮にも家族になる予定の人たちだから、もっと顔を合わせて、一緒に食事をしたい気持ちはある。でも、今はこの日記を読み解くのに集中したい気持ちも強い。
ワゴンで運ばれてきた食事を食べて、熱い紅茶を飲みながらまた書き写しを始める。
それから数時間。
最初の方と最後の方をどうにか読み取れた私は、入院中にそれなりに古典を勉強しておいて良かった、と拳を握りしめていた。
読めた内容はまだまだほんの一部でしかないけれど、王妃様は明治初期の頃に流行り病に罹って、いよいよという時に気付いたらこの世界へ来ていたらしい。
もしかしたら、王妃様も私も、元の世界では死んだことになっているのかも知れない。
お母さんに「ここで元気にしているよ」と伝えることが出来たら、どれだけ幸せだろう。
「お嬢様。こちらをお使いください」
「えっ?」
突然ラピスさんにハンカチを差し出されて、私は自分が泣いていることに気付いた。
慌てて日記を横にずらして、涙で濡れないようにする。
「あはは……ありがとう。わ、すごい刺繍。流石にお城のメイド長さんになると、こんなきれいなハンカチを使うんだね」
「ハンカチ自体は安物です。刺繍は私が」
「おおぅ……」
メイド長という言葉にツッコミは無かったが、ラピスさんが語るメイドに必要なスキルはちょっと超人じみている気がする。
涙を押さえたハンカチは、ラピスさんから許可をもらってしばらく預かっておくことにする。一枚くらいあると便利だろうから、と彼女の方から進めてくれた。
他にも持っているから、とハンカチを取り出して見せてくれる。
そのハンカチが入っていたエプロンにも花柄の刺繍が施されていて、聞けばやっぱりラピスさんのお手製だった。エプロンそのものの縫製から一人でやったらしい。
ポケットから針や糸を取り出して見せてくれた。どれも高価なものらしいけれど、私には判別がつかない。
「そんなことよりも、そろそろお休みになられてはいかがでしょうか」
「いや、もう少し……いやいや、やっぱり寝ておく」
確か、ラピスさんは夜間は交代して休めるはず。だったら私が早く寝れば、その分長くゆっくり休息がとれるんじゃないかな。
そう思って、私は今日は早々に眠ることにした。
「明日はどうされますか? 必要があれば用意をしておきますが」
「あー、じゃああと一人、第三王子の人に話を聞きたい、です。いきなり言って大丈夫かな、と……どうしたの?」
私がカーネリアンさんの話を出すと、ラピスさんは少し考えるように動きを止めた。
初日だった昨日、いきなり話しかけてきたことを警戒しているのかも。いずれにせよ、細かいことはラピスさんに任せることにして、早々にベッドへ。
「おやすみなさい」
「はい。では失礼いたします」
いくつかの蝋燭を消して、薄暗くなった部屋からラピスさんが出ていく。
彼女は足音も無く歩くので、本当に出て行ったかどうかがわからない。
「選択、かぁ……」
そう言えばローラさんに王子たちの性格とか聞くのを忘れていた、と思い出した。
直接話した印象は大事だけれど、長く一緒に生活しているのだから、色々話が聞けるかも知れない。
王妃様の日記の話もあるし、カーネリアンさんと話をしたらローラさんに会えないか、ラピスさんに相談してみよう。
そのまま私は眠りについて、ふと寒さに目を覚ましたら知らない部屋だった。
☆
「さ、寒い……ってあれ? あれ、朝ごはん……ってそれどころじゃない!」
ベッドに眠っていたはずが、寒さに目を覚ますとなんだか黴臭い藁敷きの上に寝かされていた。妙に頭がくらくらして、すぐには意識がはっきりしなくて、変なことを言ってしまう。
そんなに食いしん坊じゃないはずだけれど、と両腕を抱えるようにして寒さに震えながら立ち上がる。
着ている服は眠った時のままで、乱れた感じも無い。
場所を移動している以外は何かされたというわけでも無いみたいで、少し安心した。嫁入り前に何かされるなんて嫌過ぎる。
「誰かいませんか? ラピスさん! ウヴァロさん!?」
声を上げても、ビリビリと壁に響くだけで返事は聞こえない。
どうやら古ぼけた倉庫のような場所らしく、石を積み上げて作った壁は埃や蜘蛛の巣が目立つ。
床には私が寝かされていた古い藁以外は、農機具か何かが無造作に転がっているだけだった。
「うぅ……」
まだ早朝なはずで、何の暖房も無い室内は酷く冷え切っている。
このままだと風邪を引いてしまう。最悪の場合、誰にも見つけてもらえなければ……。
恐ろしい想像が頭に浮かんだ。
せめてもの防寒に肩まである髪を首に当ててみても、毛先まで冷え切っていたせいで余計に背筋がぞくぞくとする。
「誰か! 助けて!」
寒さと恐怖で声が震える。
誰がこんなところに連れて来たのだろう。
何もわからないまま、私は裸足のままで慎重に歩き回り、小さな扉を見つけた。
「やった!」
急いで扉にしがみ付く。
とにかく脱出したい一心で、押してみる。でもまったく動かない。
引いても何も起きない。
スライドドアでも無いし、持ち上げようにも重くて動かない。
「どうしよう……」
扉にしがみついて、白い息とともに呟いた。
ひょっとしてまた別の世界に飛ばされてしまったのだろうか、それとも、誰かに連れ去られた?
ラピスさんの代わりに私の世話役として待機していたはずのメイドさんたちは大丈夫だろうか。私が起きないようにそっと入ってきた人物に何かされていないといいけれど……。
「うっ、うぅ……」
涙があふれてくる。
怖さよりも悲しさの方が大きい。
誰がこんなことをしたんだろう。
膝を突き、冷たい床に座り込む。身体が弱かった以前の私なら、とっくに気を失っていたか、死んでしまっていただろう。
それでも、私は今のままでは死ねない。
大きく息を吐いて立ち上がる。
ここから出よう。そして助けを求めるか、まだ世界が変わっていないならお城に戻る。そしてラピスさんが淹れてくれる温かい紅茶を飲むんだ。
薄暗い室内を見回すと、いくつかのガラクタがあった。
棒きれを掴んで何度か扉を殴りつけてみたけれど、古い割には頑丈でびくともしない。
「……仕方ない」
いくら健康的な身体になったと言っても、そこは女性の平均を超えるような力があるわけでもないみたい。
力づくでは無理だとわかった以上、他には知恵を使うしかない。
病院しか知らない、本で読んだだけのにわか仕込みだけれど、どうにかしないと“また”死んでしまう。
もう嫌だ、と思った。
ローラさんとはお友達になったばかりだし、彼女に王妃様のことを伝える約束をまだ果たしていない。もしここで私が死んだら、彼女を悲しませることになる。
自分の将来を自分で決められるようになったのに、顔も見ていない誰かに簡単に機会を奪われるなんて最悪だ。
細い棒を見つけた私は、それを真っ黒な木でできた扉の一番下部分に押し付けた。そのままゴリゴリと手のひらで棒を回転させ続ける。
指先がかじかむ。震える手に吐息をかけながら、埃っぽい部屋の中、とにかく棒を回し続けた。
「……来た!」
細く、かすかな煙が立ち昇る。
私はそこらに溜まっている埃を慎重につまみあげて煙を上げている場所にそっと置いて、ふぅふぅ息を吹きかけた。
ぽ、と火が上がる。
火が点いたのを見た私は、急いで自分が寝かされていた藁の所へ戻り、乾いている部分を手に取って火の上へと慎重に重ねていった。
何かを踏んでしまったのか足の裏がひどく痛むけれど、火が消えてしまっては元も子もない。
我慢して歩いて、火が大きくなるように何度も藁を重ねた。
そしてとうとう、火は扉に完全に燃え移った。
あとは運任せだ。
私が焼け死ぬ前に扉が燃えて外れてくれれば良し。そうじゃないと……。
「こんな使い方するために借りたんじゃないのに」
汚してしまってごめんなさい、とラピスさんに心の中でお詫びを言いながら、ハンカチを口に当てる。
寝る前に置き場所に困って、パジャマのポケットに入れていて良かった。
地面に貼り付くように身体を低くして、煙を吸わないようにする。これでも、狭い部屋の中、酸素が無くなるのも時間の問題だろう。
ばち、ばち、と小さく木が爆ぜる音が聞こえる中、私の意識はもうろうとしていく。
「あー、あったかい……というより、暑い……」
このまま蒸し焼きは嫌だな、と思っていると、バキバキと板を叩き割る音がして、期待していた声が聞こえた。
「お嬢様! ご無事ですか!?」
「ラピスさんだ。やっぱりここは、まだライト王国の……」
ぎゅ、とラピスさんに頭を抱きしめられたところで、私の意識は途絶えた。
最後に思ったことは「ラピスさんって着やせするんだ」ということだった。
☆
再び目を覚ましたのは、もう夕方になろうとしている頃だった。
「お目覚めですか。お加減はいかがでしょう。気分が悪かったりはしませんか?」
「ちょっとふらふらするくらい……」
ラピスさんがすぐに近づき、私の額から落ちた布巾を手に取りながら矢継ぎ早に聞いてくる。
心の底から心配してくれているのが伝わって、私はまた泣いてしまった。
泣き止んだ私は、お茶を貰ってもう一度眠った。
夜になってから起きた私は、ラピスさんに手伝ってもらいながらお風呂に入って足のけがを治療し、着替えを済ませた。
当然のように治療もラピスさんがやってくれる。薬を塗り、包帯を巻く手付きは流れるように手馴れている。
「お嬢様が見つかって安心いたしました」
「そう言えば、ラピスさんの部下っているあの二人のメイドさんは大丈夫だったの?」
「……あの者たちについては、あまり聞かれない方がよろしいかと。信頼のおける別の者たちを用意しておりますので、そこはご安心ください」
あんまり安心できない答えが返ってきた。
別の人が来るということは、あの二人は仕事が出来ないというわけでしょう? やめさせられたか、それとも……。
詳しく聞きたいけれど、知るのも怖い。
迷っているうちに着付けも終わり、ラピスさんから新しいハンカチを手渡された。
「前のは……」
「これですか。煤で汚れてしまいましたので、処分をするつもりです」
私は折角だから、と洗って使うと主張した。結局、洗濯はラピスさんがやって、また貸してもらえることになった。
ハンカチのお蔭で生還できた、と彼女にお礼を言ったら、つい、と視線を逸らして「お礼を言われる程のことではありません」と返される。
照れているのかな。なんだか可愛い。
「それで、結局私はどうしてあそこに? というより、あそこはどこだったのかがまずわからないのだけれど」
「お嬢様が監禁されていたのは、城内でも使用人たちが使うスペースにある古い倉庫です。今ではほとんど使われていない場所です」
淀みない説明が帰ってきた。彼女は元々説明をしてくれるつもりだったらしい。
彼女の話によると、夜間のうちに護衛の騎士さん達が倒され、向かいの部屋に待機していた人たちも薬で眠らされてしまったらしい。
そしてメイドさん達も排除(ここは微妙に濁された)され、眠っている私を倉庫に閉じ込めたらしい。
「頭がふらふらするとおっしゃられていましたが、恐らくは眠りを深くするための薬を嗅がされたのでしょう」
「倉庫で起きた時もくらくらしてたから、そのせいなんだね。副作用とかは……」
「わかりません」
ぴしゃりと言われた。
それもそのはず、何を使われたかわからない以上はラピスさんにも説明のしようが無い。とりあえずは今、意識ははっきりしていることで良しとしよう。
以上に気付いたのはラピスさんだった。
眠っている騎士たちを叩き起こした彼女は、城内にいる全ての騎士や使用人たちに伝達して城内外の捜索を始めたらしい。
「王様に言わなくて良かったの?」
「時間を使う余裕はございませんでした。取り急ぎお嬢様の状況を知ることが先決でしたので」
その結果、騎士の一人が倉庫の火事を発見し、ラピスさんと共に扉を叩き壊して中に入ると、私が倒れていた。
結局、誰が何の目的で私を監禁したかまでは分かっていないみたい。
「お嬢様。申し訳ありませんでした」
「ふえっ!?」
一通りの説明を終えたラピスさんは、私の前で床に膝を突いてお詫びを言う。
突然のことに何も言えずにいると、顔を伏せたままの彼女が自分の失態について反省する。
「今回の件に関しまして、お嬢様に不要な危険が及んだことは私のミスです。国王陛下からは私の処断についてお嬢様のお気持ち次第であると命じられております」
「処断って……」
「お嬢様のお気持ちを考えれば死を賜るのも当然の結果であり、その方法はお嬢様のお考え次第。私も覚悟はできておりますので……」
「待って、待って! 死を賜るってなに? どうしてそうなるの?」
ラピスさんによると、夜間担当のメイドさん二人を任命したのも彼女で、なんと騎士さん達の警備体制についても彼女が設定したものらしい。
ようするに私の警備やお世話全般が彼女の責任で、私がさらわれたのも彼女の責任になる、らしい。
それにしても、いきなり死にますと言われて、その方法を決めろと言われても困る。
いくら腹を立てていたとしても、だからと言って死んで欲しいなんて思わない。
「はあ……」
「お嬢様?」
「私の希望は、引き続きラピスさんにお世話してもらうことです」
「ですが、それは……」
私は怒っていた。
ラピスさんに対してでは無く、簡単に「命で償え」という話になることに。
「絶対に駄目です。ラピスさん以外を認めません」
「……わかりました。誠心誠意お仕えいたしますので、何なりとご命令ください」
「そうそう。わかって貰えたならいいです」
少し偉そうかな、とも思ったけれど、多少は強気に言った方が伝わると思う。そういう世界だからこそ偉い人が無茶を言って、仕える人が受け入れる。
悪いことだと思うけれど、ずるい私はそれを逆に利用させてもらった。
「それで、今はどうなっているの?」
「はい。今は王族の皆様が集まってお嬢様の回復を待ちながらお話合いをされているのですが……」
一度私の顔を見て、ラピスさんはためらいがちに続けた。
「第一王子のオブシディアン様に、疑いが向けられております」