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6.ラピスさんは偉い人?

 午後になって、部屋の中にあった浴室―――と言っても、広い部屋の真ん中に小さなバスタブが置かれていて、運ばれてきたお湯が入れられているだけだけれど―――で身体を洗い流した。

 ラピスさんがタオルを抱えて見ている前で落ち着いて入れるはずもなく、とりあえず身体を温めて汚れを落として、早々に服を着る。

 今回はワンピースタイプの動きやすい服を選んでもらう。


「昼食は中庭に用意しております」

「中庭? 部屋じゃないの? というか、外に出ていいの?」

「城内のいくつかの場所をご案内し、この城について知っていただくのも私の役目です。また、中庭はあくまで城内ですので、問題ありません」


 昼食の時に、選択者について説明しておきたいことがある、とラピスさんに言われ、素直についていく。

 その途中、ウヴァロさんに出会った。


「これはこれは。ご機嫌いかがですかな」

「はい。ラピスさんが良くしてくださいますので」

「ほう、それはようございました」


 あれ、と私は妙な違和感を覚えた。

 相変わらず好々爺とした雰囲気のウヴァロさんだけれど、ラピスさんに対しては妙に他所他所しい。お城の執事さんとメイドさんのはずなのだけれど……。

 そう言えば、最初の日に夕食の場所まで行く間、二人の間に会話は無かった。あんまり仲が良くないのかな。


「そういえば、オブシディアン様が朝からお嬢様の部屋まで向かわれたとか」

「あ、はい。お会いしましたよ」

「そうですか。オブシディアン様はとても優秀な方ではありますが、選択者の掟には否定的な考えをお持ちですので、お嬢様に失礼があったのではないかと心配しておりました」


 心配することは無い、と返しながら、私は可笑しくなってきて、笑ってしまう。

 確かに夕食の時の雰囲気だけだと、怖いしとっつきにくい感じだけれど、実際にゆっくりお話した限りでは、全然そんなことは無かった。

 ただ単に、色々なことが理不尽に決まるのが嫌なだけで、それは私にも理解できることだ。


「そうそう、私は伝言をお持ちしたのでした」

「伝言ですか」

「ジェイド様から、お嬢様とお話する機会が欲しいということです」

「ウヴァロ様、それは……」

「直接の接触は禁止されていても、伝言は許されているはずです。それに、お受けされるかどうかはお嬢様次第です」


 ラピスさんが止めようとしたが、ウヴァロさんが早口気味にそれを押さえてしまった。

 彼が言っていることは本当のようで、ラピスさんはそのまま黙ってしまう。

 対して、私はというと、別に嫌では無かった。

 いずれにせよ、王子様たちとは話をしておきたかったし。


「わかりました。どうしたらいいですか?」

「では、昼食後に迎えの者がまいりますので」


 忙しいらしく、足早に去っていったウヴァロさん。

 彼の姿が見えなくなると、ラピスさんはそっと私の近くに来て告げた。


「どうかご注意を。私もそばには居りますが、ジェイド様が強引な方法に出られる可能性も無くは無いかと」


 仮にも王子様を指してそんな見方もどうかと思うけれど、ラピスさんが言うには過去には王に成りたいが為に無茶な方法で目的を達成しようとした例もあったらしい。

 中庭にたどり着き、大きく広がる色とりどりの花々に囲まれながらも、私は殺伐とした話をラピスさんから聞かされ続けている。


「お嬢様がお相手を決められた際には、その方にキスをすることで選択は完了となります。但し、王子側から無理やりに唇を奪うことは許されておりません」

「なるほど。でも、寝ぼけてキスした、とかだったら」

「お嬢様からの行動であれば、有効です」

「う、気を付けます」


 うっかりで人生を決められても困る。

 強引な方法には気を付けないといけないけれど、何をどう注意して動けばいいのかもわからないから、それはラピスさん任せにするしかないかも。

 昼食はふんわりとしたパンケーキが用意され、いくつものジャムやクリーム、それにたくさんの果物が並べられていた。


「おお、すごい」


 思わず声が出た。

 オレンジやリンゴに似た果物たちは、ワゴンの様な台に積み上げられている。中には水に漬けられて冷やされているものもある。

 それぞれから放たれる甘酸っぱい香りが混ざり合って、濃厚な空気にくらくらしそうだ。でも気分が悪いわけじゃなく、その逆で食欲が搔き立てられる。

 その傍らに立ったラピスさんが、ナイフを手にして好きなものを選ぶように言う。


「こんな贅沢していいのかな?」

「選択者の方は可能な限り歓待することになっております。ご希望があれば食事は変更いたします」

「ラピスさんのおすすめで大丈夫。この世界のご飯を知りたいから」


 甘いシロップをかけたパンケーキに、濃い赤のベリーを軽く潰して混ぜたクリームを乗せるというカロリーの権化みたいな食べ方をしてみる。

 入院中はこんなもの食べさせてもらえなかった。初めての贅沢だから、これくらいは許されるはず。

 甘すぎるくらいの組み合わせだけれど、ベリーは酸っぱくて甘みをさっぱりさせてくれる。お茶も美味しい。


「そういえば、昨日はメイドさんが三人いましたけれど、ラピスさん以外をあれ以来見ていないのだけれど」


 私は、ふと気づいたことを聞いてみた。

 私の専属だという三人のメイドさんのうち、最初に紅茶を淹れてくれたメイドさんともう一人がいたはずだ。

 三人いるのだから三交代なのだろうと思っていたけれど、昨夜は遅くまで、そして今日も朝からラピスさんしか見ていない。


「はい。他の二人は夜間を担当しておりますので、お嬢様がお休みの際には室内で待機しております。深夜のうちにお飲み物などをご希望の際には遠慮なくお申し付けください」

「うえっ!? じゃあ、私が起きている間はラピスさんだけってこと?」


 寝ている間が二人で、起きている間が一人なんてバランスが悪すぎないか、と私がラピスさんの負担を気にすると、彼女はさらりと答えた。


「あの二人よりも私一人の方がずっと仕事ができますので、ご安心ください」

「じゃあ、ラピスさんはあの二人の先輩ということ?」

「そうです。彼女たちに仕事を教えたのは私ですが、彼女たちではまだ不安がありますので、動きの少ない夜間を二人体制で補うようにしております」


 手早く果物の皮をむきながら、ラピスさんは小さく息を吐いて「まだまだ鍛え方が足りません」と呟いた。

 一口サイズに切り分けられたリンゴに可愛らしいピンを指し、少しだけ蜜をかけたものが目の前に置かれる。

 結構お腹は一杯なのだけれど、それでも手を伸ばさざるを得ない。


「じゃあ、ラピスさんはメイド長とかそういう感じなの?」

「……似たようなものです」


 微妙に言葉を濁したのは、何か理由があるのかな。

 あんまり突っ込んだ話を聞くのも失礼かと思っていると、第二王子の使者という男性がやって来た。

 パリッとしたスーツ姿が良く似合う細身の男性で、金髪のオールバックに撫でつけた姿は、高級レストランのウェイターみたいだ。


「失礼いたします。ジェイド様より城の資料保管庫でお話をしたいとのことで、ご案内に参上いたしました」


 恭しく一礼する彼は、ジェイドさんの専属侍従らしい。

 わかりました、と返答をしようとするのを、ラピスさんに止められる。


「ご案内は私が。ジェイド様には十五分後に伺う旨、お伝えください」

「そ……わかりました」


 おお、私の前に出たラピスさんが放った言葉に、反論しかけた侍従さんがすぐに引き下がった。

 私の位置からは彼女の表情は見えないけれど、侍従さんが息を飲んだのがはっきりわかった。そんなに脅さなくても……。


「では、お待ちしております」


 一礼して去っていく侍従さんを見送り、ラピスさんはくるりと振り向いて、空になったカップへと紅茶を満たした。

 メイド長さんってそんなに偉いのだろうか。ちょっと不思議だ。



「ここは王族の他、限られた者しか立ち入りが許されていない場所でね。もちろん、貴女が立ち入る許可も父から貰っている。安心して欲しい」

「ほえー……」


 資料保管庫と聞いて、薄暗くてかび臭い場所をイメージしていたのだけれど、扉の前で待っていたジェイドさんに伴われて入った場所は、アンティークな雰囲気が漂う落ち着いた図書館そのものだった。

 広く丸い吹き抜けをぐるりと取り囲むように書棚が並んでいる。

 階層分けされているわけではなく、壁沿いに続く緩やかな坂道にそってらせん状に棚が続いていた。


 吹き抜けの天井にはステンドグラスが施され、ジェイドさんの説明によると人が入る時だけステンドグラスの下に張られた日よけを外すらしい。

 大がかり過ぎないかと思ったけれど、本が日焼けするよりはずっと良いし、火を使う照明は以ての外。他に方法が無いのだろう。


「何か気になることがあるなら、ここの資料を使って教えようと思ったのだが……」

「あ、でしたら今の王国の状況と、ジェイドさんの考えを教えてください」

「私の? ふむ……」


 ジェイドさんは慣れた手つきで侍従さんに指示を出し、いくつかの本を持ってくるように伝える。

 そして二人で中央に設えられたテーブルに向かい合うと、彼は最初に一つの本を開いて見せた。

 ステンドグラスを通した少しだけ青みがかった光に映し出された文字は、私には読めない。言葉が通じても、字が読めるというわけではないみたいだ。

 それでも、地図が挿絵として描かれているのはわかる。古ぼけた用紙に手書きされた地図は、おにぎりのような三角形だ。


「これがこの国、ライト王国の全土、とされている。祖父の代に作られたものを縮小して記録されている」

「文字が読めないんでわからないんですけれど、ここが王都ですか?」

「その通り。王都を通るサーファイア大河の流れに沿って大きな町があり、支流にも町や村がある。この大河がライト王国の背骨と言って良いかも知れないな」


 ジェイドさんが、王国地図を袈裟懸けに流れる川を指差す。

 川は魚や貝を取る漁場でもあり、船を使った輸送手段の要でもある。馬車を使った流通もあるが、主流は船舶輸送であり、馬車はあくまで内陸部の移動などに使われるもの、というのがこの国の認識らしい。


 端正な顔つきで表情が乏しいジェイドさんが淡々と語る姿は、見ほれるほどに整った造形と静けさが調和する。

 澄んだグリーンの瞳が、本から私の方へと向く。


「川沿いに国や町ができるのは当然のことだ。わかるね?」

「はい。水が無ければ人は生きていけません。飲み水もそうですし、農業などにもたくさんの水が必要で、井戸では賄えない部分も多いと聞いたことが有ります」

「若い女性にしては博識だ」


 本で読んだことの聞きかじりでしかないが、ジェイドさんが褒めてくれた。でも、そこには女性に対して多少見下した部分が見えなくもない。お国柄なのかもしれないけれど。


「水源は人が社会を作る礎になると同時に、戦争の種にもなる。隣接する国からの侵攻も幾度となくあったが、祖父の代に一度大きなぶつかりが合って以来、ここ五十年ほどは静かなものだ」

「戦争が、あったのですね」

「ライト王国の軍備は精強であり、それは昔も今も変わらない。そう心配する必要も無い」


 話がずれている。

 私が心配しているのは戦争に負けることでは無くて、戦争そのものが起こり得る状況だというのに。

 恐らく、ジェイドさんや他のこの国の人たちにとっては、戦争があることそのものはあまり危惧することでもないのだろう。日本も昔はそうだったし、他の国では今でも戦いが起きていた。


 この国で生きていくために、私の方が、変わらないといけないのだろうか。


「……話は変わりますけれど、私の様な人が次の王様を選ぶことをどう思っていますか?」

「掟の話、か。私としては特に反対は無い。むしろこういった決まりごとはあった方が良いとも思っている」

「他人の手に王国を委ねることになるのに?」

「なるほど。そこを気にしているわけだ。だが、それはどうとでもなる」


 王子の中から選ばれる、というのは決まっていることなので、まず王として立てないほどに愚かな教育をしなければいい、とジェイドさんは断言した。

 暗に『愚鈍であれば始末する』とでも言いたげな雰囲気だった。

 そして、彼は掟にメリットが存在すると説明する。


「掟の存在が、問答無用で部外者からの介入を防いでくれる。王族と血縁を結ぼうという勢力は多い。高位貴族たちはもちろん、町の娼婦ですら関係を狙うほどに。それだけ魅力的なのだろうな。それこそ、犯罪に手を染めて死罪になるリスクも厭わないほどに」


 過去には掟を廃止して高位貴族から正妻を選ぶように、と貴族界から圧力をかけられた例が何度もあるという。

 しかし、王族はそれら全てを伝来の掟は守らねばならぬ、と断った。「決まりだから」という免罪符を使って、外部の干渉から王族を守って来たのだ。


「他国どころから世界が違う王妃だ。自分自身以外に繋がりを持つ者が王族の外にいないというのは、とても楽なものなのだ」

「なるほど」


 理屈としては納得した。

 私はこの掟がどういった理由で生まれたかはわからなかったけれど、どういった理由で続いているかはわかった。

 ただ、ジェイドさんの説明には違和感を拭えない。


「私としては、この掟を続けることは王国にとって有益だと思っている。貴女に対しても、王妃として安泰な生活を約束しよう。幸い、今の王国は財政的に健全で余裕もある。目だった敵もいない今、多少の贅沢は目を瞑る」

「別にそういうのは……。ただ、城を出られるようになったら、この国を見て回りたいと思っているだけです」

「そうか」


 しばらく、ジェイドさんは沈黙したままじっと私を見て、ほどなく一度頷いた。


「とにかく、私の考えをもう少し聞いてもらおうか。そして現実的に考えて王としての素質が誰にあるかを見極めて欲しいものだね」

「はい。お願いします」


 それから二時間くらい、ジェイドさんから国の現状と改善点についていくつかの話を聞いた。

 まるで何かの講義を聞いているかのような時間で、私にとっても他人事ではないのだから、と懸命に耳を傾けていたものの、眠くなるのは仕方がない。

 それにしても、と私はジェイドさんを観察する。


 いくつもの本を開いては具体的な事象を示して改善についての手順と効果を語る彼。濃い緑の髪は少しも乱れることなく、低い声が淡々と私の耳に届いた。

 もっと私に理解力があれば楽しい時間なのかもしれない。

 話を聞くうちに、私は気付いた。彼は私と結婚したいわけじゃなくて、王となって自分の考えを実践して能力を証明したいのだろう、と。


 長い講義が終わり、ようやく解放された私は自室に戻ってしばらく考えこんでいた。

 王妃としてライト王国の事を考えて選択するべきだとは思う。でも、折角やり直しの機会を得られた私の人生を、それだけで決めてしまっていいんだろうか。


 ラピスさんが用意してくれたおやつをじっと見つめていると、ローラさんが訪ねて来た。

 王様の許可が出て、王妃様の日記を読めることになったらしい。


「うん。王妃様が何を考えていたか、日記には書いてあるかも。参考にさせてもらおう」


 王妃様の部屋に立ち寄ってローラさんが持ってきた日記を受け取り、私は申し訳ないと思いつつも、日記をじっくり読ませてもらうことにした。


「楽しみにしているわ!」


 がっしりと私の手を掴んでぶんぶん振って帰っていったローラさん。彼女からの期待もなかなか重たいけれど、母親の気持ちが知りたいという思いが強いのだろう。

 うん。頑張ろう。

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