13.私がやってもいいですか?
「うっ……」
「なんということだ……」
城内の治療室。扉を開くため先に飛び込んでいった騎士たちが苦い顔をして首を横に振った。
焦っていた私は何をのんびりしているのか、と彼らを押しのけて道を作る。
そこで見たのは、血塗れの光景だった。
治療室と言っても、この世界の治療はまだまだ未熟らしい。
室内にはいくつかのベッドが並んでいて、薬や包帯などが治められた棚があるだけだった。だが、その棚は引き倒されて中身が床に散らばっている。
そしてその床で、血の海に横たわるいくつもの死体。
「うぷ……」
初めて見る本物の死体に、私は口を押えてこみ上げるものを必死で押さえた。
「お嬢様。あまり見ない方がよろしいかと」
「そうする……でも、彼が……」
「とにかく血を止めねばなりません。何か……」
追いついてきたラピスさんが部屋の中へ踏み込もうとするのを止めて、私は彼女があるものを持っていることを思い出した。
「針と糸」
「なんですか?」
「ラピスさん。裁縫道具を持っていたでしょう? それを!」
死体を乗り越えるようにして室内へ入り、ベッドの上に散乱した治療道具を全て床へと放り捨てた。
騎士さんがそこへオブシディアンさんを寝かせる。
かなり血を失ったのか、青ざめた顔をしている彼は今にも気を失いそうだった。
「傷を縫います」
「医師に任せるべきでは……」
騎士の誰かがそう言って反対したが、聞けば町から医者を連れてくるのに時間がかかるらしい。
そんなのを待っていたら、オブシディアンさんが死んでしまう。
「お嬢様。こちらを」
「ラピスさん……」
「お任せします。他のことは全て私どもにお任せください」
針も糸も裁縫用ではあるが、傷口を縫うのも問題ない高級品であり、頑丈さは申し分無いとラピスさんは太鼓判を押した。
そして彼女の後ろに控えているメイドさんたちがすぐに動き出し、無事な布巾を掻き集めて、湯を沸かし、傷口を洗い流し始める。
針に糸を通したところで、ラピスさんが針を消毒するためにロウソクの火を差し出した。
息を飲む。
初めてのことだし、血を見るのはまだ怖い。
それでも、私は手を止めるつもりは毛頭無かった。
「う……」
「我慢してください! 騎士さんたち、彼が動かないように押さえつけて!」
痛いのはわかるが、ベッドの上で身体を曲げてしまうオブシディアンさんを叱り飛ばし、騎士さんたちに頼んで彼を押さえてもらう。
仮にも王子を押さえるのに戸惑った騎士さんたちも、ラピスさんが「やってください」と言おうと素直に従う。まだまだ私には威厳が足りないんだろうか。
メイドさんたちが彼の服をはぎ取り、腹部の傷にお湯をかけて傷口を露わにする。
痛々しい切り傷が見えると、騎士さんの誰かがうめき声をあげた。メイドさんたちは何も言わないのに、男はだらしない。
「だらしないですね。耐えられないなら出ていきなさい」
「いえ。申し訳ありませんでした」
どちらが騎士だかわからない会話をしているラピスさんは、てきぱきと布を用意して傷口周りをきれいに拭っていく。
まだ血は流れているが、縫合の準備は整った。
息を止めて、慎重に針を刺す。思ったよりも簡単に、手応えも無くするりと入り込んだ。思わず奥にまで刺してしまいそうになるほどに。
傷口の長さは四センチほど。深さまではわからないけれど、とにかく傷を塞いで止血するのが先決だろうと判断する。
その間にも血は流れ、メイドさんたちがどんどんお湯と布で血を流していく。
私は私の役割に集中して、ひと針ずつ慎重に進める。
そしてどれくらいの時間がかかったかわからないが、ようやく傷口の縫合が終わった。
「お、終わった……?」
「お疲れ様です、お嬢様。あとはお任せください」
「ありがとう。オブシディアンさん、終わりました……オブシディアンさん!?」
ぐったりとしている彼を見て、間に合わなかったかと焦ってしまったけれど、ラピスさんは冷静に「気絶しているだけです」と応じた。
それを聞いて、私はその場にへたり込んだ。
周囲には血を拭った布がたらいに山積みにされて置かれており、私のドレスも両手も、赤黒い血で染まっている。
視線を横へ向けると、まだ死体が残っていた。
そのどれもが斬りつけられたような傷を負っていて、誰かに襲われたのが明らかだった。
「どうして……」
「お嬢様。ひとまずこちらで手をお清めください。それからお召換えを」
メイドさんたちが集まってオブシディアンさんに包帯を巻きつけているのを見届け、ラピスさんは温かいお湯が満たされたたらいを私の前に差し出した。
お礼を言って手を漬けると、お湯はあっという間に赤く染まっていく。
何杯かのお湯を使いながら手を洗っていると、ラピスさんがいつかのようにお詫びを言う。
「申し訳ありません。怪しい動きをしている連中がいることはわかっていましたが、国王陛下の近くにも潜んでいるとは……またお嬢様の身を危険に晒しました……」
「私は助かったから大丈夫。問題は……」
「オブシディアン殿下の傷はさほど深くありません。血が抜けた分が回復するまではしばらく日数が必要でしょうが、問題なく回復するかと」
それにしても、とラピスさんは真新しい布巾で私の両手を丁寧に拭いながら聞いてきた。
「どうして縫合をしようと思われたのです?」
「王妃様の日記に、そういう記録があったのよ。それと同時にラピスさんが裁縫セットを持っていたのを思い出して」
自分でやろうと思ったのはなぜだろう。
ラピスさんあたりに任せた方が手際も良かったかも知れない。というか間違いなくそうだ。冷静になればなるほど、私の選択は失敗だった気がしてくる。
「なるほど。殿下とお嬢様は良く似ておられるわけですね」
「えっ?」
「殿下はご希望通り御自らお嬢様を守られ、お嬢様も手ずから治療をされたわけです。……私は、お嬢様の選択は素晴らしいものだと思っております」
私は、ラピスさんから両手をしっかりと包まれた感触を味わいながら、いつの間にか号泣していた。
☆
王族弑逆未遂。
あるいは狙い通りに私が殺されていたら、選択者という唯一無二の存在を害したということでさらに重罪になる。
当然、オブシディアンさんが一命を取り留めたから、それで良しというわけにはいかない。
貴族たちは城内に留められ、それぞれ一件が解決するまで行動の制限を受けることになった。
私も自室へ戻って身体を洗い、着替えを済ませたところですぐに王様に呼ばれた。
今度はラピスさんも一緒だ。
「なんと……なんと礼を言うべきか。あるいは詫びるべきか……言葉が見つからぬ」
「この通り、私は無事ですし、まだ眠っているみたいですけれど、オブシディアンさんはきっと回復します。だから、王様が頭を下げることはありませんよ」
呼ばれた場所は謁見の間。
血が付いた緋毛氈は片付けられており、沢山いた貴族たちもそれぞれの控室へ下がっているらしく、広い室内はがらんとしていた。
そこに王様と向かい合う私とラピスさん。
そしてローラさんやジェイドさん、カーネリアンさんがいる。そして、ウヴァロさんも。
壇上にいるのは王様だけで、全員が立ったまま横並びになっている。
ラピスさんだけは一歩下がって私の後ろにいるんだけれど。
「今回は選択者の優しさに甘えさせてもらおう……だが、始末はしっかりと付けねばならぬ」
「当然ですわ。お兄様を刺したのも許せませんが、彼女を狙うなんて! あの男たちは何を考えていたのです!」
「落ち着け。あの連中は駒に過ぎないだろう」
ローラさんを宥めたジェイドさんは、冷静に状況を語る。
「平民や下級貴族の者たちが選択者を害したところで何も得るものは無い。とすれば……」
「待て、ジェイド。首謀者はすでに判っているのだ」
王様は手をあげてジェイドさんを止めた。
小さくため息を吐いてから首を横に振った彼は、全員を見回してから、重い口を開く。
「オブシディアンが襲われた直後に報告が入った。正確に言えば疑惑が確信に変わったと言うべきか……カーネリアン」
「なんだい、父さん」
「お前の想像通りだった」
だろうね、とカーネリアンさんは肩をすくめた。
彼の名前が呼ばれた時は「まさか」と思ったけれど、彼が犯人というわけではなく、逆に王様に疑惑を伝えていたらしい。
そして裏で調査を進めていたことで、はっきりしたことがある、と。
私は思い出した。
カーネリアンさんが私に忠告したこと。気を付けろ、と名指しされた人物。
その人の名を王様が呼ぶ。
「ウヴァロ……ウヴァロ・ヴァイト。身に覚えがあるだろう」
「な、何を言われるのですか、陛下。臣として陛下に何年もお仕えしている私を疑うとおっしゃられるのですか?」
狼狽という言葉がぴったりだ。
一歩下がった彼は、周囲から向けられる冷淡な視線に動揺したのか、上ずった声で弁明を重ねた。
だがそれも、王様の一喝で遮られる。
「痴れ者が! 王国貴族として恥を知れ!」
「くっ!」
脱兎のごとく逃げ出そうとしたウヴァロさんは、二歩目を踏み出す前に転んだ。
隣にいたカーネリアンさんが足をかけて転ばせたのだ。
その直後には、ラピスさんがウヴァロさんの腕を捻りあげて取り押さえようとする。
だけれど、ウヴァロさんも必死だ。
「おのれ! メイドごときに……」
「ラピスさん、危ない!」
懐に隠し持っていたナイフを取り出し、ウヴァロさんは起き上がる動きと同時に、近づいてきたラピスさんに向けて切っ先を突き出す。
広い室内に私の叫びがこだました時には、二人の動きは止まっていた。
一瞬、ラピスさんが刺されて倒れるような幻影が見えた気がしたけれど、実際に倒れたのはウヴァロさんの方だった。
「この程度では、私に傷をつけることはできません」
腰を落とし、左手でナイフを持つ手を逸らしながら右の手のひらでウヴァロさんの頭を思い切りついたらしい。
動きが速すぎて全然見えなかった。
一撃で気絶したらしいウヴァロさんが横たわり、遅れて動き出した騎士さんたちから縄を打たれていた。
「……見事である」
「これは……」
「まぁ、すごいわねぇ」
王様が褒めると、ジェイドさんは慄きローラさんは暢気に褒めている。
カーネリアンさんだけは、ラピスさんがやったことに驚いていないようだ。
「お褒めの言葉はありがたいのですが、参考人の自白を引き出すのに遅れ、オブシディアン閣下が怪我を負う結果となったことについては……」
「良い。それはお前の能力の問題では無いだろう。それに息子が怪我をしたのは、自ら動いたからである。……もう少し余の忠告に従って身体を鍛えておれば、こうはならなかっただろうに」
王様は、公務に追われているオブシディアンさんに何度か訓練をするように伝えたらしいが、忙しさにかまけてサボっていたらしい。
ラピスさんは先日の誘拐事件を受けて調査をしていたらしい。私の侍従として働きながら、いつそんな時間が取れたのか不明だけれど。
そんな折、カーネリアンさんの忠告からウヴァロさんを調べていて、さらに先ほど私とオブシディアンさんを襲った男性の自白で裏付けがとれたという。
「ウヴァロの息子はジェイド殿下と同年齢。寄宿舎学校でも同級です」
「それは間違い無いが……私は彼にそんなに恨まれていたのか?」
「そうではありません。ウヴァロはジェイド殿下を王に据えたいと思っていたようです」
ジェイドさんが王になれば、同級であるウヴァロさんの子供が要職に就きやすくなる。ウヴァロさんは高位貴族の次男坊であり、分家の当主という立場だけれど、国家の要職に就けば階位を上がれる可能性もあるという。
最初は私を誘拐して、衰弱したところで正体を隠したまま脅しをかけるつもりでいたらしい。
そしてジェイドさんに救われるという状況を作ることも考えていたそうだ。
「お嬢様が自力で火を点けたことで計画は頓挫したようです。捕らえた男たちが全て話しました。それぞれ別室で聞きましたが、内容は一致しています」
カーネリアンさんが王候補からほぼ抜けたような状況にはなったけれど、その後の私がオブシディアンさんと接近するのを見て、ウヴァロさんはもっと直接的な方法を選んだらしい。
ただ、王子が狙われると自分に疑いがかかる。
そこで私の方を排除して、別の選択者が現れるか、他の方法で王が選ばれる状況に持っていこうとしたらしい。
「馬鹿なことを……。ウヴァロの息子には能力がある。私が王にならずとも、推挙くらいはしたのに……」
ラピスさんの説明を聞いて、ジェイドさんは吐き捨てるように言った。
それにしても、話を聞いているうちにラピスさんが何者なのかわからなくなってきた。普通のメイドさんって、犯罪捜査までやるものなのだろうか?
「えっと……」
「言いたいことはわかっておる。ラピス」
「はっ」
ラピスさんは私の前に跪いた。
その動きはいつも通りのきびきびしたものだったけれど、今までのような優雅さよりも軍隊のような厳しさが見えた。
「私はメイド長ではありません。……国王陛下直属の近衛護衛隊の長であります。王命とはいえ、お嬢様に隠し事をしておりました……」
「選択者というのは、周囲から狙われる可能性も高い。ましてうら若き女性の周りに騎士を貼り付けておくわけにもいかぬでな。許せ」
「あー、なんというか、色々納得できたんで、別に怒ってないです。メイド長だと思ってたのが、逆に申し訳ないくらいで」
さて、と王様は悪戯っぽい笑みを浮かべてラピスを見た。
「ラピスよ。王の直属であり、その存在は秘匿すべしとされているお前が名乗ったのだ。もはやその肩書は使えぬものと心得よ」
「はっ。元より私は任務に失敗した身。如何様な処罰も受け入れる所存です」
「と、この者は言っておるが」
言えと言ったのは王様だけれど、ラピスさんはわかっていて自己紹介をしたらしい。
何のためか。
私に対して正直に話して、罰を受け入れるためだろう。
王様は彼女の処分を私に一任すると言った。前に誘拐された時と同じだ。
でも、今回は「問題無し」と言うわけにはいかない。許されたとしても、彼女の居場所はもう無い。
「うーん……じゃあ、こうしましょう」
「決まったかね」
私の答えを待つようにラピスさんは頭を下げ、王様たちが私を見ている。
「ラピスさん。私の専属になってもらえますか? 護衛兼メイドさんとして、まだまだこの世界に不慣れな私を支えてもらいたいんです」
「えっ」
おお、ラピスさんが驚いて顔を上げた。彼女のこういう表情は初めて見る。
「ふふ、良かろう。許す。今回表立って動いた部下たちと共に、王妃の専属として励むが良い」
「一件落着ってことね!」
再び顔を下げて肩を震わせているラピスさんに私が近づくと、その前にローラさんが抱き着いてきた。
「それじゃ、やり直しね」
「何をです?」
「決まっているじゃない。次の王様の指名よ! ……誰を選ぶか、もうみんなわかっているんだけれどね」
忘れてた。そんな儀式の最中だったんだ。




