12.大げさではありませんか?
オブシディアンさんと話をした後、私は眠くなるまで日記を読み進めていた。
翌日も起きてからずっと、日記とにらめっこをしていた。
崩し字に慣れてきたのと平仮名が多かったのもあって、ある程度の文字が判別できれば、それなりにすらすらと読めるようになった。
そしてわかったことがある。
王妃様は決して王様のこともこの国や世界のことも恨んだりしていなかった。
「……『騒動が終われば穏やかな日々が待っていた。暖かな部屋に豊かな食事。気遣ってくれる夫もいる』かぁ……。王様を恨んでいるなんて全然書かれてない。むしろ幸せそうで羨ましいくらい」
王妃様はこの世界に来て初めて顔を合わせたのが王様だったらしい。
偶然顔を出しただだった王様を見て、王妃様は知らない外国人がいると思って悲鳴を上げてしまったらしい。
若い頃から厳つい顔だった王様は、それがしばらくショックだったみたいで、結婚してしばらくしてからその話を聞いて、王妃様は謝りながらも可愛らしいと思ったらしい。
戦争は無かったけれど、ある日に王様は貴族同士の諍いに巻き込まれ、暗殺の危機に陥ったこともあったらしい。
その時に色々と王妃様も手を尽くしたらしいけれど、あまり詳しいことは書かれていなかった。ただ、色々と日本で得た知識が役には立ったらしい。
王妃様は表に出ることはほとんど無かった。
目立つべきは王である夫であり、王妃様はただ彼の傍に立ち、問われるまでは意見を言わず、その意見も余人が見ている前では決して言わなかったらしい。
典型的な“夫を立てる妻”として過ごしていたのを、王様は不満があるものだと感じていたのだろう。
ふと、私はどうしたいのだろうかと思った。
「ラピスさん」
「なんでしょう?」
「いい王妃様ってどんな感じなのかな」
「質問の意図がよくわかりませんが……」
彼女はしばらく考えて、一般的な答えとして民衆に対して公平であり、夫である王を支えることができる人物では無いかと答えてくれた。
ラピスさんの答えを聞いて私は納得できたけれど、じゃあそれを自分ができるかどうかは未知数だった。
椅子から立ち上がって、背伸びする。
ワンピースが足や胸元に擦れながら行き来する感触は、まだ新鮮に感じた。
身体を動かせる自由。自分の意思で物事を決める自由。将来を選ぶ自由。
「普段はお城から出ないものなの?」
「公務として領地の視察をされる場合もございますが……」
ライト王国では……というより、日本では昔もそうだったと思うけれど、表向きの政治は男性が、城内のことは女性が取り仕切るのが主になるそうだ。
王妃様は城内のことも使用人たちのやりやすいように、というタイプだったそうで、特に我儘を言うことも無かったらしい。
ラピスさんが城内で働き始めた時には王妃様はすでに亡くなっており、あくまで伝聞でしかないそうだけれど。
「ふああ……」
「そろそろお休みになられますか?」
「うん。そうする」
着替えを済ませ、ベッドへと横になる。
いよいよ明日は、私が次の王様を……私の夫になる人を指名する。人生の大きな決定をたった数日で決めてしまってもいいのかどうかも気になるけれど、あまり長く考えても仕方が無いし。
少しだけ緊張するけれど、生まれ変われたようなものだと考えれば、これから先を楽しもうという余裕も出てくる。
そう。きっと前の王妃様も新しい世界での新しい人生を楽しんでいたんじゃないだろうか。明日は王様に日記の話もしよう。
文字とにらめっこしていたこともあって、私はすぐに眠りに落ちた。
☆
そして迎えた翌日。
朝食を済ませたところでラピスさんから最初に謝罪を受けた。
「申し訳ありません。諸事情ございまして、宣言までの間は他の者たちにお嬢様のお世話を任せることになりました」
「えっ、本当に?」
宣言というのは大げさじゃないかと思ったけれど、それはさておいてラピスさんがいないのは少し不安だ。
代わりの人たちを紹介された。
彼女の代わりと言いながら何故か三人もいる。
「これくらいの人数は必要でしょう」
「でも、単に王様たちに誰を選ぶか言いに行くだけでしょう?」
「だからこそです」
忙しいというラピスさんをあまり引き留めて迷惑をかけてもいけないので、話はそこで終わった。
メイド長の仕事は三人がかりじゃないとできないってことかな。
そう思っていると、いつの間にか三人のメイドさんたちに包囲されていた。
「えっ? 何? 何するの?」
二人が両脇から私の服に手をかけ、もう一人は背後に回って小さな踏み台を使って私の頭を上から見下ろしている。
「失礼します」
「お嬢様、両手を前に出していただけますか」
「御髪を整えさせていただきますので、そのまま動かないようにお願いいたします」
次々に言われるまま、人形のように従っていいると、あれよあれよという間に服を脱がされ、コルセットを付けられて締め上げられた。
「ぐええ……も、もっとソフトに、優しく……いたたた……」
髪の毛もさっくさっく持ち上げられてはぺたぺたと整髪料で固められていく。
頭が重たくなるほどに大量のクリームをつけて固められた上に、きらきらとした宝石をちりばめたティアラを乗せられて丁寧に固定された。
髪の毛にしっかりと取り付けたそれは大部分が金でできているらしく、ずっしりと重い。
さらには服装も初日に着せられたようなドレスよりもさらに派手で、濃淡のある青色でデザインされた上に何層もの白いフリルがあしらわれたスカートは長く、床に着いた部分からは後方へと長く伸びて足元を完全に隠すデザインになっている。
胸元も開いていない。他の部分と違って白い布でシンプルな見た目の胸元には、首からいくつものネックレスが提げられた。
周囲にあるドレスの青と違い、こちらは赤い宝石を中心にセットされていく。
「いや、これはちょっと大げさなんじゃ……」
「とてもお似合いですよ」
「そういうことを言っているんじゃなくて」
「靴もこちらにご用意しております。右足からよろしいですか?」
「ヒール高すぎないですか? こういうの履くのは初めてで……」
「失礼します。メイクをいたしますので目を閉じていただけますか?」
とっても間抜けな姿じゃないだろうか。
ネックレスだけでなく両手に指輪やブレスレットを飾られ、目を瞑ってメイクをされながら片足立ちになっている。
その後、ぷるぷると震えながらどうにか耐えきった私は、慣れないヒールで恐る恐る歩いて指定された会場へ向かう。
王族たちと集まるために二度ほど使ったあの部屋では無いらしい。
左右と後にメイドさんたちを従え、スカートの裾を持ってもらい、三回くらい転びそうになりながらようやくたどり着いた場所は、いわゆる謁見の間という場所だった。
「ふあああ?」
体育館にもなりそうな広さの室内は、三階建ての高さはあろうかという天井や壁に無数のステンドグラスが施されており、室内だと言うのにとても明るい。
これで誰もいなければ、精緻な模様が施された窓を一つ一つ見るだけでも充分楽しめそうな場所だ。
でも今の謁見の間は、沢山の人がずらりと並んでいる。
「ど、どどど……?」
「どうぞ。堂々と正面をお進みください」
混乱している私に、メイドさんの一人が告げた。
見たことも無いおじさんやおばさんたちがずらりと並ぶ。その誰もが金刺繍やアクセサリーで着飾り、パーティーにでも出席するかのような出で立ちだった。
立派な髭を蓄えた人や、でっかい宝石があしらわれた指輪をしているご婦人もいる。
貴族の人だと一目でわかるほど、雰囲気が違った。
そして、その誰もが私へと視線を集中させている。
数百人はいるだろう全員が、中央を貫く緋毛氈を挟んで整列し、私の一挙手一投足を見逃すまいと凝視していた。
大人数がいるのに誰一人として一言も発さない空間は異様で、足がすくむ。
視線を挙げると、私の真正面、数十メートル先の壇上に王様が座っていた。
背の高い、光を孕む金と燃えるような緋色を組み合わせた王座は、まるで彼のためにあるかのように王様と共に存在感を放っている。
そしてその傍らにはウヴァロさんが立ち、他の王子たちやローラさんも壇上にいて、私を待っていた。
「“選択者”様がご来場されました」
「うむ」
ウヴァロさんが王様に告げると、おもむろに立ち上がった王様がゆっくりと右手を差し出した。
「こちらへ。貴女の気持ちをお聞かせいただきたい。そしてこの国を統べるべき人物を選び、その理由を教えてもらいたい」
「わ、わかりました」
ここまで来て「やっぱり無理です」は言えなかった。
王妃様の日記にはこんなこと書いて無かったはずだけれど、どこかで見逃してしまったのか、王妃様にとってはこの程度なんてことなかったのかも知れない。
だとすると、王妃様の心臓は間違いなく私の数百倍強い。
「この場にいるのはこの国の貴族たちだ。彼らが選択者の言葉を確かめる証人となる」
「大げさじゃありませんか……?」
「国の大事である。急ぎ駆け付けた者たちもいるが、連絡が間に合わず半数は間に合っていない。これでも少ないくらいだとも」
私が召喚された時点で、国中の貴族へとお触れが回ったらしい。
政務などで王都に滞在している貴族家当主は多いそうだけれど、地方にいて連絡を受けた貴族たちも急いで参集したらしい。
三段ほどのステップを挟んで私と王様が話している間にも、謁見の間へと数人が入って来た。中には肩で息をしている年配の方もいる。
「さあ。上に来て私の隣に」
「うう……はい」
王様に促された私は、震える足でステップへと踏み出した。
ふと視線を向けると、オブシディアンさんと視線がぶつかる。緊張している様子で、ぎこちない微笑みを向けてきてくれた。
私はもっとガチガチにこわばった笑顔になっているかもしれない。
背中に沢山の視線を感じながら、メイドさんたちに手伝ってもらってゆっくりとステップを上がっていく。
慣れないヒールで慎重に歩く姿は滑稽じゃないだろうか。
それだけでも、とても恥ずかしい。
オマケに今から「この人と結婚します」と宣言するわけだけれど……。
「うわ。そう考えるとめちゃくちゃ恥ずかしい。なんだろうこの羞恥イベント」
「どうかされましたか?」
「あ、いえ。大丈夫です。大丈夫」
つい口を出た独り言で、メイドさんの一人に心配されてしまった。
カツ、カツ、と音を立ててヒールを床に触れさせつつ、あまり体重をかけないように気を付けながら進む。
たった三段が、とても長く感じた。
壇上へ立ち、王様に言われるまま振り向く。
少々高いだけの場所だけれど、ずらりと居並ぶ貴族たちの顔と私一人の引きつった笑みが向かい合う。
「では、次代の王を告げて欲しい」
王様が言うと、誰かが息を飲む音がした。
私も同じように固唾を飲み、緊張で喉が渇くのを感じながら、口を開く。
「王様の素質があるかどうか、というよりは私が感じる人を惹きつける魅力がある人を選びます。私には政治のことはわかりませんし、まだこの国のことを詳しく知っているとは思えません。それでも、人の社会をまとめるのは、どの世界もどの国でも、人を惹きつける人でなければできないのではないでしょうか」
話し始めると、思ったよりも言葉が出てくる。
一呼吸を置いて、王様へと視線を向けた。
微笑み、頷いている彼を見てから、再びオブシディアンさんに目を向ける。彼もまた、頷いていた。
「理屈だけでは人は動きません。そして責任感の無い人を支えようとは思いません。本人の能力ではなく、能力ある人の話を聞ける人が望ましいと思いました。それは、私が自分の夫として見るときにも同じです」
だから、と続けようとしたところで、並んでいる貴族たちの中から一人の若い男性が緋毛氈の上へと踏み出した。
何か言いたいことがあるのかな、と私が黙ると、その人は猛然と私に向かって走り出す。
その時になって、私は男性の手に刃物が握られていることに気づいた。
「え、ちょっ……」
王妃様の日記にも、王様が暗殺されかけたエピソードが書かれていたなぁ、なんて状況に似合わないのんびりした思考が流れた。
しかも目の前の人は明らかに私の方に向かってきている。
二度目の人生は数日で、しかも知らない人に刺されて終わりなのか、呆気無かったなぁ、結婚したかったなぁ。
「やらせませんよ」
聞き覚えのある声がしたかと思うと、ステップに足をかけた男性が派手に横倒しになった。
足を払われて転んだらしいけれど、階段の角で側頭部を強打したらしく、頭を抱えて呻いている。すごい痛そう。
「ラピスさん!?」
「ご無事ですか、お嬢様」
どこに潜んでいたのか、ざわつく貴族たちの列から飛び出してきたラピスさんが、倒れた男性の腕を取ってうつ伏せに押さえつけた。
「良かった。ラピスさんありが……」
「油断するな、馬鹿者!」
「うえっ!?」
突然の罵倒。
それは私に向けられたものではなく、私の周りにいたメイドさんたちに向けてのものだったと知るのは、彼女たちの一人が腕を斬りつけられて転倒してからのことだった。
「うぐっ!」
血を撒き散らしながら転倒したメイドさんに驚いている私の前に、血で濡れたナイフを掴んだ男性の使用人さんが立っていた。
その表情は鬼気迫るものがあり、私に向けた敵意を隠そうともしていない。
「ひっ!?」
再び迫る明確な殺意に、私は足がすくみ、バランスを崩したまま膝を突いてしまった。
「王国の敵め! これは救国の刃である! 死ね!」
謂れのない誹謗と共に突き出された刃は、確実に私の胸へと向けられている。
ラピスさんが立ち上がって走り出しているが、間に合わない。他のメイドさんたちは私が転んだことで大きなスカートに足を取られている。
終わった、と思った。
痛いのは嫌だな、と思った。
でも、痛みは訪れない。
私の前に立ちはだかった人物が身代わりになり、腹に突き立ったナイフを掴んだまま、使用人さんを殴りつけた。
怒声と共に拳を振るった人物は、オブシディアンさんだ。
メイドさんたちが殴り倒された使用人さんを拘束すると、彼は膝を突いた。
私に背を向けたままの彼。その足元に血だまりが広がる。
「お兄様!?」
「オブシディアン!」
ようやく我に返った王様とローラさん、そして他の王子たちが駆け寄り、オブシディアンさんの身体を支えて横たえた。
そこでようやく、痛みに耐える彼の顔が見える。
「うっ……」
「オブシディアンさん……!」
「やれやれ……ようやく格好をつける機会が来たというのに、どうも、締まらないな……」
「何を言っているんですか!」
冗談めかして言う彼に、私は本気で怒った。
助けてくれるのは嬉しいけれど、それで自分が大怪我をしていては元も子もない。
騎士さんたちが駆け付け、板に乗せられて運ばれていくオブシディアンさん。
「……私も行きます!」
歩きにくいヒールを脱ぎ捨て、スカートの裾を破り捨てた私は、騎士さんたちと共に走った。
苦痛に呻くオブシディアンさんへ声をかけながら。




