11.あなたの気持ちはどうですか?
翌日、王様や他の兄弟を集めたオブシディアンさんは、以前も集まった会合の場所にて花畑の存在を公表した。
一番反応が大きいだろうと思っていた王様は、ただ沈黙して話を聞いているのみだったのが、なんとなく残念だった。
王様は王妃様を愛していたはずだけれど、その人が遺したものには興味が無いのだろうか。
王様が何も言わないので、同席していた私は他の王子様たちの反応を見ていた。
「ふぅん。やっぱりそういうのが好きだったんだね」
と、カーネリアンさんは淡白な反応だった。
母親の記憶が薄いと言っていたので、あまり実感が無いのかも知れない。
対して、ジェイドさんはその花の種類について興味があるらしい。
「“ジンチョウゲ”と母さんは言っていたが……」
「何かの薬になったりするのか?」
「さあ、そこまでは聞いていないな」
それだけの会話で、ジェイドさんは興味が薄れたらしい。
「なら、母の遺産として保護しておけば良いだろう。我々が使うスペースの一角なのだから、他の貴族連中が文句を言うとも思えない」
「そういう問題じゃないでしょう? もう少しこう、感動とか無いの?」
ローラさんに言われても、ジェイドさんは肩をすくめるだけだった。
彼にとっては母親と言うより前王妃という視点の方が強いのかも知れない。王族が遺したものだから、王族が保護する。
それが当然のことで、それ以上でもそれ以下でも無い。
結局、オブシディアンさんを始めとして私やローラさんからも話をして、その場は特に何も決まらずに解散となった。
沈丁花の花壇はオブシディアンさんの管理となり、今までと何も変わらない。ただ彼が堂々と花の世話をするようになるだけだ。
「知られてしまったなら仕方が無い。道具運びを手伝ってくれた使用人たちに口止めをする必要が無くなった分、楽になったと考えよう」
オブシディアンさんはさっぱりした顔をして部屋を後にし、ローラさんや他の王子たちも部屋を出て行った。
侍従としてついてきていたラピスさんと共に残された私も、一人沈黙していた王様に挨拶をして退室しようとしたのだけれど、引き留められた。
「少し、話をしたいのだが」
「はい。なんでしょう?」
私は王様に言われるまま、彼と向かい合うように座りなおした。
豊かな髭を蓄えた偉丈夫と言った風体の王様は、気難しそうな顔のままで私をじっと見ている。
奥さんである王妃様の秘密を明かしてしまったことが気に障ったのだろうか。
どきどきしながら待っていると、王様が口を開く。
「例の日記の件はどうだろうか」
「あ、はい。ばたばたしていて、まだほとんど進んでいません」
「そうか……」
怒っているわけでは無いらしい。
眉間を丹念に揉み解して、王様は呻くように呟くと、護衛の騎士さんたちにしばらく部屋の外へ出るようにと命じた。
ラピスさんにもしばらく席を外すように言い、私は渋るラピスさんに頼んで王様と二人だけにしてもらう。
静まり返った広い部屋の中、大きなテーブルを挟んで王様と向かい合う。
日本にいたころには想像もしなかった状況だけれど、冷静になってみれば、お城に住むということ自体が普通じゃない。
誰にも聞かれていないことを、ゆっくりと視線を巡らせて確認した王様は、まず私に詫びた。
「妙なことに巻き込んで申し訳ない。ただでさえ不本意な状況に巻き込まれたというのに……」
「それについては、王様の謝罪は必要ありません。王様が悪いわけでは無いですし」
王様はしばらく逡巡してから、低い声で私に尋ねる。
「ひとつ頼みがある」
「なんでしょう」
「日記の中に私への、あるいはこの世界への恨み言が書かれていたとしたら、そのことは私にだけ教えてくれないか。そして、決して息子達には伝えないで欲しい」
親心からの願い。
そしてそれは、奥さんである王妃様がこの世界に呼ばれたことを悲しんでいた、と王様が思っていることの証明でもあった。
彼女はこの世界に来て、私と同じように王子たちの中から結婚相手として慰安の王様を選んだ。
それからは王妃として彼を支え、公務をこなして過ごした。
毎日の花の世話だけは、誰にも頼らずに一人でやりながら。
「正直に言って、あまり自信が無いのだ。余は確かに彼女を愛していた。強制的にこの世界へ送られてきた時からの間柄だが、彼女は余をしっかりと支えてくれた。聡明でありながら、必ず余を立てるように動いてくれた」
それは王様が語る精一杯の惚気だった。
威厳のある表情はほころび、視線は懐かしい景色を思い出すかのようにどこか遠くを見ている。
彼が語る王妃様への愛情は本物だったのだろう。
でも彼は、奥さんが本当にこの世界で生きていて良かったと思っていたのか、自分を愛している彼を愛していたのか。
不安を吐露するうちに王様の瞳は悲しげに俯く。
「妻は余と結ばれた日も、病に倒れた時も、文句ひとつ言わなかった。望みを言うことも少なかったが、不満は何も言わなかった。ひょっとすると、妻は余に大して何の期待もしていなかったのかも知れぬな……」
「そんな……」
そんなことは無い、と言いたかったが、無責任に王妃様の気持ちを代弁するのも違う気がして、私は最後まで言葉を紡ぐことができなかった。
ため息を漏らした王様は、力いっぱい瞼を閉じてから、首を振って一人にして欲しいと告げた。
「失礼します」
「ああ……」
もし私が気の強い人間だったら、不満をもっと言っていたかも知れない。ラピスさんやオブシディアンさんのような人がいなかったら、寂しくて耐えられなかったかも知れない。
「王妃様にとって、誰かそういう人はいたのかな」
私は日記の確認を急ごう、と部屋の外で待つラピスさんと合流し、足早に部屋へと戻った。
☆
その夜、オブシディアンさんが部屋を訪ねて来てくれた。
「掟を考えると、控えていただきたいのですが……」
ラピスさんはそう言って遠慮してもらおうとしていたけれど、私は迎え入れることにした。
彼に対して、私はこそこそと隠し事をするつもりも無いし、今は何よりも彼のことを知ろうと思える。
知りたいと思うことが恋ならば、これがそうなんだろう。
素直にそれを受け入れられるくらいには、私も落ち着いていた。
まだ気持ちを口にするには勇気が足りないけれど。
「ローラに言われてね。もっと君と話をするべきだと」
「そういう時は、嘘でも自発的に会いに来たと言うべきですよ。でも、歓迎します」
流石に未婚の女性の部屋に入るのは良くない、とラピスさんが反対したので、再び裏庭の花畑へ通じる場所へと移動し、そこでお茶会となった。
相変わらずラピスさんの準備は手際が良く、いつの間にか温かいお茶だけでなく、ケーキや焼き菓子まで用意されている。
「何か不自由していることはないか?」
「ラピスさんが色々と気遣ってくださいますから、大丈夫ですよ」
普通に生活していた人ならば、現代日本の便利な暮らしに比べれば電気も無いお城の暮らしは不便なのだろうけれど、病院で閉じ込められたような生活をしていた私にとっては、毎日の美味しい食事や、太陽の光を浴びて庭園を歩けるだけでも幸せだ。
流石にトイレだけはまだ慣れないけれど。
「そうか。彼女は優秀なのだな」
「ええ。流石はメイド長ですね」
「メイド長? まあ、そういう役職もあるんだろう」
オブシディアンさんは首を傾げたけれど、そう言って自分で納得していた。
聞けば、城内で使用人として働いている人は無数にいて、顔を憶えている相手は一握りらしい。
「城での勤めは貴族令嬢としては珍しくない行儀見習いの方法だからね。それこそ入れ替わり立ち代わり、どこかの貴族から娘を勉強させてやってくれと言って送り込まれてくる」
「じゃあ、ラピスさんもどこかのお嬢様なの?」
「私は専属の使用人ですので」
違うらしい。
彼女の返答にもオブシディアンさんは首をかしげていたが、そういう場合もあるのだとラピスさんに言われて納得していた。
確かに、あまりに頻繁に入れ替わってしまうと業務的にも不都合がありそうだ。
「正直に言うと、母が遺したあの花について俺は何も知らないんだ。わかっているのは、名前と育て方だけ。どういう由来があるのか、なぜ花があの花を育てようとしたのか……」
彼は王妃様の日記を私が読み進めることで、彼女の気持ちを知り、残された花畑と改めて向き合う機会になれば、と考えているようだった。
「王子としての使命とか、王家の財産になるとか、そういうものとは違う。役目や地位から離れて、ただ知りたいだけなんだが、そのために時間を使ってしまうことにも罪悪がある。かといって、君に任せてしまうのも気が引けるのだが」
「気にしないでください。私には次の王様を選ぶ仕事がありますけれど、基本的には時間があります。また誘拐されたりしなければ、そこまで時間がかかるものでもありませんよ」
「強いな、君は」
冗談のつもりだったけれど、彼は少し苦しそうに笑った。
彼が私のことを気にかけているからこそ、たとえ無事に救助されたにしても、彼にとってはとても心配な出来事だったことに変わりはないのだから。
恥ずかしそうにそれを伝えてくる彼に、私は愛おしさを感じる。
「そうだった。ローラに言われたのもあるけれど、この際だから聞いておこうと思ったことがあるんだ。その、はっきり聞いて良いのかも分からない。けれど、これだけは確かめておこうと思って……」
「はい。何でも聞いてください」
私は彼に対して正直であろうと思っている。
王様が苦悩する姿を見たことも影響しているけれど、彼を私のために悩ませたくないから。
「ありがとう」
お礼を言ってから、居住まいを正したオブシディアンさんは、咳ばらいをしてから切り出した。
「君は、この国の、あるいはこの世界のことを嫌だと思っていないだろうか」
彼の不安は、王様と同じだった。
親子で良く似た瞳。普段は厳しい表情に見える彼は今、優しくて不安な色を帯びた視線で私の答えを待っていた。
「最初は戸惑いました。私がいた場所は病院で、こことはまるで違う環境にいたんですから。わからないことだらけで、訳も分からないうちに“王子様の誰かと結婚しろ”だなんて、勝手過ぎます」
「すまない……」
「ですが、別に嫌じゃありませんよ」
ハッとした顔をするオブシディアンさん。
彼は公務の時や良く知らない人物と話すときはむっつりとしているけれど、慣れた相手と話すときは意外と表情豊かになるみたいだ。
「ラピスさんも、ローラさんも……それにオブシディアンさんも王様も、みんな良くしてくれます。選択者として大事に扱わないといけない相手だということもあるでしょうけれど……」
「そんな理由じゃない!」
急に大声を出したオブシディアンさんに、今度は私の方が驚かされた。
零しかけた紅茶を置くと、彼は頭を掻いて息を吐いた。
「あ、大声を出してすまない。だが俺もローラも、それにそこのラピスもそうだと思うが、別に君が選択者だから大事にしているわけじゃない。もし君がとても性格が悪い人物であれば、誰もが事務的に接しただろう。そうだ、君が誘拐された時のことを俺の侍従から聞いたんだが……」
「閣下」
「いいじゃないか。俺は伝えるべきだと思う」
ラピスさんが珍しく口を挟んだが、オブシディアンさんは意地悪な笑みを浮かべて話を続けた。
「君の姿が見えないとわかったとき、ラピスは風のような速さで騎士たちを動かして君の捜索を始めたそうだ。父や俺たちに連絡が入った時点で、すでに捜索は城の全体に広がっていたよ」
倉庫から火が出ているとわかった直後には、ラピスさんは現場に到着していたらしい。
騎士たちから槍を借りて金具を破壊し、なんと扉を蹴り飛ばして開けたのも彼女らしい。細い身体のどこにそんな力があるんだろう。
「君が気絶してからラピスは君を抱えて部屋へと運び、着替えや足の手当も彼女がやったんだ。城詰めの医師が見ていたようだが、見事な手際だったらしい」
「その程度のこと、侍従として当然の技術です」
「……俺の侍従には無理だと思うが」
呆れたように語るオブシディアンさんだったけれど、私はラピスさんに抱き着きたい気持ちを押さえるのに精いっぱいだった。
どうして彼女はここまでしてくれるのだろう。職業意識もあるのだろうけれど、それだけでここまでできるものなのだろうか。
「あまり人の恥ずかしい逸話を語るのは……」
「恥ずかしい? 俺は君に嫉妬しているんだよ」
私に一瞬視線を向けた彼は、頬を染めてすぐに目を逸らした。
「君の拳を避けられないような情けない男だが、ありがたいことに人に命令ができる立場にある。……困ったことがあれば何でも言ってくれ。おやすみ」
「はい。その時は遠慮なく頼りにさせてください。それじゃ、おやすみなさい」
オブシディアンさんが席を立って去っていく。
その後ろ姿を見送った私は、紅茶を下げようとするラピスさんに告げた。
「決めた。明日にはもう選んだ相手を王様に伝えます」
「……よろしいのですね」
ラピスさんの確認は、否定的な響きではない。後悔しないかどうかを確かめるための、私を気遣っての言葉だった。
ありがとう、と彼女に伝えた。
「どうしたらいいの?」
「王族の皆様に集まっていただく準備をしておきます」
「何度も仕事を中断させちゃって、申し訳ないけれど……」
「何をおっしゃられるのです」
私のために集まってもらうというのは忍びないと思っていたけれど、ラピスさんはそれをあっさりと否定した。
「次代の王が決まるのです。他の何よりも優先されるのは当然のことでしょう」
「そういうものなの?」
「そういうものです」
結婚するのはいいけれど、王妃になることについては、もっと勉強しないといけない。
まだまだ大変な日は続きそう。




