10.夜中に何をしているの?
「なんだかわくわくしない?」
「いいのかなぁ……」
見える距離で後をつけて見つかってしまってもいけない、とラピスさんに説得され、私とローラさんはかなり離れた場所で待っていた。
ラピスさんが尾行して、行き先を突き止めたら戻って来るらしい。
結局、私の部屋の前は通り過ぎてしまい、別の方向へと向かったのだけれど、それこそ密会のための秘密の場所があるのだ、とローラさんは鼻息が荒い。
「待って、待って。考えたらここは王族のための生活スペースで、他の人はまずはいれないんですよね?」
「そうよ。だから相手は使用人の誰かじゃないかと思うのよ。貴族が相手ならまだしも、使用人との逢引きなんて、見つかったらその使用人は大変よ」
私からすれば普通の職場恋愛じゃないの、と思うけれど、そう単純な話でもないらしい。
王子との関係が認められれば側室として、あるいはもっと地位の低い側娼あたりに収まることができるかもしれないが、そうでなければ犯罪者として家族もろとも国外へ追放される可能性すらあるらしい。
「特に今は“選択者”が現れて、王族周辺に対して視線が集中している敏感な時期よ。お父様がどう考えるか、それに、貴女がどう感じるか、ね」
「私が?」
「当然でしょう。貴女の不興を買うことをお父様も、王族の周囲にいる高位貴族たちも危惧しているのだから」
何故だろう、と私が首をかしげると、ローラさんは「当たり前でしょう」と可愛らしく唇を尖らせた。
「貴女が王を決めない限りは、お父様も譲位できないし、万一にも王座が空位になることがあれば、国は混乱するのよ?」
早いうちに次の王を決めてもらった方が、そのための準備に進むことができて助かるらしい。掟として指名方法が決まっている以上は、滞りなく権力の移譲が完了することにみんなが気持ちを向けるらしい。
それでも期限が決まっていないのは、選択者を急かして誤った判断をしないためであるとされているらしい。
「たった三人なんだし、スパッと決めちゃっても良いのよ?」
「そんな簡単にはいきませんよ」
「そういえば、もうカーネリアンは候補から外れちゃったみたいね」
「……どうしてそれを?」
「わたくし、結構暇なのよ」
女では国の要職に就くわけにもいかず、国内の高位貴族や外国の王家に嫁ぐ予定のローラさんは、碌に機密も知らされることがないままに日々を過ごしている。
どうせ外に嫁に出るのだから、王族の秘密を知る必要は無く、むしろ知られてしまっては困るというわけだ。
そんな彼女でも接触できる数少ない王族の秘密が、王妃様の記録なのだ。
「そして、城の中の噂話を集めたりしているのよ」
「でも、カーネリアンさんは周りに聞かれにくいからってわざわざ庭園を選んだわけで……」
「庭園でも護衛がいたでしょう? そういうところで話は伝わるのよ」
ローラさんの言葉に、後ろから小さなため息が聞こえた。
「あ、ラピスさん?」
「オブシディアン様が向かわれた先がわかったのですが……王族の秘密を軽々しく口にするというのは……」
「あら。そういう噂話は彼らにとって緊張をほぐす一つの手段なのよ。多めに見てあげなさいな」
「しかし、仮にも王城で勤める騎士として……」
ぴっ、とローラさんの白くて細い指がラピスさんの口を押えた。
「締めるところは締める。それは大事よ。でもそれだけじゃあ息が詰まるじゃない。彼らだって大人だし、立派な騎士よ。話す相手はちゃんと選ぶわよ」
「それはわかりますが……」
「失敗したらちゃんと責任を取らせればいいのよ。それだけ。それで、お兄様はどこへ?」
一方的に話を打ち切られたラピスさんは、何か言いたげではあったけれど、王女を相手に言い合いをする気は無いようだった。
諦めて、オブシディアンさんの行き先を告げた。
「裏庭です。小さな花壇のところに向かわれました」
「そんなところあったかしら? とにかく、そこが密会場所なのね。それじゃ、行きましょう」
手を掴まれた私は、足が重く感じた。
なんとなく、見たくないという気持ちが強い。
「どうしたの?」
「やっぱり、知らないままにしておきませんか? 私はオブシディアンさんが誰と付き合っていても気にしないし」
「それは本心からの言葉かしら」
ローラさんの両手が、私の頬をぎゅっ、と挟む。
細腕なのに結構な力で固定されて、視界にはローラさんの顔がアップで映っている。
「貴女は私に言ったわ。『ほんとに愛し合っている相手がいるなら、私は邪魔になる』と」
「そんなこと……」
言ったような気がする。
つい昨日の出来事だ。オブシディアンさんに密かに付き合っている恋人がいるかも知れないと考えた時、私は身を引こうと思った。
変な話だ。私は彼を選ぶとは決めていないのに。彼が私を求めているわけでもないのに。
「素直になりなさいな。貴女が前の世界でそれはそれは窮屈な生活をしていたのか聞いたけれど、恋をしたことも無かったのね」
ローラさんは私の身体を抱きしめて、背中をさすってくれた。
暖かな感触。
この世界に来てから、抱きしめられたのはこれで二度目だ。
慰められながら、気を遣われながら。
「でも、私はまだオブシディアンさんのことをよく知らないし、好きかどうかなんてわからない」
「そうかもね。でも妹から見てもお兄様は顔だけは良いと思うのよ」
思わず敬語を忘れてしまった私に、ローラさんは変わらず笑顔を向けてくれた。
でも、顔だけというのは酷い気がする。
他にもいいところはある。
王国のために色々考えていて、私の意見も女性の言葉だからと無視したりせず、しっかりと耳を傾けてくれた。
家族想いだし、見た目は威圧感があるけれど、意外と気遣いもできるし。
思いつくままに並べていると、ローラさんがいつしか肩を震わせて笑っていた。
「驚いた。この短期間でお兄様をとても良く見ていたのね」
「う……」
顔が熱い。
いつの間にか熱っぽく語っていた自分が恥ずかしくて、それに驚きもあった。私はこんなにも彼を評価していたんだと。
「ならばなおさら、しっかりと確かめましょう。貴女が本当に兄を想っているなら、その気持ちに決着をつけなくちゃ」
一呼吸おいて、私は頷いた。
☆
王族が住むエリアを抜けたところに、人が立ち入らない裏庭がある。
そこは特に利用目的があるわけでもなく、時には王子たちが秘密の訓練を行い、あるいは逢引きにも使われたのだろう。
殺風景な場所は城の壁と防護壁に囲まれていて、何も無ければ単なる空き地でしかない。
でも、そこは今、確かに花畑になっていた。
「こんな場所があったのね……」
「まず使用されることが無い場所ですので……」
ローラさんの言葉に、ラピスさんがクールに返している。言葉は冷静でも、視線は釘付けになっていた。
広いリビングルーム程度の広さの裏庭は、中央の大部分が花畑になっていた。
ほとんどはまだ蕾だけれど、一部は濃淡のあるピンク色の小さな花が集まるように咲いていて、それが無数に並んでいる。
そして、記憶に新しい香り。
花畑の片隅に、男性が背中を丸めて跪いているのが見えた。
作業のために置かれているのか、庭の片隅に置かれた篝火の灯りが、その姿を仄かに照らしている。
女性の姿は無い。
彼はただひたすら、小さな雑草を一つ一つ手でむしり取っている。
「お兄様?」
ローラさんが声をかけると、男性は驚いたように勢いよく顔を上げた。
目を見開いて私たちを見ているその顔は、間違いなくオブシディアンさんだ。
頬のあちこちに土を付けて、手には先ほど引き抜いたばかりの雑草を掴んでいる。王子様にはとても見えない姿だが、不思議と彼に似合っている気もする。
「ローラ? それに……君もか」
「何をしているの? ここは何なの?」
「落ち着け。……見つかってしまったなら仕方がない。ちゃんと説明する。少し待ってくれ」
片隅に置かれた棚に除草のための道具を置き、瓶からくみ上げた水で手を洗い、濡らした布で顔を拭う。
軽く汗ばんだ首筋をさっと拭き上げて髪をかき上げると、いつものオブシディアンさんの姿だった。
「後をつけてきたのか。趣味の悪いことをする」
「それが女心というものですわ」
ローラさんが断言すると、オブシディアンさんは私に視線を向けた。
「わ、私にはわかりません! ……でも、貴方が何をしているのか気になったのは、確かです……」
「気になった、か。そうだな。この場所については君にも知ってもらいたいと思っていた。丁度いい機会だと思おう」
場所を変えよう、と言って私の横を通り過ぎた彼の身体からは、昨日と同じ、良い香りがした。
女性の香水の移り香じゃなかったんだと思うと、少し心が落ち着いてきた。
そして同時に自覚する。彼に惹かれていたんだと。
裏庭へ出る直前の場所に、小さなテーブルがある。
多少古ぼけてはいるけれど、そこは王城らしくしっかりしたつくりで、丁寧に掃除されているものだった。
そしていつの間にかお茶の用意ができている。
ラピスさんが見張り役の人に指示してセットを用意させたらしい。それも裏庭へ入った時点で、こうなることを見越して。
恐るべしメイド長。
「驚いた。尾行されているなんてまるで気づかなかった」
「お兄様が相手なら、子供でも簡単ですわ」
「お前な……」
ローラさんはオブシディアンさんに関して政治的な信条や性格は評価していても、身体的な能力についてはあまり信用していないらしい。
思わず笑ってしまった私に、オブシディアンさんは怒るでもなく、ただ恥ずかしそうに頭を掻いた。
「俺のことは良いから……あの庭のことだ。あれは、母の形見のようなものなんだ」
「お母様の?」
王妃様がこの世界へとやってきた時、たまたま服の中に入れていた実から種を取り出し、城の裏庭を使わせてもらって栽培を始めたらしい。
最初は彼女の思い付きだったものが、いつしか元の世界との繋がりを感じる大切な場所になったのだろう。種から芽が出て、最初の株たちから差し木をして増やしていくうちに、道具も揃って、小さな花畑が出来上がった。
表にある立派な庭園とは比べ物にならない規模だけれど、王妃様は毎日のように公務の合間を縫ってここを訪れては、丁寧に世話をしていたそうだ。
「全ては、当時城に勤めていた者たちから聞いた話なんだ」
「わたくしも知らないことだわ。なぜお兄様だけここのことを?」
「……母から聞いた」
病に臥せった王妃様は、自分が死んだ後のことを考えたのだろう。
日本から持ち込んだ花。育てる者がいなくなって絶えてしまうことを危惧した彼女は、長兄のオブシディアンさんにこの花畑のことを話した。
「偶然かも知れない。他の三人はまだ物心がつく前だったのもあるかも。……だから、そんな顔をするなローラ。別に意地悪で伝えなかったんじゃないんだ」
「わたくしだって、お母様のためにこれくらい……」
「すまなかった。お前にはもっと早く伝えるべきだった……。お前の気持ちは知っていたのにな。すまない……」
繰り返し謝るオブシディアンさんが手を広げると、泣き出したローラさんは彼の胸に拳を何度も当てて、それから抱きしめられるままに彼の胸に額を押し付けた。
しばらくして落ち着いたローラさんが、新しい紅茶に口をつけて話の続きを要求すると、オブシディアンさんは微笑む。
「母が動けなくなって、俺がこの花の話を聞いて、それから数年後に亡くなって……その頃からは毎日のように俺が時間を見ては畑の世話をしていたんだ」
王妃様にとっては望郷の場所であり、彼女に取って狭くとも自由な場所だったのだろう。
しかし、オブシディアンさんは、別に世話をしてくれと言われたわけでは無いらしい。
ただこの場所の存在を。花の育て方を彼に伝えた上で、どうするかは彼自身の選択に託した。
しばらくは畑をどうするか悩んだ彼は、母親の意志を継ぐように花の世話を始めた。
「最初は不慣れな作業続きで苦労した。王族の自分がやるようなことじゃないとも思った」
それでも彼はひっそりと花の世話を続けた。
道具をひっそりと増やし、花の数も増やしてみたらしい。失敗して枯らすこともあったけれど、王妃から引き継いで以来、花畑は倍近い広さになったという。
自分だけが母親とまだ繋がっている感じがして嬉しかった彼は、作業が終われば丁寧に身体を洗って香りを落とすようにしていたし、作業も人目に付かない夜間や早朝を選んだ。
「全然気が付かなかったわ」
「それだけ慎重にやったんだ」
私の誘拐騒動から突然の招集を受けたことで、しっかりと香りを落とす時間が取れず、私やローラさんに勘ぐられることになった。
「それで、俺の疑いは晴れたか?」
「ええ。でもまだ終わってないわよ。今後はわたくしのお花の手入れを手伝うわ。嫌とは言わせないわよ」
「わかった。わかった」
言い出したら聞かないからな、とローラさんの希望を受け入れたオブシディアンさんの顔は、気難しい様子は少しも見えない、穏やかで優しげな笑顔だった。
やっぱり家族なんだ、と笑いあう二人を見ながら私は寂しさと共に希望を感じた。彼らの家族になりたいと思った。
王族になりたいんじゃなくて、家族に。
そして思い出す。
王妃様の家族はこの二人だけじゃない。
「あの、他にも伝えないといけない人がいると思います。この花畑のことを」




