中編
もっている扇をぱちりぱちりと、鳴らす。
目の前には勝手な将来を夢見てこちらにあからさまに冤罪吹っかけてきている馬鹿二人。
来賓席には(白目をむいた)両陛下、そしていつの間にか私の両親。
周囲はざわざわささやきあう狸たち(この国の貴族たち)、子狸たち(学院の生徒たち)
奥のほうには気遣わしげな楽団たちも見える。(茶番が終わるまでは演奏も再開できないだろう)
殿下を支え、国を支える良妻賢母になるという私の将来は今さっき潰えてしまったようだけれど、オーガスト家のため、この国の将来のため、ここが正念場よ、アイビー。
この国を、民たちを誰よりも愛している。宰相家たる我が家に誇りを持っている。
自分の為に手段を選ばず人を陥れることを真っ先に選択したやつらに負けてはいけない。
とりあえず、さっさとこんな茶番を終わらせよう。
「まあ、それでは、この私があなたを階段から突き落としたと、そうおっしゃいますのね。エリカ・マーチ様」
「だから、そうだと言っているだろう!」
「殿下は、少々お静かにしていて下さいまし。私は今この方とお話をしておりますの」
「な……貴様、不敬だぞ! 次期国王たるこの私に向かって……!」
プライドが高い殿下は、怒りでふるふる震える。それはそうだろう。今まで周囲に傅かれて生きてきた人だ。耳触りの良い言葉を吐くものばかりを重宝し反対に自分に意見する者を鬱陶しいと遠ざけてきたのだ。幼い頃より折に触れ言い聞かせもしたが、殿下は完全に私を後者だと断じてしまった。いつか自分で気づくだろうと傍観に徹してしまった私たちの落ち度ではあるが、これでは、あまりにも。
「衛兵! ひっ捕らえ――「あら、私の首でも刎ねるおつもりですの、アルメニアクム殿下」
私の言葉に殿下がぐっと詰まる。耄碌王子といえど思い出しただろうか。
確かに、王族には自分たちの権威を守る為に不敬罪というものが制定されている。
王族の権威が失墜してしまえば国は内から瓦解してしまう。仕方のないことだろう。
しかし、そんな便利な不敬罪といえど、いえ、であるからこそ、簡単に使うべきではないと教育を受けているはずだ。
王族が王族足るためには貴族の上下関係を軽んじてはいけない。王家から賜る爵位が意味を無くせば、誰が王家に忠誠を誓うだろう。貴族の身分が軽んじられ王族の権威が揺らぐことがあれば、この国の絶対君主制も崩壊する。そのためいかに王族といえど平民や男爵程度ならまだしも自らの真下に存在するような高位貴族に理由無く不敬罪という物を使うべきではない。
そして、王国建国時から連綿と続く由緒正しき公爵家、過去に王家と何度も婚姻を結び、代々宰相を勤め上げてきたオーガスト家。国に三家しかいない公爵家が一家。平たく言えば王家に次ぐ権威を持っている。王様の次くらいに超偉い我が家。
そこの、娘を。ましてや、元がつきそうとはいえ婚約者を。
怒りに任せて嫌疑もあやふやなまま、たった一言、王族を軽んじる発言をしたという理由で不敬罪などという力任せなやり方をすればどうなるか。
王国中のこの場に集まる貴族達の頭に浮かぶのは次代の恐怖政治だ。
その身の貴賎に関わらず、発言ひとつ違えば首を刎ねられる。
明日は我が身。その思いはこの国の臣民すべからく他人事ではなく。
貴族達がこぞって反旗を翻す。そしてその筆頭はおそらくこのオーガスト家だろう。
まあ、そもそもだ。
陛下の御前である。現宰相の私のお父様も見ている。
二人の進退にも関わる話だ。黙っているはずがない。
私の物言いもたいがいではあったがそれについては突然の婚約破棄で混乱してしまって よよよ……
となんとでも言える。
(よよよではらはらと泣き崩れる予定)
そのどこまでがこの馬鹿(もはや敬称すらも惜しい)に通じたかはわからないが、とりあえず馬鹿(殿下)は衛兵を呼ぶのをやめた。代わりにエリカ様が前に出てくる。
輝かしい未来はもうすぐだと、先程までの悲しみはどこへやら、随分と意気込んでいる。
さて、先制を。
「では、あらためて。はじめまして、エリカ・マーチ様。私オーガスト公爵家が長女、アイビー・オーガストと申します。以後お見知りおきを」
男爵家は公爵家からすれば格下の家格のため、意識してゆったり優雅に略式の淑女の礼をする。とはいえ、その洗練された仕草に、周囲の貴族から感嘆のため息が漏れる。よし。
勿論、あからさまに喧嘩を売っている。
先程まで話してはいたが、馬鹿が口を挟んできていたからちゃんと話すのは初めてだ、今更感漂う自己紹介は一応おかしくない。
そして、この国の貴族制度では爵位が基本的に爵位が上の者から話しかけなければ、下の者は話しかけないことになっている。
いわれずともな事ではあるが、思いっきり上からの挨拶で今はまわりの貴族達にどちらが上であるかを知らしめているのだ。
「え、ええ……エリカ・マーチです」
困惑してる。意味がわかっていないのか。
例え殿下が許そうと、正式に陛下が婚約を破棄するまでは私は次期王子妃であり、あなたは只の男爵家令嬢よ。
私の真似をして簡易的な返礼をしてきたエリカ様はやはり貴族としてのマナーがなっていないと周囲の貴族達が眉をひそめる。家格に差があるためここは当然最上級の礼を返すべきところだ。
「それで、エリカ様。順を追って説明していただけますでしょうか。申し訳ないのですが先程の説明では私少々わかりませんでしたの」
困ったように首を少し傾げる。
「まず、私がエリカ様を呼び出しまして、私が親しくさせていただいてる方々と揃って貴方を詰ったんでした?」
「ええ、そうです!」
「どなたでしょう?」
「え?」
「ですから、私はどなたと共に貴方とお話をしたんでしょう?」
「そ、それはいつも一緒にいる……」
ふむ。なんというつもりだろう。私が親しくお付き合いをさせて頂いているといえば、伯爵令嬢のグロリオサ様かしら。それとも、侯爵家のマグノリア様か。
「顔が、見えなかったのでどなたかはわかりません……」
どなたでもなかった。
なんだそれ。
「わ、私身分の高い方々に囲まれて怖くて怖くて…ずっとうつむいていたので……」
へーえ、私の顔はばっちり見えて、一緒にいた方はどなたかもわからない、と。
そうですかそうですかそうですか。
うつむいて肩をふるわせるエリカ様。すかさずその肩を抱いて慰める殿下。大丈夫だ。私がついているよ、とかなんとか。一生言ってろ。おっとおほほ。
「まあまあ、お痛わしい。では罵声とは、具体的になんといわれたのですか?」
かつてない棒読みだ。一応聞いておいてあげよう。
「あの、殿下に相応しくないとか、目障りだとか……」
ふむ。その通りではないか。その程度で罵声が辛いとは笑わせる。貴族というものをなんだと思っているのか。言われたくなければ周囲を黙らせるほどに自分を磨くしかないでしょうに。
貴族でありながら事実を言われてお涙頂戴とは、笑わせる。
「それは、さぞかしお辛かったでしょうに。ですが、お相手がどなたかもはっきりせず、高位貴族の令嬢であるならば、残念ですけれども処罰の対象にはなりませんわね。たとえば仮に、もし仮に、私がそのようなことを行ったとして、どのような問題がありまして?」
そんな事実はないが、この段階で言った言わないの議論をしても無駄だし、私は仮にも殿下の婚約者だ。自分の婚約者に必要以上に近づく女性に、優しくする必要があるだろうか。
貴族達の反応も薄いものだ。立場は違えど誰もが大なり小なり経験のあり、それが学院という閉鎖された空間であるならばなおのこと。
エリカ様も殿下も、言葉を探しているようだが言い返せない様子。
「申し訳ありませんが私はそのような事をした覚えは一切ありません。はっきりと否定させていただきますが、信じていただけないにしろ、問題視されるほどのことではない、と。この件は以上でよろしいですわね」
「そ、そんな……」
「自分のしたことを認めず、エリカをこんなにも傷つけて問題ないと言い切るとはなんてやつだ!」
はいはい、この件は終わり。
陛下たちを見ても、貴族たちを見ても問題だと誰も言い出さない。それが答えだ。
(両陛下および私の両親はなんとか正気にもどったようでなによりなにより)
「わ、私のノートや教科書はどうなんですか?!」
「いくらオーガスト様といえど、人の持ち物を勝手にぼろぼろにするのは問題になるはずです! そ、それに、階段から突き落としたことも!」
確かに、いくら立場が違うといえど人の持ち物をぼろぼろにすればそれなりに問題になる。
もちろん、階段から人を突き落とすなどすればたとえ王族が平民に対してであってもそれなりに問題にはなる。なんせれっきとした犯罪だ。
「では、なぜかエリカ様がお持ちだった私のリボンのことはさておき、ノートや教科書ですわね。放課後に無人の教室で私とすれ違い、自分の教科書やノートが破られていた、と。ええとそれも、本当に私がやったんですの?」
「見たわけではないですが、教室から最後にでたのがオーガスト様でした。人前で他人の持ち物をぼろぼろにすることは出来ませんよね? つまり、教室に最後まで残っていたオーガスト様が犯人というわけです」
びしりと私に指を突きつけるエリカ様。
なるほど。一応筋は通っているように見える。
しかし、そうなのだろうか。
「そもそもそれっていつのことですの?」
「一月程前の事です!」
「あら、一月ですか……。おかしいですわね、その時期は私王妃教育の大詰めと実践でとても忙しくしていた記憶があるのですけれど」
「そ、そんなはずがありません!!」
「そうだ! アイビー、どうせお前のことだから嘘をついているのだろう! たいしたこともしていないのにそんなに毎日まっすぐ帰るほどに忙しい訳ないだろう!! たかだか王妃教育くらいで!」
はあ。抑えたはずのため息が思わず漏れた。
国中の貴族が集まるパーティ中だというのも、もちろん理解している。
その耳目を一心に集めているというのも、重々承知だ。
だけどもう、これはもういいんじゃないか。
「アルメニアクム殿下、本気でおっしゃっているのですか?」
「本気もなにも、事実そうだろう!」
たいした反論も出来ずにわめくだけの令嬢はまだいい。どうせそういう馬鹿だと思っていた。
でも馬鹿(殿下)、なんであなたを支える為にしている王妃教育を知らないのよ。私が涙を耐えながら乗り越えてきた壁を内容を知りもせず、たかだか、だと。
「どこまで、私を……」
辛抱してきたことが、馬鹿みたいだ。
その時、音も立てずに優雅に立ち上がった人がいた。
「アルメニアクム」
「は、母上」
現王妃、その人だ。
「陛下、少々お許しくださいませ」
「うむ、構わん」
国王陛下の許しを得て、真っ直ぐに立つその姿は、若い頃から変わらず凛としていて美しい。私の、長年の目標であり、憧れの方。
いや、現状を鑑みれば、目標だった方。
「母上、今はこの悪女を断ぜねばなりません! 順番が前後してしまったことは申し訳なく思いますが、ここはこの私にお任せください! すぐに片をつけてみせます!」
王妃陛下は意気込む殿下を、制し、厳しい目を向けた。
「あなたの行く先が何処であろうと、親として口を出すまいと思っておりました。ですが、王妃教育を総括する現王妃として、少し。彼女に課せられた課題は、生半可なものではありません。次代のこの国を担うものとして相応のものです。決して、たかだか、や。くらい、で表せられるものではありません」
思わぬ逆風に、殿下は一瞬呆けたようだったが、しかし、と。なおも言い募る。
「彼女の放課後のスケジュールは分刻みで詰まっており、彼女はここ数ヶ月、1度たりとも遅れたことはありません。私が証言致しましょう。彼女はここ数ヶ月、放課後に誰かを呼びつけたり、ましてや他の生徒が全て下校するまで残っている時間の余裕など絶対にありません。よってエリカ・マーチ令嬢はどこかの別人を見間違えたのでしょう」
厳しさを崩さぬまま言い切った王妃陛下。私に向くと微笑んで下さった。
殿下によってイライラが募るばかりだった心が和らぎ、少し冷静になる。
よかった。王妃様は施政者として、この状況を判断して下さったようだ。
そしてまた静かに来賓席に腰をおろす。
助太刀はここまでらしいが、王妃陛下の一太刀はお花畑な二人には随分と重い一撃だった。
会場もなんとなく雰囲気が緩んだのを感じた。ああ、やっぱり、だろうな。そんなざわめきが聞こえる。
「そんな! エ、エリカ、確かに君の見たのはあのアイビーだったんだろう!?」
「え、ええ……」
焦る殿下に、途端にうろたえ歯切れの悪くなるエリカ様。これは、自作自演だったかもしくはそんなことが起きていない可能性が高い。
あとは彼女の持っていた私のリボンと、パーティ準備期間の前日、つまり四日前に突き落とされたとか言う階段の件だけれど、どう切り崩していこうかな、と、思ったところで群衆の中に揺れる空色を見つけた。
あれは、もしや。
まさか、帰ってきていたなんて。早くなる鼓動。
誰も気づいてはいないが、私があの色を見間違えるはずがない。




