待つつもりはあるか!
日向るな様主催『GMB企画』に参加しました。
ヒロインが予想以上に計算高くなってびっくり。
家の手伝いの合間に、退役した騎士様の家に行くのが小さい頃からの日課だった。
騎士様の家で、幼いときは読み書きを、13になった今は、護身術などを学んでいる。
少年に会ったのは、その帰りのこと。
まず、綺麗な顔立ちが目を引いた。年の頃は、10にも満たないほどだろうか。艶のある黒色の短い髪。薄青の双眸。一目で上質とわかる服に身を包んでいる。
そんな将来有望そうな少年が、供も連れず、1人で歩いている。誘拐して下さいと言わんばかりの風貌が物珍しくて、思わず目で追う。視線の先で、その少年はものの見事にずっこけた。
「だっ、大丈夫!?」
少年に駆け寄ったのは、咄嗟の行動だ。
いつまでたっても起き上がらない少年に、手を貸してやる。
「も……問題、ない」
と言いつつも、少年の目は泣く一歩手前まで潤んでいるし、唇も固く引き結ばれている。
強がりだと直ぐにわかったが、少年は弱音を一切吐かなかった。
「痛いだろうけど、我慢して偉いね」
微笑ましい気持ちになりつつ、ハンカチで顔についた土を拭いてやる。ついでに手で服についた汚れを払っておいた。
「よし、これで大丈夫」
「あ、ありがとう」
「ふふっ。どういたしまして」
にこりと微笑むと、少年がぱっと顔を俯かせる。
……急にどうしたのだろう。もしかして痛みを堪えなくなって泣いているのだろうか。
心配になって、顔を見ようとしゃがみ、少年を下から見上げる形になる。
少年は泣いていなかった。だが、様子がおかしい。
「……顔が赤いけど、大丈夫?」
「だ、だだ大丈夫だ!」
「そう? じゃあ、私はもう行くけど……お家に帰ったら、ちゃんと消毒して貰ってね。次からは気を付けるんだよ」
立ち上がろうとした矢先、手をがっしりと掴まれる。
一体何事かと少年を見ると、薄青の目が私をじっと見詰めていた。
少年の整った顔を間近に見てしまい、思わず見惚れてしまう。
「お嬢さん。そこそこ高給な仕事に、興味はないか?」
「え、あっ……はい」
……。だから、こんな怪しいお誘いをろくに吟味せずに頷いたのは、不可抗力だと言いたい。
暫くして正気に戻ったはいいものの、一足遅かったようだ。
“興味がある”を“仕事に就く”と解釈され、否定しようにも少年の嬉しそうな顔に「やっぱり……」とは言いにくく。
手を引かれるままに、お家などという可愛らしい表現に似合わない、立派なお屋敷に連れてこられた。
そのまま応接間に通され、少年から話を聞く。
少年――ライナスが言う仕事とは、彼の世話役だった。
世話役。庶民として暮らしてきた私には馴染みのない役職だが、取りあえず身の回りの世話をする仕事らしい。
普通に暮らしていくなら必要なさそうな職の名前から容易に察せられるように、ライナスは、裕福な家庭――商家の息子だった。それもただの商家ではなく、運営している商会が、名のある貴族御用達とかいう大豪商だ。爵位こそないものの、ある程度政界に影響を与えられるらしい。
そんな家だから、何かと敵も多い、とライナスが語る。
「え、それ……ライナスが一人で出歩いてて良かったの?」
「良くはないな!」
おそるおそる聞いてみたら、元気一杯に返された。
「……この通り、坊ちゃまは大変腕白な方ですので、世話役とは言いますが、まあ実質は見張りみたいなものですよ」
扉の傍に立っている老年の執事が、そっと言葉を付け足す。
「そうなんですね」
「それとジゼル。年下ですが、坊ちゃまは雇い主のご子息です。ぞんざいな言葉遣いを控え、きちんと敬称と敬語を使うように」
「あ、そっか。ごめんなさ……申し訳ありません」
執事にたしなめられ、慌てて口調を直す。
どちらも使い慣れないが、世話役になる為に必要なものだというのはわかる。
屋敷に来るまでは否定的だったが、この時点で、私は世話役を引き受ける気満々だった。よくよく考えたら、こんな良い仕事、就きたいと思っても中々就けるものではない。
使用人を見ていると職場環境は悪くなさそうだし、給金も良い。話を聞いたところ貴族間での評判も上々らしいし、そんな家で働いていたとなると、箔が付く。つまり、多方面で有利になる。
大豪商の家に働きに出るのなら、きっと、両親も頷いてくれる。
……でも、どうして私なんだろう?
「それでは、まずは屋敷の案内ですね。ついてきて下さい」
「あっ、よ、よろしくお願いします!」
脳裏に浮かんだ疑問を押し込め、私は執事について行った。
そうして、私はライナス……いや、ライナス様の世話役に収まった。
「ジゼル、どうした? 最近元気がないようだが……」
ライナス様にそんな言葉をかけられたのは、世話役生活がスタートして半月が経った頃。丁度仕事に慣れ始めた頃合いだ。同僚もとても良くしてくれていて、上手いこと職場には馴染めそうだと安堵している。
今は、家庭教師を招いて勉学に勤しむライナス様の休憩中だ。紅茶を飲んで一息ついた後の、さっきの言葉である。
「いえ、大したことではないのですが……」
「何でも言ってみてくれ」
ここまで言われたのなら、もう本人に聞いてしまおう。
そう思って、ずっと謎だったことを聞く。
「あの、私を世話役にしたのは何でですか?」
一瞬、ライナス様の動きが止まる。
「ああ、それは……」
言い淀み、視線を泳がせるライナス様。明らかに挙動不審だ。
「それは、その……」
そして、ライナス様は恥ずかしそうに目を伏せて、
「一目見て、き、気に入ったからだッ!」
耳まで真っ赤にしながらそう言った。
「ジゼルからしたら大したことはしていないのだろうが、初めて会ったときのお姉さんっぽい仕草にな、ぐっと来たんだ。とても、女らしい人だと思って……」
初めて会ったときと言うと、ライナス様が思いっきりこけた日のことか。やったことと言えば、ちょっと言葉をかけて、こけた拍子についた汚れを払ったくらいだけど。
……え、あれで?
世話焼きな行動は“お姉さん”に通じるものもあるかもしれないが、子供が転んだら誰だって手を差し伸べるだろう。
色々言いたいことはあるが、問題はそこではない。
もじもじしているライナス様を尻目に、いつものように扉の辺りに控えている執事と目を合わせる。
確かによく細いだとか華奢だとか言われるが、これでも荒事面では優秀なのだ。
軟派されても撃退出来る。突然喧嘩を吹っ掛けられても、対応出来る。騎士様に護身術を習っていたのだから、当然のことではあるけれど。
更に、執事の勧めで護身を越える域の体術を習い始めている。
……これのどこが女らしいのだろう。
女らしいというのは、気品があって、慎み深くて、もっと儚い人のことを指すと思う。
……。うん、少なくとも私ではない。
大事なことだからもう一度言おう。どう考えても私なんて当てはまらない。
「あの……」
「ああいうことはあまりされないから、舞い上がっている自覚はある。だが、ジゼルのあの行動に、俺は確かに胸を打たれたんだ」
早々に私への誤解を解こうとするが、食い気味に遮られた。
……。こんな輝いた顔をされると夢をぶち壊しにくい。
もう一度、執事を見る。……無言で首を横に振られた。
ライナス様の夢を壊してくれるな、ということらしい。
私は途方に暮れてしまった。
ライナス様は、私が女らしいから雇ったと言う。
が、私がどれほど女らしく見えたとしても、蓋を開けたらとんだ暴力女なワケで。
……これ、バレたらクビなんじゃない?
ライナス様が気に入ったのは“女らしいジゼル”であって“護衛術に長けたジゼル”ではない。いや確実に前者は幻だけど。
傷は浅い方がいいに決まってる。だから、早めに言ってしまうのが一番だけど、その方法はたった今使えなくなった。
それならどうしようと考えて。
……。隠す以外の選択肢が、思い付きませんでした。
◇
それから4年。奇跡的に、私はライナス様の世話役を続けている。
こんなに長く勤めていられたのは、ひとえに執事を始めとする同僚達のおかげだ。ライナス様に私の特技がバレないよう、色々と気を回してくれた。
さて、そのライナス様だが、まだまだ私がお気に入りの様子だ。
「ジゼル。今日から祭りがあるだろう。その……一緒に行かないか……?」
そう誘ってくるライナス様は、4年経った今でもいじらしい。
こんな可愛いお誘いを断るなんて、とんでもない。ぜひとも行きたいけど、行っても良いのだろうか。
扉の傍に控え、様子を見ていた執事に視線をやる。
「構いませんよ」
「い、良いんですか?」
拍子抜けする程あっさりと、執事は許可を出してくれた。
「洗濯とか、薪割りとか、まだ仕事が残ってますが」
祭りがあろうと、屋敷にある仕事の量は変わらない。手伝うことがあるだろうと思っていた。
「確かにいつも手伝ってくれていますが、それは本来世話役の領分ではないので問題ありません。それに、皆も、坊ちゃまの邪魔になることは望んでいませんから」
「そういうことでしたら……」
執事との会話が一段落し、ライナス様に向き直る。
「ライナス様が行きたいのでしたら、このジゼル、喜んでお供します。世話役ですから」
「違う、そういう意味で言った訳では……」
がっくりと肩を落とすライナス様。心なしかどんよりとした空気を背負っている。
「……いや、落ち込んでも仕方ないな」
が、直ぐに暗い雰囲気を追い払ったライナス様が、私に出かける準備を促す。
「あ、手伝いま」
す、と言いかけたところで、ライナス様が首を横に振る。
「今日は必要ない。ジゼルも準備をしてくれ」
「けど」
「代わりに、ちゃんと着飾ってくれると嬉しい」
世話役が着飾る意味って何だろうと思ったが、考えれば直ぐわかることだった。ライナス様の供なのだから、相応の身なりでないと浮いてしまう。
「わかりました」
自分なりに解釈して、準備をしようとライナス様の部屋を出る。
「――商売敵が、何やら画策している様子です。くれぐれも、気を抜かないよう」
その間際、ライナス様に聞こえないよう配慮された執事の耳打ちに、私は深く頷いた。
◇
町を賑わす祭り独特の雰囲気に、ライナス様は目を輝かせた。
町の中心に繋がる大通りは勿論、そこから枝葉のように伸びる幾つかの通りも屋台や露店が並んでいる。中心に位置する広場では、大道芸が披露されていた。
年に数度しかない祭りとあって、いつもより人が多い。
そんな中、人と人の間を縫うように、あれは何だこれは何だとあちこち連れ回された。
「見たことないものも色々売ってるんだな!」
屋台で売られているものは、串カツなどの立ち食いを前提としたものばかりだ。普段テーブルマナーを気にして食事をするライナス様からしたら、珍しいものも多いだろう。
「楽しんで頂けて嬉しいです」
年相応にはしゃぐライナス様を見守る。
「向こうの通りも色々ありそうだな!」
建物と建物の隙間から、向こう側の通りにも催し物があると嗅ぎ付けたらしいライナス様は、「近道するぞ!」とその路地を進んでいく。
「え、あのッ! ライナス様!?」
それを見送る訳にもいかず、私は慌ててその背中を追いかけた。
意外と道幅があるので、すばしっこく動くライナス様に、直ぐに追い付くことができた。
「いきなりぴょこぴょこ行かないで下さい!」
「ぴょっ……! 俺が子供みたいな言い方するな」
12才は子供だ、という言葉は、ライナス様が拗ねそうなので飲み込んだ。
「そんなことより、早く抜けてしまいましょう」
この路地を作っている建物は高さがあるので、昼間とはいえ太陽の光が届きにくく薄暗い。
ライナス様もそう思ったらしく、気味悪そうに首を巡らしながら進んでいる。
もうすぐ通りに出る、というところで異変は起こった。
「ちょーっと、良いかな?」
不意に現れた男が、道を塞ぐように立った。
直ぐに引き返そうとするが、後ろにもいつのまにやら別の男が立ち塞がる。
私は急いでライナス様に近寄った。
「……何か用でしょうか」
これが俗に言うカツアゲだろうか。何にせよ、逃げ場もないので、対応するしかない。
用件を聞いただけなのに、盛大に舌打ちされた。
「世話役に用はねえよ」
即答した男の視線が、ライナス様に移る。
「どうしても、そこのお坊ちゃまを連れてこいと言う奴がいるんでな、まあ大人しく誘拐されてくれや」
ぐひひ、と下卑た笑いを漏らす男たちの動向を観察しつつ、考えを巡らす。
言い方から推測するに、金で雇われたということか。
――商売敵が、何やら画策している様子です。くれぐれも、気を抜かないよう。
執事が言っていたのは、恐らくこれのことだ。
挟まれたのは仕方ない。取りあえず、死角に敵がいるのは大変よろしくないので、壁を背にして、どちらの男も視界に収まるようにしたい。ライナス様は壁と私の間にいてもらって……。
……と、思っていたのだけど。
「彼女に手出しは……くっ!」
私を庇うようにライナス様が一歩前に進み出た。
「まさか自分からくるとはなあ」
が、直ぐに男がライナス様の襟を掴んで持ち上げる。ライナス様の細い身体は軽々と宙に浮いた。
襟が締められ息が詰まるのだろう、ライナス様の顔が苦しげに歪んでいる。
「う、ぁ……」
「ライナス様……ッ!!」
助けなきゃ。
女らしくなくて幻滅されるかもしれない――わかっていたけど、迷いなんて微塵もなかった。
「悪いが大人しく――いだッ」
男が言い終える前に、ライナス様を持ち上げている方の手首を捻り上げる。
突然の痛みに男がライナス様を離した。
男から解放されたライナス様が、私の名前を呼ぶ。
「ジゼル!」
返事をする代わりに、手首を押さえる男の顎に、渾身の拳を繰り出す。
「ぐべらッ!!」
まさか女に殴られるとは思ってなかったのだろう。まともに食らった男が仰け反り、そのまま倒れた。
「おい!」
これには背後にいた男も驚いたようで、慌てて伸びた男に駆け寄った。
今の内に逃げようかとも思うが、こちらにはライナス様がいる。逃げても確実に追いつかれる。
「ライナス様。後ろにいて下さいね」
「わ、わかった」
だから最初に考えた通り、壁を背後にする形をとった。
「てめぇ、よくもッ!」
それから間もなく、正気に返った残党が、ナイフを取り出して突進してきた。
私めがけて一直線にやってくるので、軌道を読むのは簡単だった。
「はぁッ!」
腕を掴んで、ライナス様に当たらないように配慮しながら投げ飛ばす。
「ぐえっ」
潰れた声を上げ、残党も気を失ってしまった。
男2人の制圧を1分もかからずに終わらせ、私はライナス様の方を向く。
「怪我はないですか」
「ジ、ジゼル……?」
どこか困惑した声色で、ライナス様が私の名前を呼ぶ。
「言いたいことはわかります。けれど、先にこの人達を自警団に引き渡しましょう」
◇
たまたま近くを通った自警団の人に、男たちを引き渡したところで、ライナス様が口を開く。
「……屋敷に戻るか」
どこか上の空のライナス様。確かに危ない目に合ったけど、それ以前に、こんな状態では祭りを楽しめないだろう。
そう判断し、帰路に着く……までは良かった。
問題だったのは、会話がないこと。何を聞いても、だんまりが返ってくる。
――もう耐えられない!
居心地の悪い沈黙に、私は早々に白旗を上げた。
「本当にすみませんでした!」
ライナス様に向かって、深々と頭を下げる。
「近所に退団した騎士様が住んでまして、護身術を色々習ってたんです。今でも筋トレが日課なんです! 毎日技のイメトレしてますし、今日も久々にきめられて楽し……嬉し……いえ、これは忘れて下さい!」
ガンガン墓穴を掘っていることに気付き、慌てて誤魔化そうとしたがもう遅い。私の日課も、全て知られてしまった。……いや、これは自分で暴露したのか。
――とても、女らしい人だと思って……。
いつの日か、ライナス様が私に告げた言葉が脳裏に蘇る。
私の何が女らしいと言うのか。大の男2人を投げ飛ばすような女の、どこが?
ずっと頭の隅にあった疑念が、どんどん広がっていく。
きっと、今回の件で、ライナス様は私を見限るだろう。
助けたことに後悔はない。だが、もうライナス様の傍にいられないのが、辛い。
何を言われるだろう。罵倒されるだろうか。
――そんなライナス様は、見たくないのに。
ぐっと拳を握り込んで、自分勝手な気持ちを抑え込む。暫くして、不意にライナス様の両手が伸びてきて、私の頬を挟んだ。
そのまま強い力で引っ張られ、顔を上げさせられる。
「それは何に対しての謝罪だ、ジゼル」
明らかに怒気を含んだ視線に、肩を竦ませる。
「ライナス様を騙していたことと、ライナス様を守れなかったことに対してです!」
「そうか。だが、そんなことはどうでもいい」
真摯に答えたつもりだったのに、一蹴された。
「どうでもって……どうでもはよくないと思います」
自分が騙されたこと、自分が危機に晒されたことを、どうしてそんな軽く扱えるのだろう。
目をぱちくりさせると、ライナス様は「あのなあ……」と呆れた目でこちらを見た。
「ジゼルは言わなかっただけで騙していたわけではないし、さっきだってジゼルは俺を守っただろう。おかげで傷1つない。騙しただの守れなかっただの、ただの思い込みだ」
高ぶった気を静めるように、ライナス様は深く息を吐いた。
「あの、すみませんがそろそろ手を離してくれると……」
口を挟んでも良い空気だったので、ライナス様に言葉尻を濁しつつお願いする。腰を曲げたまま、顔を上げる姿勢。これが意外とキツい。
「あ、ああ、こちらこそ手荒にしてしまってすまない」
離すぞ、と前置きした後、ライナス様が手を離してくれた。
姿勢を正してから、ライナス様の話の続きを聞く。
「で、話を戻すが……確かに驚きはしたが、俺は自分の言葉を撤回するつもりはない」
私が商売敵の手先を撃退したのをばっちり目撃したにも拘わらず、ライナス様は断言する。
「ジゼルは、俺が見てきた女性の中で、一番女らしいし、可愛い」
その目に、嘘は見受けられなかった。
「確かにあれだけ武術に秀でているのには驚いたが、だからといってジゼルが気配りできるのに変わりはない。何より――あの思い出が、本物であることに変わりはない!」
思った以上に、ライナス様にとって初対面の思い出は重要なものだったらしい。
「じゃあ、クビの話は……」
「そんな話、俺は一度もしたことないし、こちらからする気もない。……ジゼルが望めば別だがな」
「私も、辞職は考えてないです」
返しつつ、クビは免れたとほっと胸を撫で下ろす。
「でも、それなら何でずっと黙ってたんですか?」
「俺は、自分に怒っているんだ」
「自分に?」
何かライナス様がしただろうか。確かに色んな場所に連れ回されて大変だったけど、終始ライナス様がにこにこしていたので、私もしっかり楽しめた。
記憶を辿っていると、ライナス様が嫌そうな表情で理由を話してくれた。
「……情けないだろう、好きな女に守られるなんて」
きゅっと眉根を寄せるライナス様。……可愛い。
「そんな仏頂面、ライナス様には似合いませんよ」
やはりライナス様は笑顔に限る。
頭を撫でると、ライナス様の眉間の皺が深くなった。
「……ッ、お前はまた子供扱いを……!」
5つしか変わらんというのに! とライナス様が声を荒らげる。
なお言い募ろうとしたライナス様は、しかし、そこで開きかけた口を閉じた。
代わりに、薄青の双眸が、真っ直ぐに私を見る。
「いいかジゼル! よく聞け!」
気迫に満ちた声に、自然と背筋が伸びる。
「俺は、必ずお前を守れるようになる!」
「えっ……と」
突然の宣言に目を見張る。
「……世話役の私がライナス様に守られてしまったら、私は世話役を解雇されてしまうのですが」
「話の腰を折るな! そういう意味じゃない! 馬鹿者ッ!」
真っ当なことを言った筈なのに、ライナス様の機嫌が悪くなった。
「とっ、とにかく、だ」
微妙な雰囲気を取り成すように、ライナス様が咳払いを1つする。
「俺がお前を守れるようになるまで、待つつもりはあるか!」
「えっ? はっ、はい!」
ライナス様の剣幕に押され、つい勢いで返事をしてしまったが、待ってどうしろと言うのだろう。
いまいちよくわかっていない私に、ライナス様が深々と溜め息を吐く。
「ちょっと屈め」
「? はい」
内心不思議に思いつつ、中腰になって、ライナス様と目線を合わせる。
と、目の前にある綺麗な顔が段々近付いてきた。
「ライナス様?」
頬に触れた柔らかな感触が、私の思考を断ち切った。
……。……今、何か物凄いことをされなかったか。
「もう普通にしていいぞ」
ライナス様に言われても、私は固まったまま動けなかった。
あの感触の正体は、もしかしなくてもライナス様の……。
詰まり、と考えて、少しだけ顔が熱を持つ。
――頬に接吻された。
とはいえ、何も特別なものではないだろう。頬への口付けは、愛は愛でも、親愛を示すものだ。
落ち着け、と必死で自分に言い聞かせる。
さっきのは悪戯を兼ねた、優しいライナス様の、私を家族のように扱ってくれているという意思表示だ。きっとそうに違いない。
――それなのに、どうにも胸がざわめいて仕方ない。
「どうした、ジゼル」
微動だにしない私を不信に思ったか、ライナス様が私の顔を覗き込む。私の表情を見て取ったライナス様は、何故かしてやったりとばかりに口端を吊り上げた。
「俺がどういう意味でやったのかは、わかって……ないようだが、まあいい」
どこか満足げな表情をするライナス様が、やけに大人びて見えたのは私の錯覚だろうか。
「よし。帰るぞジゼル」
先程のむっすりとした顔と打って代わり、ライナス様が意気揚々と歩き始める。
この口付けの意味を知るのは、もう少し後のこと。
……取りあえず、この頬の熱が引くまで、ちょっと待って下さい、ライナス様。
――数年後、私の背を軽く追い越して、すっかり凛々しく成長したライナス様が、私をどぎまぎさせるのは、また別の話。
アタックしてもいっつも意識されないので、初めてジゼルを動揺させられて嬉しいライナス様。この後一人になって赤面してるかも知れませんが。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。楽しく書かせていただきました。
努力目標は……達成一歩手前というところかな、と思っています。