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第1話



 魔族領は、その八割が森で構成される。


 遠くを見れば背の高い山々が連なっており、雪がその山頂を白く染め上げている。

 一年を通じて雨量の少ない魔族領だが、冬にはたくさんの雪が降り、雪解け水が年間を通じて魔族領を潤す。


 森の木々は高くそびえ立ち、日差しをさえぎるため夏であっても意外なほど涼しい。ここでしか見られない花々も存在し、その景観の美しさに一役買っている。


 魔族領を訪れた者は、しばしばその雄大さに魅了される。

 しかしそれは、この場所の危険さも相まってのことかもしれない。


 魔族領とは、その名の通り魔物や魔族の棲んでいる地域のことだ。森の中を奥へ奥へと進んで行くと、魔物が巣を作っていたり、より知能の高い魔族達が居を構えていたりする。そしてその一番奥には、かつて魔王が住んでいた城が、半ば朽ちた状態で今も残っているはずだ。


 二年前、聖剣の勇者が魔王を討ち倒すまでは、魔族領はその魔王に統治されていた。今でも、数多くの魔物や魔族が棲んでいる。

 二年前からその活動はだいぶ大人しくなったとは言え、危険であることに変わりない。




 グレイは今、その魔族領の森の中を全速力で駆け抜けていた。


「まさか、うっかり魔物の巣に踏み込んじゃうとはなぁ」


 隆起した太い木々の根を飛び越え、巨大な倒木の下を潜り抜けて、ひたすらに走る。

 背後からは、五、六匹の魔物が鼻息を荒げながら追いかけてきていた。大型の狼に角を生やした様な見た目の、赤い目をした魔物だ。魔物も全力で走っているのだろうが、グレイの疾走の方が微妙に速く、徐々に距離が開き始めている。


 この調子なら引き離せそうだと、グレイは足を緩めないまま内心ほっと溜息をついた。追ってきている魔物そのものは弱く、逃げるより倒してしまう方がずっと楽だろう。

 しかし、『魔物の死体はさらなる魔物を引き寄せる』という習性があるため、迂闊に倒すと余計に面倒なことになりかねない。


「……あの木は使えそうだな」


 走りながら腰に下げた剣に手をかけると、深く息を吸い込み、止める。グレイの走る先、真正面にある巨木を見据えると、一息に振り抜いた。

 剣先から飛び出た風の刃が、巨木を根元近くで切断する。


 ゆっくりと倒れこむ巨木を、蹴り付けるようにして駆け上る。最高高度に達した瞬間を見計らって跳躍、どこか隠れるところがないか目を配りながら着地、転がるように受け身をとって衝撃を受け流すと、視線を上げる。


「ぁ……」



 ——グレイは、目の前の光景に釘付けになった。



 目の前に開けた空間では、良く澄んだ小川が涼しげな音を奏でている。降り注いだ夏の陽光を、川面が反射してきらきらと輝いていた。

 そしてグレイの視線の先では、全裸の少女がその川で水浴びをしている。


 そう、全裸である。


 年の頃は十三、四歳ほどだろうか、まだ成長途中といった身体を、惜しげもなく外気に晒している。艶やかに濡れた長い黒髪を絞る姿は、まだ幼いと切って捨てるには惜しいほど魅力的だ。

 容姿の未成熟な可憐さとは相反して、その所作には成熟した艶やかさがある。あともう少し成長したなら、きっと数多くの男を惑わすいい女になっていただろう。



 グレイがこの場所に出てしまった理由は偶然だ。しかし、数瞬の間少女に目を奪われてしまったのは事実であり、その数瞬が確実に状況を悪化させているのもまた、事実だった。


 いつの間にか距離を詰めていた魔物たちが、背後の茂みを一斉に飛び越えて襲いかかってくる。


「ぐっ!!」


 すんでのところで気づいたグレイは、反射的に振り返りながら腰の剣に手をかける。一気に鞘から引き抜き、その勢いのまま下から斬り上げた。


「キャゥゥッ」


 腹から肩口にかけてばっさり切られた魔物は、血を流しながら地面に倒れて動かなくなった。即死だろう、と判断する。


「ふぅー……」


 ゆっくりと息を吐き出し、意識を集中させる。ここまで必死に走ってきたのが無駄になってしまったが、自分で蒔いた種なのだから仕方あるまいと、グレイは即座に意識を切り替えた。


「ガゥゥッ」「グゥァッ」


 赤い目をギラつかせて左から襲ってくる二匹目を、横に構えた剣で斬り裂く。


 その勢いのまま前転し、今度は右から襲ってきた魔物を交わすと、すかさずその背中に剣を突き立てる。


 これで三匹、残りは二匹ほどだろう。


「ガゥガゥッ」


 突き立てた剣を魔物から引き抜くと、よだれを撒き散らし背後から飛びかかってくる魔物を、振り返りながら袈裟がけに斬り伏せる。


「ガァァァッ」


 地面に倒れこむ魔物の後ろから、続けて飛びかかってくる魔物を身を捩ってかわすと、下から腹に剣の柄を叩き込み、地面に倒れたところに剣先を突き立てて止めをさした。


「終わったか……」


 魔物の血の臭いに顔をしかめると、剣に付着した血を拭いながら、周囲の気配を探る。

 他に魔物がいないことを確認して振り返ると、そこにはいつの間にか身体を乾かして、マイペースに着替えている少女がいた。


 袖を通しているのは、シンプルな黒のワンピースだ。他人が目の前で戦っている間に呑気なものだと、少女のマイペースさに目眩がしそうになるグレイだったが、すぐに気を引き締めた。


 このままこの場所に留まっていたら、遠からず魔物に包囲されてしまうだろう。まずは死体から離れ、少しの間身を隠す必要がある。


「ちょっとごめんね!」


 グレイは少女に駆け寄ると、抱きかかえて走り出した。まだ着ている途中だった少女の服が、中途半端にはだけて目に毒な様相を呈している。


「なっ……下ろせ」


「そうもいかないんだ。他の魔物が来る前に、急いでここを離れなくちゃだからね」


「……自分で走れる」


「たぶん俺が抱えた方が速いよ」


 少女の抗議に手短に答えながら、足を動かす。

 川沿いは砂利道で見通しが良すぎるが、森に戻ってもまた魔物に出くわす可能性がある。


 グレイは走りながら思考を巡らせると、覚悟を決めた。


「合図をしたら、大きく息を吸って」


「は?」


「いくよ、せぇーのっ」


 掛け声に合わせて、グレイは勢いよく川に飛び込んだ。

 水中なら、魔物の視覚だけでなく、嗅覚も誤魔化せるだろうと目論んだのだ。


 少女の方を確認すると、突然水中に引き込まれたにも関わらず、平然としているように見える。しかし、表に出ていないだけで息苦しさは感じているようで、グレイの腕を掴む手が爪を食い込ませてきた。……グレイは痛みに顔をしかめるが、それで少女が我慢できるのならと、甘んじてそれを受け入れる。


 そうしていると、川の側の砂利道を、何匹かの魔物がグレイのいる辺りを駆け抜けて遠ざかるのを感じた。

 どうやら上手くいったみたいだと、グレイは内心胸を撫で下ろす。


「ふー……」


「ぷはっ」


 水面から顔を出すと、今度こそ本当に一安心だろうと、ほっと一息つく。

 少女も、ぜぇぜぇと息継ぎしているが無事なようだ。


 少女を抱えたままの状態で川岸に上がると、「もう大丈夫だよ」と少女に声をかけた。


「……それで、いつまでこうしているつもりだ?」


 当然のようにそのまま歩き出そうとしたグレイを、少女の声が遮る。


「あ、あぁ、ごめん」


 グレイは慌てて少女を地面に下ろた。


「服が濡れてしまったではないか……」


 不快そうに着ているワンピースの裾をつまむと、絞って水滴を落とし始める。細い太ももがその付け根まで見えそうになって、グレイは慌てて目を逸らした。


「へくしゅっ」


 吹き抜ける風が濡れた身体を冷やし、少女がくしゃみと共に身震いする。落ち着いてみれば、グレイ自身も少し肌寒さを感じる。

 どこかで火を焚いて暖を取りたいところだが、河原は見通しが良すぎていつまた魔物と出くわすかわからないし、かと言って森の中で火を着けるのは火事になりかねない。


「とりあえず、どこか落ち着ける場所を探そうか」


「いつから私たちは一緒に行動することになったんだ」


 グレイの提案を素気無くあしらう少女。


「そもそも、お前はこんな所に何しに来たんだ?」


 その『こんな所』で水浴びをしていた少女に言われるのは、変な感じだと思いながらもグレイは答えた。



「俺は、君を探しに来たんだ……たぶんね」



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