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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

桜都狂騒劇場

作者: ろく

 きた晴康はるやすは嘆息した。

 手にした号外が音を立てて歪む。紙面には、ここ数週間で見慣れた文字が踊っていた。

桜都おうとニ火車アラワレシ』

『犯行現場ニハ火車ノ血文字 被害者ハマタモヤ美シク若イ娘 胎ヲ無惨ニ斬リ裂カレ 逆サマニ吊サレ 飛ビ散ル血ハ炎ノ如ク――』 

 火車とは地獄の遣いと伝承されている妖だ。生前悪事を働いた者の屍を浚い、時に身を捌いて肝を喰らうという。犯人はその火車を気取っているつもりなのだろうか。

「胸くそ悪ぃ」

 号外を丸め、屑籠をめがけて放り投げる。だがそれは屑籠の縁に当たって、ぽんと違う方向にはねていった。北は一つ舌を打ち、長椅子に乱暴に寝そべった。着物も袴もばさりとめくれ、スタンドカラーのシャツも脚もはしたなくむき出しになるが、構うものか。

「――いって!」

 その北の額に、何かが勢いよくぶつかった。額を押さえて身を起こすと、部屋の入り口には偉そうに腕を組んだ青年がいた。

「まったく、解せんな」

「は?」

 北の足下をてんてんと何かが転がる。先ほど北が丸めて投げ捨てた――そして今し方北の額に投げつけられた号外だ。

 青年――ひがしは、やはり偉そうな足取りでこちらに向かい、応接机にどさりと腰を下ろす。その佇まいは、北の方がひとつ年長であることを感じさせない。

「火車は何故俺を狙わん」

「はァ?」

 今日も仕立ての良いスーツに身を包んだ東は、長い脚を組み、柳眉をきりりと顰めた。

「火車が狙うのは美しい婦女ばかり。ならばどうして、この美しい俺を狙わん!」

 この俺を、と東は演技がかった仕草で胸に手をあてがい、ふんぞりかえる。応接机の上にでんと据えられた『東正臣まさおみ』のプレートが、午後の春光を受けて、何やら妙に主張してくるようだ。

 自信満々に言うだけあって、確かに東の顔立ちは整っている。癖の無い艶やかな黒髪に、高い鼻梁。切れ長の大きな目に、容良い唇。表情豊かな彼であるが、ふとした際に表情を落とした時などは、まるで塑像を思わせる。確かに、美しいと称して嘘は無い。まあ、自意識も自信も自己愛も過剰であることも確かなのだが。

「何でって、そりゃあ……」

「解せんぞ。よもや火車は美とは何たるかを理解していないのではないか?」

「前提がさあ……」

「だとすると可哀相な奴だな……。とても可哀相だぞ!」

「だって、お前男だし……」

「仕方がない。可哀相な火車に、この東正臣が最大限の憐れみをくれてやろう」

「可哀相なのはお前の頭だ」

「いたっ」

 号外を東の頭にぶつけてやる。まだ何かを言いたそうにしていた東の口は、とりあえずそれで止まった。

「口が悪いぞ、北。お前は顔も悪い、育ちも悪い、頭も悪い、素行も悪い、品も無い、学も無い。ならばせめて言葉遣いくらいは美しくしろと、いつも言っているだろう」

「はいはい、それはすみませんでしたァー」

「……何やら腹が立つ物言いだがゆるしてやるぞ。俺は心が広いからな」

「ありがとうございまァーす」

 唇を尖らせて、東は号外を拾い上げた。丸まったそれを開き、視線を落とす。そして、陶然とため息を零した。

「この簡潔で分かりやすい記事……。さすがは俺だな」

 惚れ惚れするぞ、と満面の笑みで自分を褒め讃える東を、北は半眼になって見つめた。

 東正臣は文筆家である。彼の主な書き物は幻想小説であるが、それ以外にも依頼を受ければ何だって書いた。エロだのグロだのの俗なものだって書くし、新聞記事だって書く。最近では児童向けの書物や、女性雑誌などにも筆を伸ばしていた。

 そしてそのどれもが、評判が良い。数年前に出版された彼の初の単行本はすぐに売り切れ、騒ぎになるほどだった。時を同じくして発売されたエロ雑誌も、抜ける良い記事があるぞと水面下で騒がれていた。ふぅんと思った北はその雑誌を手にし、著者名を見て、お前かよとがっくりしたものだ。することはした。

 東の筆の評判に、新聞社までもが依頼を寄越すようになって数年が経つ。書籍や雑誌で彼の名を見ない日は無いくらいだろう。いつ寝ているのだと思う程の活躍ぶりだが、彼がきちんと睡眠を取っていることは付き人である北が知っているので、その点では一応安心している。

 うっとりと記事に目を通していた東だが、やがて整った面に揶揄めいた笑みを浮かべて言った。

「しかし、胸くそ悪いという点には俺も同意するぞ」

「聞いてたのかよ、ですか」

 火車、と名乗る通り魔が桜都に現れるようになって、数週間。犯行が行われるのは決まって夜。狙われるのはいつも女性。それも有名なカフェの女給など、美しいと評判のあった者ばかり。

 その娘たちが襲われ、無惨に殺された。火車は決まって娘の胎を裂き、逆さまに吊す。そして遺骸の側に、火車の血文字を残して去る。

 警軍けいぐんも目を光らせてはいるものの、火車は未だに捕らえられずにいる。ここしばらくでは、そんな警軍を無能だと詰る声もあがってきていた。警軍を責める記事を確か東も書いていたはずだ。身内が警軍にいるというのに、そんな依頼をよく引き受けたものだ。

「火車は天罰がくだされるべきだと思わんか?」

「あ?」

「天によってくだされる罰! つまりは、俺の手によりくだされる罰だ!」

 また始まった、と北はこれ見よがしに大きく息を吐く。

「容姿端麗、眉目秀麗、知勇兼備、文武両道、古今無双、完全無欠! 天に愛されし俺はすべてにおいて正しく正義だ!」

 自画自賛を送る東は手にしていた号外をゆっくりと裂き、それはもう美しく笑った。

「こいつは裁かれるべきだ。そう思うだろ」

 東の手から放たれた号外が床に落ちる。机から降りた東はそれを踏みやり、北に向かって「ついてこい」と強い調子で言った。






 桜都は年中桜の咲き誇る都である。だがやはり、眞桜まざくらが咲いて散る春の彩りは格別に美しく、北は特別好いていた。

 桜都の外れである。しんと静まった春の夜に眞桜がひらりと舞い散り、街路樹の陰に隠れた北の目の前に落ちてくる。

「それにしても、俺は何でも似合ってしまって困るな」

 ほう、と隣に立つ東が熱っぽい息を吐いた。少し低い位置にある東の頭を、北は呆れた面もちで見下ろす。

「ん、どうした? 見とれてしまって声も出んか?」

 大きな目を輝かせ、東がこちらを見上げてくる。

 東は白のドレスを身にまとっていた。化粧こそしていないが、首もとや肩周りなどを隠すデザインのドレスを着た東は、十分に女性に見えた。

「おい、何か言わんか」

「いや、馬鹿だなあって……」

「何っ!?」

 いきりたって食ってかかろうとした東だが、すぐにいつもの余裕ぶった笑みを浮かべ、腕を組む。

「まあ良い。お前の暴言はいつものことだ。ゆるしてやる」

「それはドウモー」

「……心がこもっていないな」

 むすくれる東は無視して、北は通りに目をやった。

 女性の衣服を身にまとい、東が通りを監視するようになって数日。通りを行く女性をさりげなく見守り、怪しい人影に目を配り、そして、自分の身を餌にして火車を釣り上げようとしているようだ。

 東がこうして『天罰』を下すのはこれが初めてではない。そのたび危ない目に遭っているが、東はやめようとしない。ついてこい、と北を伴うようになったのは進歩であると言える。

 北が知る前は、ひとりでどこかに出かけ、傷だらけになって帰ってきていたのだ。何をしていたと詰め寄っても、東は口を割らなかった。

 だがある日、のっぴきならない羽目に陥り、そこを偶然北が見つけ、その時になって初めて北は東のしていたことを知った。それ以来、北は東をひとりで行かせるようなことはしなかったし、東も北に前もって知らせるようになった。

 北は懐に忍ばせたドスを握った。東に拾われる前はヤクザの鉄砲玉をしていた北だ。刃物の扱いには慣れている。足抜けの際に指を詰め、以前と同じように腕はふるえない。とは言え、そう簡単にやられるような腕でもない。一度は厭ったこともある力だが、この男の為にふるえるのならば悪くないと、今はそう思っている。

 ふいに、東が北の腕に触れた。待っていろの合図だ。

 東は通りへと歩みを進めた。遠ざかる白い背を見送る。

 しばらくして姿が見えなくなったころ、背が見える位置までそろそろと移動する。それを何度も繰り返し、都の中央部まで何もなければ釣りはおしまいだ。

 今のところ、幸か不幸か釣りは失敗している。火車の犯行も無い。だが、そろそろだと北は踏んでいた。火車が娘を狙う間隔はだいたい同じだ。きっともうすぐ、獲物を定めて動き出すはずだ。

 ふと、潜めた足音を北の耳は拾った。それは月明かりも届かない小道から、じんわりと近づいてきている。

 東も気がついたのか、足を止めた。左側の小道を、じっと見つめている。

 やがて小道から男が現れた。手には縄を持っている。垂れた縄が地面を撫でるたび、ざりと耳障りな音が立った。

 男は東の足首をめがけて縄を放った。しゅるりとまるで蛇のように縄は東の足に巻き付き、男が手を引くと共に東は地面に引き倒される。

「――なるほど。こうして娘を縛って吊し上げ、胎を裂いたのだな」

 東は上体を起こすと、足に絡む縄をぐいと強く引っ張った。男の体がぐらりと傾ぎ、踏鞴を踏む。

「どうだった。愉しかったか?」

「そ、それは……」

「聞く耳持たん!」

 自分で聞いておきながら耳を貸さず、東は縄を男の手から奪うと、それで地面をばしんと強く打った。

「何であれ、お前は悪辣非道な外道だ! よって、俺が天罰をくだす!」

 身を起こした東は仁王立ちになって、男を睨み据えた。

「て、天罰」

 男の声音には、どこか面白がる響きがあった。

「天罰。天罰! そうだ、僕も天罰を下してやったんだ! そうだ、そうだ、だから僕が地獄に連れていってやろうとこうやって! だって娘たちはあの美貌で男を誑かし――」

「聞く耳持たんと言っている!」

 東は思い切り男を蹴り飛ばした。ご丁寧に下着まで女物かよと、手の届く位置まで駆け寄ってきた北は呆れ返る。

「この俺がお前を気に入らないと言っている! どんな理由があろうとも気に入らんし、ゆるしはせん!」

 尻餅をついた男が、ぽかんと東を見上げる。呆けた表情は、そのうちにねとりとした笑みに変わった。

「……何だ、それじゃあ結局僕と同じじゃないか。気に入らないから手をくだす。あんたも僕と同じ外道じゃないか」

「何とでも言え。同じだろうが外道だろうが、俺はお前をゆるせない。俺こそが正義だ。天に愛されし俺はすべてにおいて正しく正義だ!」

 東はぴんと張った縄で、男の足を捕らえようとした。だが男は縄から逃れ、機敏な動作で身を起こす。その手に握られた刃物が、ぎらりと獰猛に光った。

「ダーメ」

 だが刃先が東に届く前に、北はするりと男に身を寄せ、手首を捻る。痛みにゆるんだ手から器用に短刀を巻き上げて、北は流れるような動作で男の眼前に刃を突きつけた。

 ひ、と息を呑む音がする。北はゆっくりと刃先をずらし、男の喉元を軽く突いた。男は緊張に身を硬くし、急所に突きつけられた刃を見下ろしている。

「イイコだね」

 大人しくなった男の首を刃の腹でひたひたと数回叩き、笑う。

「――気ぃすんだ?」

 東に問うた。東は北の問いには答えず、いつもは無駄に回る口を真一文字に引き結び、表情を落としたまま男に縄を巻き付けた。






 通りの木には男が逆さまに吊されている。身ぐるみをはがれ猿轡を噛まされた男は、恨みがましく唸っていた。

「わはははは情けない姿だな! 最大限の憐憫をくれてやるぞ! 天に愛されし正義たるこの俺が!」

 東は腕を組んでふんぞり返り、高笑いをしている。その様子はいつも通りの東に見えた。先ほどまで抜け落ちていた表情も戻ってきている。

 ちょうどその時、こちらにやってくる警軍の制服が見えた。駆け寄ってきた彼女は、東と、吊された男の姿を見るなり沈鬱な表情で額を押さえた。この状況で、何が起きていたのか全て察した様子だ。

「正臣……」

「何だ鈴来すずらい。何か文句でもあるか?」

「ある、思い切りあるぞ」

「これは正当なる防衛だが?」

「……まあ、怪我が無いようで何よりだ」

 と、彼女はほっと息を吐く。彼女もまた、東がしていることを知っているひとりであった。

 みなみ鈴来は東の従姉というだけあって、東とよく似た美しい容姿をしていた。とは言え似ているのは外見だけで、中身はまっとうな良識人だ。年は北より五つ上で、二十九になる。

「北が一緒にいてくれたのだな。良かった。礼を言うぞ」

「いや、まあ、別に……」

 礼を言われることでは、と言おうとした時だ。南の背後に忍び寄る姿があった。

「もう、先輩ったら走るの速いですよぉ」

「ひゃあっ!? ば、ばかもの! どこを触っている!」

「先輩の処女おっぱいですよー」

 もむもむと指をうごめかしながら、彼女――西にし言乃葉ことのははこちらを見やってにこりと笑う。

「あは、東さんドレス似合うー。北さんもいつも通り目つき悪いー。とりあえず抱きたい」

「断る」

「嫌だっつの」

「冗談ですよー。わたし今は先輩一筋ですし。ね、先輩。好きだよ」

「わ、わかった、わかったから離れろ! 離せ!」

 西の手から逃れた南は乱された胸もとを押さえ、涙の浮かんだ赤い目で東を睨んだ。

「状況の検分を終えたら、お前たちにも話を聞くからな。首を洗ってそこで大人しく待っていろよ!」

「あっ、先輩待ってくださいよー」

 その捨て台詞は何かが違うのではと思ったが口には出さず、ふわふわとした西の短い髪が南を追うのを見送る。あの幼い容姿で西は北より三つも年上なのだから、女は魔物だと改めて思った。

 言われた通り大人しく待つと決めたのか、東がその場にすとんと腰を下ろす。仕方なく北もその隣に腰を落ち着けた。

「――火車、か」

「ん?」

「火車とは罪人の屍を持ち去る妖。ならば、いずれ俺の所にも、真の火車が迎えにやって来るのだろうと思ってな」

 いつになく弱気な笑みで、東が言う。中々に珍しい表情だ。東はいつも無駄に自信満々で、弱気な様子など見せようとはしない。

 北は小さく笑み声を零すと、東の頭の上に舞い落ちてきた眞桜の花弁を払ってやりながら言った。

「ま、そん時は俺も一緒に行ってやるよ」

 きょとんと、東がこちらを見上げる。ぱちぱちと数回瞬いた後、東は常通りの自意識と自信と自己愛が過剰な笑みを浮かべた。

「口が悪いぞ、北」

「それはどーもすみませんでしたァー」

 フンと鼻を鳴らし、北はそっぽを向く。南と西が吊された男をおろしてやるのを見ながら、北は思った。

 ドブに漬かりきった北を拾い上げ、側に置き、人としての暮らしを与えたのは東だ。ならば人として最期まで、この馬鹿の正義ごっこにつき合ってやるのも悪くない。

 ひらり眞桜が散る。南と西は男を尋問している。それを眺める東は薄汚れたドレス姿だ。朝焼けばかりがやけに清々しい。

 まったく、馬鹿げた狂騒だ。

 だがまあ、それにつき合う自分自身が一番馬鹿かと、北晴康は嘆息した。


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― 新着の感想 ―
[一言] ろくさん、こんばんは。桜都狂騒劇場、拝読しました。 読み終わって感じたことは「ん? この話って何の話なんだろ」でした。 火車退治…には違いないけど中盤サクッと決着がついていたので、東と北(特…
[一言] 初めまして。小説、楽しく読ませて頂きました。 舞台設定、何とも言えない間柄の男コンビが特にツボに入りました。 一話完結のようですが、またこの四人のお話を読めたらなと、思う次第です。続きを書…
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