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あれから

69.あれから

「船長、中国海警のヘリが救難活動を終えたそうです。こちらに向かっています。」

 通信士が報告した。

「了解。取り舵いっぱい。風上に船首を向ける。回頭終了後スタビライザ展張」

 お手並み拝見といこうじゃないか。。。

 兼子が口元を歪める。本人は微笑んでいるつもりだが、副長の岡野には、苦笑しているようにも見える。

 尖閣諸島の外側に位置する公海上で、海上保安庁と中国海警局の初の合同海難救助訓練が行われている最中だった。お互いに気を遣ってか領海からはだいぶ離れている。

 あれから4年か。。。

 声に出さずに兼子は呟く。初の合同訓練になぜ自分の船が、というより自分が日本側の指揮者として選ばれたのか、、、唯一心当たりのある出来事が脳裏に浮かぶ。

 中国艦隊に向かって突進する漁船を止める。という命令を受けて漁船を追った。もう少しで追いつけると思った矢先、漁船は信じられないような加速を見せつけて兼子の指揮する巡視船「はてるま」を引き離す。そのまま漁船は中国虎の子の空母「遼寧」の艦首に体当たりし、大爆発を起こした。空母の艦首、しかも海面付近に出来た損傷と火災は、当の空母からは、スキージャンプ台のように高く反り上がった飛行甲板の先端が災いして対処不可能、周囲の中国駆逐艦は、自艦を消火する設備は重視されていたが、その結果として他の艦まで届くような放水装備はなかった。しかも後に判明したことだが、艦首部にはロシアから買い取って改造した際に増設した航空燃料のタンクがあったため、接近して消火活動をすること事態が危険と判断されていたのだった。

 こうして中国艦隊が停船して対応に苦慮している中、炎は兼子達の目の前で勢いを増し始めていた。

 咄嗟とっさに「はてるま」の遠隔放水銃を使用することを決断した兼子は、「本船には消火の用意がある。」という意味の旗りゅう信号をマストに掲げたまま、中国艦隊の回答を待たずに空母「遼寧」に「はてるま」を接近させ、放水を開始したのだった。

 この出来事は、元海上幕僚長だった河田が組織した漁船団が、その代表である河田が空母「遼寧」に体当たりした後も引き続き動画投稿サイトで実況していたため、侵略して来た中国の空母に対して必死に消火活動をする「はてるま」の姿は世界中に瞬く間に広がり、美談としてリアルタイムで賞賛された。当の中国では、彼の敵味方を超えた海の男としての本能とも言うべき勇敢な行動が世界の賞賛を呼び、不幸な戦争を回避できた。という説が主流となっている。そして、その賞賛がインターネットという文明の利器のおかげで生中継的に世界の人々に注目されていることで中国も迂闊うかつに攻撃できなかった。まさにインターネット時代の生んだ奇跡だ。と絶賛した。そのせいか、かつては海保の巡視船に体当たりしてくることもあった不法操業の中国漁船でさえ、「はてるま」を見ると笑顔で手を振り、素直に自国に戻っていくことも多い。

 だが、それは中国の言い分だろうな。結局は、米軍の介入を恐れて抜いた刀をさっさとさやに納めてしまったことを、中国は国民に知られたくないだけさ。

 兼子は独り苦笑する。

 やっぱアメリカの影響さ。。。

 あの日、沖縄に展開するアメリカ海兵隊の司令官が、アメリカ大使館を通して防衛省に魚釣島のテロリストを摘発するための陸上自衛隊員をMV22オスプレイで空輸する準備が出来ている。と連絡してきた。この情報は、すぐさま作戦案として、陸海空三自衛隊の幕僚で協議・立案され、NSC(国家安全保障会議)に上申された。アメリカとしてもここでオスプレイの安全性と有効性を証明できれば、地域住民の不安の声を払拭でき、在日米軍基地への展開がスムーズに進むし、まさに離島展開能力を示すことで自衛隊への導入を後押しすることになる。さらに、このことが中国への牽制に繋がればアメリカのアジアでの地位を再認識させることが出来る。

 そんなアメリカの思惑からかどうかは、当時の兼子には分からなかったが、この情報は何故か民放にも即座に流れた。産業日報系の放送局がデジタル放送特有の機能を使ってアンケートを行ったのだ、産業日報はクイズ番組などでよくある視聴者が参加する時に使う青、赤、緑、黄色のボタンをアンケートに割り当てた。なぜ産業日報が突出してそういう動きが出来たのかについて、今は友人となっている元産業日報の古川に聞いてもはぐらかされるばかりだった。

 そのアンケートの結果から、国民の同意を得た手応えを感じた政府は、記者会見を行い、NSCの判断として国内である魚釣島でのテロ行為を鎮圧するための部隊の輸送手段として米軍のオスプレイ提供の申し出を受け入れる。と発表した。無論それは、オスプレイほど速やかに離島に部隊を展開する能力のない自衛隊にとって、願ったりかなったりでもあったが、中国に対するインパクトは極めて大きかった。魚釣島に進出してくる自衛隊を妨害することは、米軍機に対して敵対行動をとることになる。それを中国は避けたのではないか、というのが一般的な見解となっている。中国の目的は、アメリカと太平洋の覇権を二分することであって、アメリカと渡り合うことではない。ということがこの事件で裏付けられた、とする評論家もいる。

 どちらの言い分が正しいのかは、それぞれの立場によって異なるのだろうが、とにかく、この事件が戦争を引き起こすことだけは避けられた。 

 が、さらに世界を震撼させる事実が数日後に発覚した。

 公平性を期すために体当たりした漁船の残骸を日本、中国それぞれで分けて持ち帰り調査したところ、大部分から爆薬と、油脂の反応が出た。爆薬だけでも十分に衝撃的な事実だったが、油脂の分析結果は、さらに周囲を唸らせた。この油脂は、一瞬にして周囲を火の海にするナパーム弾に使われているものと同種のものだったのだ。つまり、この体当たりは、周到に計画されて行われたということが判明したのだった。そもそも彼は体当たりするつもりでいた。ということが世界に衝撃を与えたのだった。

 この事実は、河田達が当時動画投稿サイトに投稿していた日本国民へ向けてのメッセージと共に、ありとあらゆる言語で世界中の放送局で、インターネットサイトで流された。

 中国艦隊の侵略という未曾有みぞうの危機に、たった1隻の小さな漁船で立ち向かった日本人として、河田の名とその思想は瞬く間に世界に知れ渡り、「神風の再来」「21世紀の神風」「大和魂」という言葉が横行した。そして、河田のメッセージの中で語られた「防人」という言葉は、そのまま「サキモリ」という名詞として、世界中に浸透した。まるで「テンプラ」「サシミ」「カミカゼ」といった日本文化の一部のように。。。

 世界中に「カミカゼ」を彷彿ほうふつさせた河田の行為は、同胞のためにその命を捧げて侵略者に立ち向かったという自己犠牲の精神と行動を、民間人を犠牲にして意のままにしようとするテロと区別して、世界各国の多くの人々が称えた。その一方で当然の如く、太平洋戦争で行われた本当の「カミカゼ」・・・神風特別攻撃隊がクローズアップされ、映画や小説、書籍やドキュメンタリー番組がこれまでになく多くなった。その多くが彼らの自己犠牲の精神を称える共に散っていった若者達への鎮魂の言葉で締めくくられている。

「統率の外道」か。。。

 兼子は、ある番組の中で語られていた特攻の生みの親とも言われ、終戦により自決した大西瀧治郎中将の言葉を噛みしめるように呟いた。兼子は、その言葉の前段で述べられたという「日本の作戦指導がいかに「まずい」かを表している。」という大西の言葉が本質を突いている。と思っている。個々の人間の思いは様々だろうが、日本のため、日本人のため、いや、家族を敵から守るために命を捨てて敵と差し違えようとした彼らの自己犠牲、日々、死ぬための訓練でしごかれながら、何を思っていたのかを思うと胸が詰まる思いだ。それを疑う余地はない。しかし、そういった彼らの命、、、自己犠牲に頼る作戦しか立てられない状況は、国家として、軍として、あまりにも無責任だ。と兼子は思っている。

 だからこそ分からない、河田が中国空母に特攻した理由が。。。最初から体当たり「ありき」で作戦を立てていたことが信じられなかった。 これは部内の極秘情報だが、海上保安庁と海上自衛隊の合同捜査の結果、河田達は、その経験と技術力、人脈を駆使して特殊なシステムを開発した。

 そのシステムは、護衛艦「あさゆき」の戦術システムCICを傍受するだけでなく、そのシステムを乗っ取り、偽の情報をCICに送り込み、妨害電波で無線を封止して外界と遮断。「あさゆき」を意のままに操ることが出来たという。「あさゆき」近傍にあって、電波の送受信、妨害を行っていた漁船が何者かの妨害にあってシステムを破壊されたことが、失敗の原因とされたが、もっと徹底的にやれたのではないか、というのが専らの疑問であった。だが、システムに関わる人間が死亡し、「あさゆき」に乗船し、河田と内通していた自衛官が事件直後に自殺したことで全ては憶測でしかない。

 もしかして、、、

 最初から特攻する計画だったのではないか。。。侵略に対する我が国の現状認識の甘さを世界に訴えるために。。。

 兼子の脳裏には、あの日の光景が浮かぶ。


「船長。中国海警のヘリ、着船コースに入りました。」

 報告に兼子は我に返り、遠くを見つめていた目を部下に向け直した。

「ご苦労、進路、速度そのまま。お出迎えに行くとするか」

 言いながら双眼鏡を置いた兼子はもう一度遠くを見つめた。

 河田さん。。。日本は変わることができたのだろうか。。。いや、きっと日本は変わっていく。。。安らかに眠ってください。。。

 呟いた兼子は、部下に気付かれぬように数秒だけ目を閉じて黙祷を捧げた。


「おい、今朝もちゃんと嫁さんの写真に挨拶したのか?」

 右席で操縦桿を握る機長の浜田が視線を外に向けたまま茶目っ気の多い声を出す。

「正確には、カミさんと息子の写真ですよ。もちろん挨拶しましたよ。浜田さんは、写真持ってないんですか?」

 昇護の屈託のない返事が当然だということを代弁している。

「もちろん持ってるさ、でも、お前みたいに毎朝挨拶はしないけどな。」

 会話をしながらも周辺の海上に目を配る昇護に浜田がいたずらな笑みを向ける。

「意外とクールなんですね。」

 昇護が言ったとたんに後ろのキャビンから大爆笑が湧き起こった。

「クールなもんか、なあ、磯原」

 機上通信員の土屋がコックピットに顔を突っ込む。GPSと通信を担当する土屋は、機外の監視はしていないので、比較的自由度が高い。土屋に話を振られた機上整備員の磯原はキャビン側面の窓から外を監視しながら爆笑の余韻でニヤケている。

「そうだそうだ。クールなもんか。」

 わざと裏返りそうな声で追い打ちを掛ける。

 彼らを乗せた「うみばと2」は、最新型のシコルスキーS76Dで、4枚の羽で構成されたメインローターと静粛性の高い今時のタービンエンジンのお陰で機内が静かで、ベル212の頃のようにキャビンとコックピットの間でクルーは大声で話す必要はなく、言葉の機微を感じ取れるほど会話が弾む。

 4年前のあの夏、特別警備隊員を乗せて魚釣島に強行着陸した際に受けた銃弾で、初代「うみばと」は、2度とあの島から自力で飛び立つことはなかった。武装集団から解放されて彼らが用意したゴムボートで特別警備隊員と島を離れてから数日後、浜田達クルーが知らぬ間にあの島で解体され、船で運び出された「うみばと」は、屑鉄として解体業者に引き取られた。後日そのことを知った機上整備員の磯原が、解体業者から外板パネルの一部を譲り受け、入院中の昇護のために、書類挟みを作って贈った。海保のヘリコプターであることを示す2種類の青いストライプの入った軽いジュラルミンの板は、手に取らない限り誰も本物のパネルだとは気付かない。知っているのは「うみばと」のクルーと彼らの元愛機ベル212「うみばと」だけだった。昇護がベル212が大好きで海保のパイロットを目指したこと、念願のベル212乗りになった昇護が、どれだけ「うみばと」を気に入っているのかを知っていたクルーの優しさも加わり、その書類挟みは昇護にとってかけがえのない宝物になった。

 銃撃された傷が癒えて、数ヶ月に及ぶ入院生活を終えた昇護がさらに半年かけてリハビリを行い、航空隊の現場に復帰した頃に、浜田達はやっと自分達の愛機を割り当てられた。

 その頃すでに旧式となっていたベル212の後継機として4枚羽根のメインローターを持つベル412やAW139、シコルスキーS76Cが導入されたが、いずれも自動で4枚のローターを折りたたむことができず、巡視船に搭載するのは不向きで、陸上基地のベル212の後継として配備が進んだ。竹トンボのような2枚羽根のメインローターを持つベル212は、機体の前後方向に平行した位置でローターを止めておけば、幅をとらない。つまり、巡視船内に格納する際、メインローターを折りたたむ必要がないのだった。このため、ベル212は、その後も巡視船の搭載ヘリとして主流を務めていたが、破壊された「うみばと」の後継として新たに旧式のベル212を調達することは困難であり、当時まだ検討中ではあったがベル212の後継機となる機体を調達、装備させた方がいい。どうせ副操縦士が復帰するまで時間が掛かる。というのが上層部の考えだった。

 文字通り翼を無くした「うみばと」のクルーは、後継機導入第1号機のクルーとして白羽の矢が立ったのだった。

 彼らは後継機として選定されたS76Dの導入を運用面で手伝った。S76Dは、陸上基地用としてベル212の後継として調達され始めたS76Cにメインローターの自動折りたたみ機構を追加したタイプだったが、ベル212から直接移行するには両者の性能・特性差は大きすぎた。かといって、巡視船の搭載機としての経験のないS76CのクルーにS76Dを与えて巡視船に乗り組ませるのも乱暴な話である。このため浜田達は、まず、S76Cで飛行訓練を行ってからS76Dの運用マニュアルの整備、母船での取り扱いなどの環境整備を行うこととしたのだった。

 S76D初号機の納入式には、リハビリを終えた昇護の慣熟訓練も完了し、久々にクルーが揃うこととなった。

 そこから各種試験飛行及び訓練を終えた彼らは、再び巡視船「ざおう」配属となり「うみばと2」と機種に書き込まれたS76D初号機と共に久々に母船の飛行甲板に降りたった。

 

「こいつなんか、酔っぱらうと奥さんの写真にキスしまくりだったんだよな~。直樹さんっ」

 土屋が、浜田の名前を甘ったるい声音で呼ぶ。

「わっ言うな。よせっ、そんな昔の話。昇護ユーハブコントロール」

 動揺した浜田は、機体の操縦を昇護に任せるという意味の掛け声発した。

 「火消し」に忙しくなると判断してのことだろう。

「あっ、はい。アイハブ。」

 あわてて答えた昇護は、計器を一通り目にして機体の状況を把握したうえで返事の合図を返し、操縦桿サイクリックレバーとスロットル(コレクチブレバー)を握った。ユーハブ、アイハブという合図は、気付いたら誰も操縦していなかった。という過去の事故を起こさぬように世界中で習慣化された合図だった。

「あれ、だって、写真が変色して何度写真を変えたんだっけか?」

 磯原が畳み掛けて再び大爆笑が起こる。

「えっ、マジですか?俺なんか全然じゃないですか。」

 昇護が笑う。

「なにっ、おま、お前まで言うかっ。誰だっけ?プロポーズの答え貰えなくてイライラしてたのは?」

 過去を知るキャビンの2人には反撃する術を持たないと知った浜田の矛先が昇護に向かうのは自然の流れかもしれないが、、、

「そーだよな。八つ当たりしてみたり、しょげてみたりしてさ。若いね~。この。」

 そこは勝手知ったる仲、浜田の策略にすっかり昇護はハマってしまった。後ろの2人は人をネタにするのが好きなだけだ。

「昇護、操縦どころじゃなくなってきたな、代わろるか?」

 浜田はニヤケる。

「そんな昇護をビシっと一喝した先輩が、実は写真にね~。」

「チュッチュッ、だもんな~。」

「そうそう、貴子ちゃ~ん。とか言っちゃってさ。」

 金華山沖での訓練の帰路、緊張から解放されたキャビンは、ある意味笑い上戸だ。もちろん、どこで海難事故があるか分からないから監視の目は怠らない。

「いえ、私が操縦します。機長殿。貴子さんの写真でも見ててください。」

 かしこまった昇護の口調に、浜田の顔は一気に赤くなる。

「バカやろう。飛行中だ。んなことするか。」

 先輩らしく一喝したつもりが、機内にはもう一度爆発的な笑いが起きた。

「ま、いずれにしても結婚は出来たし、また飛べるようになったし。めでたしめでたし、じゃないか?」

 話をまとめるように、土屋がしみじみと言った。

「そうだな。いろいろあったけど結果オーライだ。」

 磯原の明るい声が後ろから聞こえる。

「お前の親父さんが、あの海にいたから助かったんだ。あの連携は素晴らしかった。」

 浜田が、感動冷めやらぬように言う。尖閣諸島沖で銃撃を受けて重体となった昇護を、当時護衛艦「いそゆき」の艦長だった父、健夫が海上保安庁と連携して那覇まで運んだ話は有名だった。途中、護衛艦「いそゆき」で応急手当した昇護を運ぶう海上自衛隊の救難飛行艇US-2が中国軍戦闘機に撃墜されそうになった。というのは、非公式の話だったが、もちろん、その戦闘機が鈍重な海上自衛隊の哨戒機、P-3Cに落とされそうになったということは中国側も恥ずかしくて抗議できない。

「親父さん、退官したんだよな。」

 土屋が尋ねる。

「はい。去年退官して、今では茨城の地元で仕事してます。休みの度に孫の顔を見に仙台まで来てますよ。」

 根っからの護衛艦乗りだった昇護の父は、家を空けることが多かった。そのことをつぐなうかのように退官後はなるべく家族と顔を合わせるようにしているらしい。実家の隣町に住む妹のところへもよく出かけるらしい。その一方でヘリパイロットとはいえ、巡視船搭載機のパイロットをしている昇護は、現役時代の父と同じく家を空けがちなのは運命の皮肉かもしれない。陸上基地のヘリパイロットという選択肢はあるが、そのことについて父は何も言わないし、妻の美由紀も文句は言わなかった。リハビリが済んでから結婚し、デスクワークの傍ら体力作りを行い、慣熟飛行訓練を終えるまでの半年あまりの新婚生活を仙台の官舎で過ごした。

 昇護は、巡視船搭載機での勤務を希望していることをなかなか言い出せずにいた。父のように頻繁に、しかも長く家を空けることになることも気掛かりだったが、何よりも昇護は一度撃たれて何とか一命を取り留めた身だ。その昇護が復帰するなりまた同じ勤務を希望していることは、妻から見れば、その行動は自分勝手であり、その原動力である使命感は、独りよがりとして映るに違いないと昇護は知っていた。

 昇護がやっと美由紀に告げたのは慣熟飛行訓練が終わりに近づいたある夜のことだった。

「心構えは出来てます。お義母さんに教えてもらいました。心配なさらず思いっきりやってください。」

 いつになく丁寧な物言いは嫌味ではないことを微笑む美由紀の頬に滝のように流れ出した涙が証明していた。そして、そこには昇護に負けず劣らない覚悟があることも、それを感じた昇護の目にも涙が溢れてきた。たまらなく美由紀が愛おしくなり。強く美由紀を抱きしめた。美由紀は嗚咽を押さえきれず声をあげて泣き出した。

「ごめん、、、泣いちゃダメってよって、お義母さん、言ってたのに」

 途切れ途切れに呟く美由紀の頭を昇護は優しく撫でる。

「いいんだ。ありがとう。寂しい思いもさせるし、心配も掛けると思う。苦労だって掛けるだろう。だけど、俺はいつでも美由紀のことを思ってるし。。。何があっても絶対に生きることを諦めない。。。」

 昇護は自分に言い聞かせるように美由紀に約束した。

 美由紀は、子供が出来るまでの間、非常勤講師として教鞭を握り、息子が生まれた後は、子育てに専念していたが、来年息子が3歳になったら再び非常勤講師をすることにしている。男女雇用機会均等法が施行されるはるか昔から男女が働くのが一般的だった教員の世界では、産休産後の女性教員への制度は定着しており、代打を務める非常勤講師の制度もしっかりしていた。

 小学校の先生が夢だった美由紀は、昇護の夢に寄り添いながらやっと手にした自分の夢も続けることができた。それを何よりも喜んでいたのは昇護だった。そして、昇護の両親の理解もある。


「そう、俺は絶対に死なない。。。」

 あの夜の美由紀の涙を脳裏に浮かべた昇護が呟いた。

「ん何か言ったか?」

 照れ笑いがやっと顔から引いた浜田が横目を昇護に向ける。

「いえ、何でもありません。このまま着船まで操縦させてください。」

「了解。じゃあ任せた。」

 浜田は、周囲へ監視の目を向けながら応えた。

 尖った鼻先、引き込み式の車輪。軽快な動き、、、丸みを帯びた愛らしい鼻先にトンボのように長い尻尾、太ったキャビンにソリのようなスキッドを付けた、これぞ働くヘリコプター然としていたベル212とは正反対のイメージのS-76D。昇護は、やっと好きになり始めた愛機「うみばと2」の出力を上げた。昇護に相棒として認められつつある「うみばと2」は、その期待に応えるように俊敏に加速していった。


 JR水戸線を終点の小山駅で降りた悦子は、ホーム端の階段を上り終えると、抱いていた娘を降ろした。もうすぐ2歳になる娘は手を引かれてたどたどしく歩きながら長い通路を歩き出した。

 今日は改札まで歩ってくれるかしら。。。

 新幹線に東北本線、両毛線も乗り入れている小山駅の水戸線のホームは、駅の端にあり、階段を上ると古い跨線橋こせんきょうを廊下のように改造したであろう通路を歩き、東北本線を渡る。長い通路には東北各地の旅行や名産品を紹介するポスターや、家電品に至まで様々な大きな広告な並ぶ。宣伝効果をあげたり広告収入を得ることも勿論だろうが、通路の古めかしさをせめて明るく彩りたいから、という思いもあるのかもしれない。

 高校生の頃よりは随分明るくなったけどな~。

 あの頃は今の自分がこんな人生を送っているなんて予想もしてなかった。ましてや自分の夫があの人になるなんて、微塵もなかった。

「うぁ~、おっちいお顔ぉ、これ、パパのジュッチュー。」

 娘が、覚えた単語を並べたてて悦子の手をぐいぐいと引っ張り、ある広告の前で立ち止まる。

 海と抜けるような青空それは高みに行くほど青が増す奥行きのある空。アップに映った汗ばむ顔の男の口元には、泡が残り、口から離したばかりのビールの缶はラベルをこちらに向けている。その背後の細く背の高い椰子の木が南国であることを主張している。

「あっ、」

 夏も終わりに近づき、追い込みのようにさらに新たな広告を貼り出したのだろう。初めて目にする広告だった。

 そこには、古川悟の顔があった。

 アルミ缶の地肌を強調するかのような銀色の缶に黒で描かれた商品名。辛口を前面に押し出して日本はおろか世界中で日本のビールを有名にしたこのブランドは、売り出した当初から広告のモデルには日本を代表する男を選んでいた。カメラマンに、スポーツ選手、作家にジャーナリスト。

 古川と結婚して間もない頃、世界を股に掛けて活躍するジャーナリストが出演していたこのビールのCMを見ていた時、

「俺も、有名な新聞記者になって、このCMに出るぞ。」

と、ビールを煽っていた古川の笑顔が悦子の中で懐かしく膨らむ。


「おめでとう。。。」

 相変わらず爽やかとはいえない彫りの深い笑顔の男に呟いた悦子は、こぼれそうになる涙を娘に気付かれないように指先でそっと拭った。

「ママぁ、お友達?おじさんの、これ写真」

 娘が悦子を見上げる。疑うことをしらない真っ直ぐな目が愛らしい。

「ううん、違うよ。知らない人。」

 悦子は応える。


 あの日、そう、もう4年も前の夏のこと。あの人のホテルの部屋で帰りを待っていた私。。。

 精一杯謝った。あの人も許してくれた。もう一度、結ばれるかもしれないと思っていた。そうして待っていたあの部屋。いつの間にか眠ってしまった悦子が目を覚ましたときには朝だった。尖閣での事件は終息したのにも関わらずまだ戻らない古川の身を案じながらも、新しい1日の始まりに洗顔をしようとバスルームへ向かう悦子の目に1枚の紙が差し込まれてた。部屋のドアの下から差し込まれていた紙は、手帳のページを破ったものだった。

 あの人、まだこの手帳を使ってるんだ。。。

 その紙を手にした悦子に懐かしさが込み上げ、優しい気持ちに包まれる。悦子が初めて古川にプレゼントした手帳。彼女が一生懸命選んだそれを気に入った古川は、毎年買い続けて愛用していたが、離婚した後も使ってくれているとは。。。結婚したばかりの若いあの頃、、、新聞記者という仕事のため、会えない時は、これにメッセージを書いてやり取りしたっけ。

 懐かしい。。。あの人も、そう思ってくれてるのかしら。。。

 紙を裏返した悦子の表情が一気に曇り、手が震え出した。


田中 悦子 様

 この度は、こんな事件に巻き込んでしまい申し訳ありませんでした。

 私は、あなたと結婚したことも、離婚したことも後悔していません。 正直に言えば離婚した後、しばらく悩みましたが、私は自分の生き方を見つけました。今はそれに向かって努力している最中です。叶うかどうか分かりませんが、とても充実しています。

 あなたの想い、反省し苦しんできたことも分かりました。これ以上苦しまないでください。

 私があなたに望むこと。それはあなたの幸せな人生です。あなたにプロポーズした時の想いと変わっていません。私はあなたのこれからの人生に関わることはないと思いますが、望みは変わりません。

 私は私の、あなたはあなたの人生を精一杯悔いのないように生きていきましょう。

 君に幸多きことを!


        古川 悟


 涙が溢れ、紙を持つ手に、そして、紙を濡らす。インクが滲まないのは、私がプレゼントしたあのペンを使っているからだ。雨の中での取材でも使えるようにって。。。

 やっと分かった。あの人は私との思い出を消したいのではなくその思い出を大切にしながら新しい道を歩いているのだと。私も新しい道を歩こう。後悔しないように。。。

 

「さ、行こう。パパにビール買っていってあげようね。」

 悦子は、娘の手を優しく握りなおして長い通路を歩き出した。


-終戦から70年以上が過ぎた今、当時を生きた日本人は少ない。まして当時を軍人として生きた世代の人々はほとんどいない。彼らの生の言葉を聞くことが出来るうちに聞いてほしい。どんな思いだったのかを。

 あるいは、彼らの生前にその言葉を聞く機会のあった人は、それを代々伝えていってほしい。

 臭い物にはふたをする国民性、腫れ物にはあえて触れようとせずにそっとしておく国民性が戦後長きに渡って歪んだ平和主義を生んだのではないか、歴史は繰り返す。という通り歴史から学ぶことを止めてはいけない。歴史を学ぶと言うことは、すべてを公正に見なければならなかったはずだ。だが、戦後の歪んだ平和主義は、祖国日本の事実を負の部分しか伝えなかった。これが主流となってしまったのではないかと私は見ている。公正に見れば、これが「自虐史観」であることは明確であるが、摩擦を恐れたのか戦後社会は、ひたすら詫びに詫びぬいた。その結果が歴史教科書問題にも発展しているのではないか。自国の教科書、しかも後生に自国の歴史を伝える教科書で何故他国に意見されねばならないのか。。。

 そういった戦後社会の中で、その時代を戦った人の本当の想いはどれだけ後生に伝わったであろうか。本心を社会に語れずにその想いを胸に秘めたまま静かに旅だった人は多いのではないだろうか。。。

 ならば、我々は自ら調べ、考えねばならない。聞けなかった分感じ取らねばならないのではない。特攻、玉砕、万歳突撃。。。なぜ、人類史上かつてない戦い方を日本人がしたのだろうかを。。。

 それらを戦後社会で培われた歪んだ平和主義の頭でヒステリックに考えてはいけない。

 まずは当時の日本人の置かれた状況を考えなければなるまい。共産党と国民党に別れて内戦をし、さらに日本とも戦争をしていた中国を除けば、アジアで独立国家として成り立っていたのはタイと日本だけだった。その他は、欧米の植民地支配下に置かれていたのだ。これが何を意味するのかは想像に難しくないだろう。油断すれば日本は欧米の植民地になってしまう。日本への最後通牒となったアメリカの「ハル・ノート」はまさしく明治以前の日本へ成り下がるよう要求するものだった。さもなくば、石油や鉄は売らない。という強硬さだった。

 そもそも太平洋戦争という呼称は戦後、戦勝国主導で名付けられたもので、日本は当時、大東亜戦争と呼んでいた。つまり、アジアを欧米の植民地支配から解放する。という大義名分のもと戦っていたのだ。つまり負ければ問答無用で植民地となることを覚悟した戦いだったともいえるのではないか。そして、戦争末期の日本を思い浮かべてほしい、大都市は一般市民をも狙った無差別爆撃にさらされ、田舎では、戦闘機に農民や子供達が銃撃される毎日。こんな相手に負けたらどうなるか、、、両親は?兄弟は?姉は?妹は?恋人は?妻は?子供達は?

 そう、男達が愛すべき、守るべき人々に惨い死が待ちかまえていることは想像に難しくなかったのではないか。

 愛すべき人達が、1日でも長く生きながらえることが出来るなら。1日でも長く平穏に暮らせるなら、と、守るべき立場にある男達は考えたのではないだろうか?

 だからこそ絶望的な状況で負けると分かっていても人類史上ありえない戦法にたったひとつしかない命を投げ出した彼らの自己犠牲の精神に感謝し称えることはあっても非難するのは間違いである。非難すべきは、彼らの純粋な自己犠牲の精神を作戦として利用し、戦法と化した指導者層を非難すべきなのだ。


 ここまで一気にキーボードで打ち込んだ古川は、手を休めて冷めてしまったコーヒーを喉に流し込む。

「食前酒には何をお召し上がりになられますか?」

 古川が手を止めるのを見計らったかのようにキャビンアテンダントの若い女性がその見た目を裏切らない清楚な口調で尋ねる。しゃがみ込んで目線を古川より下にしているのも好印象だ。それだけで疲れが癒される。

「ありがとう、じゃ、ウィスキーを水割りで頂こうかな。」

 それにしてもキャビンアテンダントというのは、スチュワーデスと呼ばれていた時代もそうだが、なぜ前髪を垂らさないんだろう。みんな額

を出して髪を後ろに撫でつけるように縛っている。まるでシンクロナイズドスイミングの選手みたいだ。清楚だが色気は感じないな。ま、客の命を預かる手前、いろいろ厳しい規定があるのかもしれない。

「古川さんですよね。お邪魔でなければ、ここにサイン頂けませんか?」

 通路を挟んだ向こうの席の男が声を掛けてきた。40代半ばに見えるその男の、上品なスーツの袖口が最初に目に入るが、その先の手が持っていたのは紛れもなく古川の著書だ。

-最優先事項~集団的自衛権を語る前に。。。-

 4年前の尖閣での事件は様々な波紋を産んだ。その中で古川が意外に感じたのは世界各国の反応だった。

 

-侵略することを明言している軍艦に対してCoast Guard(沿岸警備隊。日本でいえば海上保安庁)を前面に出してどうする気だ。日本は自国を守る気があるのか?-


-イージス艦を始め、世界屈指の軍艦を持っている日本が、なぜ巡視船しか出せないのか。政府の正気を疑う。-


-歴史認識の相違もそうだが、周辺国家に気を遣うことと、国防を放棄することは違う。国防を放棄する政府に日本国民は税金を払う必要はない。-


-どんなに高性能な兵器を持っていようと、どんなに優秀な兵員がいようと、それを使いこなす仕組みがなければ、何にもならない。今回の対応を反省し、改善しなければ、近い将来、日本という国家は地球上から消滅するだろう-


-我々は、日本の自衛隊が集団的自衛権を認められ、我々同様に行動できることを期待していたが、自国を守ることもできない軍隊を我々は信用できない。-


-日本政府は、軍事力による国際貢献に焦るあまり、国防をないがしろにしている。-


 これら世界各国の非難とも日本への憂いとも捉えられる多くのコメントをきっかけに、当時の与党、在民党の宇部政権が掲げた「国際的平和主義」という名のもとに半ば強引に進められていた、憲法9条の改正と、集団的自衛権容認について「そんなことよりも、しっかりと国防できる法整備を優先すべきだ。」として、古川が警鐘を鳴らすべく執筆した最初の書籍だった。

 それまでは新聞記者出身の軍事ジャーナリストとして活動してきた古川は、河田と共に行動したことで、見た物事をありのままに伝えることを超え、問題の核心を突き、読者に日本のありようを問うといった書籍を書くようになった。

 河田が最後に古川に遺した言葉、

「真の独立国家として。国民が正々堂々と国を愛せるように。誇れるように。。。」

 その言葉に応え、次代に日本を託す。。。それがこの国を憂いて自らの命を投げ出した河田への供養にもなるだろう。やり方はともかく、本気で日本を憂いた河田の魂に報いるために。。。そのために古川は書きだしたのだった。


「はい。どうぞ。これからもよろしくお願いします。」

 男に示されるがままに開かれたページにサインをした古川は恭しく礼を言いながら読者に本を返した。「ありがとうございます。先生はフィリピンで何を。」

 男の目は少年のように輝いている。

「今書いている作品の取材です。いや、ルーツを探りに行く。ってとこですかね。まず初めて特攻隊が飛び立ったというマバラカットに行こうと思っています。」

「マバラカット。そうなんですか。お気を付けて、お邪魔してすみませんでした。次の本、楽しみにしてますよ。」

 男は席に座り直すと、軽く会釈をして、食前酒に口を付けた。

 男が自分の世界に戻ったのを見届けた古川は、水割りのグラスを目の前に掲げると、軽く目をつぶった。その命の投げ出し方には疑問もあるが、あの初老の紳士の気持ちや考え方は理解できる。。。

 あの暑い夏の海で漁船のデッキで風に吹かれる長身で白髪頭の元提督の後ろ姿が瞼に浮かぶ。

 河田さん、あなたから見て、今の日本はどうですか?

 ま、そんなすぐには変わらないでしょうけど。。。

 後は我々に任せて安らかに眠ってください。

 ゆっくり目を開いた古川は、南の海の水平線をじっと見つめると河田の大好きだったウィスキーを一気に飲み干した。


-fin-


【参考文献】

『われわれ日本人が尖閣を守る 保存版』監修 加瀬英明(高木書房)

『海上保安庁 その装備と実力に驚く本』社会情報リサーチ班[編](河出書房新社)

『軍艦の秘密』齋木伸生(PHP研究所)

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