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防人の末裔たちへ

68.防人の末裔たちへ

「何あれ?ヤバイんじゃないか?」

「マジであんなとこに来てんの?中国の艦隊?」

 空港ロビーの最前列のソファーに腰掛けていた美由紀の前に壁のように置かれていた大型のプラズマテレビに人だかりが出来はじめている。

 ダイビングの帰りなのか、ラフな格好の男達のグループは、みな日焼けして茶髪の髪が潮で傷んでいるようにも見える。そのためか、若くも見えるし、30代近くにも見える。彼らが大声で話しつつも美由紀の視界を遮らないように彼女の目の前に立つ事だけはしないのは、その程度のマナーを当然のようにわきまえている大人に分類される人達なのだろう。明日にはきっとどこかで営業に立ち、あるいは、オフィスで働き、或いは、工場でモノづくりに汗を流すのかもしれない。もしかしたら、私の生徒のような年頃の子を持つ父親なのかもしれない。

 彼らの騒ぎでテレビ画面に目を移した美由紀は、その異様な光景に引きつけられ、耳のイヤホンを外した。

 どの角度から見ても色鮮やかに見える視野角の広さと、その精細な画像が自慢の日本製のプラズマテレビが、陽が落ち始めて青味を増した空と同じように暗い色になり始めたの海とそこに浮かぶ動きの無い灰色の物体、を映していた。その性能をフルに発揮する必要もない被写体は、高性能のテレビにしてみれば退屈な相手に違いないが、それを見る美由紀にはその異様さが分かった。水平線から少し手前にこちらを向いて並ぶのは、紛れもなく軍艦だ。それは、船にうとい美由紀でも分かる。しかもその中央に見えるバランスの悪そうな形の船、そうそうブリッジという建物のようなものが船の中心ではなく横の端に付いている大きな船。それは確か昇護が「空母」と言っていたやつだ。空母を日本が持っていないことくらい美由紀は知っている。というより、昇護が教えてくれた。彼は、時々船や飛行機のことを夢中になって話す。そんな時は、子供と話すように微笑ましく彼を見つめる美由紀だったが、知識として身についているのは、彼が美由紀にも分かりやすい説明をしてくれているからだと改めて知った。飛行機が飛んだり降りたりするのに邪魔になるからブリッジを端に付けている。確かそう言っていた。戦争中は日本も沢山持っていたが今は持っていない。ヘリを載せる似たような船は日本も作り始めたけど。。。そうも言っていた。でも日本のはヘリを載せるだけだし、外国に遠慮してるのかブリッジの建物が大きいんだ。四角くて幅の半分くらいはあるんだ。あれじゃとても空母には見えないや。。。そう言って笑う昇護の横顔が美由紀の記憶の中から浮かびあがる。

 そう、目の前の画面に映るバランスの悪い船はブリッジの建物が平らな甲板っていってたっけ、あの平らなとこの1/3くらいしかない。昇護に言わせれば多分「空母」に分類されるのだろう。

 その船が少しだけアップに映された。そして、-空母を中心とした中国艦隊が尖閣諸島 魚釣島の沖領海を侵犯中-という文字が画面に踊っていた。

「やっぱ、中国の空母じゃん。」

「自衛隊は何やってんだよ。」

 男達が口々に罵声を飛ばし始める。

「バッカだな~。お前、中国に自衛隊が手ぇ出す訳ね~だろうよ。」

「どういうことだよ。自衛隊が怖じ気付いてんのか?」

「違うよ。政府だよ政府。中国に頭が上がらんのさ。」

 リーダー格の男が訳知り顔で話す。よく見ると茶髪にはわずかに白髪が覗いていた。

「じゃ、黙って入らせとくんすか?」

「いんや、そ~でもないさ。海猿がいるだろ、海保がよ。」

「海猿?カイホ?」

「海保だよ、海上保安庁。お前海で遊んでるくせに、そんなことも知らなかったのか?」

 海保、という言葉に美由紀はドキッとした。

そんな彼らの会話に合わせるようにズームアウトした映像の手前側に白いスマートな船が映りはじめた。

「巡視船。。。」

 呟いた美由紀は顔面から血の気が引くのを感じた。寒気すら感じる美由紀は、隣の座席に置いておいたバックを胸元に抱き寄せた。那覇の自衛隊病院に入院している昇護を見舞うために昨夜東京のホテルに一泊して朝一番の飛行機で那覇に来ていた美由紀は、荷物と言っても、下着と化粧品程度の簡単な物だった。今夜遅くには茨城の自宅に着く。美由紀は小振りのボストンバックに温もりを求めるように力を入れて抱きしめていた。あの昇護と同じ海上保安庁の職員があの巡視船に乗っている。あの職員の奥さんは、家族は、どんな思いでこの映像を見ているのだろうか。。。自然と溢れた涙が美由紀の視界をにじませる。

「可哀想だよな、海保の人達は、中国を刺激したくない政治家達のせいで、あんな矢面に立たされてさ。巡視船って、機関砲しか付いてないんだぜ。何かあったらイチコロだよ。」

 へ~、そりゃ気の毒に。と言わんばかりの表情でリーダー格に頷いた若い男が、何か思いついたように明るい声を出す。

「そうだ、あんな島、中国にくれてやりゃあいいんすよ。痛ぇっ」

「バカやろう、そういうのを売国奴っていうんだよ。」

 若い男の頭を叩いたリーダー格が、声を荒げた。

「バイコクド?」

 叩かれた頭をさすりながら若い男が意味不明と言わんばかりな声を出す。

「簡単に言やあ、自分の国を裏切って外国に売るような事をするクソッタレってことさ。お前、本当に何も知らね~んだな。そんなんじゃ、いつになっても自分の店持てね~ぞ。勉強しろ、勉強。」

「あ~、そのことっすね。それなら俺も知ってるっすよ。政治家とか、どっかの新聞社とか。」

 グループから笑いが生まれる。

「ま、そんなもんだ。おい、ちょっと静かに。」

 リーダー格が、仲間を制する。

 画面が切り替わり、初老の男が映る。

「あの爺さんだ。」

「そもそも、あいつがあの島にちょっかい出すからこんな事になったんじゃないか」

「ちょっかい出すも何も、日本の島に日本人が上陸して何が悪い。」

 またもや、ザワメキが起こる、いつの間にか搭乗客が集まっていた美由紀の周りの席も騒々しくなる。

-日本国民の皆さん。私は、尖閣諸島、魚釣島の河田です。

 先ほど見ていただいた映像は、この島の沖合に侵入してきた中国艦隊の映像です。この場所から私が見ているのと同じ光景を御覧いただきました。。。-

 映像に現れた老人の堂々とした声に美由紀含めてその場が静まりかえった。

-この光景を見て、皆さんは何を思ったでしょうか?

 外国の艦隊が、、、中国の艦隊が、私を排除することを公言した上で日本の領海を侵犯しているのです。

 私は日本人であり、この島は日本の領土です。日本国政府も尖閣諸島は、日本固有の領土であり、領土問題は存在しない。と宣言しております。

 その島に上陸した我々を、中国は、中国領土への侵入者として排除すると明言して向かってきています。確かに我々は完全に武装しています。ですが中国とは全く関係のない話ではないでしょうか?私が犯しているのは日本の法律であり、中国の法律ではありません。繰り返しますが、ここは日本の領土であって中国の領土ではない。つまり、私は日本の法律に基づく対応をされるのが当然であって、中国は関係ない。今朝ほど職務に忠実な海上保安庁の特殊部隊の諸君でも我々を逮捕することが出来ないことを証明して見せました。そもそも海の警察とも言うべき海上保安庁で対処できない重武装集団の我々には、自衛隊を派遣して対処すべきなのではないでしょうか?なぜそれをしない?

 さらに、我々を、つまり、犯罪者とはいえ、日本の領土であるこの島にいる日本人を排除するために領海侵犯をしている艦隊に対して、なぜ政府は毅然とした対応をしないのか?軍艦の領海内の航行は、無害通行権としては認められています。しかし、領土を攻撃するために領海を侵犯しているこの中国艦隊に無害通行権は該当しません。

 これは明らかに侵略行為なのです。なのに何故日本は、日本国政府は毅然とした対応を出来ないのでしょうか?

 経済的に中国への依存度が高いからでしょうか?確かにそれも一理あるでしょう。資源に食料の輸入、そして製品や農作物の輸出そして中国に進出している多数の企業。。。首根っこを掴まれていると言っても過言ではありません。

 でもそれは領土を守ることとは別次元の話ではないでしょうか?数年前に、この国は、巡視船に体当たりした中国漁船の船長を逮捕したのにも関わらず報復を恐れて釈放しました。これが法治国家のすることでしょうか?独立国家としてあるべき姿なのでしょうか?

 領土とは何なのでしょうか?それは財産であり、国家の歴史でもあります。祖先が命を賭けて守り抜いてきた領土。そこで暮らし、恩恵を受けて生命を育んで来た祖先があって今の私たちが存在しているのではないでしょうか?

 遥かな昔、防人として遠路各地から辺境防衛のために集まり、3年の長きに渡って国防の任に就いた祖先達に始まり、幕末には圧倒的な欧米列強の力を見せつけられながらも、この国の存続のために奮闘した人々、アジア、アフリカだけでなく世界中を植民地支配しようとする欧米列強の帝国主義と常に対峙し続けてきた日本を支えた人々。そして、太平洋戦争では、自らの命をも兵器とした特攻攻撃まで行われました。

 特攻は志願制であったと言われてはおりますが、果たしてあの状況下でどこまでが志願でどこからが強制か、それはその場に居合わせた人間にしか分からないことかもしれません。いずれにしても、その時代背景から、実に様々な想いがあったことと思います。

 出撃したら最後、行きて帰ることの出来ない特攻。そうまでしなければ米軍を食い止めることができない、いや、既に日本は負けると分かっていた人も多かったことでしょう。

 なぜ、何のために彼らは自らの命を捧げたのでしょうか。国のため、家族のため、未来のため。。。自分の死を意味あるものにしたい、未来に日本という国を、家族に日本という国を残したい。欧米の植民地にはさせない。私は、彼らがそう思って散っていったのだと思えてならないのです。。。-


「あ、そういえば婆ちゃんの兄貴が特攻隊だったっけ。」

 いつの間にか最前列の空いた席に陣取り直したダイバーらしいグループの若者が昨日見たテレビ番組の話のように他人事な口調で言う、周囲の席が搭乗客で埋まってきたので、やっと声を潜めたようだ。

「お前にその人の血が少しでも流れてりゃもっとマシな人間になってただろうな。そのおじさん、どこで突っ込んだんだ」

 興味深げに聞言葉を返すリーダー格の男の低い声が美由紀の耳に響く。

「確か、ガキの頃、墓石を見たとき、昭和20年6月南西諸島方面にて戦死、、、とかお墓に書いてあったっす。そんな場所もあるんだな~って、へ~って思って、他のお墓を見ると、ビルマとか、フィリピンとか書いてあって、なんだ、婆ちゃんの兄貴って、案外近場で死んだんだな~、しかも、戦争って8月で終わったんすよね?惜しかったな、ってガキなりに思ったんすよ。」

 言葉遣いはともかく、しみじみとした口調で若い声が答える。

「お前、潜る前に花とか酒とか海に撒いたか?」

 溜息混じりに低い声が諭すように語りかける。

「へっ?」

「ったく。興味持ったなら調べとけよ。だからお前はいっつも中途半端なんだよ。。。

南西諸島ってのはな、、、沖縄を込みでこの辺の島をまとめて南西諸島っていうんだよ。お前は、、、お前の親戚が命に代えて守ろうとした海で、思いっきり遊んでたって訳だ。。。

いや、、、わりぃ。。。お前だけじゃない、俺たちは、お前の親戚みたいに命を賭けて守った人が沢山いる海で、何にも考えず、遊んでいたってことだな。普段だって自分たちのことだけしか考えてない。未来に残す何かなんて。。。考えてない。。。」

 私もそうだ。。。

 聞くつもりはなかったが、耳に入ってくる彼らの会話に自然と耳を奪われていた美由紀は、俯いたまましばらく自問自答していた。生徒のために、と常に思っているつもりだが、それは、自分が受け持っている生徒をルールという枠に従わせることで、安全で問題を起こさず平穏に学校生活を送ってほしい。というのが根底にあるだけなのではないか。常にこの基準に照らし合わせて判断してはいないだろうか。。。 


 再び静まりかえったロビーに響くテレビの声が美由紀を引き戻す。初老の紳士は、背筋を伸ばし、諭すような、穏やかな表情で語りかけるように話を続けていた。


-。。。戦後、連合軍の占領下を経て、再び独立する事が出来た我が国は、平和国家を標榜する世界に例をみない国家として歩んできました。 今はもう昔のことのように忘れ去られようとしていますが、あの東西に世界を二分した冷戦の時代でさえ、西側の最前線にあったのにもかかわらず、この日本は戦争を起こすことなく平和国家であり続けることができました。

 しかし、よく考えてみてください。冷戦は、南米やアフリカ各地で米ソの代理戦争とも言われる紛争を繰り返し発生させてきましたが、それは、政情が不安定な地域に武器を提供することで米ソがその勢力を広げようとした結果であり、政情が安定している我が国には当てはまらない。一触即発とはいえ、米ソが直接戦闘になれば、それは即ち核戦争に繋がる。それが世界の終わりを意味することを暗黙の了解として知っていた両国は、代理戦争という形で勢力を広げるしか方法は無かったのかもしれません。そんな冷戦時代の中の日本は、率直に申し上げれば、在日米軍基地があるために極東とも呼ばれた最も危険な位置に存在しながらも戦争とは無縁でいられたのだと私は考えています。

 それに対して今はどうでしょうか?ソビエト連邦の崩壊を機に冷戦体制が崩壊したことは、世界の平和にとって大きな前進だと私も思います。しかし、安全保障の環境が大幅に変わったこと、いわゆる世界秩序の急激な変化により、2大国とその傘下の国々で世界を2分した対立が一気に崩壊し、地域の利害関係による対立に徐々にシフトしていきました。

 冷戦後の日本の平和の危うさは、尖閣を巡るこの状況で露呈したのではないでしょうか?中国は市場開放をすることで、安価な労働力は、アメリカ、日本を始め各国の企業の進出を促し、結果としてもたらされた経済成長は同時に巨大な市場として世界の注目を集めました。今やアメリカや日本は、経済的に中国と切っても切れない関係になっています。それは、アメリカが中国に対して干渉しずらくなってきたという変化をもたらしました。そして、中国は経済成長の恩恵を軍事力強化にも注ぎ込み、軍事費はウナギ登りです。そして、遂に海洋戦略を掲げて海軍力を整備し始めました。先ほど述べた通り、アメリカは干渉できません。これもまた冷戦後の変化です。

 そして、それらの変化の結果として今の尖閣諸島の状況があるのだと私は断言します。このように周辺環境が変化してきたのにもかかわらず、我が国の防衛は変化していない。装備や組織は変化してきましたが根本的に変化出来ていない事があります。変化どころか、明確で無いものがあります。それは、国を守る為の行動の規定、いわゆる交戦規定です。相手国が日本に侵略的な行動を取ってきたとしても正当防衛的な行動しかできない。つまり撃たれなければ撃ち返せない。現代戦は、喧嘩の殴り合いや拳銃での撃ち合いとは次元が異なります。撃たれれば必ず当たる。当たれば完全に破壊される。撃たれたら終わりなのです。それでどうやって国を守れるのでしょうか。他国もその現状を十分に承知しています。ですからこのような問題が発生するのです。どうせ日本は何もできない。そう思われているのです。これで国を、平和国家日本を守れるのでしょうか。

 海洋資源を金品に置き換えると、どうでしょう。金品欲しさに家に上がり込んで来る強盗に対して「私は平和主義だから何もしません。」と言えば諦めて出て行ってくれるのでしょうか?強盗の身の安全を保証しているのと同じではありませんか?では、仮に警察官が家にいればどうでしょうか?或いは、家に屈強な人間が住んでいたら?武器を持っていていつでも撃てるようになっていたらどうでしょうか?

 平和は、相手からの侵略がないことで保たれるものです。相手がいる以上、「私は平和主義だ」と言っているだけではどんな平和を保てないのです。冷戦後の国際環境は、経済・外交が複雑に絡み、そして変化し続けています。

 領土的野心を持った国家が存在する以上、自国の平和を守るための装備を持ち、それを有効に活用できることを示さなければなりません。つまり、抑止力です。

 強盗には「盗みに入ったらタダでは済まない。」ということをアピールすることで、その目的を挫かせることができるように。。。抑止力とはそういうものです。今の自衛隊のように、持っているだけではだめなんです。訓練を積んでレベルが高いだけではだめなんです。自国の平和を守るためにいつでも使える状態にある。ということを示さなければ意味がありません。

 憲法9条は、私も大好きです。誇りに思います。しかし、憲法の前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とあるように、これが成り立つためには周辺国家が平和を重んじており、信頼できる状況であることが絶対条件なのです。現在の我が国の周辺国はどのような状況でしょうか?これが当てはまりますか?だからこそ抑止力で平和を守る必要があるのです。相手に領土的野心を諦めさせておいて、外交努力により周辺国に平和を重んじてもらうように訴える。そうやって平和を守り、平和を広めて行こうではありませんか。

 防人の末裔たち。。。命がけで国を守ってきた人々の末裔たる日本国民のみなさん全てが平和を守るという当事者意識を持って、今こそ堂々と自信と誇りをもって国を守る事の大切さを議論していってください。戦争は誰も望んではいない筈です。領土的野心を持った他国につけ込まれずに野心を葬り去り、平和なアジアを、世界を築くためにまずは自ら考えて下さい。防人達から受け継いだこの国を未来永劫平和に残すために。。。


 次第に言葉に熱を帯びていった初老の男-河田勇 元海上幕僚長-の声が再び静かに語りかけるように終息すると、彼は深々と頭を下げた。 事前に撮影したものであったらしく、すぐに画面が切り替わると海と魚釣島をバックに先程の河田が立っていた。先ほどの動画での表情とは少し違った何かを。。。穏やかな雰囲気が表情を包みこんでいるような顔をしている。

 河田は一礼すると、画面が揺れ、回転して、再び水平になった。そこには、灰色の空母を中心とした中国艦隊が、そして、手前には白い海上保安庁の巡視船が映る。

「これが現在の尖閣諸島の状況です。中国海軍の空母を中心とした艦隊が領海に侵入し、間近に迫っています。対するのは海上保安庁の巡視船です。これが侵略に対する我が国の対応の限界なのです。」

 河田の言葉に対応して周囲の画像が移動する。先ほどの画面の乱れといい、河田が映っていないことが河田本人が撮影しながら状況を説明していることが伝わって来る。

「この状態が平和だと言えますか?

私達の行動のせいでこうなった。と、仰る方は、一歩視点を引いて考えてみてください。ここは日本の領土ですよね。私達は、武装してここにいる。日本国の銃刀法違反です。そして、海上保安庁のヘリコプターを銃撃しました。公務執行妨害及び、重ければ殺人未遂。。。いずれにしても日本領で、日本人に対して起きた出来事です。日本の法が執行されるべきで、我々を逮捕することができるのは日本の警察機関だけです。なぜ、中国艦隊が私達を排除するためにこの島へ向かって来ているのか?そしてなぜ、我が国は何もできないのか。。。よく考えて下さい。これが我が国の実態なのです。そして、周辺国家つまり中国の我が国の防衛に対する認識なのです。このままで、果たして我が国は平和に存在しうるのでしょうか?」

 一瞬だけ画面が消えて、今度は1隻の白い漁船を後ろから映した画像になる。その漁船の向かう先には、中国艦隊が見える。カメラが向きを変えると白い船体の船首に斜めの青い帯を入れた海上保安庁の巡視船が間近に見え、その向こう側には、漁船の舳先へさきが見え隠れする。更にカメラが反対側に向くと、100mほど離れた所にやはり漁船に囲まれた巡視船が見える。


 さて、と、、、

 ビデオカメラのスイッチを切った河田は、衛星携帯電話を取り出し、ディスプレーを見つめた。

「結局何も変わらなかったか。。。」

 失意の溜息というよりは、何かをやりきった者のような清々しい表情で深く息を吸った。

「もしもし、山本君かね。河田です。この度は、君達に大変迷惑を掛けてしまった。申し訳ない。」

 見えない電話の相手に深々と頭を下げる。

「とんだ年寄りの冷や水と思っているかもしれんが、ひとつ頼みを聞いては貰えないか。」

 相手の答えを深く頷きなく程に神妙な面持ちは懐かしそうに微笑みに変わって行った。

「すまんが、もう時間がない。すぐにアメリカ海兵隊のマーク・アレン中将に電話をしてくれ。先方に手は打ってある。中国を止めるにはそれしかない。ただ、それをやるのは君たちだ。すまん。」

 はっと我に返ると、河田は話を切って切り出した。

「ありがとう。すまん。後は任せたぞ。」

 静かにそう言い終えると河田は電話を切った。そして再び画面に番号を呼び出す。今度は深い溜息をついた。一転して苦虫を噛んだように口元を歪めた顔を上げ、電話機を耳に当てた。

「古川さん。河田です。この度は本当に申し訳ないことをした。あなたの奥さんだった人まで巻き込んでしまった。言い訳はしない。ただただ申し訳ないばかりです。

 私のスピーチは見てもらえましたか。。。そうですか。それを国民に言うために私はあなた達を巻き込んでしまいました。。。汚い手も使ってしまった。

 本当に申し訳ない。」

 深く頭を下げた河田の目に涙が滲む。

「そうですか。ありがとうございます。あなたに私の日本への想いが伝わったのは私にとって大きな成果です。本当は、もっと腹を割ってあなたと話しておきたかった。。。ぜひ、伝えて下さい。あなたのペンの力で。私はあのスピーチでは言いませんでしたが、真に平和国家を目指すのであれば防衛について他国に依存してはいけません。本来同盟関係というのはギブアンドテイクです。このままではいずれ米軍の一員として戦争に巻き込まれるでしょう。ですから理想としては日米安保も米軍基地も無くさなければなりません。ただし、御存知の通り、その為にはスウェーデンのように軍事的にも中立でかつ、他国に頼らない強力な防衛力が必要です。四方を海に囲まれた島国日本は、適しています。国民が強い意志で平和は守るものだと、理解できれば必ず出来る。しかし、そのためにはまだまだ長い時間が必要です。

 ですから、今回は米軍に頼ります。今なら、まだ中国はアメリカを軽んじることはないでしょう。そこで、今一度あなたのペンの力をお借りしたい。米軍を頼りにしたこれか起こる行動について、すぐに国民の世論を発表してほしい。政府がすぐに決断できるように。そして米軍が絡んでいることが早く中国に伝わるように公表してほしいのです。」

 2度、3度と満足そうに頷いた河田は、丁寧に礼を言った。

「あなたのペンの力で、未来に日本を繋げていってください。真の独立国家として。国民が正々堂々と国を愛せるように。誇れるように。。。よろしく頼みましたよ。」

 深く頭を下げた河田は、電話を仕舞った。

 舵輪を握った河田は、一気にエンジンの出力を上げた。低い唸りが高まり、小さな煙突から黒煙が勢いよく噴き出す。「まつ」と船首に船名が書かれた白い漁船が疾走を始めた。巡視船の警告が遠ざかる。

 

「「はてるま」船長。こちら「ざおう」船長の近藤です。応答どうぞ」

 甲高い声がレシーバーに響く。

「こちら「はてるま」。船長の兼子です。」

 また命令変更か?兼子の苛立ちは、沸点に達しようとしていた。魚釣島へ向けて急遽出港させられ、途中で命令が変更となり、ヘリで来る武装した特警隊(特別警備隊部隊)を収容して魚釣島へ上陸させろ、と命令が来た。そして島を目の前にして上陸を中止し、中国艦隊へ向かえと命令が変更されたばかりだった。理由も告げられていない。駆けつけてみたら、「ざおう」を始めとした巡視船3隻全てが漁船に囲まれて、身動きがとれない状況だった。しかも、目の前には中国海軍の艦隊、しかも空母付き。情報が欲しいのに、理由も情報もなく命令を次々と変更され内心穏やかではなかった。部下の状況質問に答えられない上官ほど情けないことはない。

 ん?

 正面に、ぱっと上がった黒煙が目についた。双眼鏡を構えると小さな漁船だと分かった。あんなところにたった一隻で。。。

「「はてるま」船長へ。こちらは漁船団の妨害で身動きができない。貴船正面で前進を開始した漁船の行動を阻止されたし。以上。」

 無茶だ。

 兼子は思わず出た言葉に口をつぐむ

 30ノット以上の速度性能を誇る「はてるま」クラスの巡視船の筆頭である本船は、速度的には問題なく奴に追いつける筈だ。しかし、、、

 追いつく頃には中国艦隊に接近し過ぎてしまう。

「「ざおう」船長、こちら「はてるま」船長。命令は了解した。しかし、中国艦隊に接近し過ぎてしまう。」

「かまわん。ここは、日本の領海だ。」

 甲高い喚き声が兼子の頭にガンガン響く。

 どうせ従ってはくれんだろう。。。

 あの日、やっとの思いで兼子の警告に応じた河田がテレビのインタビューに答えていた言葉が脳裏に浮かぶ。

 領土より国民の命を大事にする海保に、領海の警備を任せられない。

 当時、テレビにそう言われているように兼子は感じていた。悔しさが再び蘇る。

 だがな。。。

「こちら「はてるま」了解。」

 今度は、あんた等だけの命じゃ済まないんだよ。。。

「機関、両舷全速。舵そのまま。体当たりしてでも止めるぞ。全員ライフジャケット着用。衝撃に備えろっ。」

 兼子の凛とした声が船橋に響く。

 機関の唸りに一足遅れて後ろに引かれるような軽い加速感が伝わってきた。

 河田元提督よ。。。こんな状況で、、、あんたらの後輩達が出てこられないが故の領海を守る事の難しさを、、、俺達の心意気を見せてやる。。。

 兼子は双眼鏡の中心に捉えた男の背中に呟いた。


 ありがたい。

 河田は大声で叫んだ。他に誰も乗っていない漁船「まつ」の上で、河田は、誰にも気遣うことなく思った事を全て口にしていた。

「まつ」か。。。その勇壮で悲壮な最期にぴったりの名前だな。

 名付けの元となっている旧日本海軍の駆逐艦「松」クラスは、太平洋戦争で日本の劣勢が明確となった昭和18年(1943年)に起工された最後の量産駆逐艦であり、艦艇の不足から、性能よりも量産性を優先された小型の駆逐艦であった。その中でも1番艦「松」は、戦争末期に同型艦が味わった悲惨さに負けず劣らず悲惨で、そして勇猛だった。

 駆逐艦「松」は、第二護衛船団司令部の旗艦として、駆逐艦「旗風」、第4号海防艦、第12号海防艦、第51号駆潜艇と共に、硫黄島の戦いに備え、硫黄島の戦力を増強するため、後に硫黄島で敢闘し全滅する栗林忠道中将の第109師団歩兵第145連隊主力を乗せた輸送船5隻を護衛して館山を出港。無事硫黄島へ送り届けた。その帰路で米軍の艦載機の攻撃を受け、船団は、駆逐艦「松」と第4号海防艦と輸送船「利根川丸」を残すのみとなった。夕刻、第4号海防艦が軽巡洋艦3隻および駆逐艦12隻からなる米艦隊を発見し、砲戦しながら退却を試みたが、退却は困難と判断した「松」座上の司令官 高橋少将は、第4号海防艦と「利根川丸」を逃がす為、

「四号海防艦は利根川丸を護衛し戦場を離脱せよ」

と命令した上で反転し、単艦で圧倒的に優位な米艦隊に立ち向かっていったのだった。

「我敵巡洋艦と交戦中、ただいまより反転これに突撃…」

の平文電信を最後に通信が途絶えた。「松」の乗組員は、座乗していた第二護衛船団司令部と共に全員が戦死した。その中に河田の父も含まれていた。

 お父さん。。。父が運命を共にした駆逐艦の名前を敢えて使った「まつ」の舵輪を河田が愛でるように撫でた。写真でしか見たことがない父は、凛とした表情でモノクロの写真に納まっていた。学生服を真っ白にしたような軍服の白が、モノクロの古い写真でも眩しく感じた。その写真を見て育ち、誇りに思ってきた河田は、物心ついたときからその時代の歴史に興味を持ち、自分も同じ道を歩もうと決心していた。 お父さん。。。守ってください。。。

 河田は撫でていた舵輪を強く握り直し、もう1本のスロットルレバーも全開にした。後ろに引っ張られるような加速が河田の身体に掛り、慣性が平衡を保つまでの数秒、舵輪から河田を引きはがそうとした。 これ以上近付いてくるなよー。。。

 後ろを振り返った河田が、大声で叫ぶ。

 巡視船を背にしているためか、中国艦隊がなにやらスピーカーで喚いているのは聞こえてくるが砲弾は飛んでこない。だが、これ以上近付けば巡視船と言えども何をされるか分からない。

 河田が睨む先には、中国海軍虎の子にして初の空母「遼寧」がいた。再び後ろを振り返った河田の視界の中の巡視船は、さきほどよりも随分小さく見え、さらに少しずつ小さくなっていく。

 こんな海岸線まで空母を持って来やがって。。。お前らは空母の使い方も知らんのか。。。だから駄目なんだ。装備ばかり良くなっても、結局それを活かせるかどうかは人間の技次第だ。それを身を持って学ぶんだな。そして日本人の心意気もな。。。お前らとは生き方そのものが違う防人の末裔の心意気をな。。。日本を侵略しようとすればどうなるかを身を持って知るがいい。

 空母「遼寧」が灰色の壁のように目の前に迫り、いつの間にか「まつ」の真っ白だった船体に黒い穴がゴマを撒いたように広がる。中国の春節の爆竹のような音と共にSTOP、STOPという言葉も河田の耳に届いて来る。

「日本よ。日本人よ。自信と誇りを持って未来へ繋げっ。先祖の魂と苦労を無駄にするなっ、防人のっ」

 白地の船体に小さな黒い粒が無数に増え、そして鮮烈な赤が加わった時、河田の言葉が途切れた。永遠に。。。


「面舵いっぱい。急げっ」

 中国海軍空母の艦首付近の海面に大きな火の玉を見た兼子が怒鳴った。今、目の前で起こったことが信じられないといった一瞬の沈黙を破った兼子の声に、船橋内が活気を取り戻す。

 急激な方向転換を終えて、中国艦隊に側面を見せる格好になった巡視船「はてるま」は速度を落とした。中国艦隊は既に停船している。空母の艦首に発生した火災は収まる気配がない。

何てこった。。。神風の再来とでも言いたいのか。。。確かに我々は、中国艦隊を止める事は出来なかっただろう。。。だからといって身を呈してまで。。。

 空母の炎に敬礼をした兼子は、瞼に涙が溢れそうなのを感じた。部下に見られまいと慌てて敬礼を解き、周囲を見ると、皆が敬礼をしていた。

 中国海軍は、まだ消火活動を行っていない。

「中国艦隊へ旗りゅう信号。我、貴艦を消火する用意あり。以上」

「船長、「ざおう」へ判断を仰がないんですか」

 副長の岡野が不安そうな目を向ける。

「緊急事態だ。事後で構わん。それに、漁船と戯れている間は何もできんだろう。」

 巡視船「はてるま」は、武装として30mm機関砲と共に、暴徒鎮圧にも効果の高い遠隔操作式の放水銃を船首に装備していた。


 空港のロビーにどよめきが起きた。中国の空母に小さな漁船がものすごいスピードで体当たりしたのだった。その様子を映した映像が途切れると、パソコンのウィンドウズのような画面になり、さらに慌てたニュースキャスターを映した画面に切り替わる。

「尖閣諸島沖の状況を動画サイトから実況でお伝えしました。御覧になられた通り、何か、詳細は不明ですが、何らかの重大な事態が発生した模様です。首相官邸の吉田さんに現在の政府の対応を聞いてみます。吉田さん。」

 画面は、夕刻の首相官邸入口に立つ女性を映す。慌てて駆け付けたのか、眉のラインが甘い。

 ロビーは喧騒に包まれた。ある者は、涙を流し茫然と画面を見続け、ある者は戦争になるぞ。と怯えていた。自衛隊は何をやってるんだ。といきり立つ人もいる。

「ああやって、昔の人は必死で国を、、、家族の未来を信じて命がけで守ってきたのかもしれないな。。。」

 隣に座っていた若者が、画面を見たままぽつりと呟いた。

 さっきまでこの国の未来を案じて熱く語っていた初老の男性が中国の空母に体当たりした。この国の未来を案じて私達に国を守ることの大切さを問うていた。平和だと言っているだけでは平和ではいられないことを訴えながら散って行った。。。

 昇護だったら何と言うだろう。あの海を守っている人達と同じ海上保安官の昇護は、どう思っているのだろう。。。彼は、私の、私達のために命を掛けてくれているに違いない。でも、今のままじゃ、無駄死にしちゃう。だって巡視船で軍艦に向かって行くなんて。。。どんなに危険でも撃たれるまで撃ち返せないなんて。。。それなのに一生懸命守ってくれている。。。

 美由紀の頬を一筋の涙が流れた。

 戦争になるかもしれない。。。でも、昇護と同じ沖縄に来てて良かった。もしもの時、一緒にいられる。。。怖くはない。。。何も心配はいらない。。。

 美由紀はじっと目を閉じた。押し出されて涙の筋が増えるのを頬で感じた。。。

 病院へ戻ろう。。。

 目を開いた美由紀は立ち上がり、歩きだした。昇護のもとへ。。。


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