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宣誓

66.宣誓

「艦長。発射命令をっ。」

 根本が護衛艦「あさゆき」艦長の梅沢に詰め寄る。

「しかし、、、直接司令に指示を確認したい。」

 梅沢は、昔ラグビーで鍛えた厚い胸を張り、一歩も引かないことを体では示しつつもその声は小さく心許ない。既に命令は受領している。根本の言い分が正しいことをその口調が物語っている。

「巡視船が撃沈されてるんですよ。今更何を迷うんです。」

 根本の声は、梅沢を追いつめるように怒気を含み始めた。

 梅沢が、口を開き掛けた時、CICのドアが勢いよく開き、若い隊員が駆け込んできた。

「艦長っ、衛生電話も、、、メールも使用できません。」

 梅沢の前で背筋を正し、敬礼したその隊員は、荒い息を整えるまもなく辛うじて状況のみを伝えた。

「何っ、どういうことだ?電波妨害の影響か?」

 梅沢が、肩を落とすが、その声に先ほどの弱々しさはない。

「その、、、内部の配線が殆ど切断されておりまして、復旧には2時間ほど掛かる見込みです。」

 息が落ち着いてきた隊員が、詳細を報告する。その歯切れの悪い声と不安を隠せない表情に、意外な事態が現実に発生していることを思い知らされる。洋上に孤立した護衛艦。それは身内の行為であることは明確で疑う余地はない。

 疑う余地のない疑うべき事態か。。。

 こんなこと思う様なら自分はまだ大丈夫だ。。。いや、案外人間という生き物は、追いつめられると別なことに置き換えて考えるのかもしれない。。。

 駄洒落にもならない洒落を連想した梅沢は苦笑しそうになる頬を引き締めた。艦長として、毅然と指揮しなければならない。

「艦長。復旧するまで待つわけにはイカンでしょ。すぐにでもハープーンの発射命令を出すべきです。」

 根本が諭すように、しかし強い口調で畳み掛ける。

 その根本の射るような眼差しを梅沢は虚構の目で見返す。

 仕方ない。か。。。いや、仕方ない。で片付く問題なのだろうか?

 CIC電文による命令で攻撃するなぞ、電子メールで攻撃しろと言われたから攻撃しました。と言っているのと同じじゃないか。。。それならば、いっそのこと司令部でボタンを押せばミサイルを発射できるシステムにしてくれればいいんだ。自衛隊初、いや、戦後初の攻撃命令を発する俺、その命令がこんな電子メール如きの指示によるものとはな。。。だが。。。

 根本から視線を外した梅沢は、静かにゆっくりと息を吸った。

 そういうシステムである以上、歯車である我々は、すぐに命令に従うのが正しい。それが求められている姿だ。。。

 目を閉じてゆっくりと息を吐き終えた梅沢は、睨むような眼差しでCICの画面を確認すると、口を開いた。

「艦長より達する。。。何っ。なんだ?」

 艦長の発しようとする命令を聞き漏らすまいと、静まりかえっていた室内が一斉にざわめく。

 画面を埋め尽くすのは、普段このシステムを扱っている隊員でさえ辞書を引かなければ分からないほどの様々な英文だった。だが、そのいずれもが「Troubleトラブル」、「Errorエラー」、「Disconnect(遮断)」などの単語を含んでいることで、システムが使えなくなったことだけは容易に判断がついた。

「田中っ、通信回線を確認。」

「池田は、制御盤を点検。」

「急げっ」

 ざわめきが、各担当部署幹部の指示と怒号に変わる。そのやりとりを他人事のよう根本は見つめた。CICを統括する幹部であるにのも関わらず、黙って傍観している根本に梅沢が口を開きかけた時、梅沢の傍らに座っていた根本の部下である坂木1等海曹が立ち上がった。

「ご指示をっ」

 上擦った坂木の声と真剣な眼差しをあざ笑うように皮肉な笑みを浮かべた根本は、画面を指さした。

 いつのまにかその画面にはいつもと同じように島の輪郭が描かれていた。と同時に室内のあちこちで歓声にも似た声が挙がる。

「やった~。何だったんですかね?」

 いつもの赤みが差した坂木の顔に笑みが浮かんだ。

「ん?ちょっと見せてくれ。」

 梅沢が、坂木と根本の間に割って入った。

 ん。どういうことだ。。。

 違和感を覚えた梅沢は、中国艦隊に向かう画面上の巡視船を指でなぞるように数えた。間違いなく3隻いる。先頭を行く船には「PLH Zaou」とコメントが付いている。PLHとはヘリコプター搭載型巡視船を示す。

「沈んだはずじゃ。。。」

 その梅沢の唸るような呟きを待っていたかのように根本が卓の下の黒いバッグを手に取る。突然の動きに

気付き画面から根本に目を移した梅沢の顔面にバッグが投げつけられる。梅沢の視界が黒で遮られる

「根本2尉、何をする。。。」

 辛うじて顔面を守った右手でバッグを払った梅沢は次の言葉を失った。

「何するんですかっ。」

 左の腕で顎の下を絞められ、こめかみに銃口を押しつけれた坂木1曹の声が裏返る。只ならぬ事態に室内から根本に、やめろ、といった類の言葉が様々な表現でぶつけられた。

「根本2尉、これはどういうことですか?その銃をどこから」

 絞り出すように事の次第を詰問する梅沢の声が怒りに震えている。

 その手に握られた拳銃は、護衛艦に積み込まれているSIG SAUAR(シグザウエル)P226とは明らかに異なる丸みを帯びてもっと大柄の拳銃で、米軍が使っているベレッタに見えた。もっとも護衛艦の銃器は、普段から隊員が身につけている訳ではなく、武器庫に納め、鍵を掛けて厳重に管理している。もちろん、その管理は艦長の梅沢自身が行っている。艦長の指示で必要に応じて使用することになっているのだ。

「早く、ハープーンを発射するんだ。それとも、この若者の命をここで散らせてやるか?」

 根本が銃をさらに押しつけると、坂木の表情に苦痛が浮かぶ。

「そんなことをして何になるんですか?」

 ベテランでさんざん世話になった先輩とはいえ、明らかに悪意を持った部下に対して、敬語を使う自分に嫌気を感じた。しかもこの台詞。。。まるでB級ドラマの刑事だ。

「領海侵犯している中国艦隊にハープーンミサイルをぶち込むのと、職務に忠実で、前途有望な若者の命を終わらせること。どっちが正しいのか考えるまでもないだろ?」

 根本が試すような視線で諭すように語りかける。

 ふざけるな。。。判断よりも先に、その言葉だけが梅沢の心を埋め尽くす。判断など問題ではなかった。なぜ、このようなことをするのか、の方が梅沢にとっては重要だった。

「なんでこんな事を。。。」

 口を突いて漏れた梅沢の言葉に、根本が大きな溜息を吐いた。

「いつまで甘ったれてるんだ。実習航海の幹部じゃないんだぞ、あんた艦長だろう。状況を理解するんだ。あんたが発射命令をだすか、俺が撃つか。どちらがいいか判断しろ、と言ってるんだ。戯言ざれごとを言ってる時間がないんだよ。」

 根本の言葉が静まり返ったCICに響く。

 

「艦長、自衛艦隊司令部が応答を求めています。」

無線を担当している中年の1等海曹が呼びかける。渡りに船とはこのことだ。梅沢がその男に目を向けての表情が緩みかけた時、何かが弾けるような音が聴覚を埋め尽くし、詰まったような感覚のあと、ポーっという電子音のような耳鳴りしか聞こえなくなった。

 視界の中では、無線担当の卓に火花が散り、隊員の表情が凍っていた。

「切れっ。応答するな」

根本が声を張る。

「何をするっ。やめんかっ」

 普段先輩への敬意から決して根本に対しては発しない怒鳴り声をあげた梅沢が根本に掴みかかろうとする。いくつもの腕が鍛えられた梅沢の身体を押さえた。

 CICが喧騒に包まれる。

「今のCICの状態が本当の状態だ。さっきまでのCICは、我々が作っていた偽の情報だ。電波妨害もそうだ。衛星通信は俺が壊した。。。

見ての通り、実際には巡視船「ざおう」は無事だ。だが、見ての通り中国艦隊は領海を侵犯している。。。

みんな、まだ分からんのか?我々が何をなすべきかを。

お前らは、まだ分からんのか、、、我々が作った偽のCICだったが、「ざおう」が撃沈された時、我々は何もできなかったじゃないかっ。その時お前らは何を思った?自衛官として、そもそも人として、、、お前らは平気なのか?」

 根本の声に一同が口をつぐむ。思いが通じるところもあるのだろうか、悔しそうに拳を力強く握りしめているものも多い。

 梅沢も唇を強く噛んでいる。

「さあ、ハープーンを発射しろ。艦長、発射命令を出すんだ。」

 一転して諭すような眼差しで梅沢の目の奥をのぞき込むように見つめる根本の目に、防衛大学校から幹部候補生学校を経て新任幹部として根本の部署に配属された日のことが重なる。

 

 なあ、梅沢よ。お前は防大卒の前途有望な幹部だ。俺のような「とっちゃん幹校出」とは違い、あっという間に昇進して艦長になる、いや、もっと出世するかもしれん。これからは、自分よりも年上の部下を指揮することがほとんどになる。年上のベテランばかりを相手にすることは苦しいこともあるかもしれない。しかし、勘違いしちゃいけない。彼らは年下の指揮官に自分達よりも任務をうまくこなし、技術も知識も自分達より豊富であることは、求めちゃいない。それを求められるのは、戦闘機の指揮官パイロットくらいじゃないかな。戦闘機に乗っていれば目的も手段も一緒だからな。だが俺たち護衛艦乗りは違う。

 よく考えりゃ、当たり前のことだよな?

 問いかけると自分の言葉にはにかむように、照れ笑いを浮かべた。

 CICの導入に携わってからは、ずっと薄暗い部屋での勤務となり、今でこそ浅黒いという程度の顔の根本だが、当時は砲術科として甲板での仕事がメインだった根本の顔は真っ黒で、白い歯が際立つ。一般の軍隊では最下位の階級である「兵」に相当する「海士」から一歩ずつ昇進し、やっと試験に合格して幹部候補生学校を出ると一般の軍隊で言うところの「士官」の第一歩つまり少尉に相当する3等海尉になる、自衛隊では「兵」を「士」に「士官」を「幹部」と呼ぶ、これも戦争アレルギーの影響なのかもしれないが、陸上自衛隊の前身である警察予備隊が使っていた米軍のお下がりの戦車を「特車」と呼んでいたのに比べればマシかもしれない。いや、今やどう見てもヘリ空母にしか見えない艦まで「護衛艦」と呼んでいる現在でも変わらないのかもしれない。そういえば、陸上自衛隊では歩兵部隊はなく、普通科と呼んでいる。日本人は言葉遊びの好きな民族なのかもしれない。呼び方を変えることで本質から逃れ、あるいは隠し、何事もなかったかのように過ごすように心掛けることで、次第にその矛盾を薄めていく。。。

 いずれにしても、一般隊員が何度も試験に落ち、やっといい親父になるような年齢で行ける学校だから「とっちゃん幹校」と呼ばれている。それでも試験に合格できるのはほんの一握りの隊員だ。そんな叩き上げの幹部でも、梅沢のような防大卒にあっという間に追い越される。梅沢は、申し訳なさそうに俯く。

 そう恐縮すんなよ。誰も気にしちゃいないさ。そういう組織なんだ。旧日本軍だって、アメちゃんだってすだろ?どこの軍隊でも一緒さ、エリートを俺達ベテランが支えるんだよ。だから頭を柔らかくして俺達からスポンジみたいに何でも吸い上げろ。

 大声で笑うと梅沢が話しを続けた。

 若かろうが歳をとっていようが指揮官とはそういうものだ。部下には部下の役割がある。それを引き出し戦力として使うのが役目だ。指揮官に部下が求めるのは、戦力のひとつとしてじゃなく、判断力と人間性だ。極端に言えば

「この人の命令だったら、たとえ死んでも後悔はしない。」

 と思われるぐらいの人間になれ。そのためには人格を磨き、迷いを顔に出すな。そしてどんな状況でも最善の道を探す眼力と嗅覚を養え。そして部下の思いを把握しろ。

 まあ、言うのは簡単だがな、人格は自分で磨くしかないが、他の事については、コツを教えてやる。いいか、迷い、悩んだときは宣誓に従うんだ。我々は自衛官として上から下までこれを宣誓している。人間である以前に我々は自衛官として共通の心掛けを持ってるんだ。これを大事にすればいい。

 幹部になった時に追加された宣誓は、曹士は知らんことだから自分磨きの糧にしろ。

 そういうことだったのか。。。

 梅沢は、その言葉に一筋の光を見たような感動を覚えた。自衛官ならば誰でもそれを誓い、判をついて初めて自衛官として任官する。共通の行動指針だ。その文言が辛かった防大時代のシーンを背景にして頭を駆け巡る。


 私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。


 だけどな「我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し」ってとこ、いきなり最初で引っかかっちまうんだけどな。これ、出来てると思うか?

 ムッとした梅沢の表情に気付いたのか、根本が慌てて顔の前で手を左右に動かす。

 いや、自覚してない。と言ってる訳じゃない。自覚しているから命懸けで訓練しているし任務に就いている。問題は、そこじゃなくて、いざという時にそれを発揮するための規定や法律がないんだ。だろ?


 そう。。。確かに昔、そんな話をしていた。

 だからといって、やって良いことと悪いことがある。梅沢は毅然としろと自分に言い聞かせる。自然と背筋が伸びる。

「さあ、艦長。命令を出すんだ。」

 坂木に突きつけた銃に根本が力を込める。きつく結んだ坂木の薄い唇から苦痛が漏れる。

 気持ちは分からなくはない、いや、よく分かる。この人は、あの日から、いやそれよりも昔からずっと違和感を持ち続けてきた。だが何ひとつ変わらなかった。。。周辺国家の変化が激しい今、状況は冷戦時代より悪い。危機感さえ感じる。それは分かる。だが、宣誓にもある「日本国憲法及び法令を遵守し」と「政治的活動に関与せず」という文言は、敗戦を経験した日本が、二度と戦争をしないように強く願って決めたことなのではなかったのか?

「やりません。私はハープーンの発射命令は出さないし、独断で敵対行動を取るつもりはない。」

 多くの尊い犠牲の上に築かれたシビリアンコントロールの原則を、俺は破るわけにはいかない。梅沢が根本を睨んだ。


「梅沢っ、目を醒ませ。領海侵犯している中国艦隊は、魚釣島を攻撃することを明言してるんだぞ。世界中が見ているんだ。ここで何もしなかったら、世界に対して領土ではありません。と言っているのと同じじゃないか。それこそ中国の思うつぼだ。」

 根本は一気にまくし立てた。

「目を醒ますのは、あなたの方だっ根本2尉。あなたのやっていることは政治的活動への関与です。我々は反乱軍ではない。銃を降ろしなさい。これは命令だ。」

 あなたこそ宣誓を思い出せ。と怒鳴りたい気持ちを抑え、努めて冷たく言い放つ梅沢に、根本は舌打ちで応じると、坂木を突き飛ばし、銃を梅沢の眉間に突きつけた。

「艦長」と呼び掛ける声と「何をするんだ」「やめろ」といった批判の類の声が部屋中に充満する。

 不意に発せられた銃声の短く乾いた音が、彼らの声を一瞬で圧倒した。

「大久保。ハープーンを発射しろ。これより本艦は俺が指揮する。」

 素早く梅沢の眉間に銃口を戻した根本の声が静まりかえったCIC室に響いた。

 この騒ぎで総立ちになっている他の隊員同様ハープーンの卓の前で立っていた大久保3尉がハープーンの卓に座り込む。

「私は、自衛官です。艦長の意にそぐわない命令には従いかねます。」

 卓の前で腕を組み、目を伏せながら自分に言い聞かせるようにゆっくりと言う大久保の声は微かに震えていた。

「若造が、何もわからん癖に生意気なことを。まあいい。忠実な部下を持って良かったな。艦長。だが、状況を理解していない。頭が堅いんだよ。」

 銃口を突き付けられた顔を動かせずに視線だけを大久保から再び口を開いた根本に移した梅沢の眼光に鋭いものが見える。

「頭が堅いのはあんたの方だ。日本を滅ぼす気か。銃を降ろすんだ。」

 もう昔の根本さんじゃない。そう自分に言い聞かせると、目の前の男には単なる怒りの感情しか感じなくなった。

「日本を滅ぼす。だと。。。このまま黙って魚釣島まで中国艦隊を通せば中国は、いやそれだけじゃない、諸外国はどう思う?

 自衛のためだ、と言って立派な装備を持っていてるが、日本はどんな場面でも使わない。と宣言しているようなものじゃないか。それで抑止力になるか?次に狙われるのは、沖縄や、北方領土近辺の島だ。それこそ、「真の亡国」じゃないのか。」

 根本の言葉に返せるような理論を梅沢は持ち合わせていなかった。確かにそうなのだ。だが、誰もがそれを知りながら任務についている。それがこの国特有の歪んだシビリアンコントロールだ。コントロールするための規定や法が整備されていない名ばかりのコントロールは、いざという時に全てが機能停止に陥ることを意味する。即ち「動けない。」ということなのだ。

 この国は戦前・戦中に暴走し、国を破滅に追いやった軍国主義の亡霊にとりつかれているのかもしれない。その亡霊を恐れるあまり、動くための法整備を見て見ぬ振りをして先送りしてきた。そのツケが、根本達の反乱とも言える行動を引き起こし、そして彼らに「作られた」状況に対応できない自分達なのだ。「ふん。何も言えんか。そうだろうな。だが、規則は守りたい。ということだろ。じゃあ、その規則は本当に国のためなのか?国民を、国土をそれで守れるのか?

 まあいい、それが艦長の命ひとつで済むなら、それもよかろう。大事なのは、攻めてくれば撃つ。ということを外国に示せればいいんだ。悪く思うな。お前に俺に反論するだけの意見が無い事も問題なんだからな。艦長たるもの有事に部下を納得させるだけの持論を持たなきゃだめだろ。」

 と言った根本の目は、あの日の「先輩」に戻っていた。だが、片手で握っていた拳銃-ベレッタ-を両手で握り直す根本の前で、梅沢の命は風前の灯だ。

 すまんな。みんな。

 梅沢は、無抵抗で、無知な自分を心の中で詫びた。

「飛行物体急接近。方位80度(西南西)、距離21海里(約40km)、速度320ノット(約590km/h))。高度不明。超低空です。」

 あまりに突然の事に報告する坂木の声が裏返る。

「近すぎる。低すぎて気付かんかったか。ミサイルか?にしては遅いし方向も那覇の方からだから変だ。」

 梅沢が銃に構わず反射的に艦長の振るまいに戻る。

 当たり前だが地球は丸い、このため水平線の向こうにはレーダー波の届かない部分つまり影ができる。超低空でその影の中を飛べば、レーダーに捉えられる事は無い。坂木を責める事はできない。

「く、空自(航空自衛隊)のF-15です。1機。あと90秒で本艦に接触します。」

 ざわめく室内に叫ぶような坂木の声が響く

「何で空自が?間に合わない、全艦に連絡、衝撃に備えよ。」

「了解。」

「本艦に超低空で航空機が接近中。衝撃に備えよ。繰り返す。衝撃に備えよ。」


 銃を突きつけられたままの梅沢に代わって、マイクに近い隊員全艦放送を入れた。その声が終わるのを待たずに、艦の奥深くにあるCICにも低い唸りが近付いて来るのが分かった。

 やばい。

 誰もが固唾を飲み、唸りが室内を占めるようになった途端、その音源は急激なガスバーナーの音をスピーカーで割れんばかりに鳴らしたような爆音に変わり、周囲を振動させた。そして振動が収まるにつれて爆音も小さくなっていった。

 何処からともなく溜息のような安堵の雰囲気に包まれ始めた。

「艦長。CIC画像不良。」

「艦長、レーダーアウト。」

「無線使用不能。」

 室内のあちこちから報告が上がる。

 状況を把握しているのか、艦長の役割を果たさせようとしたのか、根本が諦めたように銃を降ろした。「艦長、艦橋から、副長です。」

 根本に感謝とも断りともつかぬ目礼をした梅沢は、艦内電話の受話器を受け取った。

「CIC梅沢だ。どうした?」

-艦橋、松隈です。超低空で接近した空自のF-15が本艦真上で急上昇しながらチャフを撒いて行きました。何かの演習ですか?そういう話を聞いてないでしょうか?-

「いや、何も聞いていない。なるほどチャフを撒かれたのか。こちらは電波関係が全てダメだ。でも何故本艦が狙われるのか。。。だな。空自は気でも狂ったか?それとも連中とグルか。。。」

ー連中?ー

 こちらの状況を今知らせては混乱が大きくなるだけだ。黙っておこう。

「いや、何でもない、独り言だ。まずは停船し、対空警戒を厳となせ。掃除は後でいい。私はここで指揮を取る。頼んだぞ。後でみんなで甲板掃除をやろう。」

ー了解。ー

チャフか。。。

 受話器を元に戻した梅沢が唸る。

 チャフは細かいアルミ箔のような物で、これを散布することにより電波を乱反射させレーダーを狂わせる。簡単に言えば電波を遮断するようなものだ。

まだ明るいとはいえ、目潰しをされた状態での航行は危険だ。チャフが完全に舞い落ちるまでは行動不能というわけか。。。

 それにしてもなぜ空自が。。。

 チャフなんか撒いてどうするつもりなのか。。。

 まさか攻撃するつもりか?だったらチャフなど撒かずに対艦ミサイルでも撃ってくればいい。。。

 梅沢の脳裏に次々と浮かぶシミュレーションは「あり得ない」という別の自分に何度もかき消された。

 銃を持った根本に近付く者はいない。が、先程までの覇気の消えた根本は周りを銃で威圧するような事もない。志半ばの男、志が後輩達に伝わらなかった男。。。平成の三島といったところか。。。

 間違いじゃないんです。でも。。。艦長として、自衛官としてそれ以上は言えない。

 そんな根本が気の毒に思えてきた梅沢は、掛ける言葉も思いつかないまま梅沢に近付いた。

「来るぞ、、、総員退艦を出した方がいい。いや、間に合わないか。。。すまないことをした。」

 良く見ると顔色が優れない根本が呟いた。

「総員退艦?なんでです?」

 梅沢が聞き返した。

「お前は知らない時代のことだろうが、要は対艦ミサイルの無い時代だがな、艦艇の攻撃にはチャフでレーダーを眼潰ししてから爆撃する。という手法が研究されていた。

 チャフを撒いたのはF-15だと言ったな?多分ペアで行動している筈だ。F-15は対艦ミサイルを運用できない。だから爆撃してくる。政府にはバレてるんだ。俺達の作戦が。。。この艦がハープーンを発射する前に沈めようとしているんだ。。。何の罪もないお前たちと共に。。。こんな事に巻き込まなければお前たちを死なせずに済んだのに。。。申し訳ない。」

 どんなに根本に詫びられても命が失われることに変わりはない。誰も失いたくは無い。しかも、こんな命の失われ方なんて納得がいかない。

 なんという理不尽、何と言う運の無さ。。。梅沢の憤りは収まる筈がない。。。

「謝られて済む問題じゃない。F-15は迎撃専用だ。爆撃が専門じゃない。。。ということは、爆撃は目視ですよね。」

 根本の答えはどうでも良かった。とにかく何もせずに部下を頃させるわけにはいかないし、罪もないF-15を撃墜する訳にもいかない。

 根本の答えを待つまでもなく艦内電話を手に取った梅沢が命じた。

「機関室、こちらCIC梅沢だ。本艦は、航空機の爆撃を受けつつある。欺瞞ぎまんの為に煙幕を張って欲しい。不完全燃焼をたっぷり頼む。」

「副長。空爆の恐れがある。機関室に煙幕を頼んだから最大速力で、ジグザグ運動を頼む。爆弾に対して本艦はブリキ同然だ。一発も当てさせてはいかん。できるか?俺もすぐそっちに向かう。」

 航空機の爆撃を煙幕やジグザグ運動で避ける。まるで第二次世界大戦中の駆逐艦じゃねえか。そもそもこの場合はジグザグ運動が有効なのか?そんな事は分からない。だいたいそんな想定なんてしたことがない。しかも相手は空自。味方機だ。撃墜する訳にもいかん。いや、そもそも眼潰しを喰らっていては、撃墜なんて不可能だ。

 梅沢は、無理だと分かりつつも各所に命令を伝達した。迷いがなく歯切れの良い返事をくれる部下が頼もしい。

 ありがとう。誰も俺の判断を疑う者はいない。

「爆撃は全力で回避する。各自、衝撃に備えよ。俺は艦橋へ行く。」

 凛として敬礼する部下、そして申し訳なさそうに敬礼する根本に答礼しながら梅沢はCICを出た。状況を確認したくて、艦内の通路ではなく、ハッチから甲板に出て外から艦橋へ向かう。夕方とはいえ、南国の衰えない陽光に視界が一瞬真っ白になるほどの眩しさを感じると思った梅沢は、いつもそうしているように目を細めたが、すぐにその明るさに慣れた。空に舞う雪のようなアルミの塵が舞い、陽光を程良く緩和していたのだった。

 ひどいな。。。

 速足で、歩きだそうとした梅沢は、うっすら積もった塵で滑りそうになる。ジグザグ運動中の今はなおさら危険だ。梅沢が慎重に歩みを再開すると、その耳に隙間風が吹き込むような音が聞こえ始めた。そしてその風を隙間にぐいぐいと押し込むようにその音が大きくなってくる。梅沢はその音に追いかけられるように駆け出し、ハシゴのように急な階段を駆け上がる。不完全燃焼で煙幕を出させているため、石油ストーブを消したばかりのような臭いが走る梅沢の呼吸に負担を与える。嫌いな臭いではないが、こういう時は辛い。。。

 艦橋左側のウィングに達した梅沢は、息も絶え絶えに見張りの若者に答礼すると、振り仰いだ空に既にジェット戦闘機独特の爆音を響かせる距離まで近付いた音の主を探した。

 いたっ。。。

 陽光をキャノピーに一瞬反射させた戦闘機がほぼ真後ろから向かってくる。胴体の両脇に四角く開いた空気取り入れ口の黒い穴が、喰いつかんばかりの獰猛さを感じさせる。そして背面を経た尾部に特徴的な2枚の垂直尾翼が見える。間違いない。F-15だ。しかも低い。。。梅沢の位置で背面、つまり胴体上面が見えるということは、艦橋よりも低く飛んでいるということだ。煙突から不完全燃焼の黒煙を吐いていて煙幕にしたつもりだが、煙幕より低く飛ばれては意味が無い。

 野郎、相当の腕の持ち主だな。まるで大戦中の雷撃機だ。。。

「来るぞっ、取り舵いっぱい。」

 艦橋内に怒鳴る。左後ろから向かってくる航空機に対して、遥かに低速な艦船に出来る事は、その旋回性を活かして相手の進行方向に対して、なるべく角度を付けて逃げること。電子の目を潰されたこの艦には他に手段はない。。。

 梅沢は、F-15を睨んだ。

 睨んでも攻撃を諦めてくれるわけではないが、俺は最後の最後まで諦めない。

 俺は目をつぶらない。。。たとえ最後の一瞬であっても。どこかにチャンスがあるかもしれん。俺は、こんなことで部下を死なせはしない。。。

 梅沢は、F-15を睨み続けた。。。


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