発射
59.発射
「御苦労。」
敬礼を返しながら、艦長の梅沢2等海佐はCICの卓に足早に近付く
「いや、そのままでいいです。」
ヘッドセットを外して立ち上がりかけた担当幹部の根本2等海尉に声を掛けると、黙礼した根本2尉に頷いて先を促した。CICに顔を戻した根本の横顔をぼんやりとバックライトが照らす。皺が深く刻まれた根本の顔にそれに見合った分の影ができる。
「これです。」
根本のペンが指した先に無機質な文字が並んでいた。
-こちら護衛艦隊司令部。中国艦隊が行動を開始した模様。「あさゆき」は、巡視船隊の迎撃に呼応し、警戒を厳にせよ。-
そのひとつひとつの文字達は、集まり文となることで冷徹に命令を告げている。梅沢は、計らずとも顔が強ばるのを感じた。
「イヤですね~。こうやって命令されるのは。。。何か機械に命令されてるみたいで。。。」
梅沢の気持ちを代弁するように根本が周りに呟く老練の2尉の言葉として、上からの命令を部下に実行させなければならない艦長の立場では言いにくい葛藤をさりげなく言える雰囲気を作ってくれる。
命令は忠実に実行する、という一点では少しの澱みもないが、同じ艦で生死をかけて任務に就くためには連帯感が必要だ。そこに澱みがあってはならないという梅沢の気持ちを尊重し、何かとサポートし続けてくれたCICの主である根本も12月には定年を迎える。おそらく今回の航海が最後となるだろう。
「そうだな。なんか気持ちが籠もってないよな。でもやらんきゃならんな。どんな声でこんなキワドイ命令してるのかも知らんがね。
ま、とりあえず「了解」と返信しておいてくれ。」
相槌を打つような気軽さで梅沢が答える。しかし、これが艦の雰囲気を統一する大事な儀式だということを梅沢は知っていた。この気軽さが裏表のない気持ちを瞬時に広める。信頼関係を深める大事な儀式だ。聞いてない振りで、みんな聞き耳を立てている。大きなトラックボールが埋め込まれた卓に接続されたキーボードを年齢に似合わない素早さで叩くきながら相槌をうつ。
「そこですよ。そこ。そうだ、何なら、何でしたっけ?あのアニメみたいな女の子が合成音で歌ったりしてるやつ、あれに命令出してもらうシステムにしてもらいますか」
「それ、ボカロって言うんですよ。ボーカロイド。イージス艦には導入されているらしいですよ。」
隣の若い2曹が笑いながら助け船を出す。
「ほう、イージスにね。。。」
梅沢が真面目な顔で相槌を入れる。
「おいっ、艦長に何を言ってるんだっ。」
まさか梅沢が真剣に受け止めるとは考えてもいなかった根本が肘で2曹を小突く
「痛ぇっ、す、すみません。」
反射的に背筋を伸ばした若者を見下ろしていた梅沢は、小太りに見えるが実は副官の松隈同様昔ラグビーをしていたために鍛え抜かれた身体を揺らして笑い、若者の肩に手を置くと、
「いやいや、なかなか面白いアイデアじゃないか、坂木君。君を技本(技術開発本部)に推薦しておくよ。」
「えっ?!」
背筋を正してディスプレーに向かっていた坂木2曹は身体を捻って振り返りながら、急に立ち上がったため、バランスを崩してよろめく
「い、いえ、自分はこの任務に誇りを持っております。」
敬礼と同時にかろうじてバランスを取り戻した坂木2曹に答礼した梅沢が悪戯っぽくにやけて口を開く
「そうか、じゃ、坂木2曹には精一杯頑張ってもらおう。な、根本2尉」
同意した根本の大きな笑い声につられ、室内にどっと笑いが起こった。
「さて、巡視船のお手並み拝見といこうか。拡大してくれ。」
根本2尉の太い指が、トラックボールを転がし、画面左下の島の周辺を囲い、ボタンをクリックすると、魚釣島周辺の海域がズームアップされ、単なる点だった巡視船が、船を象ったシンボルになる。各船バラバラだった舳先が同じ向きに揃いつつある。少し遅れて、速度を示すコメントが5ノット(約9km/h)から10ノットそして、15ノット(約28km/h)へと見る間に上昇していった。
「おいおい、迎撃ってこういうことなのか?まずいんじゃないすか?これじゃあ、突撃だ。」
根本2尉が、拳を握りしめた。握りしめてもなお皺と浮き出た血管が目立つ。
「いくら海上警備行動がそうそう出せないからといって、海保を中国艦隊に向かわせるとは、どいうことなんだ。」
見上げる根本を睨みそうになり目を逸らした梅沢は呻くように言葉を発した。数秒画面を睨みつけた梅沢は、意を決したように制帽を脱ぐと小脇に抱えて息を大きく吸った。根本にもその緊張が伝わる。
「護衛艦隊にCICシステムにて打電。内容は、
海保巡視船計3隻、速度を上げて中国艦隊に向かいつつあり、現在速力15ノット。先ほどの「警戒」命令とは何ぞや?本艦の前進を意見具申す。
だ。送れ。」
根本がキーボードに指を這わすと、梅沢の言葉が次々と画面に踊り出る。
「長官、「あさゆき」から電文」
ノートパソコンで「鷹の目」を操作する片岡が声を上げた。
「ほぉ、反応が早いな。読んでくれ。」
河田が挑発的な笑みを浮かべる。部下を試す時に見せる明らかな表情が、自分に向けられていないことに片岡は、内心胸を撫で下ろす。
「ハッ、
海保巡視船計3隻、速度を上げて中国艦隊に向かいつつあり、現在速力15ノット。先ほどの「警戒」命令とは何ぞや?本艦の前進を意見具申す。
です。」
「そうきたか、梅沢らしいな。。。」
護衛艦「あさゆき」艦長の梅沢2等海佐は、河田が護衛艦「しらね」艦長時代に砲雷長を務めていた男だ。当時は3等海佐になりたてだったが、堂々とした体格と熱い性格は、熊本県出身の梅沢は見た目も性格も九州男児そのものだ。というのが河田の梅沢評だった。
砲雷長の艦か。。。まさか、ここでやり合うことになるとはな。。。
小さく呟いた河田が腰に当てていた手を伸ばし、ディスプレーの一点を指差す。領海を示すラインの内側だ。
「ここをランデブーポイントに設定してくれ。巡視船の速力は15ノットに上げたままでいい。突っ込ませろ。中国艦隊の位置、速力は、現実と同じにままにしろ。」
いずれ中国艦隊は、領海に入るだろう。。。
険しい中で、微笑んでいるようにも見える表情の河田が矢継ぎ早に指示を出す。
「了解。「あさゆき」への返信は如何致しますか?」
片岡が指をキーボードのホームポジションに置いて河田を振り返る。
「「そのまま待機せよ。」と打電しろ。」
片岡は、ノートPCから一瞬だけ目を逸らし、日の出と共に設置した監視カメラの画像を一瞥した。沖合を映したモニターには、所在無げに佇む白地に青いラインの巡視船が映っていた。
あのモニターが現実。俺は今、その現実を歪めている。
電文を打つ手が脂汗で滑る。
普段は穏やかな河田の口調に命令調が混ざり始めたことが、状況の極端なエスカレートを周囲に知らしめていた。
そもそも、この作戦自体が当初の計画通りではなかった。銃撃が発覚したために立てられた急ごしらえの計画。。。これまでの訓練は、もっと綿密に立てられていた最初の計画のために行っていたものだった。
うまくいくのか。。。
片岡はキーボードからそっと手を離すとズボンの太股で手の平を拭った。
タブレット端末で「おおよど」との位置関係を確認した古川は、画面のスライドボタンを指でなぞり画面を「送信モード」に切り替える。中国艦隊と、海上保安庁の巡視船がお互いに急接近している。慌てて「受信モード」に戻し、再度位置関係を確認する。現実では、中国艦隊は魚釣島に向かってはいるが、「受信モード」ほど速くもないし島に近くもない。そして、巡視船は島から離れずに留まっている。
「受信モード」つまり「仮想現実モード」で中国艦隊と巡視船が接触すれば、必ず何らかの事態が発生する。実際には何も発生していないが、「仮想現実」のCICを見せられている護衛艦「あさゆき」が何もしないとは限らない。電波妨害により無線という「耳」を失い、河田達が「鷹の目」と呼ぶシステムによりCICという「目」に違う仮想現実を見せられた護衛艦「あさゆき」にとって、「鷹の目」からもたらされるCICデータが現実であり、「鷹の目」から送られてくる電文が命令になる。
古川は、「受信モード」と「送信モード」何度も切り替えながら思考を巡らせた。
電波妨害ができて、「鷹の目」というシステムを介してCICに偽情報を流し込むことができる位置にあるのは。。。
「おおよど」だけだ。
「倉田さん、やはり「おおよど」を叩くしかありません。」
操船する倉田に古川が位置関係と状況を説明する。位置関係はともかく、状況に対する分析は、本職である護衛艦「いそゆき」元艦長の倉田の同意により、確固たるものとなった。
そして、倉田は護衛艦「あさゆき」艦長がどういう男かも知っている。
「急ぎましょう!仮想的とはいえ、この状況は。。。河田さんは「あさゆき」を使って中国に対して何らかのアクションを起こすつもりです。そして、梅沢なら、あの艦長なら必ず動いてしまうでしょう。謀らずとも単独で行動している「あさゆき」には、他に判断材料がありません。」
次のアクションに入られる前に、あの「おおよど」を妨害しなければ。。。
古川の表情が自然と険しくなる。
古川は、キャビンから持ち出した2丁のM-16A1自動小銃のうち、1丁を手に取り、リリースボタンを押して弾倉を取り外した。弾倉のいちばん上には今年発行された5円硬貨のように金色に輝く弾丸が、日の光を鋭く反射する。曇りのないその光沢が、この弾丸が詰められたばかりの新しいものであることを示していた。それは即ち、河田達の手によって手入れをされ、あるいは実際に発砲して弾を追加したことを意味する。いずれにしてもこの銃は使える。ということだ。弾丸を押し込んでみるが、数mm程度押し込めるがそれ以上は押せない、これ以上弾丸は詰められないということを確かめた古川は、
「20発か。。。」
と呟いた。銃口に切り込みが入るこの初期型のM-16A1は、多分ベトナム戦争時代にアメリカが大量に戦場に投入したものなのだろう。ストレートで短い20発入りの弾倉がその当時のものであることを雄弁している。ちなみに以後世界的に広まり、現在でも多くの国で使用されているM-16の各派生型はもっと長く、多少前方に湾曲した「バナナ型」の弾倉を採用している。これならば30発入る。
同じようにもう1丁を確認した古川は、
「試射しますよ。」
と倉田と権田に声を掛ける。
倉田は、
扱えるのか?
と、一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、石垣での出来事を思い出したのか、すぐに片手を上げて合図をした。一方、権田は頷いて見せた後、慌てて両耳を塞いだ。
古川は、銃のセレクターが、セミオート(単発)を示しているのを確かめると、水を半分だけ残したペットボトルの蓋を閉めて、船の後方に投げる。遠心力を軽く受けて、末端に寄った水が絶妙なウェイトをペットボトルに与え、回転しながら思ったよりも遠くへ飛ぶ。
古川は、優雅にも見える動きで銃を構えると、着水と同時に引き金を絞った。
軽く何かが弾けるような音がすると同時に波間に一筋の不自然な水柱が立ち、ペットボトルが見えなくなった。5.56mmの小口径弾の軽すぎる反動は相変わらず現実味がない。
「上手いもんですね。」
倉田が声を張り上げる。
「こいつは、サバイバルスクールで特訓してますからね。」
権田が相槌を打つように声を張る。
実戦でも撃ったことがあるんですよ。もちろん正当防衛でね。。。
古川は、口を歪めて微笑んだ。小気味よく吐き出された空薬莢の飛び具合からも、初期型特有のジャミング(弾詰まり)とは無縁のようだと判断した。もっともアレは使用火薬が安価だったから発生したことなのだが。。。米軍のような大組織になると、そのコスト低減効果は計り知れないだろうが、またその不具合によって敵にチャンスを与え、失われた米兵の命も多かったらしい。。。戦場では今でも有名な話だ。
銃は問題ない。あとは「おおよど」を如何に制圧するか、だ。倉田さんの方が銃の扱いに慣れているだろうが、権田さんは船を操ることは出来ない。いざ「おおよど」と一戦交えることになったら機動性は大きな戦力となる。未経験者の権田さんに操船は任せられない。そうすると権田さんにもう1丁持っていてもらうか。。。
俺の身に何かあった時には、権田さんにやってもらうしかないのだから、扱い方だけでも覚えてもらおう。
「ん~。やはり「しまかぜ」は「おおよど」に接近しているようだな?」
ノートPCの画面、厳密に言えば「鷹の目」システムを覗き込む。片岡はその海域を拡大して背後の河田を振り仰ぐ
「はい。そのようです。あと30分程度で接触します。依然「しまかぜ」から応答はありません。」
片岡の声が虚しく司令部内に伝わる。壁のように作られてはいるが、実体は、テントと同じ素材。響くと言うよりは、壁に吸い込まれるような声だ。
「「おおよど」に警告。
「しまかぜ」は乗っ取られ敵対行動を取っている。注意せよ。「しまかぜ」への攻撃を許可する。」
室内に緊張がみなぎる。「おおよど」は、「鷹の目」システムの要だった。その「おおよど」が狙われている。しかも、「おおよど」に乗っているのは、、、
「時間がない。「鷹の目」に入力。
中国艦駆逐艦乙、対艦ミサイル発射、2(ふた)発。目標、巡視船「ざおう」うち1発は洋上に落下。」
梅沢、許せ。。。
「よーそろー。中国艦駆逐艦乙から対艦ミサイル発射。弾数2(ふた)。目標海保巡視船「ざおう」着弾数は1。判定は?」
目を瞑って復唱を聞いていた河田だったが、きつく噛みしめていた唇を開き、そして目をかっと見開いた。
「復唱よろし。判定は。轟沈。掛かれっ!」
河田の怒声にも似た太い声音が響いた。
「よーそろー。」
了解という意味の言葉を短く返した片岡が叩くキーボードの音が、しんと静まった室内に乾いた音を響かせていた。




