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融合

57.融合

 よそ者だから気を遣われているのか、それとも単に入院者が少ないだけなのか、、、あるいは。。。

 4人部屋の病室の窓際のベッドで目を覚ました昇護は、少し起こし気味にしたマットレスのお陰で視界に入った空虚に苦笑した。

 ブラインドは下げられていても、容赦なく照りつける夏の那覇の日差しで、天井が低く、古い造りのはずの病室内が白く照らされ、明るく清潔に見える。日差しのせいだけでなく、日頃の手入れがいいのも事実なのだろう。なにせここは自衛隊病院なのだから。。。案外、税金をいちばん大事に使ってるのは彼らなのかもしれない。

 今朝、はるばる茨城から来てくれていた母が帰った。自分が負傷してこの病院に運び込まれてからずっと付き添ってくれていたらしい。昨日自分の意識が戻ってからは、ホッとしたのか息子にも分かるぐらい疲れが顔に出ていた。だからその身を案じて帰るように言った。

 きっと、祈るような気持ちで俺を看病してくれていたに違いない。子供の頃、肺炎で熱出した時と同じように必死で。。。撃たれた俺を外科医ではない母さんがどうにかできることなんて一つもないのに。。。

 何が何だか分からずただ気だるく朦朧としながら撃たれた後初めて開け始めた目に飛び込んできた母親の表情が脳裏に浮かび、昇護の目頭を熱くする。

 ありがとう、母さん。

 独りきりになった今だからこそ、素直に思う。

 そして父さん。ありがとう。

 父が艦長を務める護衛艦「いそゆき」に緊急着艦した後の記憶が無い昇護に、見舞がてらに調書を取りに来た海保の人間が教えてくれた。自分の命を助けるために多くの自衛官が命がけで協力してくれたことを。。。

 あんな目にあったにもかかわらず、今の自分は出港直後のささくれ立っていた気持ちが嘘のように素直で、晴れやかだ。他人に感謝する気持ちというのが、人を穏やかにそして心豊かにするのだろうか。。。

 !?

 包帯が巻かれた腹から下と違って自由がきく手で目元を雑に拭っていると、ドアの方から何か小さな音が聞こえた。身体をひねる事はできないので顔だけを扉へ向ける。白いペンキが何重にも塗られた木製のドアにはめられた曇りガラスに人影が見えた。

 トントン

 今度はハッキリとドアをノックする音が聞こえた。だがドアを開ける気配はない。ノックはするが返事も聞かずに入って来る病院関係者とは違うらしい。

 見舞いが来るほど、入院が知り合いに知れている訳じゃあないし、そもそもここは沖縄の那覇だ。知り合いなんていないし、こんな遠くに見舞に来てくれる人は母親以外に心当たりがない。またウチ(海保)の人間か?

「どうぞ~。」

 ゆっくりとドアが開いて、お互いに固まる。昇護は自分の胸の鼓動が耳に聞こえてくるような錯覚に陥った。

「美由紀。。。」

 驚きと戸惑いに、声が上手く出ない。せめて起きがけで喉の調子が悪いと思ってくれ。俯いた瞬間に部屋の空気が一斉に動き、甘い香りがほのかに昇護の鼻腔をくすぐる。懐かしい香り。。。もう二度と会うことはないと思っていた美由紀が駆け寄ってきた。そう、プロポーズを断られた時と、撃たれた時に。。。俺はそう思った。。。その美由紀が今、目の前に、、、いる。

 温かい。

 両手がそう感じた昇護は、一瞬遅れて、自分の手が合わせられて美由紀の両手に包まれていることに気付く。

「み、美由紀。。。どうして」

自分の両手を包みこんでいる美由紀の両手から視線を美由紀の顔に移す。合わせた美由紀の目が涙で溢れ、そして決壊したように一気に頬を伝い始めた。

「どうしてって。私はあなたの。。。」

 そこまで言うと美由紀はベッドサイドの床に崩れ落ちるように座り込みマットレスの上に肘をつく。細かいプリーツの入った薄手の淡い水色のスカートがふわりと床に広がるように付く。そして昇護の手を包んだままの両手を自分の額に擦りつけるようにした嗚咽で線の細い肩が大きく揺れる。

「。。。あたしたち。。。結婚。。する、、、でしょ。。。バカ。。。」

 美由紀の嗚咽に混じりながら、昇護が既に諦めていた、しかし心のごく一部ではまだ期待していた単語が昇護の耳に入った。-え?もう一回言って?-なんて、今の美由紀には聞き返せない状況だが、<プロポーズを美由紀がOKしてくれた>なんてことは記憶の何処にもない。そんなはずはない。生まれて初めて銃で撃たれたとはいえ、頭を打った訳ではないので記憶が喪失するということはないだろう。

「返事、、、見てない。。。の?」

 布団に顔を押しつけていた美由紀が昇護を見上げる。昇護は、プロポーズして以来、美由紀にメールを送ることはなかった。もちろん電話もしていない。それは、美由紀への気持ちが変わったからではなく、単に怖かっただけなのだ。

<もしかしたら、断られるんじゃないか。。。>

 美由紀は、言葉の通り、真剣に悩み考えていたのだった。どうすれば結婚できるかを。。。ずっと一緒にいたいという変わらぬ気持ちの先にある2人の未来を真剣に考えていたのだった。

<俺は、自分のことしか考えていなかった。。。>

 その勇気がなかった故に連絡をとらなかっただけとは知らずに昇護を信じ、美由紀の答えに対する昇護の返事が無くとも、プロポーズした昇護の気持ちを疑わない、まっすぐに昇護を見つめる潤んだ瞳に昇護は心の奥底から押さえきれない愛おしさが溢れ出すのを感じた。

 左手がゆっくりと美由紀の頭を撫でる。

「ゴメン。。。船に電波届かなかったんだね。。。船が沿岸から離れるまでに連絡したかったんだけど、美由紀から返事が来る前だったから、断られたらどうしようと思って、俺。。。ゴメンな」

 昇護を見上げていた美由紀は、再び布団に顔を埋めると、擦り付けるように首を何度も横に振った。

「ありがとう。心配掛けたね。」

 愛おしさに加えてその健気さに胸を打たれた昇護は、目頭が熱くなり、それ以上は言葉にならなかった。

 昇護はベッドにおかれた美由紀の手にただただ自分の手を重ねるだけだった。

 次に掛ける言葉を探しながらも決まりが悪く、それならばただ時の流れに身を任せてこのまま暫くこうしていたい、と思い始めた矢先、昼食の配膳の放送が流れた。時計の針はいつの間にか12時15分を指していた。美由紀は昇護に頼まれるでもなく自然に立ち上がってエレベーターホールに来ている配膳台車に昼食を受け取りに行った。

 何だかんだ言っても優しい嫁さんになりそうだな。。。

 部屋を出て行く後ろ姿をうっとりと見つめる昇護に

 入院シーンが最初かよ!

 と自分自身にツッコミを入れ、思わず苦笑いが漏れる。

 付き添ってくれていた母の話だとフロアの端にあるこの病室はエレベーターホールからだいぶ離れているらしい。昼食を受け取って戻ってくる美由紀に体を動かせない昇護はドアを開けてやることもできない。動作で迎えることができなければ、表情と言葉で迎えるしかないわけだが、さっきの今、でどんな顔で迎えていいものか、、、照れくさいというか何というか、複雑だ。。。

 そうだ、テレビでも見ている振りをするか、、、

 昇護は枕元をまさぐってテレビのリモコンを掴むと電源ボタンを押した。液晶のテレビはすぐには映像を出すことはできない。そのもどかしさにも慣れた昇護は、電源状態を示すLEDがスタンバイの赤からオンを示す青に変化するのを確認してリモコンを下げた。

 ワンテンポ遅れてコントラストの強さでなんでも鮮やかに見える映像を映したテレビに昇護は目を見開いた。

 そこには、見慣れた海上保安庁のベル212のエンジン部分が画面いっぱいに映し出されていた。マニアでもなければ一瞬何が映ったのかも分からないだろうが、昇護は違う、このヘリコプターに少年の頃から憧れて今の自分がある。見て分からない筈がなかった。しかし、その見慣れた筈のエンジンカバーには、見たこともない状態になっていた。数個の小さな穴が開き、一部で薄い外板がめくれている、さらに黒くすすけて見えるのは気のせいだろうか。。。

 映像が変わって、徐々にヘリコプターの全体を映すようにカメラが引いていった。どうやらそのヘリコプターは、平坦だが岩肌のような場所に降りているようだった、背後には同じく岩肌がちな山があるようだ。

 多分どこかの島だろうが、どこに降りてるんだ?故障?いや故障で穴が開くのは変じゃないか?

 昇護が記憶を巡らせる間もなく、映像が変わって、カメラは機体の先頭を拡大して映し、そこから舐めるように後ろへと動き始めた時、昇護は心の底から体の隅々まで凍り付くような悪寒を感じ、呼吸も乱れた。

 映された機首には「うみばと」と書かれている機体には、人の気配はない。何年もそこに置いてあったかのように色がくすんで見える。

 みんなは?

 昇護は、呼吸を落ち着けるために深く息を吸おうとしたが、幼いときにしゃくりあげて大泣きしたときのようにうまくいかない。

 いつの間にか映像が変わり、ビニールシートの上にあぐらをかいて座る男たちの後ろ姿が映し出されていた。彼らは、後ろ手に縛られ、さらに隣の人間とロープで繋がれていた。手前で座らされている男たちは背中に「海上保安庁」と書かれたジャケットを着ていた。特警隊の隊員であることがひと目で分かる。そして、迷彩服を着込んで顔まで迷彩色で塗りたくった数名の男が彼らを見下すように立っている。迷彩の男たちは、細長いライフルを肩から下げていた。

 あれは、あの銃は、なんて言うんだっけ、、、よくベトナム戦争の映画でアメリカ軍が使っていたヤツだ。。。

 昇護は、現実感のない映像につい、映画のワンシーンを重ねてしまう。しかし、その漠然とした雰囲気は、同じように縛られたオレンジ色パイロットスーツが視界に入ったことで一気にかき消された。

「浜田さん、みんなっ!」

 前方に回り込んだカメラに映る海保職員の顔にはモザイクが掛けられていたが、昇護にとっては間違える筈もないくらい馴染んだ男たちを回り込んだカメラが正面から捉えていた。

「なんてことを。。。」

 映像のあまりの理不尽さに、しゃくりあげるのも忘れていた昇護は、こみ上げてきた怒りに唇を噛みしめて、拳を強く握った。

-ご覧頂きました映像は、先ほど大手動画投稿サイトに投稿されたものです。投稿者は、元海上幕僚長で、尖閣諸島での活動を続けてきた「目覚めよ日本」の代表の河田 勇氏です。

 映像からも分かります通り、河田氏らのグループは、自動小銃などで武装して尖閣諸島の魚釣島に上陸しました。さらに銃刀法違反の疑いで捜査のために上陸しようとした海上保安庁所属のヘリコプターを銃撃して乗員を人質に取っています。

 海上保安庁の発表によりますと、武装した河田氏等は、昨夜から明け方に掛けて魚釣島に上陸し、建造物を構築して立てこもっているとのことで、捜査のために派遣したヘリコプターの乗員4名と同乗していた特別警備隊5名の計9名が、捕らわれているとのことです。

 なお、河田氏率いる「目覚めよ日本」の母体である河田水産の石垣島事務所を銃刀法違反の疑いで捜査したところ、多数の銃器と、男性1名の遺体が発見されたとのことです。-

「くそっ、またあいつらか。。。何でそこまでする。。。」

 撃たれた傷が怒りでうずくように痛んだ。

 視界の隅に華やかな色を感じ取った昇護が、痛みで引きつったままの顔を向けると、昼食のトレーを持った美由紀がドアの前に立っていた。心配そうな目が昇護を見ていた。

「今日は、昇護の好きな唐揚げが入ってるわよ。普通の料理が出るってことは、お腹は大丈夫だったのね。」

 今入ってきたばかりということをアピールするかのように明るく言いながら美由紀が笑顔を浮かべる。

「あ、ああ。腹を撃たれた時は死ぬかと思ったけど、内臓に損傷は無かったんだ。」

 昇護は、作り笑いだと受け取られても構うかと言わんばかりに、おどけた笑顔を見せた。どのみち美由紀に誤魔化しはきかない。

「・・・死ぬだなんて。。。」

 急にトーンを落とした美由紀の声が腹に重く響くようだった。

「ゴメン。。。心配掛けたけど、大丈夫だよ。。。」

 昇護は、努めて明るい声を出したつもりだったが、蚊の鳴くような声になってしまっていた。

 ベッドの柵を足にして準備してあった簡易テーブルにトレーを載せた美由紀がテレビの字幕に釘付けになっている。

-海上保安官9名が人質に-

「自分は大丈夫。」無機質に事実だけを示すゴシック調の文字が、昇護の言葉を否定していた。

「大丈夫。あなたが選んだ道についていくって、、、あたし決めたの。。。

でも約束して。どんな状況になっても、最後の最後まで、、、生きる事をあきらめないで、、、

必ずあたしのところへ戻って来るって最後まで念じ続けて、、、あなたに何が起こっても、、、それを信じてあたしは生きて行くから。。。」

 涙と弱々しい嗚咽で途切れ途切れになりながらも語られる美由紀の信念に、昇護の中から愛おしさと感謝の気持ちが溢れだす。

 俺は頑張れる。この国の人達と、そして美由紀と未来のために。。。

 肩に抱きついて嗚咽を続ける美由紀の髪に手を伸ばし、優しく撫でると目から涙が流れ出た。

「ありがとう、俺はどんな時もあきらめない。必ず美由紀の元に帰ることだけを考える。約束する。」

 美由紀は昇護の肩に顔を埋めたまま頷くと、子供のように声を上げて泣き出した。

 

 離れていた分だけ募り、やり場もなく疼き続けていた想いをぶつけ合い、そして融合させる2人に気付かれないままに、テレビの画面は、いつの間にか雰囲気が代わり、ダークスーツに赤いネクタイをして、黒く豊かな髪を七三にきちんと分けて固めた中年男性のアナウンサーが、まくし立てるような早口で喋っている。バックには尖閣諸島らしき写真と中国国旗が映る。

-尖閣諸島の魚釣島に上陸した日本の武装勢力について、日本政府は自衛隊との繋がりを否定しているが、日本国旗を掲げた武装勢力は、我が国にとって、日本からの侵略者であることには変わりない-

 日本語の字幕が中国の理論を代弁しているようで腹立たしいが、翻訳ですら偽らないのが、あの国とは違うところだ。

 上空から魚釣島を撮影したらしい数点の写真が代わる代わるに映り、これ見よがしに「釣魚島」と中国名が表示されている。写真は、数秒ごとに切り替わり、日の丸を掲げた建物や、上空からは傷ついていることが分からない「うみばと」が映る。中国側は、ヘリまで持ってきていると思っているに違いない。さらに写真が拡大されて武装した迷彩服姿の男達を映した。

 さらに字幕は続く、

-日本政府がいかなる弁明を行おうとも、我が国の領土を占拠する武装勢力は実力で排除する。人民海軍は既に空母を含む完全武装の艦隊を出動させた。-

 再び画面は日本のスタジオに戻り、バラエティーもこなす人気の女性アナウンサーが映る。しかし、そこにいつもの華やかさは無かった。


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