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賭けの始まり

53.賭けの始まり

「敵機補足。方位270度、距離100海里(約185km)、速度485ノット(時速約900km)高度10000フィート(約3300m)。数1。」

 薄暗い室内に熟年の渋みを滲ませるようなテノールボイスが響く、その声音とは対照的な若者のような張りの良い発音は、この言葉を発するのを長年待ち望んできたかのような少年のようでもあった。

「来たな。空自(航空自衛隊)の動きはどうか?」

 河田が、即座に反応する。その機敏な対応といい、パイプ椅子に深く腰掛け、正された姿勢が凛々しい。年齢と老いの関係は鍛え方で変わる。決して同じ傾きの比例ではないことを体現していることが、河田の指揮官としての能力とカリスマ性にバランスを与えている。

「那覇からF-15Jが2機、スクランブル発進しました。」

「よ~っし。」

 聞き耳を立てていた男達が思い思いのガッツポーズで声を上げると、テントの内壁が男達の声を弾ませるように活気に包まれる。計算しつくされた空気の流れで空調顔負けの快適さだったテントが一瞬で熱気に包まれた。所狭しと並ぶ多数の端末やディスプレーの発熱と居住性を考慮して絶妙なバランスを保っていたが、人間の感情が発するエネルギーまでは計算外だったようだ。

「そうか。1機だけか。。。それにしてもえらくスピードが速いな。何だと思う?」

河田が呟くように尋ねる。

「方向からして、間違いなく中国の軍用機と思われますが、速度からして偵察機または戦闘機の可能性が考えられます。」

 テノールの声が答える。落ち着きを取り戻した思慮深い口調が、やっとその声音にマッチしてきた。

「戦闘機が単機で?」

 戦闘機は2機編隊で行動するのが常識だろう。。。

 河田は、先は言う必要もないだろうと言葉を切る。

「御存知の通り、空自のYS-11EPや海自のEP-3Cに中国の戦闘機が異常接近する事案が発生してますが、その時の中国戦闘機は1機のみで行動しているんです。2001年4月に発生した米軍のEP-3Cと中国海軍のF-8Ⅱ戦闘機が空中接触した海南事件の際も、戦闘機は単機で行動していました。YS-11EPもEP-3Cも、もともとは旅客機だというのにひどいもんです。」

 簡潔明瞭で短時間で会話を終わらせねば。という文化と、自分の知っていることと考えを上官に確実に共有してほしい。という想いの折り合いがつかずに早口で答えてしまう。

 一生懸命なのはいいのだが、いい歳してまるでゴリ押しだな。。。それに、分析する時に感情的になってはいけない。でも、その純粋さがこの国を救う原動力にもなるんだ。皮肉なもんだ。

 苦笑を悟られないようにするあまり、軽く唇の端が上がるのを感じながらも言葉を継ぐ。その気持ちは大事にしなければならない。

「なるほど。。。中国の戦闘機は、ろくなことをせんな。

しかし、単機でこの島を目指すとすると、戦闘機ではないんじゃないかな。既に沖の中国海警船には、我々がこの島を武装占拠していることは知られている筈だ。我々は飛行機を持っていない。戦闘機を飛ばしても意味がないということくらいは向うも理解している筈だ。」

 周囲の部下が深く頷きながら聞いているのを見て、河田も満足気に頷き、言葉を一旦切った。考える議論をする時は、間が大事だ。お互いの考え、状況を消化したうえでないと、取り返しのつかない判断をする恐れがある。

 今、この時の判断ひとつひとつが、我々の命だけの問題ではなくなっている。我々の行動次第で日本という国家の未来が左右されるのだ。私はこの組織を立ち上げる時、自衛隊OBや、中途で退官した人間を集めてきた。一般社会で言うところの「定年」が早い自衛官の再雇用の場として、という慈善事業的な面も勿論あったが、自衛官として任務をこなしてきた中で様々なジレンマにぶつかり、問題意識を持ってきた人間の中で、退官してその立場にはなくても「どのようにすればこの国を守れるか」を考える「同志」のみを採用してきた。漁業という過酷な仕事の合間を縫って防衛問題を研究する会合を開き、常に組織としてのビジョンを明確にし、共有して、磨き続け目的に向かってきた。そんな中で近年急速に悪化したのが尖閣諸島問題だった。。。これを座視すれば日本は、本当の意味で自国を守れない国になってしまう。今まで我々は近未来の防衛体制・法制のありかたを研究してきた。なぜならば、これまで日本の国益を狙う国家など存在しなかったからだ。だがそれは、「運が良かった。」ただそれだけだったのだ。陸軍大国の色合いの濃かった中国が海洋進出を堂々と謳い、他国の海洋権益を露骨に狙い始まった昨今、日本は例外では無くなった。「運が良いだけ」の国は、一挙に「運が悪い国」に転落した。緩やかな変化に対応して近未来の防衛体制・法制を研究してきた我々は、急遽、それを実現しなければならなくなった。危険な賭けだが、平和主義、専守防衛という造語のような美辞麗句を呪文のように唱えているだけでは、実行支配とい名の蹂躙じゅうりんを受けるだけだ。一度譲れば、骨までしゃぶり尽くされる。国を守るという国家が存続するための基本的な行動でさえ、正当防衛的な対応しかできない。打たれたら打ち返す。では手遅れになるのだ。泥棒に家に入られても、何もしない。家の中で包丁を突きつけられても、何もしない。刺されるまでは何もしてはいけない。それが今の実態だ。これで生活ができるだろうか?まして領海や領空、領土には、鍵の掛かる扉は無い。ましてや「入ったら撃つ」ことなど間違っても言えないのだ。

 武器を持って強盗に入った犯人に「入らないで下さい。」「出ていってください。」と言っても無駄なのは子供でも分かる話だ。なぜこんな簡単なことに気付かないのだろうか?この国の人間はいつからこんなに当事者意識のない民族になってしまったのか?自分の生活する国が直面しているというのに、、、

 まるで羊の群れだ。短い鎖に繋がれた牧羊犬シープドックと柵のない農場でのんびりと草を食む羊の群れだ。自分の住む農場が、隣の農場と違うことを気にもしない暢気のんきな羊の群れ。。。隣の農場は、いや、隣だけではない。他の農場は強固な柵で囲まれ、機敏な牧羊犬が自由に走り回っていて、農場の人間は銃も持っているというのに。。。

 だから俺達がやるんだ。

 そう、それを合い言葉に準備をしてきた。あとは判断を誤らずに進むだけだ。。。何度同じ事を自分自身に言い聞かせてきたことだろう。それも今日で終わりだ。。。

「まさか対地攻撃をしようとしているのでは。。。」

キーボードを叩く手を止めて会話に耳を傾けていた男の声に、いつも繰り返してきた河田の思考は中断された。

「攻撃機か。。。」

 河田が相槌を打つ。最良の判断をするためには、部下の意見といえども他の意見を即座に否定しないことが大事だ。組織のモチベーションにも影響する。強い組織には高いモチベーションと強い自主性、そして個々の主体性が必要不可欠だということを河田は信じてきた。旧帝国陸軍と比べて開放的と言われてきた旧帝国海軍の伝統と規律を受け継ぐ海上自衛隊であっても十分にそれを実践することが難しかった河田は退官後に河田水産でそれを実践し、強い組織を作ってきた。その手法が民間会社でも通用することを試したいという思いとは裏腹に結局準軍事組織の体となってしまったのは時代の皮肉か。。。

「ここを爆撃する気か。。。確かに我々は武装している。敵にとってはいい口実ですね。」

 テノールボイスの主が慎重に言葉を継ぐ。

「鷹の目で攻撃を指示しますか?」

 真っ白な白髪頭の割には肌に張りのあるオペレーター水野が声を張る。

 こいつは、少し喧嘩っ早いのが玉にきずなんだが。。。

「いや、まだ相手がよく分からん。そいつは最後の手段にとっておこうじゃないか。もっと大きな事態で使おう。佐藤君、敵機の機体はどんなもんだろう。」

 河田は、やんわりと言うと、テノールボイスの男に尋ねた。河田に佐藤と呼ばれたこの男は、航空自衛隊出身で、レーダーサイトを中心に最前線で、日本の「目」を担ってきた男で、いわば、レーダーから相手の姿や行動などあらゆることを予測するその道の鉄人だった。その佐藤は今、鷹の目のレーダー情報を扱っている。

「エコーの種類から見て小型機ですね。これまでの速度と高度の関係。つまり飛行特性から見てジェット機とみて間違いないですね。

 だとすると、戦闘機か、偵察機、もしくは攻撃機。いずれにしても、ジェット戦闘機の派生型だと考えられます。」

 佐藤は相変わらずの早口で言う。

 この男は、考えているところを余すことなく言おうとする。誠実さの現れと捉えてよいものか。。。いや、彼にとっては、判断材料としていずれも漏らさず司令官には知って置いて欲しいことなのだろう。確かにそうなのかもしれない。それが空自のやり方なのかもしれないな

。3次元で兵力を動かす空自では判断する材料が多いのだろう。。。いずれにしても今更報告の仕方を変えろと言う方が無駄な労力だ。ここは専門家のやり方に従おう。

「つまり、対地攻撃をされる恐れは拭えないということだな。」

 河田は、固唾を飲むと苦虫を噛みつぶしたような表情を作った。

「これからの高度の変化を見てみないとなんとも言えませんが。。。ただ、このクラスの攻撃機の場合、攻撃は一度きりではないかと考えます。というのも、搭載している武装が対地ミサイルであれば、既に発射している距離ですが、まだ発射していません。であれば、敵機は対地ミサイルではなく爆弾を搭載しているのではないかと私は考えます。爆弾であれば、搭載している者を一度にバラまいて終わりですから、その1回を耐えればいいと考えます。」

 佐藤の答え方は河田にとっては長い。が、その分かりやすく理論付けられており作戦を立てやすいということに河田は今更ながら気付いた。

「なるほど。では、一時的に山の陰に待避して様子を見るということでどうだろう。何か意見のある者は?」

 河田がテント内を見回す。

「敵機が爆撃してくる場合、海岸からこの指揮所に向かって進入する筈です。結果として山に向かってくる格好となるため、高度をあまり下げることが出来ません。ですから、山の陰もしくは、横に待避すれば安全と考えます。」

 佐藤の早口が今となっては頼もしく感じられる。

なるほど、専門家らしい意見だ。やはり空自も採用して良かった。

 河田は、満足げに頷くと、明るい口調で結論づけた。

「鷹の目は、全てノートPCです。アンテナとの通信は無線ですから、機能を確保したまま待避可能です。バッテリーだけで4時間は稼動できます。」

オペレーターをまとめている水野が各端末を扱う人間に目配せをしながら即座に発言した。

 その言葉を受けた河田は安堵の笑顔を見せると、全員を見渡し口を開いた。

「では、一時待避し、状況を確認する。発電器停止。オペレーターは各自バッテリー電源にて待避箇所にて任務を継続。」

テントの中であることを思わせないぐらいの凛とした声が室内に響くと、

「了解」

 弾むような返事が異口同音に声が響く。発生する全ての事象を自分のものと覚悟し事に当たるプロの軍人そのものの対応に河田はあらためて頼もしさを感じた。

 室内のメンバーが行動に移ると、河田は藤田についてくるように目で合図をし、テントの外へ出た。

 河田は振り返ると、ささやくように藤田に語りだした。

「藤田さんは陸戦部隊を一時待避させてください。ただし、敵機が偵察機だった場合には無線で連絡しますから、武器を構えて目立つように展開してください。」

「我々が占拠しているということをアピールして焚き付けるわけですね。」

藤田が悪戯な笑みを返す。

「まあ、それもあるのですが、さらに政治的な意味を込めたいと思ってます。そのために武器を目立たせて欲しいのです。」

河田の目が藤田を真っ直ぐに見つめた。

射るような眼差しに藤田がその意図を汲み取ったように頬を引き締めると慎重に口を開いた。

「なるほど。しかし、事は重大ですな。。。

日本政府にとっては、うまく対応できれば領土問題で今後中国はおろか周辺諸国に対しても毅然とした対等の立場をとれるようになりますが。。。対応できなければ。。。つまり、河田さんの思惑通りの対応ができなければ、二度と領土問題で国家らしく対応することができなくなるのではないでしょうか。。。」

河田は、藤田から視線を外して洋上の海上保安庁の巡視船を見つめながら静かに語りだした。

「手は打ってあります。あとは、内閣が勇気と誇りを持って行動に移すかどうか、ということだけです。私は賭け事が嫌いな質ですが、こればかりは賭けですな。」

河田が苦笑した。釣られて苦笑する藤田に目を向けた河田は、沖合いの巡視船を指差す。

「見てください、さっきまで巡視船を振り切ってこちらへ向かおうとしていた中国海警船が引き下がってしまいました。事態は着々と進んでいます。最悪のシナリオへ向かって。。。」

苦笑だけでなくあらゆる感情が消えたように静まった河田の表情に決意の深さを汲み取った藤田は、力強く頷いた。


澄みきった青空にどこまでも続く青い海。。。同じ青とはいっても、視界に同居する空の青さを青と言うのならば、深く濃い海の色はどちらかというと黒だよな。。。

洋上を飛行する度に、湧いてくるいつもの疑問にいつものように曖昧に思いを巡らす。そして思考はいつものように空の青の無限のグラデーションを賞賛し、そして、それを直に感じられる立場にある自分の運命に感謝して終わる。

「ウータン、今度も戦闘機だと思うか?だとしたらたっぷり海自さんのお礼をさせてもらおうぜっ」

酸素マスクに深く息を吐いた「ウータン」こと鳥谷部のTACネームを呼ぶ僚機高山の声がレシーバーに響く。

「キョウジュ」こと高山が先日発生した海上自衛隊のPー3Cが、中国の戦闘機に追い回された話のことを言っているのは明快だった。当時那覇基地からスクランブル発進したのも鳥谷部・高山チームだった。その時のリーダーは高山だったので、虫の居所が悪いのだろう。部隊の中では珍しく同期で階級も同じこの2人がスクランブル対応のアラート任務に就く際には、交代でリーダー機を務めることになっている。

「キョウジュらしくないな、まぁ、そう熱くなるなって。空母から発進したスホーイじゃあ、那覇からの俺たちは間に合わないのは自明の理だ。仕方がないさ。。。」

酸素マスクの呼吸音に混じっていても分かる溜め息混じりの声から鳥谷部も落胆していることが伝わってくる。

「まさかあの空母が使えるようになっていたとはな。あん時の無線の録音お前も聞いただろ?土壇場で海自のパイロットがウチらがやるような領空侵犯の警告をしてるんだぜ、ロックオンされた警告が響くコックピットで。。。俺達が間に合わなかったばっかりに。。。

浜松のタンカー(空中給油機KCー767)さえこっちに回してくれてれば、俺達はこの空域で四六時中パトロールできるのに。。。あんなことにはならないのに。。。なぜやらないんだ。」

あいつもこういうところがあるんだな。。。

いつもは冷静な高山の苛立ちに鳥谷部は少し安心した。

いつもならば、熱くなるのは鳥谷部、それを冷静に諭すのは高山ということで那覇では有名なコンビだった。

「それこそ中国や韓国に気兼ねしての事なんだろうが。。。相手は使いこなせるかどうか分からない段階の空母まで持ってきてヤル気を見せてんだからな。遠慮しすぎだよな。」

なだめるように鳥谷部が語りかけた。

「そういうのを宝の持ち腐れっていうんだ。」

高山の吐き捨てるような言葉がレシーバーに響いた。

そろそろだ。。。周囲の警戒に配っていた目をレーダーの示す方向に向けてその空間を凝視する。下方に灰色の点が見えた気がした。一旦目をそらすと周囲に紛れて見失う。凝視を続ける鳥谷部の目に点が少しずつ大きくなり、陽光を反射し始めた。どうやら旋回を始めたらしい。

「キョウジュ!タリホーターゲット(目標を目視で確認)2時の方向、下方で旋回中」

「ウータン、こちらもタリホーターゲット」

即座に高山の弾んだ声が響いた。

「ELBOW01,Tallyho target.(こちらエルボー01目標を目視で確認した。)」

鳥谷部は司令部に報告すると、機体を右に反転させながら鋭く降下させ始めた。その操縦に機体が負けん気で必死に喰らい付いていくかのように翼端や背面がコントレール(飛行機雲の一種)を一斉に吐き出した。


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