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白頭鷲

52.白頭鷲

「王手っ」

 どこかから貰ってきたような使い古されたソファーセットに浅めに腰を掛け、小さなテーブルに身を乗り出した頑丈そうな男が体にも見合った威勢の良い声を張り上げる。

「おいおい何度目だよ。また鳥谷部得意の玉砕戦法か?」

 鳥谷部と呼ばれた男とは対照的に向かいで深くソファーに身を預けて悠然と将棋盤を見ていた高山が溜息をつきながら上体を起こす。小柄で華奢に見える体型と知的な面構えも鳥谷部とは対照をなす。

「玉砕だなんて、人聞きが悪い。これでもちゃんと考えて打ってるん。あっちゃ~。」

言い終わらぬうちに、高山の一手が盤上に舞い、鳥谷部陣営にさらに駒を食い込ませる。

「だから言わんこっちゃない。鳥谷部は空と地上じゃ大違いだな。」

 もともと2006年に退役したF-1支援戦闘機に最後まで乗っていたパイロット達の中で最も若かった鳥谷部は、ほとんどのF-1乗りが後継のF-2支援戦闘機に機種転換を行っていく中で、世界最強の戦闘機F-15Jへ機種転換を果たした変わり種だ。青森県三沢市出身の鳥谷部は、地元三沢基地で子供の頃から慣れ親しんできた「大好きなF-1」乗りになりたかっただけであって、支援戦闘機そのものに愛着があるわけではなかったのでより速く、より強いF-15Jに転換になったことは、鳥谷部にとっては嬉しいことだった。が、それは、鳥谷部本人の都合であって、上層部が鳥谷部の空戦の腕を見込んだうえでのことだった。

 「支援戦闘機」は、外国で言うところの攻撃機に相当する機種で、戦争アレルギーの強い我が国が攻撃機という呼び方を避けて「支援戦闘機」という造語を作ったといったところだ。自衛隊といい、支援戦闘機といい、外国には理解されにくい日本人の言葉遊びだ。

 国産初の超音速機として鳴り物入りで登場したF-1支援戦闘機だが、F-4EJや、F-15Jのように大推力エンジンを搭載したアメ車のような戦闘機に対抗するには、自慢の運動性を活かす前にパワー不足で泣いた。さらに攻撃機である支援戦闘機は、その任務にあたっては爆弾を搭載していることが多く、その機動性をさらに鈍重なものにする。そんな中でも鳥谷部は航空自衛隊全部隊が集い腕を競い合う「戦技競技会」の度に、部隊を勝利に導いてきた。当然支援戦闘機の作戦目的は爆撃であって、種目の最終目的は対地攻撃である。簡単に言えばターゲットに爆弾を落として無事に帰ってくるということなのだが、これがなかなか難しい。なぜなら実戦と同じように、敵戦闘機の妨害を受けるからだ。しかもその敵戦闘機の役割を果たすのは「飛行教導隊」のF-15戦闘機なのだ。「飛行教導隊」は、普段から全国各地を巡回し、敵役として各部隊の稽古相手となって戦闘技術を伝授するいわば師範の集団である。尾翼のコブラと部隊ワッペンのドクロマークは伊達ではない。

 鳥谷部は非力なF-1を駆って行きは爆弾を抱えた鈍重な状況でコブラマークのF-15の執拗な追撃をかわし、ターゲットに爆弾を全弾命中させると、身軽になった愛機でコブラを叩き落として帰ってくるのだった。そんな鳥谷部の実績は、本来評価されるべき全弾命中の爆撃の腕ではなく、航空自衛隊の誇る師範部隊を「か弱い」F-1で手玉にとってしまう空戦の腕の方が注目を浴びてしまうという結果を産んだ。

 F-15Jに機種転換して、茨城県の百里基地から那覇基地に移動した第204飛行隊に配属された鳥谷部は、そのセンスを噂以上に発揮してた。ベテランパイロット達の間でも先は、飛行教導隊lかブルーインパルスかと話題に上るほどパイロット仲間に認められた腕だった。

なのに将棋は。。。見たとおりの適当さ。

地上に降りるとなんであんなにガサツなんだ?ということもパイロット仲間の間では評判だった。

ちなみにタックネームと呼ばれるパイロット同士が機上で呼び合う「あだ名」は、見た目は中肉中背を少し太らせたようなガッチリ体形で野性的な風貌なのに空では繊細な鳥谷部がオランウータンを短縮した「ウータン」で、見た目が華奢で、インテリ風な雰囲気を醸し出す高山が「キョウジュ(教授)」だった。

「王手ぇっ!」

 負けそうになっている時の鳥谷部の王手ラッシュは、持ち駒が無くなるまで続くのがいつものパターンだ。

「だ~か~らっ、無駄だって言っ!?」

高山が言い終らぬ内に、壁に設置されている裏返したフライパンを赤く塗ったようなベルがけたたましく鳴る。

 鳥谷部と高山はお互いに顔を見合わせるでもなく反射的に大きな扉へ向かってダッシュする。立ち上がりきらずに前傾姿勢で駆け始めた鳥谷部がテーブルにぶつかる。テーブルが派手な音を立てて将棋盤ごとひっくり返り、駒が舞い上げる。

-わりぃ、勝負はチャラだな-

と思いつつも気に留めることなく猛ダッシュする鳥谷部の遥か後方で駒が床に散らばる音がする。

すぐ前を行く高山が扉を開けると格納庫の甲高いサイレン音が直接耳を刺激し、縦と横と奥行きに急に広がった視界に目を瞬かせる。待機していた部屋はアラートハンガーと呼ばれる格納庫と繋がっており、特徴的な2枚の垂直尾翼に白頭鷲の横顔のマークを描き、猛禽を連想させる大きな機首に盛り上がったキャノピーを開いた状態の2機のF-15Jが巨体を横たえて相棒を待っていた。格納庫の壁には赤い回転灯が瞬き、その下の古びた箱状の大きな表示器が「SCRAMBLE」と「STANDBY」の文字を点灯させている。

高山も鳥谷部も、そして整備員もその表示には目もくれずそれぞれの機体に向かって突っ走る。

ハシゴを軽々と昇りそれぞれコックピットに収まった彼らは、既に耐Gスーツを身につけているので機体と耐Gスーツを繋ぐホースを繋げばヘルメットを被るだけで準備完了だ。 

耐Gスーツは、機動性の高いジェット戦闘機などのパイロットが着用するもので、高機動飛行、つまり激しい操縦で動き回っている時にパイロットに掛るGの影響を軽減して、高G状態でもパイロットが操縦能力を失わないようにサポートする強化服のようなものである。例えば、パイロットが機体を高速水平飛行から急上昇させた時、全身の血流が足元へと集中するため頭に血液が供給されなくなり失神(ブラックアウト)する可能性がある。耐Gスーツがあれば、そのGに応じてスーツの足の部分に機体から空気が供給されて、足を締め付けることで、血流が足元に集中するのを防ぐ効果がある。この大袈裟な服を着る時間も惜しい為、スクランブル要員は耐Gスーツを着たまま長時間待機し、いざという時は駆け出さなければならない。

時間を惜しむように警報と同時に大きな扉が左右にスライドしながら開いていく。その扉と競うように、それぞれの機体に整備員達が取りつき定められた作業を手際よく行う。どの動きにも無駄がない。座席のベルトを締めたパイロットが即座に手信号を送ると、機体前方で統括するマイク内臓マスクを付けた整備員が周囲の安全を確認して手信号を返す。パイロットがそれに応えると同時に機体後方でエンジンを起動する内臓コンプレッサーが唸りを上げる。F-4EJファントムとは違い、F-15や、F-2は、外部の専用トラックから圧縮空気を貰うことなく、自らエンジンを始動することが可能なのである。甲高い音が高鳴り回転数が上がり2つのノズルから陽炎がたち始めると、パイロットがキャノピーを閉める。整備員達は機体の各所に取り付けられた赤い大きなリボンのようなタグを外す。武器担当者は、空対空ミサイルのタグを外し、外部レバーを「ARMED(発射可能)」位置にセットする。

  鳥谷部が顔の正面で合わせた両手を左右に払う合図をすると、正面から機体と作業を監視している整備員が同じように正面から両手を払う、こちらはコックピットの鳥谷部とは違い両腕をいっぱいに広げる。それを見た機体側の整備員が、ロープを引いて車輪止めを一斉に外したのを見届けると、正面の整備員が親指を大きく突き上げる。機体はいつでも動かせる。という整備責任者の合図だ。ここからパイロットと整備員の本当の意味での信頼関係が試される。

右に見える高山の機体が自分と同じ進捗状況であることを確認した鳥谷部は、キャノピー越しに高山が親指を高く突き上げて準備完了を告げているのを確認すると、目の前の計器を一瞥し、無線のスイッチを押した。今回は、鳥谷部がリーダーを務めることになっている。

「Naha Tower.ELBOW01 scramble.(那覇管制塔、エルボー01スクランブル発進です。)」

-ELBOW01.Naha Tower,taxi approved.(エルボー01、那覇管制塔 地上走行を許可する。)-

管制塔の許可を得た鳥谷部が正面の整備員に合図を送ると、格納庫の外に出た整備員は左右を素早く見て格納庫の外の安全を確認すると、両手を胸の前から左右に広げる動作を繰り返して機体を格納庫の外に誘導した。鳥谷部は、上体ごと大きく左右に体を捻り、左翼下と右翼下に整備員がいないか安全確認をしてから左右のペダルから両足を離してブレーキを解除し、スロットルを数秒間上げて下げると、エンジン音が一瞬だけ高鳴る。まるでそれが合図のように機体が滑るように動き出した。

格納庫を出ると、再び左右を大きな身振りで確認した鳥谷部は、愛機を左に回頭させながら整備員に敬礼をして滑走路へ向かう。地上走行中の機体は微妙な出力の変化や、微小な誘導路の路面の起伏によりゆらゆらと頼りなく揺れながら進む。彼らが待機していたスクランブル発進用の格納庫-通称アラートハンガーは、直ちに離陸できるように滑走路の近くに置かれている。ここ那覇基地も例外ではなく、頼りなく見える地上走行もすぐに力強い離陸滑走へと移る。

 既に2機のF-15Jが進む誘導路のすぐ横には滑走路が横たわる。

-ELBOW01,Order,vector260,climb Angels20.Contact channel1.Read back.(エルボー01 スクランブル指令、方位260度、高度20,000フィート(約6,000m)まで上昇、チャンネル1でレーダーサイトと交信せよ、復唱どうぞ)-

管制官の冷静で乾いた声がレシーバーに響く。

「Roger.ELBOW01.Vector260,climb Angels20.Contact channel1.(了解、エルボー01、方位260度、高度20,000フィートまで上昇、チャンネル1でレーダーサイトと交信。)」

レシーバーには始終自分の酸素マスクを通した呼吸の音が大げさに響く。まるで、水中カメラでリポートするアナウンサーのようだ。

-ELBOW01.Read back is correct(エルボー01、その通り。)-

復唱を確認するとほどなくして滑走路の入り口にが目に入ると再び管制官の声が響く、

-ELBOW01.Wind calm,runway36 Clear for takeoff(エルボー01、風は微風、滑走路36からの離陸を許可する。)-

「Roger ELBOW01.Cleared for takeoff.(了解、離陸します。)」

 絶妙なタイミングだ。滑走路に入る前に離陸許可を貰ったので、滑走路の手前で止まって許可を待つ必要はない。

 鳥谷部は滑走路端よりも1つ手前の誘導路を右に曲がり、大袈裟にも見えるような動作で左右を見ることで上空を含めた滑走路の先まで他の飛行機がいないことを確認し、機体を止めることなく滑走路に入る。視界の隅には滑走路末端につながる誘導路で離陸を待たされている日本トランスオーシャン航空ボーイング737-400型機の鶴丸が見えた。

「すまんねぇ。ジェイオーシャンさん」

 鳥谷部は、日本トランスオーシャン航空のコールサインであるジェイオーシャンへの詫びを酸素マスクの中で呟く。普段からダイヤが過密気味の那覇空港は、滑走路が1本しかないため、スクランブル発進の際には必ずと言っていいほど旅客機が足止めを食わされる。逆に、訓練の際には旅客機にだいぶ待たされるのが悩みの種だ。問題はそれだけではない、南西諸島に他に航空基地を持たない自衛隊にとって、那覇基地の滑走路が事故などでふさがれるような事態が発生したとき、防衛上は南の防衛ががら空きになってしまうという重大な意味をもつ。

 ともあれ、このままでは増え続ける航空需要を裁ききれないことを中心に様々な議論を経て、ようやく第二滑走路の建設が始まったばかりだった。

 鳥谷部は視線を正面に据えて計器のを慎重に確認しながらスロットルを上げる。

大丈夫、行ける。

 視線を上げて滑走路の先まで射るような目つきで見つめる鳥谷部の体が、離陸時の急激な加速でシートに押しつけられる。

「キョウジュお先に」

軽くマイクに吹き込むと、機首を少しだけ上げて僅かに機体を浮かび上がらせると、すぐに車輪を格納して、そのまま超低空で滑走路上スレスレを駆け抜ける。車輪の抵抗という足かせが無くなったF-15Jはアフターバーナーの大出力を余すことなく加速に替えて観る者の内蔵をも震わせる様な轟音を響かせながら滑走路の端まで来ると一気に急上昇に移る。この方法は、離陸滑走という「最も脆弱な状態」から一刻も早く機体を加速させて反撃に移るために編み出された離陸方法なだけあって、緊急発進の際にも有効だった。

「ELBOW01.Airborn.(エルボー01離陸した。)」

と無線に吹き込むと

 急角度で上昇するGに抗いながら後ろを振り返った鳥谷部の目には、矢のような勢いで滑走路を這う高山のF-15Jが映った。顔を正面に向けると時を同じくして

「ELBOW02.Airbone.(エルボー02離陸した。)」

と言う声が耳に響いた。鳥谷部は、満足そうな笑みを浮かべて機体を方位260度(西南西)へ向けるべく大きく旋回を始めた。この旋回が終わるまでには高山も追いつくはずだ。

 

「だから、ヤバいんですよ。課長」

権田は、この電話で8度目のヤバいを、口にしていた。なにも彼の口癖と言うわけではない、それだけ彼にとって事は「ヤバい」のだった。

-だって、何も証拠がないんだろう?そんなんじゃ、ウチの号外すら出せないぞ。ましてや系列とはいえテレビに出すなんて。-

 権田の上司である岡村課長の声が響く、内容はともかく、やはり声音は柔らかい。

「海保の無線を傍受したんです。今、魚釣島は完全武装した日本人テロリストに支配され、海保のヘリが撃たれて不時着しているんです。間違いありません。」

 ジョリジョリと忌々しげに無精髭だらけの顎を指で擦る権田の仕草が傍目で見る古川を苦笑させる。

相変わらずだな。。。

 課長の岡村は、古川が産業日報で仕事をしていた時には、まだ係長だった。部下の話は丁寧に聞いてくれるが、意見が通るかどうかはまた別の話だった。丁寧に聞いてくれるということは、隅々まで理解してくれるということなのであるが、その結果、彼の慎重且つ心配性な心に様々なIFもしもを発生させ、それが木の枝のように様々な結末を想像させる。そして時には目の前のチャンスを失う。当時の古川は、彼のその性格を危惧した上層部が危急なニュースの少ない防衛担当の係長という職を彼に与えたのだとばかり思っていた。思慮深いともとれる岡村の性格は、慎重さが必要とされる防衛向きだとも思っていたのだが、その岡村が政治担当も含めた政治部政策課の課長を任されているあたりが、彼の成長の結果と思いたかったが、現状の権田とのやりとりを見ている限りでは、そうでもないらしい、思慮深さを買われたのか?随分と慎重な会社になったもんだ。

-傍受って、お前いつから無線マニアになったんだ。ま、傍受するのは法律上も自由だが、その内容を第三者に漏らすのは違法行為だぞ。権田-岡村の柔らかいがいちいち正しい言葉が耳に痛い。

「しかし。。。事は一刻を争う問題ですよ。」

-そりゃあ、お前を信用していないわけじゃないが、前回テロップを流したときには写真があったからな。。。

手遅れにならないように根回しだけはしておこう。それでいいな-

「ありがとうございます。」

食い下がる権田をなだめる岡村の声がありがたく。権田は衛生携帯電話を耳に当てたまま相手に見えるはずのない深い礼をした。

 それから5分程度の打ち合わせを済ませた権田は、電話を古川に返すと、

「バッチリだぜ。」

と、笑顔で親指を立てた。

「やりましたね。」

 同じように親指を立てる古川の笑顔には、すっかり本調子に戻った「報道の大先輩」権田への安堵と信頼の気持ちが現れていた。


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