繋がれた狼
50.繋がれた狼
目の前の茂みのを通して「海上保安庁」と書かれたジャケットの背中が見える。その数6名。
ばかめ。。。
藤田の頬が緩む。言われなければ40歳という年齢には見えない張りのある顔は、迷彩色に塗りたぐられ、几帳面に短く刈り揃えられた白髪一つない漆黒の髪も、迷彩柄のバンダナで隠されていた。
壁に取り付いたことで安心しているのだろう。確かに遮蔽物は城のように頼もしい存在なのは分かる。しかし。。。
お前ら背中が「がら空き」なんだよ。。。
藤田は、再び頬を緩めると、白い歯が覗いた。迷彩に埋もれた顔に覗く白い歯は目立つ。陸自でレンジャー教官をしていた頃はしつこく注意してきたが、目の前の連中にはそんな配慮は必要ない。ヘリが降りてきたときのダウンバースト(ローターにより地表に吹き付けられる風)でアンブッシュで潜んでいた茂みが暴れ、姿が晒されそうになって焦ったが、それも彼奴ら相手には取り越し苦労だったらしい。
例え素人だろうと手加減はしない。
拳を握った左手を素早く上に突き上げると手を開きながら前方の海保職員の方へ向けたとき、藤田の顔には既に微笑みはなく、冷たい闇に変わっていた。
音も立てずに10名もの部下が一斉に茂みから突撃する。海保の職員はまだ気付かない、それをヘリの音のせいにするなら、プロとしての自覚が無さ過ぎるというものだ。部下達はじりじりと間合いを詰めていく、このまま行けば、背中にナイフを突き立てられるまで彼らは気付かないだろう。
あんたら、日本人で良かったな。。。
藤田が目を細めて部下達の動きを追う。みんな現役時代より歳を取った分動きに敏捷性が無いのはご愛敬だ。
「うごくなっ!」
飛び出した藤田の部下達は、組み付かれるのを警戒して間合いを多めにとって警告した。ビクッと弾かれたように振り向いた海保職員達が銃をゆっくりと足下に置きはじめている。
鈍い黒を纏ったM-16自動小銃のストックを肩に当て海保職員に狙いをつけたまま上体を動かさずに歩み寄る。
藤田が茂みから出て満足そうにその光景を眺め始めて間もなく、頭上を圧迫するような音の高鳴りを感じて空に視線を移した。
「なかなかやるな」
思わず唸る。
ここを戦場と例えるならあまりにも似つかわしくない白地に青のラインのヘリ。。。海保のヘリが、現役時代を思い出させるような独特な轟音を立てて急降下してきた。
危ない!墜落する。。。
直感的にヘリの「落ちる」進路から迷彩服の人間が離れる。海保の職員は、塀に張り付くしかなかった。自然と両者の間に「空き地」ができた。
ヘリは、あっという間に藤田達と、呆気にとられて見上げる海保職員の間に割り込むように機首を急激に上げて急降下の勢いを殺しながら着陸態勢に入った。見とれるほどの鮮やかさだ。
指示を仰ぐように部下の視線が藤田とヘリを行き来する。藤田は、左手の親指を折って4本の指を突き上げて海保職員の方向に振り下ろし、続いて、人差し指だけを立てて、ヘリの上部を指した。頷いた部下達は、一斉に行動を開始する。指の本数は、人員の何割向かわせるか?という意味だった。つまり、指1本で2割の人間。指5本で全体への指示を意味する。A,B,C,D・・・と、いう具合で2割の人員ごとにチームが組まれており、この場合、AからDまでの4チームが海保職員へ。という意味になる。
彼らの大多数は、着陸したヘリの前方と後方を回り、一瞬で海保職員全員を捕らえた。そして、藤田の傍らに残る1名がヘリに銃を向け、その他は扉を開けたままのヘリに猛ダッシュした。自衛隊を中途で辞めた数名を除けば、定年で退官した50代ばかりの「老兵」を思わせない見事な動きだった。素早いと言うよりは、無駄がない。
「早く来い。」
「銃なんかいいから!乗れ」
さっきの着陸とは打って変わった衝撃と共に着地した「うみばと」の機内から土屋と磯原の怒声が飛ぶ、顔面蒼白だった特警隊員の表情に光が射すのが見え、全開になっている機体右側のドアに向かって走り出した。
1人目の特警隊員の手を握った土屋が力一杯機内に引き込んだときに、焚き火をしたときに木がはぜるような乾いた音が連続で響き、驚いた土屋が機内で尻餅を着いた。岩を積み上げた塀、その年季の入った表面が細かい破片を吹きだして無垢の内側を点々と晒す。
銃撃を受けた特警隊員たちはその場で両手を上げてこちらを見ながら必死で叫んでいた。
彼らは口々に「帰れ」と言っているようだった。
「機長!離陸収容失敗っ!」
土屋の怒鳴り声が響く。隣では、機上通信士の磯原が、「銃撃された」と無線に吹き込んでいた。
「了解!掴まってろっ!」
浜田は、左手で握ったコレクティブレバー先端にあるバイクのアクセルのようなスロットルに力が入る。そのままバイクだったらウィリーして転倒してしまうくらいに一気に捻った。
こんな奴らに捕まったら何をされるか分からない。。。早くしてくれ「うみばと」本気を出せ。。。浜田の体中で冷たい汗が一気に吹き出す。
「浮かべ~っ」
一拍間が空いて、タービンの音が甲高くなったのももどかしげに浜田がコレクティブレバーをゆっくり引き上げた。低く太い独特の風切り音が頼もしく響き始め「うみばと」が着実に空気を掻きだしたことを伝える。
「うみばと」が掻く空気が機体の質量との均衡を越えて浮き始める。それに従い質量を一手に引き受けて低くたわんでいた、「スキッド」と呼ばれる棒で作ったソリのような脚から荷重が少しずつ抜けていく。機体の質量を浮力が越え徐々に伸びて元の形に戻っていくスキッドが伸びきって、地面を離れようとしていた。
「よ~し、いい子だ。」
徐々に浮力を増しつつある「うみばと」をあやすような甘い声を浜田が上げる。素早く離陸するためには、急激に操作するのではなく、浮力とローターの受ける空気とローターの羽根のピッチ、回転数などなど、様々なバランスが重要だった。それだけにコレクティブレバーの操作には慎重を要するのだった。
あと少し。。。
スキッドが離れれば、多少の無理は利く。
浜田の頬に一筋の汗が伝い、こそばゆい。拭いたいがここで手を離す訳にはいかない。自然と歯を食いしばった浜田の耳に、つんざくような打撃音が連続して響くと同時にけたたましい警報音が飛び込む。悪戯で椅子が取り払われて尻餅を着いた時のような鈍い衝撃が浮力を失ったことを伝え、鼻にはオイルの焦げるような臭いがまとわりつく。「うみばと」が異変を浜田の五感に訴えている。。。
焦げ臭いっ。。。すぐにエンジンを止めなければ。
「燃料ポンプカット!エンジン停止!」
叫ぶと同時に本能的に浜田の手が頭上のパネル延びる。エンジン音がやみ、コックピットに警報音だけが響く。
浮上する前だったのが不幸中の幸いだ。捕まっても仕方ない。右側は例の塀があるから意味がない。奴らがいる左側しかない。
「左側に退避だっ。左側に出て走れっ!」
浜田の怒鳴り声に、全員が外へ飛び出し一気に走った。撃たれても構わん。「うみばと」の爆発に巻き込まれて焼かれるよりは、撃たれた方がましだ。銃撃なら誰かは助かるかもしれない。
航空機の火災の恐怖を刷り込まれている「うみばと」のクルーは、機体から離れることが何よりも優先されることを本能として身につけていた。土屋と磯原は、呆気にとらわれている特警隊員を引っ張って走る。1人だけ救出に成功した彼は、果たして運がいいと言えるのだろうか、土屋が、その場に合わぬ苦笑いを、特警隊員に向けた。
不思議と撃たれることなく安全な距離まで走りきった。
「よし、いいだろう。」
銃を持った男達がまるで目に入っていないかのように、浜田が息を切らしながら声を上げる。
案の定、「うみばと」の機体上部に設けられたエンジン部分に小さな穴が数カ所開いており、白い煙が薄い筋をくゆらせている。やはりオイルが焼けたのだ。相当な温度になったに違いない。
冷静に状況を判断し終えると、入れ替わるように浜田の心を怒りが支配の手を広げ始めた。
畜生。こいつら、また撃ちやがった。。。
「両手を頭の上に!」
浜田達が立ち止まるのを待っていたかのように、顔まで迷彩色に塗りたくった男達に自動小銃をまっすぐに向けられる。浜田達が両手を高く上げると、銃を向けた姿勢のまま小走りに駆け寄ってきた。
「お前らよくも」
浜田は駆け寄ってきた男を睨んだが、男は気にもとめずに銃をわずかに振り、
「向こうを向け。」
と吐き捨てるように命じた。
浜田は大人しく従うしかなかった。
午前9時30分。南洋の陽は既に高く昇って万物を容赦なく照らす。見渡す限り何も見えない海原にtだ1隻浮かぶ「しまかぜ」の白い船体が眩しく陽光を照り返す。
「予定通りです。海図にあった印まで30分程度の場所にいる筈です。ナビがあればな~。」
眩しそうに目を細めながら車のハンドルのように素っ気ない舵輪を倉田が片手で握る。
「確かに、陸の上は相当便利になってますからね~。」
同じく目を細めて水平線を見張る古川が言葉を返す。
あ、あのキャビンのテーブルに置いてあったサクセス7になら河田さんが使っていたようなシステムが入っているかもしれない。なんでもっと早く気付かなかったんだろう。
エアコンの効いたキャビンに入った、古川は汗の冷える心地よさもそこそこにWindowsタブレット端末サクセス7のスイッチを長押しして電源を入れた。
「やっぱりな」
起動画面に続いて現れたロック画面を見て思わず溜息が出る。スイッチを1度だけ押して画面を消して浅く、深く角度を変えながら画面表面の汚れを見るが、綺麗に掃除されている画面に手垢などの汚れはなく、ロック解除の手掛かりは見えない。
あれと同じだといいが。。。古川は、以前、隙をみて使った河田のタブレットのロック解除を試してみた。確か左からL字を描くようになぞった筈だ。あの時はしっかりと指でなぞった皮脂が残っていた。同じだといいが。。。
「イエスっ」
思わずガッツポーズが出る。
画面が別な表示に変わり、処理中のアイコンがせわしなく動いている。何かのソフトを起動しているらしい。スタートアップで何かを起動するようにしているらしい。
ほどなくして
「鷹の目を起動中につき操作禁止。。。」というメッセージが画面の中央に赤字で表示される。好奇心が焦りに打ち勝ちじっと待つこと数十秒で画面が真っ暗になり、中央に「DD132」というコメントを添えられた船をイメージした白い輝点が表示される。西には尖閣諸島の、東には石垣島など南西諸島の島の輪郭が白い線で描かれている。他の輝点は、船舶や航空機だろう。DD132と同じようににコメントを添えられている輝点も幾つかある。
「DD132ってことは、「あさゆき」か。。。やっぱりそういうことか。」
画面の中央がDD132ということは、やはりこの船じゃない。そもそもこの船にはレーダーのようなモノは装備されていない。あの時と同じだ。つまり。。。
このシステムはDD132つまり海上自衛隊護衛艦「あさゆき」のCICを映し出しているんだ。
だとすると、この船は石垣島と「あさゆきの」間にある輝点だろうな。多分これだ。さすが倉田さん、予定通りだ。そして「あさゆき」に寄り添うようにあるこの輝点が、例の河田船団のうちの「不可解な1隻」だろう。海図と違うのは護衛艦が1隻しかいない。ということだけだが、これは、当然だ。この海域にいるべきだったもう1隻、、、護衛艦「いそゆき」の艦長である倉田2佐が艦を降りた今、代わりの艦長がすぐに着任したところで2、3日の間に前線に出すなんて無茶はしないだろう。
それにしても、この船、、、護衛艦に寄り添うように漂う輝点、、、何をしているのだろう。距離的には目視されない程度に離れているのだろうが、何の目的があるんだろうか?
護衛艦の監視?何のために?
CICを傍受するために?他の護衛艦や遠く離れた陸上の司令部と無線でリンクされているくらい強力な電波、あるいは長距離通信がしやすい周波数帯を使っている筈だ。いずれにしても長距離を飛び交う電波だ。離れていても可能だろう。。。
では、何故?。。。いや、そんな場合じゃない。
理論が噛み合わず答えの出ない堂々巡りは、想像の域を超えることはない。時間の無駄だ。気にはなるが現状を把握するのが先だ。
古川は、気持ちを切り替えると、タブレットを手にとってキャビンから出た。
後ろに回された両手首を堅くロープで結ばれ、同じように両手首を後ろ手に縛られた「うみばと」のクルーや特警隊員の手首のロープと長いロープで結ばれた男達が濃緑色で屋根に雑草をまとったネットで偽装されたテントに連れてこられた。
「あ~あ、海保御一行様って感じだな。」
テントと同じような濃緑色のマットに座らされた浜田がおどけて見せる。真夏ではあるが海風が吹き込む日陰は快適だ。少しきが緩んだ隙にクルーを元気付けようとしたが、失笑すら漏れなかった。
「すまない。」
特警隊長が思い詰めた表情で呟く。
「いや~。こいつらが相手じゃ、ウチじゃ無理でしょ。」
浜田が努めて明るい声を出す。だが内心、心臓が破裂しそうに暴れている。
「静かにっ。きちんと座ってろ。」
見張りの迷彩顔が睨む。塗られた顔は表情が分からず凄みが今ひとつ伝わらない。
「だとさ、」
さらにおどけてみせる浜田に銃を向ける。さすがの浜田も顔が引きつった。
「海保はそんなにだらしないのか?」
見張りの男が値踏みするように言う。
「相手によるさ!」
この野郎!よくもっ、怒鳴りたい気持ちを抑えて言うと浜田は迷彩顔から目を逸らした。
「敬礼っ」
テント入り口に立っていた迷彩顔が、凛とした声を上げると。「海保御一行様」も、釣られて敬礼をしそうになり、全員背筋を伸ばしたところで辛うじて動作が止まった。
さっきまで浜田と言い合いをして悪態をついていた迷彩顔も背筋を伸ばして入り口に向かって敬礼をする。
テレビで見た顔が笑顔で答礼しながら横一列に並ばされた浜田達の前に来る。
「海上保安庁の諸君、御苦労様でした。私はこの島の責任者となった河田と申します。この島は現在我々の管理下にあります。
君達の勇敢な行動に敬意を表すると共に、このような不自由な扱いをしていることにこの島を管理する者を代表してお詫び申し上げます。しかし、我々は作戦中であり、油断は出来ない。我々は作戦を妨害するあらゆるリスクを排除する。よって、諸君には、今の現状を甘受してほしい。これはお願いでもあるが、警告でもある。諸君がこの状況を変えようと行動することは、即ち我々にとってはリスクである。その点を御理解いただき、ここでは自重してほしい。
もう身をもってお分かりとは思うが、我々は元自衛官の集団だ。君達では手に負えない。軍人は動物で例えるなら狼だ。我々の場合は不幸な狼だが。。。
長年、狼でありながら短い鎖に繋がれたまま広い庭を守る番犬の役割を果たし、庭を狙う他の狼に勝つための訓練をしてきた。犬のように大人しく繋がれていた。。。しかし、庭を狙う狼が本気を出したとき、鎖に繋がれた狼は、なぶり殺しにされてしまう。大事な庭も守れない。。。だから人一倍訓練に励んだ。くだらない鎖を恨みながら。。。愛する飼い主と家族を守るために。。。
だから我々のような狼は犬にはなれても、君達犬は狼にはなれない。そして犬は狼には勝てない。無駄な戦いはしないことだ。今は、君達自身の命を大事にしろ。」
河田は、1人ひとりの顔を覗き込むようにゆっくりと語りかけるように言うと、踵を揃えると全員の表情を確かめるように敬礼をしながら左右に顔を向け終えると、敬礼をする迷彩一色の部下達に答礼をしながら颯爽とテントを出て行った。
反抗的な目だ。
見回した海保隊員の目はどれも怒りに燃えていた。
それでいい。その怒りをこの国を守る原動力にしてくれるなら。しかし、この場でその怒りをぶちまけてくれるなよ。。。君達だって防人だ。愛すべき国を、そこに住まう人々を守る尊い存在なのだから。しかも、「平和主義」という名の世間知らずな国防政策の歪みを一手に担わされ、常に第一線で苦汁を舐めさせられている君達を。。。
できれば殺したくない。。。。
だから大人しくしているんだ。悔しいだろうが身の程を知り、状況に身を任せるんだ。厳しい訓辞をしたが、それが言いたいだけだ。無駄死にはするな。
テントを出て、感慨深く海を眺める。白い巡視船が間近に見え、警告を繰り返している。もう異変に気付く頃だ。
「長官。「しまかぜ」の「鷹の目」をキャッチしました。「おおよど」に向かっているようです。」
迷彩服は着ているが顔は塗っていない隊員が河田に駆け寄った。本部テントのシステム要員だ。
「そうか。。。出港したか。しかし、なぜ「おおよど」に向かっているんだ。」
「おおよど」は、護衛艦付近に配置した漁船だ。なぜそこに「しまかぜ」が向かっているのか?「しまかぜ」は、その快速を活かしてこちらで巡視船を攪乱するために使う手筈になっているのだが。。。田原は何をやっているんだ?河田の表情が曇る。
「その「しまかぜ」ですが、無線の呼び掛けに一切応答してません。。。」
システム要員が残念そうな表情で河田の疑問に答えた。




