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乗っ取り

46.乗っ取り

「古川さん、急ぎましょう。」

 古川と悦子が体を離すと、それを気遣い待っていたように倉田が声を掛けた。振り返った古川の目に、生気を取り戻し、闘志に満ちたようにギラギラした倉田の目が映る。

「河田さんは、本日午後、既に出港しています。行き先は尖閣諸島です。」

 倉田の声に張りが戻っている。

「どうしてそれを?それに、何故倉田さんがここに?」

古川は合点がいかず、配慮のない質問を投げかけてしまう。

「実は、昼間お会いした後、午後から休みを頂いて、石垣に来たんです。昼間古川さんに頂いた写真を、石垣の海上保安部にいる兼子さんに渡すためにね。あ、兼子さんは、あの巡視船「はてるま」の船長をしている人です。その後、田原さんはまだこちらにいるらしいと聞いて、説得に来たらこうなった。という訳でして、私が甘かったってことです。」

 倉田は作戦経過を説明するかのように淡々と答えた。

 巡視船「はてるま」の船長。。。ああ、俺が初めて尖閣へ行ったとき、「領土よりも人命」と言ってのけて後々波紋を呼んだ人物だ。。。

 河田がその言葉を糾弾する一方で、古川は兼子船長という人物に大いに興味を持ったのを覚えていた。その考えは間違ってはいないが、その上でどうやって領土も守るのか?それとも完全に放棄するのか?その考えを聞いてみたいと思っていた時期もあった。

 尖閣諸島での任務で現実と向き合い、苦渋を舐めてきた兼子船長なら写真を渡す相手としては適役だろう。そもそも、海上自衛隊では河田の息が掛かっているかもしれないと古川は考えていたし、倉田もそう考えた結果が海保の船長への引き渡しだったのだろう。古川は安心したが、一点だけ気になることをストレートに聞いた。

「護衛艦艦長の倉田さんが、海保の船長をよく御存知でしたね。息子さんの繋がりですか?」

 古川の問いに、緊張が解けたような笑みを浮かべる。

「いえいえ、現場の海域では、結構ウチと海保は仲良くやってるんですよ。私が若い頃のような険悪ムードはありません。もっとも息子自身も兼子船長と仕事をしたことがあるらしいですから世の中狭いものです。」

倉田は嬉しそうに答えた。

「そうでなんですか。世の中狭いですね~。じゃあ、河田さんが尖閣へ向かったという情報も兼子船長からですか?」

 古川も感心したように頷く。

「はい。急遽出港するという情報をキャッチしたそうで、兼子さんの巡視船も明朝早くに出港するようにとの命令が来たそうです。あの河田さんですからね。海保も警戒して、現場に張り付けている巡視船艇だけじゃ

足りないと判断したのでしょう。私も出航前に兼子さんに写真を渡したくて慌てて石垣に来た。という次第です。」

 倉田の声に熱がこもり始め、身振り手振りを交えていきさつ話す。本当は結構ノリのいい人なのかもしれない。相槌をうちながら話を聞く古川の頬が緩む。

 明朝出港?ってことは、いくら倉田さんが早く写真を渡してくれたところで、写真について調査を始めるのは尖閣からの帰還後になってしまう。 もっと早く倉田さんに渡していれば良かった。。。

「そうですか、お忙しいところを、ありがとうございます。それなら尖閣から帰還後にすぐ調査してもらえそうですね。」

 古川は、嫌味と捉えられないように、そして落胆を現さないように努めて明るい表情で話した。

「その件ですが。。。」

いつの間にか古川と倉田の会話に釘付けになっていた権田と悦子も倉田の口元に注目する。

「私から直接問題の写真を見せて説明すると、事態を重くみた兼子さんはすぐに状況を上に報告してくれました。後は上の判断に任せる。とは言ってましたが、ほぼ100%海保が動いてくれる筈です。」

 全員に注目されていることに気付いた倉田は慌てて続きを話した。

「海保が?警察じゃないんですか?っていうか、海保が警察に掛け合ってくれるってことですか?」

 陸の上で海保に何が出来るんだ?

 古川が、露骨に疑問を口にした。

「いやいや、そうじゃないらしいんです。私も知らなかったんですが、海で起きた犯罪については、海保にも捜査する権利や逮捕する権利があるんだそうです。ですから、早ければ明日にでもここに捜査に入ると思います。」

 慌てて答えた倉田に古川の目が輝く。

 それなら話が早い。

「なるほど。それは私も知りませんでした。それならよかった。我々は、河田さんを追って尖閣に向かいましょう!

 河田さんもあの写真の真実が暴露されるのを恐れたからこそ人質をとった。今回の尖閣行きにはそれなりの覚悟というか、、、何かとんでもないことを企んでいるような気がします。」

 古川は一気に捲し立てると、倉田は打って変わって冷静になる。

「あとは、どうやって尖閣に行くか。ですね。」

 倉田の言葉に、古川の表情が陰る。

 そうだ。これまで黙っていた権田の言葉に一同振り返る。

「田原さんと、松土さんは、後から河田さんの船団に合流する予定だった筈です。そのための船が用意されている筈だ。」

「なるほど、そういうことですか。」

 船着き場側の窓に駆け寄った古川が、確認する。いた。今まで古川が同行取材していた河田のマグロ延縄漁船に比べたら1/3にも満たない船だ。漁船というよりは、水上スキーなどを曳くレジャーボートに近い。かなりのスピードが期待出来そうな白い船が常夜灯の中に浮かび上がっていた。

 いまだに気を失ったままの田原には、聞く術もないが、あの船は田原が乗るために用意した船に違いない。

「あとは、誰が操縦するか。だな。。。権田さん、船って簡単に操縦できるんですかね?車みたいな感じならいんですけどね。」

 古川がおどけた口調で権田に問う。問いかけというよりは、もうやるしかない。という意思確認のようなやりとりだった。

「ま、やるしかないだろな。無免許になるんだろうが、海は広いし、無免許を取り締まるような「おまわり」もいない。何とかなるだろ。」

 ふふっ、すっかり先輩・後輩同士に戻った2人の会話に悦子が安堵の笑みを静かに漏らした。古川と権田は同時に悦子の方を向けた後、お互いに顔を見合わせて声を上げて笑った。

「お2人とも、全く状況が分かっていない。」

 憮然とした倉田の態度に、古川、権田、悦子の笑いが一瞬にして凍り付き、部屋が静まり返った。この上いったい何があるのだろう?やはり、倉田も海自の人間、河田の肩を持つのだろうか。。。古川の胸に不信の芽が芽生えそうになる。

「そんな目で見ないで下さいよ。脅かしたんじゃないですよ。私を誰だと思っているんですか?ってことです。元、護衛艦艦長ですよ。船舶免許も若い頃にとってますし、この海域には詳しい。あんな小さな船でもどこへでも皆さんをお連れできますよ。」

 倉田が胸を張って笑顔で応えると、一同安堵のあまり笑いが溢れた。案外倉田艦長は茶目っ気の多い人なのかもしれない。古川も釣られて笑い出した。この部屋で起きた全ての緊張を笑い飛ばし、不幸と慰めるかのように。。。

「今夜は新月。海は真っ暗です。勿論無人島も。。。私が作戦行動をするなら、今のような新月の夜にやります。急ぎましょう。尖閣へ。」

 タイミングを見計らって緩んだ雰囲気を律するように、倉田が言った。一同に心地よい緊張が走り、ひとつの方向に束ねる。

 さすがは護衛艦の艦長を務めた人は違うな。と妙に納得する古川に向かって、倉田が声を掛ける。

「女性は危険ですね。何が起こるか分からない。」

その言葉に、悦子が倉田を睨んだように古川には見えた。だが、一緒に行きたい。というその気持ちだけで十分だ。と古川は目が合った悦子に頷くと、その目を見ながら

「悦子。俺は、その格好はすごく好きなんだが、海に出たら強い日差しと風にやられる。今夜俺が泊まろうとして予約したホテルがあるから代わりに使ってくれ。俺に予約してもらったと言えばいい。今タクシーを呼んでやる。」

 渋々頷く悦子の目が潤んでいるように見える。何故、悦子がここまで来たのか分かる気がした。

「無事に帰れたら。。。メシでも食いに行こうぜ。その時は、その格好で頼むよ。」

 古川がおどけたような笑顔を向けると、悦子は、うん。と静かに答えると。はにかむような笑顔を返した。伏せた目には涙が溢れていた。

 よく泣く女になったな。

 いろんな苦労をしてきたのかもしれない。こみ上げてくる何かを抑えるように古川は、その肩に手をやると、携帯電話を開いてタクシーを呼んだ。時間は22時を少し回ったところだった。

 

 間もなくやってきたタクシーに悦子を乗せると、男達は船出の準備を始めた。

 準備とは言っても、食料や水は、古川が段ボールにごっそり買ってきていたので、海図とコンパス、そして日焼けや風を避けるためのウインドブレーカーを事務所から失敬してすぐに完了した。もちろん2丁のベレッタも持っていく。

 船に乗り込むと、エンジンを掛けた倉田が堤防に飛び降りるとテキパキともやいを解く、古川と権田が、そのロープを船に取り込む間に、さっと倉田が船に乗り移った。倉田がデッキに立ち、手慣れた手つきで操作をし始めると同時に低く安定した唸りを響かせていたエンジン音が急に吠え出すと同時に一気に堤防から船が離れていった。

「こりゃあ、立派な乗っ取り犯だな。」

 権田の言葉に一同どっと笑い出す。いや、先の見えない大きなヤマにあたる男の心理なのかもしれない。

 こういう時は、何を言っても声を張り上げて笑うもんだ。

 古川は取材のために初めてゲリラと戦場に入った時にある男が言っていたことを思い出して苦笑した。


 月のない真っ暗な海面には5隻のマグロ延縄漁船がその白い船体を墨を流したような闇に紛れるように浮かんでいた。

 カリカリと、ラッチが掛かるような乾いた音と、鎖が触れあうような軽い金属音が、海水が船縁(ふなべり)を叩く音に混じる。それ以外は全く何の存在も感じさせない闇の中で、実は気配を殺すことに慣れきった男達が黙々とそれぞれの役割を果たしていた。

 ノクトビジョン(暗視装置)を装着した軽い樹脂製のヘルメットの男達。彼らの目には、肉眼では全く気付かない僅かな光を光学的に何百倍にも増幅した景色が広がっている。

 それぞれの漁船の船縁にはゴムボートが横付けにされて荷物の積み込みを行っているのが薄緑色に浮かび上がり、クレーン形のチェーンブロックが鎖とラッチによる小気味よい音を立ながら、束ねられた単管パイプをゆっくりとゴムボートに降ろしていくのが映る。別な漁船ではゴムボートに次々と男達が乗り移ると、エンジン付き草刈り機のような軽やかな音と焼けた2サイクルオイルの混ざった臭いを振りまきながら漁船を離れてゆく。ゴムボートが舷側を離れると、またすぐに海面に黒い物体が投げ入れられる。海面に達した物体は、水洗トイレを流した時の音を少し曇らせたような鈍い音と共に一気に膨らみ、一瞬でゴムボートに変化する。

 その様子を船橋から眺めていた河田は満足そうに笑みを浮かべたが、ノクトビジョンからはその表情まで読みとることは出来ない。雰囲気でそれを感じた藤田が、相槌を打つように口を開いた。

「実にスムーズですな。まるで水を得た魚です。」

 中肉中背の藤田は、元陸上自衛隊で、レンジャー教育の教官を長年務めてきた日本でも屈指の戦闘とサバイバルのスペシャリストといえる男だった。

「さすが君たち陸自上がりが鍛えてくれただけのことはあるよ。」

河田が満足げに頷くのを雰囲気で感じ取った藤田は、謙遜を隠さない礼を述べると、さっと周囲を見渡した藤田は心配そうに付け加えた。

「そろそろ我々も参りましょうか。ところでまだ海保に動きはなさそうですか?」

タブレット端末をさっと確認する河田の横顔が、パッと白く眩む。タブレットバックライトの明かりをノクトビジョンが増幅し過ぎたらしい。

「大丈夫。海保の巡視船は日没から動いていない。別働隊が巡視船の周辺でレーダーを妨害しているから、我々の船の所在は分からないし、こんな新月の真っ暗闇では調子の悪いレーダーでパトロールはしない筈だ。彼らは安全を重んじ過ぎる。海自の護衛艦の方はCICを乗っ取ったから問題ない。行きましょう。」

 河田の自信に満ちた答えに藤田は安心するが、この期に及んでも河田が使う「CICを乗っ取る。」という意味がよく分かっていなかった。

 今度こそ聞こう。

と思ったが白い飽和に包まれていた河田の横顔が薄緑に戻りタブレットの電源を切った事を告げると、タイミングを失した自分に苦笑しながら、ハシゴを降りる河田に続いた。河田同様腰にぶら下げたホルスターに入ったベレッタの重さが久々に頼もしい自分を感じさせていた。


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