表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/69

再会

44.再会

 新月の夜だった。景色とはお世辞にも言えない漆黒が窓の外に広がり、うんざりしかけた頃に、飛行機は高度を下げ始めた。まもなく着陸へ向けた大きな旋回が始まると、石垣島の街の灯りが目に入り、やっと窓の外に景色が広がり始め、那覇空港を定刻の19:30分に出発したANA1781便は、1時間弱の順調なフライトを終えようとしていた。佐世保から高速バスを乗り継いで福岡空港へ行き、福岡空港から日本トランスオーシャン航空63便で那覇に向かい、石垣行きのこの飛行機に乗り込んだ。

 悦子が石垣島に来ている。と表だっては言いつつも、誘拐を臭わせる電話を受けた古川が、すぐに佐世保を出てから、6時間が経過していた。なぜ悦子を巻き込む。。。焦りよりも怒りがこみ上げてくる。それにしても、どうやって悦子を石垣島まで連れてきたのだろうか?誘拐したとしても、運ぶ手段はない。必ず飛行機か船を使わねばならない。船、か。。。それなら有り得るかもしれないな。でなければ説明がつかない。あとはどうやって潜入するかだ。まずは、河田水産に行くしかないだろう。

窓から外に目を遣りつつも様々なことを考えているうちに、その景色が画像として古川の脳に像を結ぶことはなくなり、代わりに2、3回しか行ったことがない河田水産の建物の見取り図を頭の中に描いていた。

 軽く下から突くような衝撃で、古川は、我に返った。無事に石垣空港に着陸したことに気付くと、ここからが勝負だ。と、自分に活を入れるように両手で頬ピシャリと叩くき、そそくさと降りる準備を始めた。


 空港ロビーを出た古川は、昼の暑さを引きずった南国特有の夜の暑さに溜息をついた。せめてもの救いは、すぐにタクシーが捕まったことだった。

「お客さん、どこに行きましょうね?」

 中年の男性運転手が行き先を尋ねる。

 聞くでもなく、同意を求めるようにも聞こえる柔らかい言葉遣いは、方言のひとつなのかもしれない。その言葉遣いが、屈強そうな怒り肩の持ち主であるこの運転手でさえ、穏やかで丁寧に観光案内をしてくれそうに思わせてくれる。

 今度観光で来たときには、是非案内してもらおう。無事に帰れれば、だが、、、いつもなら自嘲気味に笑うであろう古川の心の内は、しかし今日は違っていた。無事に帰らなければならない。悦子のためにも。。。

「新川漁港の河田水産事務所へ、お願いします。それと、途中で、そうだな~、なるべく酒が沢山売っている店、なければ酒が売っているコンビニでいいけど、、、寄ってもらえますか?」

 古川はなるべく楽しげに答えた。

「お~、お客さん、今から河田さんのとこで宴会ですかね~。お店まだ開いてますよ。じゃ、いきましょうね。」

運転手は車を出した。

「そうなんです。軽く飲んで騒ごうと思って。いい魚が穫れたって電話があったんですよ。」

 古川は、真剣に後方確認をする運転手の横顔に、さも嬉しそうに語った。


 元はコンビニだったと思われる造りの酒屋で、古川は、350mmlのビール6缶パックを2つに、ミネラルウォーターに焼酎、そして「スピリタス」という銘柄のウォッカを買った。そして、乾き物やスナック菓子などのつまみにかこつけて、チョコレートやクッキー、缶詰や飲料水も多数買い込んだ。そうそう紙コップと割り箸も忘れてはいけない。

 大量の買い物を、店で分けてもらった段ボール箱に入れてタクシーに運び込んだ。

 とにかくアルコール96%もあるポーランド製ウォッカの「スピリタス」がこの石垣でも手に入った幸運に古川は誰にともなく感謝した。


 河田水産からは直接見えないように、古川が河田水産の前の通りに出る角の建物を陰にしてタクシーを降りた時には、21時30分を少々回っていた。運転手に手伝ってもらい、タクシーのトランクから酒の入った段ボール箱を礼を言って受け取ると。タクシーがその場を離れるまで、見送った。古川が見込んだ通り、タクシーは角を出て河田水産の前の通りに出ると、河田水産とは反対方向に走り去った。これなら河田達に気付かれることはないだろう。

 古川は、段ボール箱を、暗がりの中に置くと、建物の角から少し顔を出して河田水産側を見た。しまった。古川は、心の中で舌打ちをした。街灯に照らされた河田水産の前の波止場には、いつものマグロ延縄漁船よりも2回りほど小さな漁船が1隻あるのみだった。いつもなら、ここに所狭しと大きなマグロ延縄漁船の「艦隊」が停泊していたのだった。いずれにしても河田はいない。ということだ。

 どこへ?尖閣か?まだあれから1週間もたっていないのに何故?もしかして悦子は既に殺されていて遺体を捨てに海に出たのか?くそっ、いや、だとしたら、船団を組む必要はない。それこそ、あの小さな漁船で十分だ。悦子を人質に取っているのに漁には出るはずはないし。やはり尖閣へ向かったのか?ならば、悦子も一緒か?密着取材の契約をしている俺をおいて尖閣へ出るということは、写真のことで俺を敵視しているか、ジャーナリストに知られてはマズいことをしようとしているに違いない。あの小さい漁船を奪って後を追うか、、、免許がない俺でも簡単に運転できるものなのだろうか。。。

 古川の頭の中を様々な憶測が飛び交い、発散しそうになる。そして悦子の安否に対する不安が膨らみ、動悸が高まる。くそっ、なんで関係のない悦子を。。。落ち着け。。。古川は自分自身に念じた。「出港してしまったものは仕方がない。」と、別の自分が何度も繰り返す。やっと動悸が収まった古川は、「まずは、明確な手掛かりをつかむ。」ということで、自分の不安を押さえ込んだ。「論より証拠」だ。と自分自身に言い聞かせ、通りに人がいないのを確認してから、通りに出、なるべく暗がりに沿って歩いた。

 しめた。

 古川の心が踊った。3階建ての河田水産の建物の2階と3階の角部屋の窓に明かりが見えた。古川の頭の中に数回訪れたことのある河田水産の間取りが少しずつ蘇る。確か、2階のあの部屋は社長室、そして3階の部屋は会議室だ。それ以外の部屋からは明かりが見えない。ということは、もしかしたら、悦子は3階の会議室に拉致されている可能性がある。社長室の明かりが点いているのが気にはなるが、河田は、必ず船団に乗り込み自ら指揮している筈だ。あの人はそういう男だ。見張りを残して出港したに違いない。女1人を見張るだけなら、男2人程度で十分だろう。大した数じゃない。男か、、、何もされていなければいいが。。。古川の心に、悦子に不倫された時の喪失感が蘇る。他人に寝取られた女だ。気にするな。と自分に言い聞かせるが、今回は自分が巻き込んだようなものだった。それに、自分のどこかに悦子に対する懐かしい感覚が広がっていくのを感じていた。まるで4年前からタイムスリップしてきたように。。。それと共に拉致しているであろう、河田の仲間に対する怒りも急上昇していた。

 とにかくそこに居てくれ。

 古川は祈ると、古川は段ボール箱を取りに戻った。段ボールの中からウォッカの「スピリタス」を取り出すと、栓を開けた。消毒薬のような臭いが、漁港の潮と腐った魚の臭いに混ざり中和されるように滑らかに溶け合い、すぐに違和感を感じなくなる。

 古川は、手の平に少し垂らすと、首筋や、半袖のシャツから太く突き出た薄毛の腕に薄く塗った。96%のアルコール度数を誇るウォッカ「スピリタス」はあっという間に蒸発してしまう、古川は汗と相まって、酔っ払いの体臭に変化してくれることを期待し、薄く、薄く何度かに分けて塗った。仕上げに瓶を口に着けて、少し、「スピリタス」を含んで、軽く口をゆすぐ。口中が辛く、熱くなり、鼻を抜ける息は消毒の臭いでいっぱいになる。そして古川は、少しだけ、飲みこむと、残りや、足元の側溝に吐き捨てた。喉から食道、食道から胃へと、熱いモノが伝っていく感覚が懐かしい。アフガニスタンの取材で散々味わった懐かしい感覚だった。

 古川は、河田水産のシャッター脇の戸を静かに開けると、段ボールを中へ入れ、ゆっくりと戸を閉めた。

 屈強な元自衛官で占められる河田水産の従業員を当てにしてか、この建物には、セキュリティーというものが全く考慮されていない。センサーもカメラもない。あるのは鍵のみ。この一般家庭のようなセキュリティーの無さを以前は心配していたが、今の状況ではかなりありがたい。

 古川は暗い廊下を進み、階段を静かに1歩ずつ昇る、2階の人間に気付かれたらアウトだ。

 まず爪先から着いて土踏まずとは反対の側から徐々に階段の踏面に着けていく。ジャングルで音を立てずに進む歩き方がここで役に立つとは。古川は、自分の積んできた経験の確かさに満足の笑みを浮かべる。

 フリーの軍事ジャーナリストとして有名になる一番の近道は、人が行かない戦場の奥の奥まで行くことだった。特にゲリラに密着取材するほうが効果的だ。正規軍への取材では、許可された人間なら誰でも行ける。新聞記者時代の行動範囲では食っていけない。

 命を張って闘う人間を本当に取材するなら、取材する人間も当然命を張る必要がある。数式のようにこれはイコールだ。さらに武器を持たないジャーナリストは、足手まといになってはいけない。そのことを戦場で彼らに認められなければついていけない。連れて行っても敵を攻撃してはくれないのだから、これは、イコールではない。本当はジャーナリストの方が身を守る事においては、彼ら以上に強くなければならない。ジャーナリストの武器が力を発揮するのは、その取材結果が、持ち帰られ、あるいは誰かに伝えられることで世界に伝わって初めてその効力を発揮する。現場で戦う彼らには、全くと言っていいほどどうでもよいことだった。だから、古川は、取材先の現地の言葉を覚えることと同じぐらい自分の「戦士」としての戦闘力を磨いてきた。アメリカで個人が経営する傭兵スクールやサバイバルスクールへは、今でこそ数年に1度のペースに落ちたが、最盛期は取材の無い時期を使って毎年受講していた。そこで古川は、あらゆる過酷な環境で生き延びる術を学び、磨いてきたのだった。

 ジャングルに比べれば、こんな建物はどうってことは無い。銃を持っているだろうがいきなり撃たせるような状況にしなければ、こちらにも十分な勝ち目がある。

 久々の緊張に高揚感が加わり怒りが渦巻く。複雑な思いで高鳴る胸を鎮めるように、古川は自分自身に言い聞かせた。

 無事3階に辿り着いた古川は、暗い廊下の端に明かりの洩れているドアを見つめた。あそこだ。静かに深呼吸して演技の為に気分を入れ替える。

 よし、やれる。

 古川は音を立てずに扉の前に来ると、酒とつまみそしてその下に隠した食料の入った段ボール箱を小脇に抱えて、扉を一気に開けた。

「どぉ~も~、夜分にすみません。」

古川がとぼけて声でふらつき気味に会議室に入る。後ろででは、しっかりドアのノブを持ちかえて静かにドアを閉めるのを忘れない。今、2階の人間に上がってこられては厄介だ。ここは穏便に「制圧」してやる。

 部屋の真ん中に立っている男が慌てて銃を背後に隠す。突然の事に、酔っ払いが迷い込んできたと判断したのだろう。銃を見た。と騒がれれば厄介なことになる。

「どうしました。」

驚きと迷惑を隠すことなく顔に浮かべた、ずんぐりとしたゴマ塩頭の男が答えた。名前は忘れたが、前に見たことのある顔だ。

 男の初動が安全なのを瞬時に見やった古川は、部屋の状況を一瞬で把握する。男の傍らに長テーブルが2つ長い部分同士をぴったりと合わせて置かれている。その向こう側にパイプ椅子に座り手錠を掛けられた2人の男女。悦子が驚きと羨望の目で古川を見つめていた。昔は明るい派手な感じの美人だったが、暗くて地味な美人に変わっていた。。。その向こう側の男、、、古川は表情を保つのに必死になった。今までの怒りとは違った種類の怒りが腹から脳天へ突き抜けようとする。

 何で権田さんが?俺は仕組まれたのか?

 古川は、目の色が変わるのを悟られないように、すまなそうな目で古川を見つめる権田からすぐに目を逸らして、ゴマ塩頭に笑顔を向ける。

 銃は隠せても、手錠をどう説明するんだ?間抜けなヤツだ。古川は、自然に相手の適応力を値踏みする。

「あ、古川さんじゃないですか。こんな時間にどうしたんですか?」

 相変わらず銃を隠したままの男が、声を発した。少し声が震えているようだ。

 こいつは写真のことを何も知らないのか?古川はとぼけ通すことに決めた。

「夏のうちに石垣を観光したくてまた来ました。今夜は皆さんと飲もうと思って来たんですよ。突然ですみません。」

 と言いながら、古川は、銃や手錠に気付かぬふりで、段ボールを長テーブルの端に置いた。紙コップとビール瓶と取り出すと、紙コップを人数分並べてビールの缶を置いた。自分の紙コップには「スピリタス」を注ぎ、瓶を手元に置く。男がゆっくりと腕を動かすのを視界の隅に捉えながら気付かない振りでビールの準備を続ける。

「さ、どうぞどうぞ。」

 顔を上げた古川の目線の高さにゴマ塩頭の男が銃を向けている。銃は日本人には少し大きめに見えるベレッタM92FSだ。銃を右手で持ち腕を真っ直ぐにこちらへ向け、半身を向けている。寸分の隙もない片手保持の射撃スタイル。典型的な陸上自衛隊員の構え方だ。

 陸自出身者を見張りにつけているとは、やはり俺が来るのを用心してのことかもしれない。畜生、陸戦訓練の経験の少ない海自出身者だったら与し易かったのにな。

 古川は内心舌打ちした。

「古川さん、そのまま下がってください。」

ゴマ塩頭の男がグイっと銃を前に突き出して促す。

「古川。すまん。」

権田がうなだれた。

「悟さん。どうなってるの?」

悦子が懇願するように問いかける。どうなってるか?それは俺の台詞だ。なんで権田さんとお前が一緒にいるんだ?

 悦子にも権田にも言いたいことが溢れてくるが、今、俺は酔っぱらいを貫き通さねばならない。

 古川は自分の心を落ち着けるように心の中で呟くと、2人の言葉を無視して、紙コップと「スピリタス」の瓶を持ったまま。ゆっくりと後ずさる。

「そんな危ないもん向けてないで、ビールでも飲みましょうよ。さあさあ。」

 わざと舌足らずな喋り方で後ずさるのを止めると、古川は探るような目でゴマ塩頭の男の目を覗き込む。

 ゆっくりと紙コップを目の前に差し出す。

「動くな。動かないでください。ゆっくりと壁際を回って、この椅子に座ってください。」

男は後ろ手で傍らの椅子を前に出した。

「悟さん、言うとおりにしてっ!」

悦子の金切り声が響く。

その時だった。

「彼女の言うとおりだよ。指示に従い賜え。」

 背後にある扉が開く気配に古川が振り返ると同時に、強張った表情の男と目が合う。その表情が前に会った時とは全く状況が違っていることを露わにしていた。

 声の主は、その男のさらに後ろにいた。

「なぜあなたがここに。。。?」

古川は驚きのあまり酔っぱらいを演じるのを忘れ、真顔で男に問いかけた。

「お芝居はそこまでだ。古川さん」

男が答えるよりも先に、その後ろから田原が得意げな笑みを見せた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ