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虜囚

42.虜囚

 車が開け放たれたシャッターのある建物の前で止まった。シャッターの隣にある扉の脇には、「河田水産石垣事業所」と達筆な毛筆で書かれた木製の看板が掲げられている。その建物の向かい側は海で、堤防に沿って白い漁船が縦一列に並んで係留されている。十数人の男達がシャッターの中から船へ向かって列を作って大小様々な箱を運び込んでいる情景が、まるで、眩しい夏の漁港の風景を伝えるテレビ番組のように現実感なく悦子の視界に入っていた。

 車を降りた悦子は、権田に突き付けられた硬い物体を腰に感じながら、田原の後ろに続く、田原は、シャッター脇の扉を開けると

「どうぞ、入ってください。」

と、見学客を受け入れるように何事もない素振りで笑顔を向ける。シャッターに列を作っている男達は、その手を休める事なく黙々とバケツリレーの要領で荷物を運んでいるが、女性は珍しいらしく、チラチラと悦子に視線を寄こしてくるのを感じた。しかし、彼らは悦子の身の上に今発生している危機には、全く興味がないらしい。悦子は努めて呼吸をゆっくりとして、不安でおかしくなりそうな心を落ちつけようとした。そんな主の思いを嘲笑うかのように、悦子の呼吸は忙しなくなる。まるで、階段を速足で上っている時のようだった。

 悟さんはいったいどうしているのだろうか?

 今度は、古川のことを想像することで、悦子は気を落ち着かせようとした。いったいどこにいるのか?もしかしたら、古川もこうして拳銃で、、、もうなるようにしかならない。悦子は自分に言い聞かせた。

 でも、なぜ権田さんが、、、

 あまりにも多すぎる疑問に、悦子はうずくまりたくなる気持ちを必死で堪えて少しずつ歩き出した。

 

 扉の中は細い廊下になっていて、突きあたりには上りの階段があった。左の擦りガラスからはふんだんに明かりが入り、廊下を明るく照らしていた。右側にあるドアは、先ほどのシャッターの倉庫に続いているのだろう。田原はそのまま真っ直ぐ階段に進み、ゆっくりと昇り始めた階段の踊り場でさり気なく後ろを見ると、権田の後ろには、車内で松土と呼ばれていた男のゴマ塩頭が見えた。その後ろには誰もいない。振り返った悦子の目を避けるように権田は、すぐに俯いた。

 3階で階段が終わると、海の方向へ向かう廊下を端まで進む。廊下の右側はトイレと給湯室、左側は手前が「仮眠室」と入り口に書かれた扉がありその向こうには「第二会議室」そして最後に「第一会議室」とそれぞれ入口に書かれていた。

 田原は、「第一会議室」と書かれた扉を開けると、そのまま部屋の奥かって歩き、立ち止まると部屋に入ってくる悦子の方を向いた。その顔に先程までの笑顔はなかった。凍りつくような寒気を感じてその場に立ち止まって、目を逸らした悦子に向かって田原はピンと指を伸ばした手を悦子の方へ向けると、

「こちらへ。」

 そのまま自分の前に田原あるパイプ椅子を示して、田原自らパイプ椅子をテーブルから引いて、悦子に座るようにさりげなく促した。

 悦子は軽く頷いたが、すぐには従わず、部屋を見廻した。10畳程の正方形の部屋の真ん中に2つ長テーブルが長手方向同士を付けられて少し幅の広い長方形を形造っており、その両脇にパイプ椅子が2つずつ並んでいた。その奥側のパイプ椅子を田原が引いて悦子に勧めている。窓の全てはブラインドが降ろされていて部屋は昼間なのに薄暗く、磨き上げられたリノリウムの床に弱々しい光を反射させている。悦子達を連れ込むことを前提にだいぶ前から冷房が付けられていたらしく、部屋の暗さと相まって寒いくらいに露出した悦子の肌を冷やした。

「はやくしなさい。」

椅子を勧める田原の言葉が、口調は穏やかなままに命令する言葉に変わっていた。

「はい。」

思わず、驚いた声で返事を口から漏らすと、悦子は足早に椅子に歩み寄った。権田も慌てて付いて来る。きっと私の腰に銃を突き付けたまま慌てただろう。このような状況でなぜか悦子は笑いそうになる。

 私は頭がどうにかなってしまったのかもしれない。。。

 今度は苦笑いが顔に出そうになり、悦子は田原に顔を見られぬように視線をテーブルに落として、両手でワンピースの裾を揃えながら椅子に座ろうとゆっくりと腰を下げた始めた瞬間だった。

「動くなっ!」

頭の上から権田の怒鳴り声が浴びせられ、驚いた悦子が椅子ににドスンと着地する。悦子が振り仰ぐと、黒い拳銃を握った、権田の拳が視界いっぱいに入った。こんなに近くで拳銃を見たことなどない。発砲音で鼓膜が破れたりしないのだろうか?悦子はこんな時に何を考えてるのだろう。と自分を戒めた。本当にさっきから映画を見ているような変な感じだった。

 権田は、悦子に椅子を引いたことで、体の右側を向けていた田原のこめかみに銃を向けると、一歩後ろに引いた。あまり近付き過ぎると、反撃される恐れがあることぐらい俺だって分かっている。権田は、ベレッタM92FS握る両手に力を込めた。

 まさか、本物の銃を人に向けることになるとは、しかもこいつはベレッタM92FS、俺の世代なら誰だって知ってる映画の殆どの主人公が使っていた銃だ。権田は、感慨深く考えることで自分を鼓舞しようとした。相手は元プロだ。武器はなくとも油断してはならないし、緊張でガチガチもダメだ。

ゆっくりと体を正面に向けようとする田原に

「そのまま動くな」

と再び怒鳴る。田原の動きが止まったのを確認すると、扉を閉めてから入り口の近くに立ったままの松土を睨みながら、田原に銃を向けたまま窓際の方に移動して、田原と松土の両者が視界に入るようにゆっくりと動く。権田に言われるがままにじっと動かない田原の左側に来た権田が歩みを止めるのをチラリと横目で見やった田原が、顔だけ権田に向けた。

「権田さん、素人がそんなモンを人に向けても意味は無いですよ。」

笑みを向けた田原の目は笑っていなかった。

「なにっ!」

 不穏な笑みに本能的に危険を感じた権田が身を引こうとしたその一瞬を捉えて、左足を軸にして素早く身を翻した田原が権田の銃を掴むと、一気に捻りながら下に引いた。呻き声を上げた権田が引き下げられる銃にすがるように上体を折った好きに田原の膝が権田の腹に一撃を加えた。

 年齢に似合わず瞬く間に権田を打ちのめす田原の動きに悦子は、釘付けになる。組み伏された権田に向かって、松土が走り寄り、いつの間にかに構えた銃を権田に突き付けると、田原に銃をもぎ取られた権田がゆっくりと立ち上がろうとしていた。これは夢か何かなのかもしれない。未だに現実感のない悦子は、茫然とその様子を見ていたが次の瞬間目にした光景に

「キャッ!」

と悲鳴を上げて目を背けた。

 立ち上がろうとしたところを松土に両腕を背後に抱えられた権田は床に片膝をつくような姿勢になっていた。そして身動きの取れない権田に、向かって田原は権田から奪った銃のスライドを引いて権田の眉間に銃口を付けた。

 銃を突きつけられた権田は体中をガタガタと震わせ始め、呼吸を荒げた。顔面は蒼白で今にも嘔吐しそうに見えた。目だけが強い意志を持って強く閉じられている。あまりの危機に胃痙攣を起こしているのかもしれない。権田が体全てを使って表現している恐怖が、やっと悦子を現実の世界に連れ出した。

「やめてっ!」

いてもたっても居られず、悦子は叫んでいた。いつの間にか目から涙が流れ、体が汗ばんでいた。

 その声に田原は、笑顔を向ける。憐れむように悲しい目をして、、、

 そして田原が視線を権田に戻した瞬間、悦子は堪らず目を強く閉じた。本当は耳も塞ぎたかったが、何故か気が咎めた。

 次の瞬間、今までに聞いたこともないような乾いた金属音が部屋に響き、悦子は恐る恐る目を開けた。その目が、大きく見開いた権田の目と合う。

「だから、素人には意味がない。と言ったんです。権田さん、そもそもあなたは私に向けた銃に弾が入っているか確認をしなかった。そしてスライドを引いて、薬室いわゆるチャンバーという奴ですが、そこに弾を送り込むこともしていない。タイムラグを少なくするためにハンマーを起こすこともしていない。ま、この銃はダブルアクションですから、トリガー、引き金のことですが、これを引けば、ハンマーも連動して動きますがね。そんな素振りも見せなかった。。。

 そして極め付けがこれです。弾があれば私がスライドを引いた時にチャンバーに送られる弾丸がスライドの中に見える見える筈なんですが、それを目で追うこともしない。そして最も重大なのは、私があなたの眉間を撃ち抜いたら後ろであなたを押さえ付けている松土はどうなります?

素人が格好をつけるもんじゃありません。それに。。。立場を考えなさい。」

 口調は冷静だが唇は怒りに震えているように見えた。

 その直後、鈍い音がして権田が松土から腕を放たれた権田が呻き声と共に床に転がった。権田の延髄を蹴り飛ばした田原が

「頭を冷やせ!」

と権田に静かな罵声を浴びせ、松土に向かって権田を顎でしゃくると

「縛っておけ」

と言い放ち、部屋を出て行った。扉を閉める音にも冷静だと思っていた田原の怒りを感じ、悦子は身を縮めた。

「権田さん。。。」

呟くように、権田に声を掛けると、うつ伏せにされて体を縛られている最中の権田は呻き声と共に、悦子に視線を向けた。大丈夫、意識はある。悦子は少し安心したのも束の間、自分の身はどうなるのだろう?と、思った。権田が縛られていて、自分はパイプ椅子に座ったまま、というだけじゃ、済まされる筈がない。。。強烈な不安が悦子の頭を専有し、机に目を落として頭を抱え込んだ。このまま走って逃げるか?すぐに捕まり権田のように殴られるのが関の山だ。しかしこのまま松土とこの部屋にいて無事でいられるという保証はない。どうすれば。。。その時、ドアのカギを掛ける音に顔を上げると、いつの間にかこの会議室の扉に鍵を掛けた松土がゆっくりと悦子に近付いてきた。ここへ連れてこられる車の中でルームミラー越しに寄こしてきたあの笑みを浮かべながら。。。悦子の脳裏に、車を降りた時に漁船に荷物を積み込んでいた男達が自分に向けてきた視線の感覚が蘇る。。。

 悦子は、弾かれたバネのように立ち上がると、

「来ないでっ!」

と叫びながら、自分が座っていたパイプ椅子を松土に投げ付けると、机の反対側へ駆けた。悦子の渾身の力を受けた筈のパイプ椅子は、松土の手前で空しく音を立てて転がった。

「ヤメロ。。。」

 権田の呻くような声が冷えきった薄暗い会議室に響いた。


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