ペンと剣
32.ペンと剣
「ここで2,3分お待ちください。準備しますので、」
休憩室という札が貼り付けてある小さな白い扉の前で河田が言う。古川が返事をしたのを確認すると、扉を小さく開けて滑り込むように中へ入って扉を閉めた。
早くテロップを流してもらわなければ、事態はどんどん悪化するかもしれない。2,3分待てと言われたが、その時間さえもどかしい。その2分、あるいは3分の間に取り返しのつかない事態が発生しないとは、誰も言い切れないのだ。
扉が開き、河田が顔を出した。今度は大きく開かれた扉の向こうには、壁一面に灰色に塗られたラックが所狭しと並んでいるのが見えた。そのラックには、大きな丸いダイヤルや、白く小さなテンキーを備えた黒いパネルの機器がこれまた所狭しと詰め込まれている。河田に招き入れられたその部屋は、「休憩室」とは名ばかりというのが一目で分かるくらい様々な機器があり、ヘッドホンをつけた人間が2人座り、手元のメモになにやらせわしなく書き込んでいる。
古川は部屋に足を踏み入れたことで、黒いパネルの機器が無線機であることが分かった。
ここで無線を傍受しているのか。。。これは驚きだぜ。専門のオペレーターに多くの機器、かなり力を入れているらしい。ということは、甲板でブルーシートが被せられている箱の中身は各種アンテナか。。。だからあんなに高く積み上げていたのか。。。箱をプラスティックの類で作れば中のアンテナはその性能を十分に発揮できる。この船を使って尖閣諸島沖で漁をしてきたなんて、茶番もいいとこだ。こりゃあ立派な工作船だぜ。頭の中で素早く分析するほど、目の前の現実に古川はどんな表情をすれば良いか混乱してしまった。
古川の驚いたような目、そして当惑したような表情が気になったのだろう。河田が笑顔を作って、説明した。
「ホントは、傍受していること自体、隠しておこうと思ってたんですけどね。こんな素人みたいな機器で傍受しているなんて、いやいやお恥ずかしい限りです。」
河田が、頭を掻く
「いえいえ、すごい機材ですね。専門のオペレーターの方まで配置していらっしゃる。自衛隊と海上保安庁の無線を傍受しているんですか?」
さすがにこれは答えてくれまい。と思いつつも河田に疑いの根を悟られないように核心を突く質問をした。
「あまり詳しいことはお話しできませんが、先ほど、我々は日中両軍を相手にしている。申し上げたとおり、日中両者の無線を傍受しています。さ、細かいことは後にして、時間が惜しいでしょうから早くメールを送りましょう。」
河田があっけなく、傍受先を語ったことに呆気にとられていた古川を、河田が「こちらです。」と手のひらで示した先には、ノートPCがあり、傍らのパイプ椅子には小柄で痩せ形の男が座って、古川に会釈をした。広く皺のない額が知性を感じさせる。そして殆ど白髪のない黒く豊かな髪も相まって40代前半に見える。
「うちのIT担当の広田です。パソコンのことは、彼になんなりと聞いてください。」
河田が紹介すると広田は改めて会釈をし、
「よろしくお願いします。」と古川と挨拶を交わした。
「早速ですが、」
と前置きして古川がメモリーカードを取り出した。
「銃撃の状況が分かる写真を至急産業日報に送らなければなりません。カメラの画面で写真を選ぶと作業性が悪いので、すみませんが一旦全ての写真をこちらのパソコンにコピーさせていただいて、パソコン上で送信する写真を選ばせて頂きたいと思います。よろしいですか?」
古川が話すと、一語ずつ頷きながら聞いていた広田は、
「分かりました。では、カードをお借りします。」
と言って古川からメモリーカードを受け取ると、素早くカードリーダーを接続してデータをノートPCに移す。この人があの船団のジグザグ運動タイミングを表示するシステムや護衛艦のCICシステムをハッキングするシステムを作ったのか?いったいどういう人なんだ。
「どうぞ、」
と言って広田はノートPCの前の椅子を古川に譲った。
「あ、はい。お借りします。」
古川は、我に返って頭を下げると、ポケットからメモを取り出して既に起動されているアウトルックの新規メールウィンドウに権田のメールアドレスを入力した。続けて「Alt」キーと「Tab」キーを押して起動している他のウィンドウから先ほどの写真を移したフォルダーを選ぶ。IT担当者の手前、侮られないようにショートカットキーを巧みに使ってみせる。モバイル機器好きな古川にとっては、ちょっとした意地でもあった。
沢山の写真が一覧になった画面からめぼしい写真を開き、素早く中身を確認する。古川は2つの写真を選ぶとメールウィンドウに貼り付けた。1枚は、中国海警船の甲板に銃を持った船員が数名上空を見上げているもので、その視線の先に海保のヘリコプターが写っている写真。そしてもう一枚は、コックピットを右斜め前から捉えた写真で、正面の窓に顔面蒼白で項垂れた若いパイロットが、側面の窓には彼の出したであろう血が刷毛で塗られたように付着しているものだった。
古川@尖閣という短い件名を入力し、「権田様」から始まるちょっとした文を付けて送信ボタンを押そうとしたとき
「ちょっと待ってください。」
広田が慌てて止めた。驚いて古川が顔を上げると
「データを縮小してください。地上の通信じゃないので、このデータの大きさだと送るのに時間が掛かります。30%くらいには圧縮しないと。。。」
といって古川の横からマウスを素早く奪うと、あっと言う間に先ほど古川が選んだ写真ファイル開いて縮小、別名保存し、メールに貼り付けた。
「これでOkです。」
広田の緩んだ口元と、わざとらしく見える笑顔が「素人め、」と言っているように見えた。
「ありがとうございます。」
と言うと、古川は送信ボタンを押した。
送信状況を示す青いバーがゆっくりと右へ伸びていく。確かに通信速度は遅い。
「さて、今の状況ですが、」
背後から、河田が声を掛ける。夢中だった古川は気付かなかったが、河田は、メールを送信する作業をずっと後ろで見ていたのだろう。手が空いたタイミングを待っていたようだ。その気配りが、ありがたい。古川は、心の中で感謝しながら振り向いた。
「傍受した無線の内容から、簡潔に説明します。
銃撃を受けた「うみばと」は負傷したパイロットを乗せたまま海自の護衛艦「いそゆき」に着艦。パイロットは左太股と下腹を撃たれてます。
左太股に貫通銃創、下腹には弾が残っている模様で、出血多量の症状が出ているそうです。
腹に残された弾が問題で、「いそゆき」では処置できないため、那覇の自衛隊病院へ搬送することになっています。こいつは見物ですよ。」
メモを取っている古川が追いつくのを待つように、そして昔所属した組織を誇るかのような口調で言葉を区切った。
「えっ、どうやって搬送するんですか?」
メモが追いついた古川が河田を見上げた。
「US-2飛行艇です。丁度那覇を離陸して岩国へ帰るところでした。」
河田は自分の事にように得意げに言うと、さらに言葉を続けた。
「ヘリが居なくなって、中国海警船の監視が、がら空きになってしまいましたが、海保は巡視船をこちらへ回せずにいます。魚釣島へ向かっている中国の漁船団への対応で手一杯らしいです。そこで、海自がP-3Cを回してきました。海保ヘリの救助支援、という名目で。。。まったくこの国は。。。あ、失礼。
そのP-3Cが先ほどまでしつこく低空飛行をしていた機体ですが、現在、2機の中国海軍Su-33に追い回されています。」
ここでまた言葉を区切った。
「空自の戦闘機は来ないんですか?」
忙しくメモを取る古川の声が怒りに震える。
「空母です、遼寧という空母、我々も実験段階で航空機の運用能力は無い、と見ていました。みんなそうだと思います。油断していたんです。それにこの海域から離れていたのでノーマークだったんだと思います。しかし、離れていると言っても、戦闘機にとっては大した距離じゃありません。至近距離です。空母から発進した戦闘機は、あっと言う間にこの海域に到着しました。勿論、那覇から戦闘機がスクランブル発進しましたが、まだ到着していません。これが空母の恐ろしさです。今のところは以上です。」
河田が、締めくくった。
「何から何までありがとうございます。」
と古川が深く頭を下げると。河田は「とんでもない、」と笑顔を向けて
「先ほど上で話をして、あなたと私達、手段は違いますが、目的は一緒だということを知りました。
この国を当然のように守ることが出来る「あたりまえ」の法改正と体制強化。
私達はWin-Winの関係でなければならないと気付いたんです。今回は、あなたの力が有効です。喜んで協力させていただきます。
あなたの「ペンの力」見せつけてやってください。」
作り笑いではない河田の笑顔があった。
古川は深く頭を下げ、礼を言った。
目に涙が浮かびそうになるのをはぐらかすように、ポケットから衛星携帯電話を取り出し、権田に電話を掛けた。
「「いそゆき」こちらSeagullー02、中国の戦闘機の追尾を受けています。この状況での着水は困難です。離脱します。」
切迫した声がイヤホンから伝わる。
「まだまだあっ!Continue approach!(着水へ向け、進入を続けよ!)」
皆川の力強いダミ声が無線に割って入る。着水のため速度を落としているUS-2・Seagull-02に向かって、皆川が上空から降下しながら突進させたP-3C・Tidaー03は、瞬く間に追いついた。
追いついた皆川は、US-2・Seagull-02の背後に張り付いていたSu-33の真上に覆い被さるように陣取り、押し潰すようにじわじわと高度を下げる。Su-33は、他のジェット戦闘機同様、低速・低高度ではその運動性能を殆ど発揮することができない。傍目には優勢に見えているSu-33だったが、実は低速・低高度で何とかバランスを取りながらやっとの思いでUS-2・Seagull-02を追尾していたのだった。
ベテランの皆川は、このプロペラ機に残された限りなく少ないアドバンテージを見逃さなかった。低空だったために眼下に迫る海と、真上らジワジワと迫ってくる大きなP-3Cに押し潰されそうになり、バランスを崩したSu-33が、急加速しながら右旋回で離脱していった。Su-33の2つのジェットノズルを染めるオレンジ色のアフターバーナー(推力増加装置)と、突如大きくなった爆音が、その慌てようを体現していた。そのSuー33は右旋回を終えると水を得た魚のように、急激に上昇していった。
皆川の突進を、勝算のないヒロイズムに駆られた自己犠牲だと思っていた大谷は、皆川の操縦技術だけでなく、様々な飛行機の特性を知り尽くした理論の深さと機転の鋭さに度肝を抜かれた。
「Seagull-02、こちらTida-03、金魚の糞は追い払った。安心して着水してくれ。」
皆川の安心感溢れるダミ声が心地よく響いた。
「了解、Tida-03、感謝する。那覇でオリオンビールを奢らせてくれ。」
大谷が皆川を見た、皆川と目が合うと、2人して大声で笑い合った。
着水に向けて最終進入経路を直進していたUS-2・Seagull-02にSu-33が急接近しているのをレーダーで確認し、緊張が走ったCICの面々だったが、その直後にP-3C・Tida-03を示す輝点がSu-33に突進し、その輝点と重なった瞬間、CIC全体が戦慄に凍り付いた。
「進入を続けろっ!」とTida-03が無線交信に割って入って来た時、彼らの無事を知り、深い溜息がCICのあちこちから漏れた。そして間もなくSu-33が急加速して右に離脱していくのを目の当たりにしてCIC全体が喚起と驚きの声で充満した。
「すげ~。P-3Cのくせにスホーイを追っ払った。」
「神業だ」
あちこちで賞賛の声が起こった。
倉田も思わずガッツポーズを繰り出す。さすが皆川さんだ。
その直後に、
「Seagull-02が着水しました。」
Seagull-02を誘導していた三田が、周囲のお祭り騒ぎに負けないように声を張り上げた。
倉田は頷くと、マイクを握った。
「艦橋、こちらCIC、艦長だ。副長、Seagull-02が着水した。すまんが負傷者搬送の指揮を頼む。」
T字形の尾翼が機体の優雅な曲線を引き立てるUS-2・Seagull-02の後ろ姿を大谷はじっと見つめていた。濃厚な青色の機体が海面に吸い込まれるように馴染んでいくと白い飛沫が立ち、長く、白い尾を引いた。両翼の下からも細く白い筋が伸びるのが見えた。海面に降り、急激に速度を奪われた眼下のUS-2は、あっと言う間に後ろに流れ去ろうとしていた。
「よ~し、ナイスな着水だ。」
皆川は呟くと、スロットルを大きく開き、速度を増すとUS-2を一気に引き離していく、皆川は、翼を左右に振る「バンクを振る」と呼ばれている合図をしながら飛び去った。
「サンキューTi-Da-03」
無線から聞こえるUS-2・Seagull-02の感謝の言葉を後に、皆川はバンクを終えるとP-3C・Tida-03を左上昇旋回に入れた。ホッとしたのか、大谷にはGが心地よく重力に引かれている身分を感じさせる。さっきまではGなど感じる余裕もなかった自分に苦笑した。
「大谷さん、機長に伺いも立てずに勝手なフライトしてすみません。最後にもう1つお付き合い頂けますか?」
皆川がかしこまって言った。
「いえいえ、私なんかじゃ、何にも出来なかったですよ。とても勉強になりました。ありがとうございます。最後までお付き合いさせてください。」
こんなチャンスは、一生に何度もないだろう。この人の技を少しでもモノにしたい。大谷は熱意を言葉にすると、皆川に頷いて見せた。
「ありがとうございます。では、そうさせて頂きます。さっきの中国海警の船団の上空でもう一度暴れさせてください。戦闘機を引きつけます。」
皆川の顔は険しいさに歪んで見えた。そうとうな危険を覚悟しているらしい。大谷は固唾を飲み、
「引きつける?ですか?」
と言うのがやっとだった。自分には、何のためにやるのか分からない。
「そうです。2機のスホーイ戦闘機は、我々にしてやられて、振り上げた拳を降ろせない状況にあります。このままでは、US-2へのさらなる妨害があるかもしれません。
でも彼らの受けた命令は、多分中国海警船から当機を追い払うことだったんだと思います。ですから、当機が船団上空に戻れば、当機を追い払うことに必死にならざるを得ない。その艦にUS-2に負傷者を搬入してもらい、那覇へ飛び立ってもらいます。US-2が飛び立つまでには空自の戦闘機が到着るでしょう。そうすれば中国の戦闘機も好き勝手はできない。それまでの辛抱です。
彼らが冷静さを失っていると、当機にとってはかなり危険ですが搬送ミッションを成功させるにはこれしかない。と思います。」
皆川が静かに考えを述べた。
「なるほど。それしかないですね。行きましょう。」
大谷は、自分の納得を伝えるべく力強い口調で答えた。この短時間にそこまで考えられるなんてすごい。どうやって、鍛えたんだろうか、今度酒でも飲みながら裏話を聞いてみよう。生きて帰れればだが。。。大谷は左旋回して下がった左翼の先に見える護衛艦「いそゆき」をじっと見つめた。頼むぜ。。。
「艦長、副長から連絡。負傷者を乗せたランチ(護衛艦搭載のボート)出発しました。10分後にUS-2に移乗予定」
静かになったCICに響いた声の主に、倉田は頷いて見せた。周囲で「よしっ」という声がちらほら聞こえた。
ありがとう。みんな。もう少しだ。頑張れ、昇護。見送り出来ずにすまんな。
倉田は、息子の昇護の容態は医官の島田3佐から逐一報告を受けていた。意識は朦朧としているが輸血と止血により血圧、心拍数も安全圏に入っているという。あとは、那覇での手術まで内臓が持つか。らしい。あと少しだ。倉田は、深くゆっくり息を吐きながら逸る気持ちを押さえる。あとはUS-2に任せるしかない。
「艦長。TiDa-03が中国海警船団に再び向かっています。中国軍戦闘機がTida-03に向かい始めました。」
レーダーを見ていた渡辺2曹の切迫した声がCICに響く
「何っ、」
倉田は、レーダー画面に駆け付けた。魚釣島へ反転したTiDa-03の輝点にむかって、2つの輝点が急速に接近している。
なるほど。倉田は、皆川の考えを理解すると、複雑な表情で頷いた。ありがたいが、危険過ぎる。旧ソビエトの戦闘機が相手だったら、確実に撃墜されてしまうだろう。中国軍機がどう出るか、だな。。。しかし、倉田にもそれしか方法はないように思えた。
「すまん。。。」
倉田は項垂れる、自然と拳を強く握っていた。
「「いそゆき」こちらTida-03、中国軍戦闘機2機の追尾を受けている。当機との交信記録とレーダー記録を取ることを具申する。」
皆川のダミ声にも緊張が感じられる。記録を取ってくれ、と皆川が言ってくるということは、万が一の事が発生することを覚悟している。ということだった。万が一のこと。。。空中接触や、最悪の場合撃墜された時など、証拠として国際社会に訴える事ができるからだった。倉田は、まだ中国軍機が他国の航空機を撃墜したという話は聞いたことはないが、数年前に東シナ海で飛行中のアメリカ海軍のP-3Cに中国空軍のF-8Ⅱ戦闘機が接近し、空中接触するという事件があった事は確かだった。万が一が無いとは言い切れない。
「了解、記録を開始する。Tida-03。すまん。。。グッドラック」
皆川さん頼みます。倉田が祈るように返事をした。
古川の衛星携帯電話が無機質な着信音を鳴らした。
急いで衛星携帯電話を取り出した古川がボタンを押した。
「はい、古川です。はい。ええ、そうですかっ!ありがとうございます。今、海自のP-3Cが中国軍戦闘機2機の追尾を受けています。はい。送ります。ありがとうございました。」
古川が電話を切ると、河田と広田に顔を向けた。
「ありがとうございます。間もなくテロップを流すそうです。」
古川の笑顔に、河田も広田も安堵の笑顔で答える。
「で、ついでにお願いがあります。この状況を、メールで実況させて欲しいんです。更に中国への歯止めになると思いますし、政府の無策ぶりを国民に訴えることもできます。」
古川の申し出に、河田は快く頷くと
「分かりました。一石二鳥ですね。こちらも傍受した情報を逐一古川さんに連絡します。」
ありがとうございます。では、お借りします。
古川はノートパソコンに再び向き合うと、機関銃のような速さでキーボードを叩き始めた。
-領空で中国軍戦闘機の追尾を受ける海自P-3C-
見出しが画面で踊る。
ちょうどその時、
「あ、テロップが流れましたよ。」
広田が、産業日報系列の衛星放送を映していたテレビ画面を指差した。
ありふれたドラマの会話シーンの画面の上端に
-尖閣諸島で中国海警船を監視中の海上保安庁のヘリコプターが何者かに銃撃を受けました。副操縦士が重体の模様-
振り向いた古川の肩に河田が手を乗せ、笑顔で頷いた。
「古川さん、やりましたね。中国政府も、先手を打たれちゃあ静観できないでしょう。姑息な工作もでいない。」
「「いそゆき」こちらTida-03、スホーイにロックオンされた。繰り返すロックオンされた!」
皆川とは対照的な大谷のクリアな声がスピーカーから流れてきた。恐怖に声が震えているようだった。BGMのように警報が鳴り響いているのが分かる。
「了解、こちら「いそゆき」無線での警告はあったか?」
倉田が、問いかける。落ち着け、自分に、そして、周囲に念じる。
「ありません、いきなりロックオンされました。振り切れません。」
大谷の声がCICに響く。
「了解、刺激しないよう直線飛行を続け、バンクで合図を送れ、このままだと何が起こるか分からん」
倉田の声がいつの間にか厳しい命令口調に変わっていたが、本人も、周囲も気にしている余裕はない。
倉田はさらに強く拳を握りしめると、
「シースパロー。打ちぃ方用意!」
覚悟を決めたように静かに、しかし力強く命じた。シースパローは、「いそゆき」が搭載する艦対空ミサイルで、8発入りのランチャーに納められている。射程約26km。今ならギリギリ届く距離だ。もともとF-15を始めとした西側の殆ど戦闘機に搭載されたスパローミサイルの改良型であり、運動性は極めて高い。このミサイルに追尾されて逃げ切れることは、並みのパイロットでは不可能だろう。
一瞬、CICの全員が振り返るが、倉田の決意が現れた表情を目にし、納得した表情で命令に従う。緊張に凍っていたCICの雰囲気が一気に活性化する。射撃管制員が目標の諸元を復唱しながら打ちこむ声が聞こえ、矢継ぎ早に様々な指示が飛び交う。そして倉田の次の命令を待つ。
次の命令は、「照準」だ。「照準」即ちロックオンを掛けることである。照準命令によりレーダー誘導のシースパローの誘導電波を目標に当てれば、中国戦闘機には、Tida-03と同様に警報が流れ、上手くいけば中国軍パイロットを恐怖に陥れて、Tida-03への攻撃を諦めさせることができるだろう。しかし、「海自の護衛艦がロックオンした」という事実は報告され、国際問題に発展する恐れがある。倉田は、次の命令を出すか迷っていた。しかしこのままではTida-03が撃墜される可能性がある。背に腹は代えられない。昇護の為に犠牲者を出す訳にはいかない。
「よしっ、シースパロー照。。。」
倉田が命令を言い終えないうちに、
「中国軍機、離脱します。」
三田が倉田の命令を打ち消すように大声で叫ぶ。
喚起にも似た声がCICに響く
倉田は、一瞬呆気にとられたが、
「シースパロー、別命あるまで、準備のまま待機。レーダー監視を継続」
CICに安堵の声と溜息が溢れる。一瞬の間の後、どこからともなく拍手が起きた。
倉田はマイクを置くと、ゆっくりと目を閉じてあらゆるものに感謝をした。
テロップが流れてから数分後だった。
「中国側の各種無線が、一斉に帰還命令を出し始めました。」
無線を傍受していた船員が信じられないといったふうに声を挙げた。
小窓から外を見ると、中国海警船が増速して前に出ると1列に隊列を組み始めた。
無線台の方を振り返った古川に河田が笑顔で握手を求めた
「テロップが効いたんですよ。中国は敏感ですね。「ペン」の勝利ですね。おめでとう!」
河田の声が、古川の胸に響く。
「ありがとうございます。」
古川は力強く河田の手を握り返した。




