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27.時間

「TIDA03、こちら護衛艦隊第13護衛隊「いそゆき」艦長。」

倉田は、尖閣諸島付近を飛行中の海上自衛隊那覇基地所属の哨戒機P-3C「TIDA03」を無線で呼び出した。TIDA03には、倉田の顔馴染みのベテラン、皆川2尉が乗っていた。皆川の愛機はTIDA06なのたが、離陸前にエンジンが不調となったことからTIDA06を急遽運用から外して整備することになった。そこでスタンバイで待機していたTIDA03に乗換えてパトロールに当たっていた。

「護衛艦「いそゆき」艦長、こちらTIDA03。」

心地よいダミ声がスピーカーから流れる。緊急事態のため、即座に情報を共有する必要性から倉田は、交信をスピーカーで流している。

「TIDA03、こちら「いそかぜ」艦長。御苦労だが、ひとつ頼みがある。」

「こちらTIDA03。ひとつと言わず、いくらでもどうぞ。」

皆川のダミ声が心なしか弾んでいるように聞こえる。倉田は、一瞬頬を緩めたが、再び口を結び、険しい表情になる。

「海上保安庁のヘリが魚釣島東方沖で何者かに銃撃された。副操縦士が負傷。ヘリは本艦に収容する。当該海域は非常に危険な状態だ。そこで、当該海域に張り付いて救助活動を支援してほしい。」

倉田は、「張り付いて」と言っておきながらも、救助活動という言葉を強調した。あくまで救助活動。というスタンスを貫かなければ、まず間違いなく各方面から袋叩きにされてしまうだろう。

-なんて国なんだ-

怒りが込み上げてくる心の中で倉田は嘆くが、次の瞬間、耳に流れてきた皆川の落ち着いたダミ声に冷静さを取り戻す。

「こちらTIDA03救助活動了解。で、武器は?何で撃たれたんですか?」

冷静さを取り戻させてくれた皆川の声に倉田は感謝しつつ

「あんたらにとっては豆鉄砲だ。海保の情報だと、中国海警はAKを持った船員を甲板に出しているらしい。ところで、今日は何をぶら下げてる?」

努めて軽口を叩く振りをして部下達に安心を与えようとした。なぜなら過度の緊張は集中力を鈍らせ、或いは無駄に思考が硬化し、何れにしても判断を誤らせる、それらは操作ミス、連絡ミスを生み、最悪の場合深刻な損害をもたらす。幸いにして何も損害が起きなかったとしても、時間のロスは生むはずである。浪費してしまった時間は取り戻すことはできない。というのが長い年月の中で倉田が刻み込んできた経験であり、信条だった。決して「悪ふざけ」ではないのである。その辺は皆川も承知なのだ。昔は、よく演習で海上と空から海中の潜水艦を追い回した仲なのだからな。倉田の「あの頃」見てきた景色がよぎる。

「こちらTIDA03。警告用の小型爆弾4発です。安くしときますよ。」

皆川が答えた。

「いいね~、おあつらえ向きじゃないか。いつものTIDA06じゃなくて大丈夫か?」

倉田が唸るような声を挙げる

「大丈夫です。ウチの機長は大分腕を上げましたから。何なら沈めて御覧にいれますよ。」

スピーカーを通してTIDA03の笑い声が聞こえる。それに釣られたのかCICの彼方此方から失笑が漏れ聞こえた。

「了解。そこまでサービスしてくれなくてもいいよ。但し、あいつらの弾が少しでも擦ったらそのサービスをお願いするさ。よろしく頼む。幸運を祈る。「いそゆき」以上。」

真面目な口調で倉田はTIDA03との交信の最後を締めくくった。

「了解。ありがとうございます。」

皆川も、真面目に答えた。

「艦長。海保巡視船「はてるま」船長から呼出しです。」

皆川との交信が終わるや否や通信士が、巡視船「はてるま」船長からの無線呼出しを告げた。倉田はその通信士に手を挙げて合図をする。通信士は、倉田の使用しているマイクに繋がる無線機のチャンネルを、海上保安庁との共通波に合わせた。

「お待たせしました。護衛艦「いそゆき」艦長です。」

「こちら巡視船「はてるま」船長です。当庁のヘリコプター「うみばと」への連絡事項完了しました。貴艦に引き継がせて頂きます。救助方、何卒よろしくお願い致します。」

巡視船「はてるま」船長の語尾までしっかりした誠実そうな声がスピーカーから流れる。

「了解しました。全力を尽くしますので、ご安心ください。」

巡視船「はてるま」との交信を終えるた倉田は、すぐに「うみばと」との交信を開始した。

「海上保安庁ヘリコプター「うみばと」。こちらは、海上自衛隊護衛艦「いそゆき」艦長だ。本艦が責任をもって君達の救助にあたる。」

倉田は、若干早口ながらも力強くマイクに息を吹き込んだ。

「こちら海上保安庁「うみばと」機長の浜田です。救助に感謝します。当機の機体に異常はありません。着艦可能です。誘導をお願いします。」

張りのある声がスピーカーから流れる。息子と飲んだ夜、巡視船から迎えに出てきた青年達の1人に違いない。

-息子をよろしく頼む-

倉田は、静かに念じると「うみばと」に自分が返答する時間も惜しく、

「三田1曹。速やかに誘導を頼む。」

と、レーダー卓の三田に交信を引き継いだ。そもそもヘリコプター搭載汎用型護衛艦として生まれた「いそゆき」には、護衛艦隊所属の主力時代は艦載ヘリコプターが配備されていた。しかし時の流れには勝てず、新鋭艦が護衛艦隊に配属となった後は、佐世保の地方隊に転籍され、その際に艦載ヘリコプターを降ろされたのであった。このため、自前のヘリコプターを持ってない「いそゆき」はヘリコプターを着艦させる飛行甲板と、格納庫を持て余していたが、同時に、ヘリコプターの運用経験を持つ隊員も、その技能を持て余していた。三田もそのうちの1人だった。

「Umibato.This is Isoyuki rader contant 45 miles west.Turn left headding 080(「うみばと」。こちら「いそゆき」レーダーでキャッチした。貴機は本艦の西45海里(約83km)の位置にいる。方位80度に左旋回せよ。)」

三田のアクセントは弱いが流れるような航空英語が懐かしくもあり、新鮮でもあった。

「Isoyuki.This is Umibato roger left headding 080.Thank you(「いそゆき」。こちら「うみばと」了解。80度に左旋回。ありがとう)」

三田の誘導が円滑に進む様に、倉田は安堵の表情を浮かべる。

-あとは医療支援だな-

倉田は努めて冷静に、次のステップを頭の中でシミュレーションする。そうすることが間違いを未然に防ぎ、最善の結果に導いてくれる。しかし、倉田は、何度繰り返してもシミュレーションの答えが出せないでいる。こんなことは初めてだった。やはり難しい。こればかりは運と昇護の生命力次第なのか。。。改めて自分達ではどうしようもないこともある。という事実に溜息をついた。やはり、医官が来るのを待とう。と、一縷いちるの望みを医官に託すことを再認識した時、1人の男が慌ただしくCICに駆け込んできた。

「艦長。島田。参りました。」

ずんぐりとした体の丸い背筋を伸ばした50絡みの男が敬礼をした。走ってきたのか大汗をかいている。現場叩き上げのベテラン海曹に見えるが、これでも階級は3等海佐で、しかも護衛艦「いそゆき」の医官だった。「医官」は、世間一般で言うところの「医者」であり軍隊で言えば「軍医」である。護衛艦には、様々な医療機器から簡易的な手術台まで一応一通りの医療設備が整っているが、専属の医官は乗船しておらず、普段は医師免許を持たない衛生員が乗船している。医官は、比較的長い航海や、有事が予想される場合に限って護衛艦に乗り組むことになっており、尖閣諸島国有化後、一層緊張が増したこの海域の艦船には医官が乗船することとなった。

「あ、御苦労様です。よろしくお願いします。」

倉田が敬礼を返すと、島田は、失礼します。と一礼して制帽を脱ぎ、ハンカチで禿げ上がった頭の汗をゴシゴシと、まるで音が聞こえてくるくらいの勢いで拭くと、ふ~っと深く息を吐いて呼吸を整えてから、

「患者の状況を直接あちらに確認させて頂いた方が早く対応できます。よろしいですか?」

と、意見具申した。

「なるほど。了解した。よろしく頼む。」

倉田は、マイクを渡した。

島田はマイクを恭しく両手で受け取ると

「では早速」と呟くと

「「うみばと」こちらは、護衛艦「いそゆき」医官の島田です。迅速に適切な処置を行うために到着までの間に容態を確認させてください。御協力願います。」

その体躯たいくに似合わず丁寧な口調でマイクに語りかける

「島田さん。こちら「うみばと」機長の浜田です。ありがとうございます。よろしくお願いします。」


「うみばと」のコックピットで機長の浜田は後ろのキャビンを振り返って機上整備員の土屋と機上通信員の磯原に向かって、耳のレシーバーを指差しながら

「「いそゆき」の医官が、今のうちに昇護の容態を確認してくれるそうだ。お前らも無線でやりとりできるようにしておいてくれ。」

自然と声が弾んでいる自分に浜田は気付く

-事の大小に関わらず医者と聞いただけで、何故か元気が出るもんなんだな-

浜田は中学生の時、美術の授業で彫刻刀で指を切ってしまった時の事を思い出していた。慌てて傷口を口に含んだが傷が深く、血は止まるどころか口の中に溢れ、貧血を起こしたときのように目眩と吐き気に襲われたのだった。保健室で応急手当を受けても気分は優れず、きっと出血多量というのはこういうものなのか。。。と思うと一層気分が悪なった。駆けつけた母親に掛かり付けの町医者に連れていかれたのだが、老練の医者に

「僕は出血多量なんですか?縫うんですか?」

と浜田が恐る恐る聞くと。

「そんなすぐに血なんか無くなるもんか。こんなの縫う必要もない。包帯巻いてりゃすぐなおる。しっかりしろ。」

と言いながら包帯を巻く医者の「ただの風邪だ、寝てりゃ治る。」と同じいつもの口調に浜田の気分が一気に良くなったことを、浜田はふと思い出して苦笑しそうになるのを、唾と一緒に飲み込み、傍らの昇護に目を遣る。

ーコイツはそんな状態じゃないんだ。。。ー

浜田は、自分の中から淡い思い出を叩き出した。

「こちら海自、島田です。では、始めましょう。まずは傷の状態です。え~と、仮処置はしているとの事なので、仮処置をした時の記憶でいいのですが、傷口の場所と大きさはどうでしたか?」

丁寧でゆっくりとっした口調が海の男には珍しく聞き心地がよかった。

「はい。機上整備員の土屋と申します。まず左太股の下から上に傷が突き抜けています。下側は見えませんでしたが、上側は、500円玉程度の大きさでした。もう1つは右下腹です。傷は50円玉ぐらいの大きさでした。」

土屋が、島田の話し方に合わせるようにいつもよりもゆっくりとした口調で答える。

「う~ん。太股は貫通銃創と、、、腹の中に弾が残っているかどうかが問題ですね、、、あ、患者さんの背中と背もたれの間に布かなにかを挟み込めますか?挟み込んだ布に血が付いていれば貫通したと言えます。」

島田の言葉に、土屋はハッとした。腹に弾が残っているかどうかまでは気が回らなかった。

土屋は、白い三角巾を2つ取り出して端を結んで長くすると、副操縦士席のヘッドレストと昇護の首の後ろの間に出来ている隙間に三角巾を左右に渡して、両端をそれぞれ右手左手で持った。その布を右へ左へ少しずつ動かしながら下へ移動させていく。

腰の辺りまで移動させると三角巾の右端を離して左手で三角斤を引き抜いた。昇護の汗でぐっしょりと濡れてしまったが、真っ白だった三角巾は、背中の傷の疑いの潔白を示すかのようにその白さを保っていた。

-弾が腹に残っている。。。-

「こちら土屋です。背中に出血は認められません。」

土屋は、唖然としながらも自分の言葉が早口になっているのに気付いた。落ち着かねば、と自分に語りかける。

「了解。腹に弾が残ったままか。。。血液の色はどんな赤でしたか?」

土屋には島田の声が心なしか沈んだように感じた。

「血液は、え~、どちらかというと赤黒い色でした。赤ワインに黒を混ぜたような色です。」

土屋は咄嗟に酒に例えてしまう不謹慎な自分に半ば呆れてしまった。

「飲兵衛土屋。上手い言い方するな~。」

機上通信員の磯原が茶化すように言った。茶化すというより、元気付けるための言葉だと分かる土屋はありがたく汚名を受けた。磯原に笑みで返事をする。

そうするうちに、島田の少しほっとしたような声が聞こえ始めた。

「了解しました。ならば、静脈性出血ですね。動脈性出血よりはマシです。血の出方はどうでしたか?」

土屋は、浜田の太股に巻いた包帯に目を向ける。既に隅々までどす黒い赤が染み渡っていた。

「噴き出すような勢いはないんですが、とにかく後から後から出てきました。弱い湧き水のように出てました。」

「了解しました。では、今の呼吸の状態と脈の強さはどうでしょうか?」

土屋は、昇護の口元に耳を近付けようとしたが、そこまでしなくとも十分に呼吸の音が聞こえてきた。運動をした後のように早い。そして左手首を掴むと脈を測ろうとした。なかなか脈が分からず、やっと見つけた。やはり、呼吸同様脈が速く、弱い。弱いからすぐに脈を見つける事が出来なかったのだ。しかも昇護の手首は驚くほど冷たいことに気付き、慌てて昇護の唇を見た。唇は無機質な白っぽさを見せていた。

「島田さん。土屋です。呼吸は早く、脈も速いですが、弱いです。あと手首が冷たくなっており、唇が白っぽくなっています。」

「ん~。やはり出血多量の症状が出てますね。。。だが、腹に残った弾が問題だ。こちらで摘出することはできない。。。ちなみに、このまま石垣まで飛べますか?時間はどれぐらい掛りますか?」

島田の申し訳なさそうな声が聞こえてくる。

交信を聞いていた機上通信員の磯原が素早くGPSを操作する。距離は81海里(約150km)だった。

「機長、石垣までの距離81海里(約150km)です。燃料は持ちますか?あと、時間はどれぐらいかかるでしょう?」

磯原が浜田に尋ねた。

「燃料をセーブして飛ばなきゃいけないから。。。1時間ぐらいかな。ギリギリまで燃料を使いきって飛べるスピードで1時間。それ以上スピードを出すと、石垣島まで届かない。。。1時間も昇護は持つのか?!」

浜田の声が沈む。

土屋は、振り向いた浜田に曖昧に首を傾げるとマイクを口元に寄せた。

「島田さん、1時間掛ります。燃料をセーブしないと石垣島まで飛べませんので最大速度は出せません。昇護は、もとい、負傷者はそれまで持つんですか?」

-先生。何とかしてくれよっ-

土屋の口調が強くなる。

「いえ。。。耐えられないでしょう。。。あと1時間もすれば出血性ショックで間違いなく死亡します。それに、石垣島に病院はいくつもありますが、弾丸の摘出が出来る医師がいるかどうか疑問です。できれば自衛隊那覇病院に運びたい。。。とにかく急いで本艦に着艦してください。まず出血多量から救いましょう。」

まだ会ったことがないのにも関わらず、島田の苦悶の表情が目に浮かぶような声だった。

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