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低空飛行

25.低空飛行

「あと1時間ほどで、魚釣島周囲の領海に入ります。」

河田は手スリに取り付けられた台の上に置いた日除けを立てたタブレット端末から顔を上げると傍らにいる古川に言った。前回とは異なりタブレット端末にはキーボードが接続されており、ノートPCのような格好になっていた。

「そうですか。今度こそは領海内に突入するんですか?」

古川は緊張を隠して尋ねた。前回は、中国の監視船「海監」に妨害されたが、流石に元海上幕僚長とその部下達は、逆に「海監」船隊を手玉に取っているかの如く見事な操船で「海監」船隊を翻弄した。だが、最終的には事態の悪化を恐れた海上保安庁巡視船「はてるま」の説得によって引き返すという、呆気ない幕引きとなったのだった。古川は、その行動に物足りなさを感じていたが、後日その説得の内容について海保を、そして政府を批判する行動に出たことで、一挙にマスメディアの関心を引き、番組や講演会に引く手あまたとなった経過をつぶさに見、そしてジャーナリストとして協力してきた古川は、前回の「呆気ない幕引き」も始めから計算の内だったのではないかと思うようになってきた。

-ただの愛国活動家じゃない。政治家以上に策略家かもしれない-

油断ならない。というのが、最近の古川の河田評であった。

一瞬、河田の目が曇ったように見えた。古川は「今度こそ」という言い方がマズかったかもしれない。と直感的に思った。フォローする言葉を探して頭の中が高速回転しているのが分かる。

「当然です。本来誰にも遠慮する必要はないんです。自分の国の領海を漁船が航行するという当たり前のことがまかり通らないという現実を伝えてください。そして危険感を国民に持ってもらう記事を書いてください。よろしく頼みますよ。今回は、海上保安庁の「泣き落とし」には応じません。そして中国にも示しをつけないと。日本人は海上保安庁のようなお人好しばかりではないということをね。」

河田は、まるで悪戯っ子含みのある笑みで答えた。さっきのひと言は気にしてないらしい。古川は胸を撫で下ろすと

「分かりました。しっかり撮ってしっかり伝えます。」

古川は肩から提げていたカメラを手に持って顔の前に掲げながら言った。

「よろしくお願いします。」

河田は言うと、タブレット端末に向かいキーボードに文字を打ち込み始めた。

「あれっ、今回はキーボードを付けたんですね。」

古川がタブレット端末を覗き込むと、河田は素早くしかしさりげなく画面を切り替えた。画面には数行の文字が記されていた。

「いえ、恥ずかしながら、本を書こうと思いましてね。」

河田は、はにかみながら答えた。

「そうなんですか、どんなジャンルをお書きになられてるんですか?」

やはり、先ほど俺を呼びに来た船員が持っていたタブレットと同じサクセス7だった。

「国防論的なモノを書いてます。売れるかどうかは分かりませんが、自費出版をしてでも出すつもりです。完成の暁には、古川さんにも読んでいただけると幸いです。」

河田は、古川に笑顔を向けると、タブレットの画面を消した。

「はい。勿論です。是非私にも読ませてください。」

答えながらも、古川の頭の中では全く別の考えが湧き出してきた。それは河田のサクセス7についてだった。そもそもサクセス7にGPS機能は無かった筈だ。と、古川は記憶を探る。前回尖閣へ行った時、確かに河田は、タブレット端末をGPSに使用している。と言っていた。当時、古川はタブレット端末への興味が薄かったため機種や機能に関する知識が殆どなく、スマートフォンの画面が大きい端末がタブレットという程度の認識しかなかった。当然スマートフォン同様GPS機能が付いていると思っていた。しかし今の古川は違う、もともと電子云々という端末に異常なほど興味を持つ、いわゆる「ガジェット好き」な古川は、その後タブレット端末に触手を伸ばし、購入を検討していた。「ガジェット好き」な古川は、この検討の過程も楽しみの1つだった。巷では「タブレット端末」とひと括りになってはいるが、その基本システムであるOSは、Android、ios、Windowsと様々であり、それぞれに特色が異なる、さらに端末メーカーによって機能が異なるばかりか、画面のサイズも様々な、古川にとては、実は奥の深い買い物なのだった。その中で古川の目を一際引いたのがサクセス7でもあった。なぜならサクセス7がOSにWindowsを使用しるからだった。これまでWindowsパソコンを使用し、Windows系のモバイル端末を使ってきた古川にとって、使いなれていて、且つWindowsパソコンとの各種データの同期などに親和性の高いWindows端末はジャーナリストという物書きの仕事をしている古川にとって必須のアイテムだとは考えていたが、サクセス7にはGPS機能が無い。それがネックとなり、古川は未だにタブレット端末を購入するには至っていなかったのだった。しかもサクセス7のWindowsは、タブレット端末向けの簡易版ではなく、パソコンのWindows向けと同じOSであったことから、小さいながらも機能はパソコンと同じ。古川にとって「実に惜しい端末」だったのだ。それ故に今の古川はサクセス7を知り尽くしていた。

 やはり、何かがおかしい。なぜGPSだと嘘をつかなければならないのか?実際に前回はGPSの画面を見せてもらった。確かにGPSの画面だった。もしかしたらGPSを使っていると俺に認識させたい「何か」があるのだろうか。何れにして再度こちらからGPSについて質問するのは、疑っているということに気づかれて墓穴堀になるな。古川は心の中に深い不審の澱みが広がっていくのを感じた。

 古川は視線を水平線から、隣にいる河田に移す。不審な目に気付かれぬように横目に見た。

-まただ-

 さっきから河田は、キーボードを頻繁に使っている。執筆活動を始めたというが、なにも「ここ一番」の尖閣沖まで来て執筆しなければならないほど時間が惜しいのだろうか?それにしても、キーを打つ時は数秒間だけ打つ。多分1行程度の短い文だろう。それからしばらくキーを打たない。歳相応にキーボード操作が遅いのかというと決してそうではない。人並み以上のタイピング速度だった。書く内容に苦慮してなかなか筆が進まないのかといえば、そうでもないように見える。悩みの色は見えない。一度不審に思うと何から何まで不審に思えてしまうものだ。と古川は澱みを取り払おうと軽く頭を振った。

河田は、そんな古川には目もくれず、首に下げた双眼鏡を手にとって覗き始めた。

覗き始めるとほぼ同時に

「古川さん。来ました。マストが見えます。多分中国船ですね。」

といって水平線を指差し、双眼鏡を貸してくれた。

「こちらに向かっているんですか?」

と古川は双眼鏡を受け取りながら訊ねた。

「う~ん。マストだけじゃ分かりませんが、恐らくこちらへ向かってくるでしょう。彼らにとって我々は目の上のタンコブですからね。派手に動き回れたら、あちらの威信に関わる。」

河田の答えを聞きながら、古川は双眼鏡を覗く。見る見るうちに針先のように尖ったアンテナ類だけでなくマストの柱が爪楊枝のように見えてくる、そしてその付け根も見えようとしていた。明らかにこちらへ向かっている。3隻ぐらいいるだろうか。。。水平線までの距離は、今自分が立っている場所の高さを加味しても5キロ程度しかないだろう。

古川は、

「ありがとうございます。ぐんぐん近付いてきますね。」

と言いながら双眼鏡を河田へ返した。

河田は無言で頷く。その眼差しが光って見えた。少し目が潤んでいるようだ、それは決意ともとれるし、怒りともとれる。とにかく激情のあまり潤んでしまったかのような真剣な眼差しだった。

河田は、古川から視線を外し、真っ直ぐ水平線を見つめる。そして、後方に続く船団を一瞥すると、視線を前方の水平線に戻した。深呼吸で河田の細いが線の太い肩が大きく動くのが見えた。そして口元にヘッドセットのマイクを寄せると

「こちら河田だ。前方に複数の船舶。全艦、横陣隊形を取れ!」

と、吹き込んだ。普段の会話よりも一段トーンを落とした堂々とした、低いが聞きとりやすい声だった。

それと同時に、後方から、一斉にエンジンの出力を上げる音に古川が振り返ると、急に出力を上げたことで上がった黒く濃い煙が各船からたち昇って行くのが見えた。古川達が乗る「やまと」を先頭に1直線に並んだ単縦陣をとっていた船団は、2番船は左、3番船は右、そして4番船が左、5番船が右へと、散開し始まった。見事に左右バランスのとれた散開は、その航跡がまるで真っ直ぐな植物から枝が左右互い違いに伸びていくように自然で美しかった。飛行機でいうならば、スモークを曳いて曲技飛行を行うアクロバットチームのようなものだった。

「すごい」

古川は、カメラを両手に持つと、シャッターを切った。

各船が「やまと」のラインまで舳先へさきを並べ、横一列になると、高鳴った各船のエンジン音が一段穏やかになった。その音に今まで掻き消されていたのか、古川の耳にヘリコプターの音が聞こえてきた。


海上保安庁中型ヘリコプター「うみどり」が巡視船「はてるま」を飛び立ってから僅か数分で視界に2つの船団が入ってきた。

両者とも「うみどり」に側面を向けて航行している。

 向かって左手を横一列に広がって左から右に進む5隻の漁船は、何れも船尾に大きな日章旗を掲げているので河田のマグロ延縄漁船団であることが一目瞭然だった。右手に右から左に向かって進む4隻の船は中国海警の船で、全体に白く、船首に青い斜めのストライプが入る海上保安庁の巡視船のような塗装で、ストライプの間に赤く太い帯が1本ある程度の違いしかないが、海面に対する傾斜が緩く、尖った船首や、低い船橋構造がロシアの駆逐艦を彷彿させる。このままで行けば5分と掛からずに両者は刺し違えるような格好になる。

「ありゃ~。やっぱ海警はガチで阻止する気だな~。昇護、日頃の訓練の成果を見せてやれよ」

予想通りとはいえ、浜田が諦めのような声を挙げる。

床から伸びる飛行機でいうところの操縦捍のような形をした湾曲した一本の棒ーサイクリックレバーを右手で握り、左手で座席左側のスロットルを巧みに調整しながら低空飛行を続ける昇護は、

「了解しました。やはり来ましたね。困った人達だ。」

思わず本音が出る。それは、わざわざ漁船団を率いてこんな危険な海域に来る好戦的な河田に対するものと、自国の領海ではないのにそれを阻止しようとする中国の海警。悪戯に危機を高めている両者に対する昇護の正直な思いだった。あの人達が望み、そして守る平和とは何なのだろうか?

昇護は、グローブに包まれた手が緊張で汗ばむ不快感と、この現実に顔をしかめた。

「ま、そういうことだな。でもそういう輩からも海の安全を守らなきゃな。左から回って河田船団の後ろから船団の上空に張り付こう。」

「うみばと」が河田船団の500m手前まで接近した時、2つの船団がすれ違った。中国海警は、河田の船団を威嚇するかのように、横一列に並んだ漁船同士の間を擦りぬけていく。1000トン級の中国海警の起こす波に100トン級の河田船団は、大きく揺さぶられているのが昇護の目に映る。まるで濁流に揉まれる木の葉のようだ。

-何をしやがる-

先ほどの批判に満ちた感情が、翻弄される漁船と波の飛沫で見え隠れする日章旗を目にした途端に同情と怒りに支配されたことに昇護は気付くゆとりもなかった。俺の目の前で日本人が殺されかけている。。。あんな事をする人達にもきっと妻や親や、子供や兄弟がいるに違いない。誰かの夫であり、誰かの子であり、誰かの親なのだ。彼らを必要とする人達が必ずいる筈だ。。。

昇護の感情の昂りを嘲笑うかのように、中国海警は大きく右に回頭して河田の漁船団に襲いかかろうとしている。

鼓動が高まり、息が荒くなるのが自分でも分かる。

や・め・ろ。。。昇護が心の中で叫ぶ。

「落ち着け!」

浜田は、静かだが力強い声で昇護をたしなめると、無線の通話ボタンを押した。

「PL(大型巡視船の海保内略称)「はてるま」こちらMH(中型ヘリコプターの海保内略称)「うみばと」現在魚釣島東方を飛行中。日本の漁船5隻に中国海警の船舶4隻が至近距離で擦れ違いました。更に漁船は中国海警船舶の追尾を受けつつあります。危険な状況です。」

「MH「うみばと」こちらPL「はてるま」了解。レーダーによると、該船は接続水域から2海里(約3.7km)にある。監視を継続せよ。」

「「うみばと」了解。接続水域に入り次第連絡願います。」


前方から4隻の白い船が接近して来る。俺が乗っているこの船の何倍もある。速度を下げるようにも見えず、針路を変える素振りも全く見えない。さらにその船団は、河田船団と同じように横一列に散開し始めた。古川の目には、陣形を変える時の船の動きは船ごとに緩慢があり、タイミングもバラバラ、辛うじて横1列になれた。という印象が強かった。中国の海警か?船は良くてもやはり河田の敵ではないな。古川は河田の持つ人材の優秀さを改めて実感した。河田の経営する水産会社は、主に再雇用という形で自衛隊経験者を中心に採用しているが、その大多数は海上自衛隊出身であり、海の知識、船の運用にかけては海上自衛隊にひけをとらない日本一の組織とも言えた。

古川はカメラを覗き込む、船のサイズの割りには幅広い船橋、その船橋に横一列に並んだ窓の下に漢字で中国海警と記入されている。古川はシャッターを切ると

「やはり、中国海警ですね。」

と河田に言った。

河田は頷くと、眉を潜めて口を開く、深刻な事態らしい。

「ん~。やつら突っ込んできますね。古川さん、手摺に掴まってください。海水で濡れたら困る物は、リュックの中に仕舞ってください。」

河田はヘッドセットから突き出したマイクを左手で口元へ運ぶと

「こちら河田だ、前方の船舶は中国海警。我が艦隊の間を擦り抜けるつもりだ。全船、舵を中央に固定。動揺、衝撃に備えよ。」

表情とは裏腹に落ち着いた声でゆっくりと命令をマイクに吹き込んだ河田は、ビニールをタブレットに掛た。河田の表情から状況の深刻さを感じた古川は、これから起こる「シャッターチャンス」を諦め、カメラをビニール袋に入れてリュックに仕舞った。そしてリュックを背負い、バックをたすきに掛けて、前方の手すりに両手で掴まった。既に眼前には白い中国海警船が迫り、船橋に立つ人の表情も読み取れる。

-あいつら笑っていやがる-

古川は背筋が凍る思いがした。確かに小さな漁船など、海警の敵ではなかろう。しかし、事もあろうに公船が他国の、しかも民間の船舶と危険な状態に陥っているというこの瞬間に乗組員が笑っているというのはどういう事なのか?

-あいつらは、俺達を、いや、日本人を虫けらか何かのようにしか考えていない。-

-殺されるんじゃないか-

古川の心の中には、次々に恐怖と怒りが湧き上がってきた。しかし古川にはどうにもできない。歩道のない狭い道路でトラックと自転車が擦れ違う時のような逃れられない圧迫感とスピード感。。。既に海警の船首は横一列に並んだ河田艦隊の漁船と漁船の間に割って入っていた。

次の瞬間、体が大きく左に揺れ、そして数メートルも持ち上げられたかのような感覚を受けると直ぐに真下に落ちるような虚脱感と、右へ引っ張られるような感覚が襲ってくる。

古川は思わず目を閉じた。

「大丈夫ですからしっかり掴まって。」

河田の声が遠のいていく。一瞬どちらが前なのかさえ分からなくなる。それらがランダムに繰り返され、眩暈にも似た不快感が胃を締め上げ、意識も朦朧もうろうとしてきた。何が何だか分からない。

「うぉ~っ」

自分に喝を入れるつもりで、言葉にならない声を上げ、目を開ける。視界には既に海警は見当たらず、海面が斜めに見える。

「!」

視界が閉ざされた瞬間、冷たい衝撃を頭から浴びた。飛沫しぶきにやられたらしい。

海水の飛沫の洗礼を受ると、それを最後に揺れは急激に収束していった。古川は、全ての船が無事なのを確認すると、ずっと聞こえていた船尾側上空のボトボトという力強く低い音に今気付いたかのように振り返ると、ヘリコプターがこちらへ向かって旋回を始めていた。白いボディーに濃淡2色の青いストライプ、そして細く後方に伸びた尾に小さな尾翼と小さなプロペラ状のテイルローターがいかにも「ヘリコプター」といった形のそのヘリコプターは、海上保安庁のベル212型だった。旋回を終えると後ろから真っ直ぐこちらに向かってくる。その姿に古川は何故か安堵の溜息をついた。

しかし、それも束の間、海面に視線を下した古川は、安堵の溜息も吐き終らぬままに息を飲み込んだ。

中国海警の船団が回頭を始めていた、こちらを追跡するつもりだろう。きっとあいつらはまた笑顔でこちらを見ているに違いない。古川は戦慄を覚えた。


「PL「はてるま」こちらMH「うみばと」、該船は漁船団の間を擦り抜けて後方へ突破。至近距離のため中国船の波で漁船団かなり動揺しました。今のところ遭難者はなし。当機はこれを危険行為と認めます。さらに該船は回頭して漁船団を追跡しようとしています。同様の事態になった場合は、警告の必要ありと認めます。許可されたい。」

マイクに吹き込む浜田の声は、いつになく早口になっていた。さっきから能面のような表情になって周囲を監視している浜田からは緊張しているのか怒っているのか昇護には分からなかった。きっと、俺を始め、クルーのみんなに不安を与えないように表情を押し殺しているのだろう。と昇護は自分に言い聞かせた。

「MH「うみばと」こちらPL「はてるま」。その必要はない。たった今該船は日本の接続水域に侵入した。全ての行為に対して警告を許可する。絶対に領海に入れるな!」

領海に入れるな!という語尾に力が籠っていた。接続水域に入った今は、領海への侵入を含め警告を開始できる。ただし、無害通航権は国際的に認められているので、強制はできない。しかしそれはあくまで「無害」である場合だけだ。つまり沿岸国の平和・秩序・安全を害さないかぎり、その国の領海を自由に通航できる権利なのであって、漁業などの経済活動を行ったりするのはもちろん、潜水艦が潜水したまま航行することも禁止されているのである。「無害」を貫き通されると、海を守る側にとっては、静観や退去を「お願い」するしかない「歯痒い(はがゆい)」立場となる。しかし無害通航権という制度が悪かと言えば決してそうではない。無害通航権があるために貨物船など外国の船舶が自由に日本の領海を通り日本の港に入港することで貿易が成り立っているのだから。。。これを尖閣諸島のような何の目的もない島の周辺の領海を徘徊はいかいすることにあてはめられている現状が事態をより複雑にしている。

「了解!警告を開始する。」

浜田が答えた。

眼下には回頭を終えた中国海警船4隻が横一列になって河田船団に追いつこうとしているところだった。浜田は、後ろを振り向くと、機上整備員の土屋と機上通信員の磯原が浜田を見つめる。巡視船「ざおう」から連れて来た整備班の2名は巡視船「はてるま」で待機中だった。

浜田は、意味もなく親指を立ると、

「ヨシっ、土屋っ警告開始。」

と命令する。

「了解!」

と静かな兄貴分の土屋のいつになく気合の入った返事が聞こえてくる。

親指なんか立てちゃって、機長はカッコつけてるのかな?と昇護は思ったが、いや、多分、緊張せず、頑張っていこう、という意味なのかもしれない。と考え直した。少なくともカッコつけてる場合ではない。「昇護、高度をもっと下げろ。ギリギリまで降ろせ30フィート(約9m)でビビらせてやれっ!」

と、浜田が檄を飛ばす様に昇護に命じた。

昇護は、浜田の表情が能面から、いつもの感情の変化に柔軟に反応する表情に戻っていることに内心ホッとすると、

「了解。ディーセント(降下)30フィート。ビビらせてやりましょう!」

と答えた。明確な命令と浜田のいつもの態度に安心したのか、昇護の心に先ほどのような昂った感情がなくなっていく。そして自分でも分かるくらい、声が弾んでいた。大丈夫。俺はいつものようにやれる。昇護は自分に言い聞かせると、息を静かに、大きく吸った。


横一列に進む河田の5隻の漁船団。前方には魚釣島の岩だった山がそびえ立つのが見える。そして、その5隻の漁船の間には、中国海警の警備船が1隻ずつ割り込んでいる。中国海警の船は、漁船よりも2回り以上も大きく、隣の漁船が完全に見えなくなっている。

同一方向へ向かっているため、先ほどのように極端に漁船が揺さぶられることはない。

古川は、リュックの降ろすと、落とさないように肩ベルトを左腕に通して、リュックをぶら下げると、中からカメラを取り出した。床に置けば取りやすいのだが、先ほどの飛沫で床は海水に濡れている。

河田は、傍らで、写真を撮り始まった古川を横目で見ると、

海水の飛沫からタブレットを守るために被せていたビニールを慎重に取り外す。タブレット画面を指でなぞって動作を確認すると、ヘッドセットの棒状のマイクを口元に寄せて

「動揺開始っ!」

と命じ、そして、キーボードで短文を打った。


右隣にいる筈の河田の乗る「やまと」は、中国海警船の陰に隠れて全く見えない状態だった。「やはぎ」の船橋で、田原はヘッドセットのマイクを指先でつまみ、口元へ運ぶ。

「了解」

と短く答えると、タブレットの画面を見る。

そこには、黒地に白い文字で

「やはぎ」・・・以下に従い操船

速力;22ノットまで加速

操舵;取舵15度

と表示されていた。

田原は、画面を確認すると

「動揺運動開始。増速5、速力22ノット、取舵15度」

と船内マイクで指示した。

隣で車のハンドルのような舵輪を握っていた船員が

「と~りかぁ~じ15度」

と抑揚を付けた声で復唱して舵輪を左へ回した。

速度が一定となり、排気煙が落ち着くと間もなくタブレット端末の画面の中央に赤く点滅する大きなボタンが出現した。田原は「命令更新」と書かれたそのボタンを押すと

今度は

「やはぎ」・・・以下に従い操船

速力;12ノットまで加速

操舵;面舵15度

と表示された。

田原は、船内マイクのスイッチを押すと、タブレット端末の表示に従い、再度指示を伝えた。


 河田の漁船団の各漁船が、加速と減速、面舵と取舵を無造作に繰り返す。古川が乗る「やまと」も例外ではない。河田が船内放送で矢継ぎ早に速度と針路の指示を与え続けている。古川には中国海警の船が前に出たり急速に接近して接触しそうになったり後ろに下がったり激しく動いているように見える。中国海警の船は、多くの船員がデッキに出てきて手を上げて振り回して何かを喚いている。多分「接近するな」とでも言っているのだろう。

上空の海保のヘリからは、中国語と英語の警告文が大音量で流されている。

中国語はよく分からないが、英語の警告から推測すると

「中国の船舶へ、貴船は、日本国の接続水域を航行し、日本国の領海に接近している。日本の領海に侵入しないよう警告する。」

と言っているらしい。相変わらず強制力のない言葉だ。警告というよりは、「お願い」だな。古川は苦笑した。

河田は、左右を交互に見ながらマイクで指示を出しながらも時々キーボードを数秒叩いて何かをタブレット端末に入力していた。確か執筆を始るためにキーボードを追加したとは言っていたが、この状況で執筆活動ではあるまい。GPSの件といい古川の河田に対する不審が更に募る

「まさか、こんな時まで執筆活動ですか?」

古川が河田に訊ねた。疑いを持っていることを悟られないように多少冷やかし気味の口調を心掛けた。

「えっ、メモをね。とは言っても古川さんには無駄ですね。流石はよく観察していらっしゃる。なんで他の船に指示を与えないで複雑な運動を行えているのか不思議に思いませんか?彼らは当てずっぽうのように動いているわけではありません。かといって私が無線で指示しているわけでもない。

実はプログラムなんですよ。ウチにもすごい人間が居りまして、その人を中心にいろんなプログラムを開発してもらってるんです。現代は情報処理能力が重要ですからね。私は、刻一刻と変化する状況に応じて条件を入力するだけ。私の入力した条件に合わせた各船の細かい動きが算出されて、自動的に各船のタブレット端末に表示するんです。各船の船長は、表示された指示に従って自分の船の船員に命令をするだけでいいんです。すごいでしょ?」

河田は、笑顔を見せる。まるで、新しいおもちゃを買ってくれた大人に、その機能の凄さを説明する子供のようだった。

だからサクセス7を使っていたのか。。。それならば自作システムを組みやすい。システムには疎い年寄り集団だとばかり思っていたが、全くの逆だったとは。。。

「そんなにすごいシステムを自分達で作ったんですか。凄い人がいるんですね~。自分達で作ったシステムは、最高のシステムでしょうね。買ってきたり、作ってもらったりしたシステムは大抵どこかが未熟だったり、誤解があったりで使いづらいですからね。」

古川が新聞社に勤めていたころに導入したシステムもそうだった。開発の過程でどうしても、誤解やズレが生じ、「かゆい所に手が届く」最高のシステムはなかなか出来ない。かといって自分達で開発するような能力も時間的余裕も無かった。

「そうですね、私も自衛隊に居たころは苦労しましたからね。だから自分達で使うシステムは極力自分達で作れるような組織を作ってきたんです。人集めに苦労しましたがね。あっ、もうすぐ領海に入ります。中国はどう手を打ってくるか。。。」

中国海警側は河田の「動揺運動」に業を煮やしたのか、英語で呼びかけてきた

「Warning!Warning!Warning!Japanese fishing boats!Japanese fishing boats!This is China Coast Guard.Stop the dangerous behavior immediately.Stop the dangerous behavior immediately.。。。。(警告する!日本の漁船へ警告する。こちらは中国海警局。ただちに危険な行為を止めなさい。)」

河田は、ふんっ。と鼻で笑うと。眉間に皺を寄せて右隣の中国海警の船橋を睨みつけると

「やってきたのはそっちだ!よくも日本の領海で勝手なことを言えたもんだ。火事場泥棒め、恥を知れ!」

と低く鋭い声で言い放った。古川は礼儀正しい面しか知らない河田のその物言いに思わず目を丸くしてしまった。河田はそんな古川と目が合うと、口元を緩め

「まぁ、中国にはそんな言葉が無いのかもしれませんね。」

と自らの言葉を補い、船内マイクを握る。

「こちら河田だ、船外スピーカに切り替えてくれ」

ブチっという音の後、河田が試しにフッフッと息を吹きかける。ピーというハウリング音が一瞬入ったがすぐに止んだ。そのハウリング音に右隣の中国海警船の船員が目をこちらへ向ける。

「China Coast Guard!We are Japanese fishermen.Your ridiculous caution is negative! You are on Japanese territorial waters.Your behavior is criminal acts.So you must leave here immediately.(中国海警へ、こちらは日本国漁民である。あなた方の馬鹿げた警告を否定する。あなた方は日本の領海を航行している。あなた方の行為は犯罪行為である。あなた方は、ただちにこの場を立ち去らなければならない)」

河田は流暢だが力強い発音で2度繰り返した。この放送は、無線を通して他の4隻の漁船からも同時に船外スピーカーで流された。河田の船団からは「お~っ!」「帰れっ!」など罵声が中国海警船に投げ付けられた。それは、自他共に「河田艦隊」と呼ばれる「ネイビー(海軍軍人)」である以上英語は当然という風潮があるため、河田の放送を理解し、すぐに同調することが出来たのだった。これに対して中国海警の船員は、河田の船員が罵声を飛ばすまで静まり返っていた。一般の船員は河田が何を言っているのかが分からなかったらしい。

河田船団の船員の罵声は止まない。

再び上空が騒がしくなる。古川が上空を見ると海上保安庁のヘリコプターが、警告を再開した。先ほどとは文言が異なる。

日本の領海に侵入していることを日本語と英語で何度も繰り返している。なぜ河田のように強制的な言い方をしないのか。と、古川の心の中にもどかしさがこみ上げてくる。それでも古川はその様子を必死にカメラに納め、メモを取り続けている。

河田は、古川のその忙しそうな様子を確認すると、

河田はヘッドセットのマイク口元へ引き寄せて

「かかれっ!」

と短く命じた。

罵声が一瞬静かになったと思ったのも束の間、今度は堅い音を交えながら再び罵声が上がった。

その様子をファインダー越しに捉えた古川は、シャッターを切るとカメラを降ろして周囲を見渡す。

「なんてこった。。。」

古川は絶句した。

どこに用意していたのか、河田の船団の船員が手に手に大小様々な棒を持ち、船べりを叩きながら罵声を続けていたのだった。

「明らかに中国を威嚇している。」

しかも「動揺運動」は続けられているため、両者が急速に接近した際には、その棒が中国海警に届きそうな錯覚を覚える。中国海警の船員も最初は罵声を上げていたが、漁船が距離を詰めてくると恐怖のためか罵声のトーンが下がり、身を伏せたり物陰に隠れる者が多かった。そして5分ほど経つと、中国海警船の放送が何か号令らしきものを掛けると、デッキの船員は船内に引き返してしまった。


「おいおい、河田艦隊、激しいな~。」

浜田が感嘆の声を上げた。

河田の漁船団のランダムな動きに中国海警の船は、真っ直ぐ進むことしか出来ない。しかも速度も落ちてきている

「PL「はてるま」こちらMH「うみばと」該船の針路、魚釣島。横列の日本の漁船団の間に1隻ずつ割り込んでいる。現在日本漁船が増速、減速、取舵、面舵を不規則に実施している。該船は直進している。」

浜田が無線で状況を報告した。

「MH「うみばと」こちらPL「はてるま」了解。警告を一時中断し、状況を監視せよ。該船から漁船への警告の有無を確認せよ。」

「MH「うみばと」了解。」

浜田は交信を終えると、舌をチロっと出して

「聞こえるわけね~だろな~。警告なんてさ」

と言う

「どれだけ耳を澄ましてもエンジン音で聞こえませんよ。これ以上低く飛ぶのは危険ですし。。。ま、該船が直進しているので、我々もゆっくり直進すればいいだけですけなので、もう少し下げても大丈夫だとは思いますが。。。」

と会話を交わしていると

「MH「うみばと」こちらPL「はてるま」該船が領海に侵入した。警告を開始せよ。繰り返す。警告を開始せよ。」

河田が土屋に領海侵犯のテープを頼むと、土屋はすぐに再生ボタンを押した。既に領海侵犯警告用のテープをセットしていたのだった。

警告を再開して30秒程度経った頃、異変が起きた。漁船の船員が舷側を叩きながら何かを叫んでいる。中国海警のデッキに出ていた船員が一斉に船内に引き上げるのが見えた。

「あいつら棒なんか持ち出して何威嚇してんだ、危ないじゃないか、何考えてるんだ?中国も中国だな、ビビって引っ込んじまったぜ。」

浜田が皮肉った笑いを浮かべて昇護の方を見た。

「あっ、」

浜田の皮肉に気の利いた返事をしようとした昇護の顔が恐怖の色に染まる。全身の血がサーっと足元に引き、悪寒さえする。

「ん、なんだありゃ!」

浜田は、昇護の様子が急変したことに気付き、昇護の視線を辿ると、素っ頓狂な声を上げた。

中国海警の船のデッキに数名の船員がわらわらと駆け出してきた。両手で何かを持っている。あまりの唐突さにそれが何であるか一目見ただけでは理解できなかった。いや、理解したくないという本能がそうさせたのかもしれない。彼らが手にしていたのは、茶色い木製のストックとグリップの類を備え、銃身と機関部が黒光りしている。

「あれは。。。AKじゃないか?よくベトナム戦争ものの映画でベトコンが使ってる自動小銃だ。なんであんなもん持ち出してくるんだ?」

ミリタリーに多少興味を持っている機上通信士の磯原が興奮気味に声を上げた。

「何だって?やつら何をする気だ!」

浜田が声を荒げた。その目が中国海警の前部甲板に備え付けられた機関砲も漁船の方に向けられているのを発見した。危険だ。早く報告しなければ。浜田は無線の送信ボタンを押した。グローブの中の指が汗でじっとりしている。脇の下も汗でひんやりしていることに今更のように気付く

「PL「はてるま」こちらMH「うみばと」該船は、警告に応じず。漁船の動きは先ほどと変化ないが船員が棒のようなものを振り回している。該船は、船上に自動小銃で武装した船員出てきた。機関砲も漁船の方へ向けられている。危険な状態だ。」

普段は多少のことでも動じない浜田の声が震え気味になっている。

「MH「うみばと」こちらPL「はてるま」。停船命令を出せ。繰り返す。直ちに停船命令を出せ。当方、魚釣島東方領海内にあり。中国漁船が領海を侵犯中。上陸の恐れあり。申し訳ないが、そちらに船を回すことが出来ない。何とか抑えてくれ」

浜田は、深く溜息をつくと

「MH「うみばと」了解。何とかする。骨は拾ってくれよ。以上。」

と投げやりに無線に吹き込むとキャビンへ顔を向けて

「土屋、停船命令を流してくれ」

というと、真剣な眼差しで昇護を見、

「昇護、お前、横滑り得意だよな?」

と静かに言う。

「えっ?あ、はい。どちらかというと。ですが」

昇護が遠慮気味に答えた。

「謙遜すんな。今まで散々訓練したんだから大丈夫。自信をもて、あれよりは簡単だし。。。船団の目の前に出て横滑りさせながら飛行する。流石にうちらに船を当ててまでは航行しないだろう。」

浜田が苦笑を浮かべる。

機体の上に取り付けた大きなプロペラ状のローターが作り出す揚力で空に浮かぶヘリコプターは、滑走せずに真上に離陸することが出来るのが特徴だが、同様にローターの揚力の向きを変えることで前後左右自在に飛行することが可能なのだ。

「なるほど、横向きに様子を見ながら飛び、減速していけばいいわけですね。やってみましょう」

昇護は笑顔を向け、親指を立てる。笑顔が引きつっているのを自分でも気付いていた。怖いがこれしかない。


やつら、撃つ気か?

古川の全身に鳥肌が立つ。戦場で取材して以来の久々の感覚だ。

上空の海上保安庁のヘリコプターから停船命令が英語と中国語で流れる。古川の意に反して、両者とも停船する気は無いらしい。

古川は夢中でシャッターを切った。銃を構える中国海警の船員達、向けられた機関砲の砲塔、超低空を飛ぶ海上保安庁のヘリコプター、何が起こるか分からない一触触発の状況から、古川は、連続撮影モードに切り替える。秒間5コマの撮影速度。まるで機関銃のようにシャッターを切りまくる。河田はまだ止まる気が無いのだろうな。。。河田を一瞥する。古川の期待を他所に、傍らでは、停船命令など聞こえないかのような涼しい顔で河田がキーボードに何かを入力し、一瞬間が空いた後、力強く1回キーを叩いた。

溜息を吐きながら海上保安庁のヘリと船の両方が写るようにズームをやや引くいてシャッターを再び切り始めた時だった。

「タッ、タッ、タッ」

と乾いた太い竹を叩くような音が3回聞こえてきた。古川の耳には忘れる事の出来ない懐かしい音だった。中東、東南アジア、南米、そしてアフリカ。。。世界中の戦場で何度も耳にした音。そう東側兵器の代表格とも言えるくらい、東側諸国に出回っている旧ソビエトが開発したカラシニコフAK74自動小銃の音だった。

「やったなぁ~!」

古川が唸ると、ファインダーの中の海上保安庁のヘリコプターが水平にスピンし始めた。慌ててズームして拡大すると操縦席右側の窓が血で真っ赤に塗られていた。

まだ連載途中ですが、今後の作品の質を向上させるためにも、評価やご感想などを頂けると幸いです。

よろしくお願いします。

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