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船出

20.船出

昇護は、周りの騒々しさに目を覚ました。胃が重い感覚があるが、頭はすっきりしていた。昨日父と飲み過ぎてしまい、二日酔いを覚悟していたが、業務には支障が無さそうなことにホッとした。昇護は他に具合が悪いところがないか、慎重に上体を起こしてみた。大丈夫そうだった。

「おっ、起きたか。気分はどうだ?」

と声を掛けられ振り向くと、「うみかぜ」機長の浜田が心配そうな顔をして立っていた。その傍らには機上整備員の土屋がにやにやしながら立っていた。そういえば、昨夜帰ってから、クルーの皆に介抱されていたのを思い出した。水を大量に飲まされると、急に吐き気を催しトイレに駆け込むと

「全部吐いちまえ」

と言いながら機上通信員の磯原が背中をさすってくれた。あらかた吐き終えたが、それでも胃のムカムカが収まらなかった。そして思い出したように頭が痛んできた。磯原に支えられながら部屋に戻ると、今度は、浜田と土屋が熱い緑茶と、どこから手に入れたのか梅干しを用意してくれていた。

「これでバッチリだ。」

と、言うと浜田が指をパチンと鳴らした。

へとへとになっていた昇護は、

「いや、無理っすよ。また吐いちまいます。」

と言ってうずくまると。

「いいから、黙って試してみろよ。熱いお茶を飲みながら、梅干しを食うんだ。こいつがいちばん効くぜ。」

と言いながら土屋が昇護を抱え起こした。

藁にもすがる思いの昇護は、しぶしぶ彼らに従った。茶碗の緑茶に軽く口を付け、3回ほど息を吹き掛けて冷ますと、熱いお茶を恐る恐るすすった。舌に感じた熱さが電撃のように身体中を覚醒させ、一気に目が覚めた感じがすると、その直後にお茶の素朴な香りが気分をリラックスさせてくれ、心地よささえ感じた。それでもまだ胃のムカつきは取れるはずもなく、醤油の付け皿に載った梅干しには手を出す気にはなれなかった。

「いや、梅干しは無理っす。」

と昇護は箸を持とうとした手を引っ込めた。

浜田は、箸で梅干しの果肉をほぐすと、

「まあ、騙されたと思って、喰ってみろよ。ちょっとでいいからさ。ほらほら。」

と言って、昇護に箸を持たせた。

昇護は渋々箸を受けとると、丁寧にほぐされた梅干しの果肉を恐る恐る口に運んだ。

昇護はその酸味と塩辛さに身体中に目の覚めるような刺激を感じると反射的に目がきつく閉じた。ひと思いにそれを飲み込むと、昇護の予想に反して胃は拒否反応を起こさず、胃の中に爽快感が広がった。

「うわっ、ホントだ。効きますね~。」

と昇護は感嘆の声を出すと。

「だろ。先輩の言うことは聞いとくもんだぜ。一気に行け」

浜田が得意気に笑った。

昇護はまだ熱い緑茶を飲むと残りの梅干しを一気に平らげた。

その後のことは記憶にないがいつのまにかベッドで眠っていたらしい。あるいは、この「良き」先輩達が眠らせてくれたのかもしれない。

こうして昇護は、昨夜浜田達にかなり世話になったことを思い出すと、立ち上がって

「皆さん、昨夜は大変お世話になりました。お陰さまで調子いいです。お茶と梅干し、効くんですね。まだ少しだけ胃がムカムカしますが、不思議なくらい大丈夫です。」

というと仲間というよりは、大先輩に礼を尽くすように、いつもよりも深々と頭を下げた。

すると、浜田は、嬉しそうに口元を緩めると

「だろ?いや~、良かったな~。まだムカムカするのか。ま、あのままよりは大分マシだろうな、多少は朝飯食えるんだろ?朝飯の前に外に出て深呼吸でもすりゃあ、大分スッキリするんじゃないか。」

と言った。

そう浜田が言うと、他のクルーもそうしようと同意し、4人揃って飛行甲板へ出ることにした。4人は狭い通路を1列になって通る。急な傾斜で梯子のような簡単な作りの階段を登り通路の突き当たると、ドアを開けヘリ格納庫に入る。4人は真っ白という表現がピッタリの外の光に触れた。既に飛行甲板に通じる巨大な格納庫のシャッターが開け放たれていて、朝の日差しが格納庫の奥にまで差し込んでいたのだった。4人は一様に立ち止まる。すぐに目が慣れると、目の前に彼らの愛機ベル212型ヘリコプター「うみばと」が彼らに朝の挨拶をするかのように鼻先を彼らに向けていた。コックピットの前方から先端に渡って上面に塗られた反射よけのつや消し黒の塗装がボディーの白地に濃い青と水色のラインに映えて、鼻先が黒いキャラクターのようで愛嬌がある。昇護は「おはよう」と心の中でつぶやくと、その鼻先にさりげなく手を触れた。そっと手を離そうとすると昇護の手のすぐ近くにバンっと手が置かれた。振り返ると浜田だった。

「よ、うみばとちゃん。おはよう。今日もよろしく」

と浜田が言った。昇護に声を掛ける時のような堂々としたしかし優しい口調だった。

昇護の愛機への心の中の挨拶に気付いてなのか気付かない振りをしてなのか、浜田は何事も無かったかのように

「じゃ、行くか。おっ、整備さん達、今日の出港に向けて朝飯前から準備してくれてたんだな。ありがたい」

と言って歩き出した。

機体側面のエンジン付近のカバーが開けてあり、近くにはキャスターの着いた工具棚があった。昇護もその様子を見ると

「ありがたいですね。」

と静かに言った。

「お前みたいに朝から酔っ払ってるヤツとは大違いだな。整備を見習えよっ!」

機上整備員の土屋背中をドンっと平手で打った。

「あ、はい。すみません。」

昇護が、笑いながら答えた。答えてから昇護は、もう自然に笑えるほど回復している自分自身に驚いた。


格納庫から飛行甲板に出ると港の風景が飛び込んできた。そしてと腕や首筋にまとわり付くように湿った潮風が昇護たちを包んだ。浜田達は思い思いの場所で深呼吸をしたり、伸びをしている。昇護に心地よさそうな呻きが聞こえてきた。昇護は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐いた。大丈夫、先輩達のおかげで体調はバッチリだ。霞んだ水平線を見つめたまま。自分に言い聞かせるようにゆっくり頷いた。その昇護の視界の右の隅に大きな灰色の何かが入ってきた、同時に浜田達の「おおっ」という声が耳に入ると、昇護は、咄嗟に右に顔を向けた。鋭く斜め上方に向いた艦首の突端が異彩を放ちながら灰色の護衛艦が昇護達の視界の右から左に向かってゆっくりと移動していた。艦首側面に白で描かれた「127」という数字が目に入る、若干影付きの書体の黒が灰色一色の護衛艦に鮮やかさを添えているかのようだ。父のフネだ。だが昇護は、素直に喜べない何かを感じながら

「いそゆき。。。」

と静かに呟いた。何か大事なことを忘れている。

傍らにいた浜田が

「いそゆき?あれが「いそゆき」か~。けっこうデカイな、昇護の親父さんが乗ってるんだろ?酒強いんだな~、お前の親父さんは。あれだけお前に飲ませといて、別れ際にはこっちに向かって深々と頭を下げてくれたんだぜ。遠かったから顔までは見えなかったが、きっと平気なんだろうな。」

と、感心したように昇護の横顔を見ながら話しかけた。

「確かに、親父は酒に強いですよ~。ずっと海の現場で鍛えてきたからですかね~。俺なんか全然駄目ですけど。」

昇護は、真っ直ぐ「いそゆき」の方に目を向けたまま答えた。

「そうか、ずっと海か、子供の頃はお前も寂しかったんだろうな~。ところで、親父さんは「いそゆき」でどんな仕事してんだ?あんだけ酒に強いってことは、機関(エンジン関係)か?」

昇護が「いそゆき」に目を向けたままこちらに目を向けないで会話をしていることに、昇護の想いを汲み取った浜田は同情の子供の頃の昇護に向けるように優しい眼差しで語りかけた。そんな自分に照れた浜田は「亭主元気で留守がイイ」じゃなかった「父は無くとも子は育つ」だな、と独り言のように言った。いつのまにか集まっていたクルーから失笑が聞こえた。

「艦長。。。艦長をやってます。」

昇護は遠慮するように小さな声で答えた。

「げっ、マジかよ。艦長って、すげーな。」

機上通信員の磯原が昇護の背中を叩いて感嘆の声を挙げた。クルーが口々に似たような感嘆の言葉を挙げている。昇護は、だから言いたくなかったんだよ。という言葉を飲み込み、黙るしかなかった。こと海保にいる自分にとっては誇れることではないと昇護は思っていたのだ。特に尖閣で海保が最前線に立っている現状では、何もしていない海自なんて自慢にもならない。と昇護はそこまで思ったときに鮮烈に昨夜の言葉が蘇ってきた。「税金泥棒」と怒鳴る自分の声が頭の中に爆発的に広がって占有していき眼球から入ってくる視野情報を遮る。そして寂しそうな父の顔がその中でグルグル回っている。昇護は何も見えてなかった。俺は、昨夜親父に何てヒドイことを言ってしまったんだ。忘れていたのはこのことだったんだ。

無反応になり、呆然と口を開けて護衛艦を見つめる昇護の目には涙が浮かんでいるように見えた。磯原は、叩き過ぎたか?と心配になり、場の空気を変えようと大きな声で

「昇護の親父に手ぐらい振ってやろうぜ、みんな。お~い。」

と声を張り上げた。

つられてクルー全員が片手を上に大きく手を振り、そして大きな声を出した。いつの間にか朝食を終えて格納庫に戻ってきた航空機整備のメンバーも加わっていた。

その声に気付き、昇護は我に返った。昇護も夢中になって手を振った。言ってしまったことを償うかのように。。。

「いそゆき」の艦橋脇の張り出しに白い制服を来た人物が出てきて、手を振っているのが見えた。

「お、手を振り返してくれてるぞ、昇護の親父なんじゃないか?」

浜田が感激しているようだ。

「きっとそうです。」

と昇護が答えた直後。

低く響く汽笛が「いそゆき」から発せられた。

「おおっ、汽笛も鳴らしてくれたぞ。海自さんにも景気がいい人がいるらしい。さすがは「いそゆき」天晴れ天晴れ」

整備班長の松沢が戦国武将のような独特の言い回しで言うと、どっと笑いが起きた。さすがは「いそゆき」という言葉が昇護には引っかかったが、昇護も笑いの渦中に引きずり込まれた。

さらに飛行甲板にいる全員が大きく手を振った。

それを合図に更に大きく2、3度手を振ると、昇護の父親らしき人物は「いそゆき」の艦橋の中に消えていった。

それを見て「ざおう」の飛行甲板で手を振っていた海保の職員達も解散していった。

「松沢さん、おはようございます。早朝からの整備ありがとうございます。」

と浜田が礼儀正しく松沢に頭を下げた。

「おうっ任せとけ」

と松沢は片手をこめかみの高さに軽く挙げて答え、そのまま防止を取って短く刈った若干塩が多い感じのしてきた胡麻塩頭を太く短い腕で掻いた。「ところで、何で朝っぱらから護衛艦に手を振ってたんだ?ま、思わず俺も夢中になっちまったけど。彼女でも乗ってんのか?夜の佐世保で知り合ったとか~。」

松沢がからかうように聞いた。

「そんなわけ無いでしょ。あのフネに女は乗ってないですよ。もっとデカいフネじゃないと。いえ、昇護の親父さんが乗ってるんですよ。「いそゆき」の艦長やってるって言ってました。な、昇護」

あ~、また言われた。この調子で皆に広まっちゃうんだろうな~。このままじゃ、俺のアダ名が「艦長」なんて日もすぐに来てしまうんだろうな。と諦めにも似た気持ちになった。

「はい。そうなんです。」

苦笑しながら昇護は答えた。

「へぇ~。あんたがあの「いそゆき」の艦長の息子なのか~。」

あの艦長、という言葉が妙に強調されて昇護には聞こえた。不安が高まる。

「えっ?あの艦長って、、、何か父がやったんですか?」

昇護は、身上の松沢に対して自分の声が思わず大きくなってしまったことに気付いたが、そんなことを気にしていられなかった。

松沢は、一瞬目を見開き驚いたような表情を見せたが、すぐに笑顔に戻り、

「いや、俺の同期が那覇の「はてるま」に乗っててな、ほら、あいつら尖閣で大忙しだろ、で、近くに海自も来てるわけさ。近くと言っても後方だけどな。でも連絡は取り合ってるらしいんだ。それで、よく「いそゆき」とやりとりするそうなんだ。」

と言い、話を切ると

「そうなんですか。」

と、少し安心したように昇護は大袈裟に顔を動かしながら言った。。

それだけか?こいつ、親父から何も聞いていないな。もっと聞きたいと思わんのかな。最近の若い奴は、親にも興味がなくて張り合い無いな。俺の息子も似たようなもんだけど。と松沢は思いながら、丁寧に説明してやることにした。

「そいつが言うには、「いそゆき」の艦長ってのは本物の海の男だ!って言うんだよな。こういう状況だから海自は後方にいるけど、決して他人事じゃないっていうか、海自は海自、海保は海保っていうんじゃなくてさ、同じ海を守る者として自分達に出来ることは何か?っていつも考えて行動してるんだそうだ。前に海自の元お偉いさんが、漁船で船団を組んで尖閣へ行ったことがあっただろう?そん時も海自の那覇基地にP-3Cの出動を要請してくれた。それだけじゃなくて、現地の巡視船「はてるま」と連絡を取りながら「はてるま」の要望をP-3Cに伝えてくれていたんだってさ。ちょっと昔までは海保と海自は犬猿の仲だったってのに、やっぱああいう人が増えてきたから今の協力体制が出来てるんだな~。って。ああいう人ばかりだったら、もっと上手くやれるんだろうなって、珍しくしみじみと言ってたよ。おいっ、どうした?」

松沢の話に相槌をうてばうつほどに、昨夜の父の顔が昇護の脳裏に浮かぶ。それは陽気に焼酎を飲んでいる顔ではなく、悲しげな顔だった。その原因は俺が作った。俺が「税金泥棒」と言ってしまったがために、楽しかった筈の席で父は息子にさえ理解されていないという現実に辛い想いをしたに違いない。そしてその想いを胸に詰め込んだまま出港して行く。。。あの海へ。。。父は、精一杯を尽くしていたんだ。決して高みの見物をしていた訳じゃなかった。海自とは比べようもないほど頼りない装備であるにも関わらず海自よりも最前線に出て踏ん張っている俺達海保のために。。。それなのに、俺は一方的に父を、父達を「税金泥棒」と決め付けてしまった。何も知らずに、何も知ろうともせずに。。。相手を知ろうともせずに一方的に非難してしまった自分の未熟さに、昇護は拳を強く握り締め、顔を俯けてしまっていた。

 昇護は、松沢の呼びかけにハッと我に返った。慌てて平静を装った。

「い、いえ、父がそんなに頑張っていたなんて、意外だなと思いまして。」

昇護は、カメラを向けられた少年が無理矢理そうするように、引きつって固まったのではないかと心配になるような笑顔を作って松沢に答えた。

松沢は、そんな昇護の態度に父子の複雑な感情を汲み取ったが、そんなことは億尾にも出さずにあっけらかんと答えた。父子の問題は、自然と解決するものだ。父は今、子がどのように考え、悩んでいるかを経験上知っている。それは自分が同じように考え、そして悩んできたからだ。時代や環境は違っても、考え方は大して変わらない。それが遺伝なのか、躾の結果なのかは分からない。でも父子とはそんなもんだ。どこか似ている。そして、いずれ子は知るだろう。あの時父が何を想っていたのかを。。。それは数年後かもしれないし、子を授かり父としての自覚が芽生えた時かもしれないし、あるいは、その時の父親の年齢に自分がなった時かもしれない。生きていれば遅かれ早かれその時の父の想いを知る時が来る。生きていさえすれば。な。そしてさらに自分の子へと繰り返される。俺と息子も。。。いや、俺と親父も似たようなもんだった。高校で暴れてる俺の息子に比べたらコイツは100倍マシだと思うが。。。父子ってのは、どこも同じようなもんなのかも知れん。一瞬昇護に自分の息子を重ねて見てしまったことに我に返った松沢は、自嘲気味に

「案外、親父なんてそんなもんさ。今に分かる。ハハハ」

と笑って見せた。

「ハハハ。すんません。」

なぜか気まずくなってしまった2人は、乾いた笑い声で理由のハッキリしないお茶を濁していくしかなかった。

「まっ、昇護の場合は、親父の気持ち云々の前に結婚しなきゃな。」

2人の雰囲気を悟ったのか、浜田が昇護の肩を叩いた。

「それもそうだ。100年早いな。ワハハハ。」

と、浜田の言葉に乾いた笑いを止めた松沢が、今度は心の底から笑い声を上げた。

「そんな苛めないでくださいよ~。」

あっけらかんと返す昇護の笑い声もさっきとは違っていた。

遠くから汽笛が聞こえ、3人は、その方向に目を向けた。そこには握り拳大ぐらいの大きさの「いそゆき」が見えた。いつの間にか大分離れたらしい。昇護はその後姿をじっと見つめていた。


出港恒例の帽振れを終え「いそゆき」艦橋で出港の指揮を続けていた艦長の海上自衛隊2等海佐の倉田健夫は、海保の桟橋に巡視船「ざおう」が停泊しているのを目に留めた。息子の昇護が乗る船だ。昨夜は飲ませ過ぎたかな。二日酔いになんかなっとらんだろうな。健夫は苦笑交じりに巡視船「ざおう」を見つめ続けた。飛行甲板のある船尾をこちらに向けて停泊している巡視船「ざおう」の飛行甲板に数名の人が出てくるのが見えた、そしてほどなくこちらに手を振り始まったのが見えた。昇護もいるようだ。ハッキリは見えないが、感覚で分かる。健夫は、操艦を副長に任せると、艦橋脇の張り出しに出た。見張り員の敬礼に答礼すると、

「失礼するよ。ちょっと景色を見せてくれ」

と言った。

まだ巡視船「ざおう」の面々がこちらに手を振っている。うん、あいつは元気そうだ。二日酔いにはならなかったらしい。あの言葉は本心から出た言葉だったのかな。それとも初めて尖閣という最前線にしかもこんな私的状況で出される腹いせをぶつけて来たのか。。。「まいったな」とつぶやくと健夫は、その暗澹たる気持ちを振り払うかのように手を大きく振った。心なしか、先ほどにも増して、昇護達の手が大きく振られているような気がした。こんな状況で出されることへの腹いせなのだったら最悪だな。まだ本心でけなされた方がマシだ。俺が我慢すればいいだけの話だ。だが、腹いせなのであれば、任務に支障を来たす恐れは十分にある。そもそも任務に際して私的状況も絡めてイライラしているようでは危険だ。集中力は欠け、何事も、任務のせいにし、判断を誤り、最悪は命を落とす。同僚や自分、あるいは海保の場合、要救助者や救助に向かう職員の命さえも奪いかねない。俺はその点を正したかったが、あの状況では無理だったな。また機会を作ろう。早いうちに気付かせなければ手遅れになるのではないか。健夫に妙な胸騒ぎが湧き上がってきた。そんな健夫の不安をよそに、益々元気に手を振っている。人数も増えていた。健夫は、不安を打ち消すように唇をきつく結んで敬礼をすると、傍らの見張り員に副官に汽笛を鳴らすように伝達を頼んだ。

数秒後腹の底に響くような重低音で汽笛が鳴り響いた。

健夫は、

「無事に帰れよ」

と心の中で祈った。








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