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 上品なブラック・スーツ、タイはグリーンが基調でワイルドな印象を与える。店にとっては重要人物らしい。

 男性的すぎるが悪い印象は感じなかった。クールになりきれない行動派、それは少しお節介とも言えるだろう。

 一歩先を行く四条に、彼女はそんな印象を受けた。

 冒険好きな方ではないのだ。知識のない場所へ向かうには、女らしい不安だって起きる。四条のように信頼できそうな人間に、まず出会えたことが心強かった。

 とはいえ、彼女はまだ自分が他の人間にどう見られているのか、自覚していなかった。

 できようもない。他の客たちのように姿を変えてはいるが、昼間の自分を捨ててここへきたのではないのだから。

 彼女はあくまでも、十七歳の飛鷹彩子自身であった。



 暗い通路を真っ直ぐに抜けた。

 目を見張る派手なライティングが辺りを交錯する。中央のダンスフロアは中地下となって、奥行きの長い数段の階段の底に沈んでいた。随分と広いはずだが、人間たちがひしめいている。

 上へは底部のフロアと同じ六角形に、大きく吹き抜けている。テーブルやバーカウンターは、ここまでの通路と並行な高さで、ダンスフロアを囲んでいた。

 二階も同じように、下を見下ろす者、空いたスペースでリズムに乗る者とで、賑わいを見せている。

 キラリと鋭い光を時折投げ掛けるのは、全ての中心点に置かれた背の高いライトポールだ。フロアの中央に据えられ、上部で三本に分かれる金属の腕を伸ばし、光線で辺りを見下ろす。色を変え、音楽に合わせ床自体からも光を放つ。

 鼓動をかきむしるような、野獣の狂気に似たリズムが全身を包み込んできた。

 四条は比較的静かな方へ彩子を案内した。

 誰も彼も、一夜の狂宴にふさわしく、磨き上げられたファッションとメイクアップをほどこしている。

 この空間に、日常はどこにも見当たらない。

 金髪の少年も居た。派手な薄手のロングジャケットに、気取ったステップという人間が、よく見ると何人も……。

「あの……」

「彼らは偽者です。多いんですよ、呆れるくらい。それだけ、彼は理想的な存在だったんでしょう。

 問題なのは、誰一人としてオリジナル並みに輝けないということ。人真似など自分には意味のないことだと早く気付いてほしいんですが」

「どう見分けることができるんです?

 久瀬光輝は亡くなったんでしょう? その『彼』が現れるなんて、本気で信じているんですか?」

 四条が余裕をもって答えることができる問いだった。

「僕たちが待っているのは、『久瀬光輝』ではありませんよ。クリオンと呼ぶことが許せる、本名を久瀬光輝という『クリオン』と同じ輝き、スター性ともいえるでしょうね。カリスマとも。それらを備えた、完璧に『クリオン』である人物を待っているんです。

 店にとっては集客力を持つ価値ある人物で、お客にとっては憧れの具現。……いや、そんな単純なものじゃないと思うが、そういった熱さを忘れた僕には、この程度しか読めないな」

「利用価値が高ければ、誰だろうと構わないと?」

 彩子の鋭さは、四条をロマンチストに変えた。

「夢を見たいんです。ビジネスオンリーではなく、日が沈みここでしか見れない夢を」

「みんながスターやヒーローを待つだけなのね。なぜ自分がなろうとしないのかしら」

「してますよ。ただ本物が、それ以上光るから影に隠れる。

 臆せず競い合って欲しいというのが我々の本音です。自分の中の『クリオン』を引き出して。

 勿論、あなたも」

 四条はそのまま引き返し、人込みの中に消えた。

 彩子の一言は、彩子の中に縛りつけられている感情を射抜くものだった。奥に隠されたもう一人の彼女を目覚めさせようという誘惑だ。彩子は小さく首を振った。

「……違う。確かめに来ただけよ……、去年の春で懲りてるわ。二度とあんな真似はいや」

 大音響に全てを委ねるものたちの一体何割が、これで満足しきっているのだろう。どんなに若くても、若いからこそ、満ち足りないものを感じる。逃げられない社会の現実、仕組み、意のままに暴走したがる感情が息づく。

 偽りの太陽と月の沈まない夜に汗を飛び散らせ、一瞬の闇に別の自分を浮かび上がらせるだけ。それだけだ。

 何もかもが彩子に焦りと疲労を覚えさせた。

「……バカだわ。本物そっくりのクリオンだって、誰かが真似をしただけなのに。久瀬光輝は死んだのよ。彼本人なんかじゃない。ニセ者に何を聞くの……?」

 考えれば単純なことなのだ。ここで多くの人間が待っているのは『最も本物に近いニセ者』なのだ。

 二度と繰り返さないつもりだったのに、同じ道を辿ろうとしていた。感情に流されると周りが見えなくなる。そうさせたのは彩子の中に生まれた激しい怒りだった。

 久瀬光輝はひどい殺され方だった。

 明け方近く、店からの帰り道。路地裏にポッカリと生まれた空き地に通りかかる彼を、殺傷力を上げた、推定三丁のエアガンが近距離で狙い撃ちにした。動機は怨恨であろうと、素人目にも推測できるほど無残な姿で、数時間後発見された。

 その二ヶ月前にも、同じような手口で中年サラリーマンが犠牲者にされる事件が起きていた。警察は同一犯と断定し、無差別連続殺人事件として捜査を開始するが、手掛かりはまるでなく、進展をみないでいる。

 無差別な恨みと狂気。暖かい血の通った人間の行為ではないはずだ。それが彩子には許せなかった。



『一応、あたしなりの精一杯はやったつもりよ。

 そのクリオンを、引っ掛けるくらいの意気込みでやんなさいよ』

 そう一時間前に彩子は送り出された。梓はデザイナー志望で中学からの友人だった。ここに来るのは、彼女の泣きつくしかなかったのだ。なにしろ、ディスコに出向けるような服の持ち合わせは彩子にはなかった。二十歳以上に見せるテクニックに至っては、お手上げなのだ。

「また、なの?」

 一転して梓の顔色は曇った。じっと見つめ腕を組んでみせる。アパートの狭い玄関で、彩子はうつむいた。

「違うの。今度は……。ちょっと、確かめたいだけよ……」

「同じことだわ。彩子が、あなたを心配している友達を忘れたらね」

「ごめん……。絶対に、忘れない……」

 気の進まない顔でさっさと服を選び出す梓を、彩子は部屋の隅で見守った。胸が複雑な想いで熱かった。

「誰か、一緒に行けるような子いないの? 三橋君は?」

「ダメよ。デートじゃないって知ったら、怒り出すわ」

「駿河君も隠岐君も、無理ね。一番いいのは騎道君でしょ? 

 どうして声をかけなかったの?」

「そう思ったけど、言い出しづらくって」

 表向き、中学時代のような探偵まがいの捜査からは手を引いたことにしている以上、騎道にどう切り出したらいいのか思いつかなかったのだ。

「あら? そんなに遠慮がちだった? 彩子って」

 二人は揃って吹き出していた。



 賑わう人波の中を、黒い上等なキットの靴が軽やかな足取りで擦り抜ける。

 呼び止められ立ち止まり、空のグラスを彼は受け取る。一瞬の光が、ニコリと笑う横顔を浮かび上がらせた。左手のトレイを再び捧げ歩き過ぎてゆく。

「……騎…道……?」

 なぜ彼の流れるような動作に気を引かれたのか、彩子は思い当たった。細身の後姿が似ているのだ。

 お仕着せの臨時アルバイト用の黒いベスト、黒いボトム。個性を失わせるが、均整の取れた姿を際立たせていた。

 まさかという戸惑いが、追いかけるチャンスを遠ざけた。

 眼鏡をかけていないのだ。

『失明するそうです。直接光に当たると……』

 と、騎道は端正な顔立ちに不似合いな黒縁眼鏡を言い訳していた。

「ちょっと、ごめんなさい。通して?」

 ステップを踏むスペースもなくなって、佇んで会話するだけの人波に彩子は割って入った。

「どしたの? 彼女?」

 暗がりから、左手を誰かに捕まえられる。

「君も一人? ね、どこか静かな所で休もっか?」

 馴れ馴れしい男だ。騒音と人息れで神経をイラつかせつつある彩子には、鳥肌ものとしか感じられない。

「僕も、ちょっと喉渇いたな。行こうよ?」

「!」

 音楽が弾けた。追いかけていた人影が誰かと一緒に刻む音に合わせて、小さくターンした。……別人だった。



「チーフ。読み通りでしたね」

「だから心配してたんだ。下心があったわけじゃないんだぞっ。上から下までイイんだよ。男がほっとけるような子じゃない。なのに、あんなに純情で。マズイんだっ」

 滝川に深入りしすぎをいびられて、大人気なく頭にきている四条だった。

「ヤバイですよ。聞いてるんですか?」

 フロア全体を見下ろせる二階で、二人は店内の監視をしていた。今は緋色の美女、飛鷹彩子の監視だが。

「……嫌な男だな。顔だけ、だ」

 それは杞憂だとすぐに証明された。二人揃って目は『点』。

「……やりますね、人魚姫」

 彼らから見れば、彩子は人魚姫そのものなのだ。

 初めて人の足を手に入れ、戸惑いながら夜の世界に足を踏み入れてきた無垢な姫君。に、見えたのだが……。

「俺の見込み違いだったかなっ……?」

 四条は、平手打ちを見事に食らった野郎に同情しかけた。

「でも、逆上する男も危ないですよ」

 そそくさと、四条は下へ降りる階段へと向かった。

 滝川は別の一点を見出し、ポケットからレシーバーを取り出した。

「マサキ? 来たよ。彼だ」



「まだわかんないのっ。手を放してよ……!」

 警告無しの実力行使がアンフェアなのは、彩子もわかっていた。借りを返すつもりか、男の目の色が変わった。

 だが男は、別の一点を凝視していた。

 気付かなかった。辺りの雰囲気が一変していた。同じ音楽が吼えているのに、誰もが何かに引き付けられている。

『クリオン……』一つの名が、フロアを駆け巡った。

「……ゾンビかよ……、あいつ……。生きてるなんて……」

 勘違いしている奴も居た。信じられないまなざし。歓喜の視線。期待どおりだった安堵感が、一斉に波打った。



「何? ちょっと……!」

 四条に何かわめかれて、手を取られ引き摺られるように彩子はフロアから連れ出された。

「君は何が望みだ? クリオンと一緒に踊ることか?

 見るだけでいいのか?」

 ブンブンと彩子は首を振った。

「鑑賞するなら上の方がいい。最高のショーが始まる」

 慣れたウィンクを四条は投げた。



 音楽が即座に変えられる。照明が落ち、暗闇が支配する。

 BAD LOVE

 低音がうねるように反響しあう。

 魂までかき狂わせそうな早口のハスキーボイスが溢れ出す。操られるように、人波がリズムを刻み始めた。

四条に示されなくても目を引かれた。

もう余地のないほど詰まったフロアの中で、真紅の薔薇の花束を肩に掛けている一人がそれだ。

左サイドを手櫛で撫で付けた、しなやかな金髪。黒いサングラスと、左手にきらめく四重のブレスレット。レパード紋様が左肩から右裾にかけてだけ織り込まれた膝上のハーフジャケット。ボトムは細めの黒。

 際立つのはファッションだけではない。激しい動きだった。曲もそうだが、彼はもっと強烈だった。

「ねぇ! いったい誰なのよ、アレ!」

「あたしが知るわけないでしょお?」

「クリオンが生き返ったのよ!」

「そんなはずないわよ。誰かが真似してるだけよ」

「ちょっと! いったいここの客の誰が、クリオンの真似が出来るって言うの? 最高だったんだから」

「言われなくったって、知ってるわよ! でも、あのターン、今のステップ。クリオンなのよ!」

 隣りの化粧の濃い一団が、大音響に消されないよう、声を張り上げて会話していた。

「……あれが、クリオン?」

 フロアは先ほどよりも、もっと沸いていた。クリオンのエネルギーに感化されたかのようだ。

 彩子の問いに、DJは答えを返した。

「ハイ! クリオン!

 みんな待って待って、待ちくたびれてたぜ。違うかい?」

 突き上げる喚声が、地鳴りのようにこだまする。

「クリオン? 『AER YOU READY』!!」

 手で束ねていただけの花束が宙に舞う。それが彼の挨拶か。音楽が切り替わる。

 七、八人の少年たちが彼を取り囲んだ。手でジェスチャーを送る。うなずいたクリオンは彼らに囲まれたまま、移動する。九人は幅広の階段部分に駆け上がった。

「滝川。あのガキどもは何なんだ?」

「親衛隊、というところです。一方的な。久瀬光輝は嫌っていて、いつも手酷くあしらってましたが、どうされても八人そろって懐いていましたね。今夜は特別に年齢には目をつぶったんです」

「……ワルだなあ。気取ってるが。中学生だろう?」

「店の人間がバックじゃ、クリオンが鼻を曲げるんです。

 気紛れっていうか。懐くな近寄るなって散々けなすくせに、踊ってるときだけは彼らと気が合うんですよ。

 今夜の店のためです。いつもでしたらこの時間、とっくにここから叩き出してますよ」

 やむを得ず、と滝川はワル呼ばわりを甘受した。

「にしては、筋はいいな」

「ダンススクールのジュニアたちなんです。クリオンはそこの講師兼振付師でした。

 一度あいつ、ここでスカウトマンを殴り飛ばしたことがありました。嫌味な大手劇場の関係者でしたね。

『二度と顔を出すな』の捨て台詞に、客から拍手が沸いて。

それからですね。クリオンが伝説になりはじめたのは」

 彩子は二人の会話を耳に入れながら、目はクリオンから離せなくなっていた。

 なぜなのかわからない。たぶん他の客たちと同じ理由で、体は熱を帯びていた。眩しいまでの躍動感なのだ。

 鈍い銀の光沢をもつ裾を鋭いターンで閃かせる。静止して、そっと髪をかき上げたポーズで女性たちを挑発する。

 長い膝下からキットの爪先までが、しなやかな獣の仕種のように素早い動きをみせる。

 彼を囲む少年たちは、クリオンと同じステップで彼を追い掛ける。彼らは素早く、ダイナミックに、華やかな輝きをスパークさせて、体で音を凌ごうとする。

 型通りではない複雑な動きで、一瞬も怯まず、クリオンは自分を見せつけていた。

「ダンスは踊りはセックスの擬似行為だと言った学者がいたが、本当なら、あれは強烈なアピールだな……」

「たぶん夜の姿の方が、(クリオン)の真実なんでしょうね」

 さすがに、見慣れているはずの滝川も、息を飲んでいた。

 久瀬光輝は夜にしか自分を解放できなかった。理由は何にせよ。そこで出会った人間は、真実の存在が放つ眩しさに引かれ、焦がれ、マリアは彼を愛した。

 ガラスの砕け散る音が、新しい一幕の到来を告げた。

「反対に、マリアは顔を隠していたんでしょう?」

「ええ」

 滝川は彩子の呟きにうなずいた。

「謎ばかりね……。本当のことは何一つないんだから」

 彩子は小さく息を吐き出した。

「ありますよ、一つだけ。

 二人の間には本物の愛情が存在した、が」

「……そうね。羨ましいな……」

 久瀬光輝のニセ者は、彩子の思いとは無縁に踊り続けていた。ワイルドに、少年の持つ押さえ切れない恋の激しさを全身で語っていた。



「マリアは、ここに居ると思う?」

 思い付いて、彩子は二人に向き直った。

「たぶん……居るでしょう。クリオンを忘れていなければ」

 女心は複雑だ。滝川にも自信はなかった。

「私なら来るわ、必ず。

 マリアを見つけ出せる? 会いたいの、話しをしたいわ。彼女なら何か知っているはずだもの」

「出来るか、滝川?」

「ええ、可能です」

 滝川はポケットのレシーバーを取り出してみせた。

「君は、他の女の子たちとはまるで違うんだね」

 四条の言葉に、彩子は胸を突かれた。彼女が知らないうちに、もう一人の彩子が揺り起こされていたのだ。



「見付けました。ちょぅど、この向かいです」

 滝川が示す先には、黒いレースをふんだんにあしらったワンピースの女性が一人。彼女は手摺りに背中を当て、階下ではなく、クリオンを捕らえる壁のモニターを見上げている。すぐ側で見守るように青年が佇んでいた。

 マリアはどこにでもあるサングラスで顔を隠していた。艶やかな長い髪をもつ、寂しげな女性であった。

「滝川さん! マリア、見付かったの?」

 滝川の手にするレシーバーから明るい声が弾けた。

「マサキちゃんかい? ああ。来てたよ」

「じゃ、ちょっとサービスしちゃお」

 彩子は四条を振り返った。

「『マサキ』って、女の子なんですか?」

「ここは女性DJが売りなんだよ。

 しかし女の子だな、マサキちゃんも」

 四条の指をさされ、初めてDJブースでノリまくっている『マサキ』を見つけた。

「ユア・フェイバリット。ビィクティム・オブ・ラブ」

 リズムマシーンが低く打ち出す16ビートに、伸びる沈んだ声が被さって流れる。暗い情熱が、闇にクリオンの姿を借りて浮かび上がろうとしていた。

「愛の犠牲者、という意味だろうね」

 マリアは振り返り、階下のクリオンを見下ろした。細い指先を自分の唇に押し当てて、見つめている。

 ふいにクリオンは動きを止めた。戸惑う少年たちを置き去りに、マサキの居るブースに向かった。

「マサキ? クリオンの様子がおかしいよ」

 滝川はレシーバーでマサキを呼び出した。

 答えたのはクリオンの声だった。

「俺、こんな曲が好きだったの?」

「何っ……!」

 クリオンはマサキのヘッドセットマイクを取り上げた。

「ビィクティム? 耳障りだぜ……!」

 怒声がフロアに響き渡った。あっけにとられるマサキ。

「願い下げだね。相手はマリア?」

「……そうよ……」

 無造作にターンテーブルのレコード盤を彼は取り上げた。

 慌ててマサキは、もう一方の音源に切り替える。

「なんでたった一人に縛られてなきゃいけない?」

 LP盤は手の力に砕けた。指先から黒曜石のきらめきが零れ落ちる。ガラス越しにクリオンはフロアを見渡した。

「いい気になって、のぼせてるのはいい加減にしろ!

 ハイ、マリア!!

 忘れちまえよ。あんたも遊ばれてただけさ。それでもいいんなら、今夜はオレが相手をしてやるぜ」

 一瞬静まり返った中から、男たちの指笛が起きた。

 彼は優雅に片手を伸ばした。

「……一体誰が、今夜のマリアになってくれるんだい?」

 移り気でセクシーなクリオン。誰もが承知していた。



 彩子は、視線をクリオンから引き離した。

 背後の青年に、何ごとかマリアは言い付けている。

「信じられないわ! なんて奴なの。ほんとに最低よ!」

 吐き捨てるようにして、彩子は席を立った。

 何からも背を向けたマリアが、人影に見え隠れする。

 距離が半分も縮まらないうちに、彼女の姿は消えた。



「彼女には理解できないでしょうね。奴の思いは」

 彩子の後ろ姿を見送った二人の男は溜め息をついた。

「死んだ人間の幻を忘れさせようと、打ち消そうと必死だな。見かけは派手だが、地味臭い奴だ。

 あそこまで言い切るんだ。滝川。クリオンの姿が見れるのも。今夜が最後になるかもしれないぞ」

「それは構いません。クリオンの後継者が、あの通りその気になっているみたいですし」

 クリオンを取り囲む、テクニックは劣るがパワーだけは肩を並べようという勢いの八人を、滝川は指した。

「ヒーローや伝説は、打ち砕かれるためにあるんです。

 でなければ、次の夢が見れないじゃないですか?」

「正論だ」

 四条はふっと苦笑した。

「マサキちゃんやるの。すぐにロマンチストな女の子の曲をかけてくるなんて」

「女性の意地と本音でしょうね。

 またクリオンが逆上しなければいいんですが」

 滝川の心配は無用のものだった。

 クリオンは少年たちの中で、唇に僅かな苦笑を浮かべる。マサキの要求通り、ナーヴァスな少年を演じていた。



 ゲートを抜けると、マリアは先に出ていった青年を待ちもせず、ツカツカと歩道を歩き出した。目的も当てもなく、闇雲にこの場から遠ざかるつもりだった。

 今にも崩れてしまいそうな、頼りない後姿を見付けだすのは彩子にも簡単なことだった。

 彩子はかけていたサングラスを取り、前に立ち塞がった。

「待って下さい。私、あなたの気持ちわかります。

 あなたよりましだけど、ちょっと前にフラレたわ」

 何度声を掛けても、マリアは心を閉ざしたまま彩子を振り切ろうとした。思い余って口走った言葉が、ようやくマリアの足を止めた。

「……あなた……?」

「あんな奴の言ったことなんて気にすることないわ。

 ただのニセ者よ?あなたを愛していたクリオンとは全然別人なんでしょう?」

「……そうよ!

 あの人なら、真っ先に私の所へ帰ってくるはずだわ!」

 彼女にはまるで似合わない強い口調で、彩子を見返した。張り詰めていたものが崩れ、もう押さえ切れなかった。

「でも……。瓜二つだわ、何もかも……」

 零れ落ちる涙は、幾筋もマリアの頬を濡らし始めた。



「落ち着きました?」

「ええ。ごめんなさい。大きな声を出したりして」

 彩子が手渡したハンカチで涙を押さえ、マリアは顔を上げた。上品な物腰や、穏やかな顔立ちは、彼女が顔を隠さなければならない理由を思い当たらせた。

 たぶん上流階級の家庭に育ち、ディスコや夜の街など出歩ける身分ではないのだろう。

 連れの青年は近くの路上に白いセダンを止めて、降りてマリアを見守っていた。恋人というのではなく、守護者といった暖かい控え目な視線をマリアに送っている。

 彼は慰める役を、無言で彩子に譲っていた。

「あなた、私に何を聞きたいのかしら?

 彩子は極力マリアを悲しみに追い込まないよう心がけた。

「あの事件のことに関して、何でもいいんです。心当たりや、彼を恨んでいた人なんていませんでしたか?」

「あなた刑事なの?」

「いえ。学生です」

「なぜそんなことに興味をもつの? クリオンの何?」

 一転したマリアの冷たい声に、彩子は首を振った。

「いいえ、違います。誤解しないで。私、生前のクリオンには会ったことないし。

 友達が、彼と兄弟のように暮らしたことがあって、とても慕っていて、それで興味が」

「そんなはずないわ。あの人、人になつかれるのが大嫌いなの。特に年下は嫌悪していたのよ」

 思い当たりマリアは眉をひそめた。

「……ずいぶん前に、手を焼かされた男の子が居たと聞いたことがあるわ。じゃあ……、彼はとうとう来たのね……」

「え?」

 マリアは、謎めいた笑みを浮かべた。

「私、待っていたのよ。彼を良く知っている、その人を」

 なにか冷ややかなものを微笑に彩子は感じた。

「その子のこと、彼は本当に嫌っていたんですか?」

『光輝には嫌われてたけど、兄みたいな人だった』

 寂しさを隠して騎道は光輝を語った。二人の間にどんな関係があったのか、それだけでは何も推測できないのだ。

「放っておくと自己矛盾で潰されそうな変わり者だ、なんて言ってたわ。誰彼構わず好きになって、迷惑した、と。

 だから二度と、他の誰にもなつかれたくないって。あの人、口が悪くて、嘘が下手なのよ。気にしていたんだわ」

 マリアが語る久瀬光輝は、兄であることに少し照れた優しい一面を垣間見せた。

「あんな事件が起きる心当たりは、上げきれないわ。

 あの人、恨まれることと敵を作ることには無頓着な人だったわ。喧嘩でもなんでも、誰よりも強かったの。

負けたことのない、本物の怖いもの知らずだったわ」

「……そうですか」

 気落ちしたが、彩子は女性として、もう一つ問い掛けた。

「愛していらっしゃったんですね?」

 マリアは、顎を引いてはにかんだ。

「私は、あの人の強さに魅かれたの。でも本当は、あの人弱みを見せまいと意地を張っていた部分もあったのよ。そんな、絶対に迷わない高いプライドだって大好きだった。

 彼が、私を変えてくれたの。これからも私は、あの人だけのものだわ。愛しているのよ、今でも」

 静かな自信が彼女を包んでいた。

「ご結婚するつもりだったんですか?」

「ええ。全部捨てて……、二人で始めるつもりだった……。彼も私を必要としていたことがわかったの。

 でなければ、今頃忘れていたわ」

「どうして?」

 マリアは口元を無邪気にほころばせた。

「浮気者だったの。見え透いた嘘ばかりついて。

 何度も泣いたわ。でも彼はかならず帰ってきた。

 本気だったのよ……あの人」



 久瀬光輝の愛情は、一人の閉ざされていた人間の心を溶かして熱い感情で包み込んだ。彩子にはそれがなぜ起きたのか、想像もつかないが。劇的な変化を起して、環境も性格もまるで違うものであっただろう二個の人間の間に、強い結びつきを生み出したのだ。

 マリアの愛は、彼が生きているかのように放たれていた。すでに事件から、四ヶ月という時が経っている。にも関わらず、彼女は深い悲しみの中から抜け出し、再び愛を、クリオンから受け取ったとしか考えられなかった。

 彩子は、あんな形でクリオンを演じてみせたニセ者に憤っていた。その男の顔など見たくもないのだが、彩子はの足はストーン・ベイに向かっていた。

 店の前に待つ四条を、彩子は目にした。

「気が済んだかい?」

「ええ。お忙しいのに、いろいろとごめんなさい」

 ためらう風に、四条は目を細めた。

「まだよければ少し、付き合ってもらえるかな?」

「他の人だったら、絶対にNOと言うけど」

 と断ってから、彩子はうなずいた。

「思った通り。君は最高の目をしているね」

 すっかり忘れていた。彩子は慌てて、サングラスを取り出した。残念そうな目に、そっと微笑みを彩子は返した。

 二階の奥にしつらえたバーカウンターは、会話ができる程度に音量が押さえられている。二人は並んでそこに落ち着いた。

「クリオンとも話しをするかい?」

 四条は少し離れたテーブルのクリオンを目で指した。

 間近で見る彼は、なるほど女性客たちが周囲を取り囲みたがる、整ったマスクをしていた。

 彼は横柄な態度で女たちをあしらって、あからさまにうんざりした顔でグラスを手にしたまま立ち上がった。

 グルービーの少年たちが、素早くクリオンの意を汲んで、追い掛ける女たちの間に割って入る。

「もういいわ。最低の男よ」

 彩子は目の前に置かれた真紅のカクテルグラスに手を掛けた。四条はそのグラスを取り上げて引き離す。

「自棄酒はよくないな。少し待ちなさい。ジュースを取ってきてあげるよ」

 余計なお節介だ。彩子は四条には悪いがむくれていた。姿が消えたことをいいことに、グラスを目の前に戻した。

 曲は、切ない哀調ユーロビートが掛けられている。若いバーテンダーが、彩子の肩越しに目を奪われていた。

 彩子も振り返った。

 階下でのスピード感に満ちた動きとは一転して、別人のようにナイーブな動きで、クリオンはステップを踏む。

 冬の、聖夜の曲だった。

 心の内部に自分を閉じ込めてゆくような、腕の作る表情。

 彼が優れたダンサーであることは間違いなかった。

 リン。と彩子のグラスが鳴った。振り返ると、同じカクテルグラスが二つ並んでいる。一方を男の手が取り上げた。

「乾杯。同じだなんて、気があうかもね、俺たち」

 見知らぬ男からの誘いの台詞だ

「君みたいな子が一人ぼっちだなんて信じられないけど、ほんとに一人?」

 倒れてしまいたくなった彩子である。革のジャケットの下はぴったりとした黒のTシャツ。あくまでも男臭さを誇示した、無意味に自信家な人間の一人だ。

「ほんとに一人だから、近寄らないで」

 今や、四条以外の男に対しては男性不信に陥っていた。

「? 聞こえないな。もう一度言ってくれよ?」

 肩に手が回るよりも、彩子の肘鉄の方が速かった。

「OK……。わかったよ。一人でごゆっくりどうぞ……」

 思ったよりもあっさりと、男はカウンターを離れた。

 どうもむかつくことばかりで、彩子はすっきりしない。

 四条はまだ戻らない。思い切ってグラスを取り上げた。

「君の肘鉄だったら、オレも欲しいぜ。

 代わりにそのグラスでもいいな?」

 背後から手が伸びて、グラスは取り上げられる。

「ごめんなさいっ、四条さん……!」

 振り返った彩子は顔色を変えた。奪ったのは四条ではなく、なぜか……。

「あくどいな、やり方が。出てこいよ。大間抜け」

 クリオンはいきなり罵りつけた。

「こんなものを飲ませてどうするつもりだったんだ?」

 一度高く掲げ、一息で彩子のグラスを空けた。

「キールロワイヤルにラム酒を入れるなんて、呆れた手口だぜ。ポケットのミニボトルが空じゃないのか?」

 彩子は男を睨み付けた。クリオンに目を魅かれている隙に、奴がすりかえたのだ。飲み干していれば、あっという間に酔いが回るほど強い酒が足されていた。

「声を掛けたのはこっちが先だぜ? クリオン?」

「いい加減にしてよ! どっちもお断りだわっ!」

 クリオンは唇に苦笑を浮かべ、残忍な笑みに変化させた。

 男の襟首を鷲掴みにすると、右ストレートで殴り倒す。

 噂通りの気の短い男だった。すぐに好戦的な視線を滑らせ次の相手へ顔を向ける。待ち構えていたように、革ジャケットの仲間らしい男たちが取り囲んでいた。

「どっからでもいいぜ。腰が抜けてなければの話しだが」

 身構えもしないクリオン。絶対の自信がある証拠だ。

「まちたまえ。店を壊されたくない」

 クリオンの前に進み出たのは四条だった。

「誰だ、貴様?」

「四条。ここのマネージャーの上司だ。

 君はずいぶん飲んでるな。彼女には正気に戻ってから声を掛けた方がいいようだよ」

 四条は視線で、背後のころつきを滝川に一任した。

 バカ丁寧な物腰で滝川は彼等を威圧する。喧嘩とナンパの為だけに店に来ている奴らだ。これを理由に出入り差し止めにしたいくらいなのだ。

「はーん。こちらは、お偉い四条さんの彼女?

 年が離れすぎて似合わないぜ。迷惑してんじゃないの?」

 今度は四条を怒らせるつもりか。クリオンとは、才能と性格が破綻しまくった人間だった。

 当然、四条に相手をする気は起きない。彼は大人だ。その四条は、店に起きた異変を逸早く察知していた。

 曲の途中だというのに、音楽が変えられていた。騒々しいリズムに、低いサイレン音が何度も何度も繰り返される。

 四条の視線に、滝川は慌ててレシーバーを取り出した。

 こそこそと、何人かの客たちが走り抜けていく姿は、不自然だった。クリオンに張り付いていたグルービーの少年たちも顔色を変え、クリオンに手を振り姿を消した。

「何があった?」

 鋭くクリオンが尋ねた。

「補導員だな……。君もヤバイのか?」

 滝川が駆け寄ってきた。

「かなり大掛かりな手入れです。少年課も本気みたいですから、捕まったら大変なことになるでしょうね。

 私は下へ行って時間稼ぎをしてみます」

「頼む」

 経験のある二人には、見せしめのスケープゴートを捕まえにきた警察の意図を読めていた。

 訳がわからずぼんやりしているのは彩子一人だった。その彩子は、クリオンの視線が自分にあることに気付いた。

「ヤバイなら君も行きたまえ」

 四条はクリオンに言った。

「僕はいい。心配しなければならないのは彼女だろう?」

 それは四条も承知していた。滝川に同行しなかったのはその為だ。先に歩き出しながら四条は促した。

「こっちへ」

「え?」

 二人に見透かされて、彩子は動転した。

「早く来るんだ!」

 怒鳴りつけて、クリオンは彩子の手を掴み四条の後を追う。おかげで、問い返す気持ちは吹き飛ばされていた。



 四条はカウンター裏の、狭い従業員用の通路に二人を押し込んだ。彩子に掌を見せて少し笑った。

「非常階段を降りて左に行くと、店の裏手に出る。人通りが多いからそちらの道がいいはずだ。うまくやれよ」

 外に逃げても危険性は高いということだ。

 クリオンは無言で先を急いだ。言葉を返す間もなく、彩子の視界から四条は消えた。

「もういいわよ! 手を離してっ」

「だめだ」

 四条の指示通り、二人は深夜の繁華街に途切れることのない人波の中に紛れ込んだ。

「一体何がダメなのよ。あなたにこんな乱暴なことされなくても、一人で逃げられたわっ」

 ギッとクリオンの瞳が彩子を睨みつけたような気がした。

「た……、助けてくれたのは、……感謝するわよ……」

 少し怯んでいた。怒らせたらどうされるか、彩子には見当がつかないのだ。軟派な男から救われたのは事実だし。

「フン。感謝しているようには見えないな。キツイ目をして」

 左手が彩子のサングラスを取り上げた。

「返して!」

 そのまま半開きのゴミ箱の中に、グラスは放り込まれた。

「狙われていたんだぜ。あの辺りの男どもに何人も」

「うそっ」

 彩子は頬が赤くなるのを感じた。

「? 自分がどれだけ視線を集めていたのか、知らなかったのか。まいったね」

 彼はショーウィンドゥに写る彩子に親指を立てた。

「スカートが短い。ヒールが高すぎる。体の線を強調しすぎだ。メイクは派手。口紅は真っ赤。

 グラスを外さなかったのは正解だな」

 生徒指導の女教師顔負けだ。

「……こんなの、普通よ!」

 言い張ってみたが、面と向かっての指摘は恥ずかしさをかきたてる。何より相手は、同性ではない。

「ああ、ああ。君には普通だろうさ。

 一体何人に声を掛けられた?」

 呆れ返った声だった。

「……三人……」

「たいしたものだね。

『どっちもごめんよっ』なら、さっさと帰るんだな。

 狼にさせられる男どもがカワイソウだよ」

 真っ赤になって反論することもできなくなった彩子をおいて、タクシーを止めようとガードレールを越えた。

 さすがに深夜を回った繁華街の大通りでは、なかなか空車は捕まらない。諦めて引き返してきた。

 豪華な金髪としなやかな身のこなしが、通りすがりの視線を引き付ける。彼は当然のように受け流していた。

「あなた一体何者なの? さんざん人を侮辱して」

 枯れた緋色が暗がりで目立つなんて、彩子は考えもしなかった。普通の蛍光灯の下では随分地味だったのだ。メイクはクリオンに群がっていた女性達に比べれば幼稚園児。ルージュは梓に押し切られてやむなくだし。ヒールなんかほんの五センチ、スカート丈は今秋のトレンドがこれなのだっ。そう自分に言い訳すると、彩子は少し落ち着いた。

 反撃に出るべし。相手は女性の敵で、喧嘩好きで、かなりの酔っ払いで、余計なお世話様なのだ。

 マリアの気持ちを公然と傷付けた。ただのニセ者である。

「失礼だわ。そのサングラス取りなさいよ!?」

 いっ? とクリオンが戸惑う隙に、彩子はグラスに手を伸ばした。逃れようとするが、そんなに彩子は甘くない。

「! やめてくださいって、彩子さん……!」

「馴れ馴れしく呼ばないでっ! ? 彩子……さん?」

 もみ合ううちに、片耳だけずり落ちるサングラス。

「騎道!! ……。嘘っ!!!」

 彩子の声は、綺麗に半径十メートルの通行人を振り返らせた。

 サングラスを掛け直し、金髪の少年は口元にチカラ無い『ハハハ』笑いを浮かべた。ハンサムも形無しだった。




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