托卵は滑り落ちる
時刻は20時57分。
年末ダイヤだと父さんはちょうど駅を出たはず。
僕がスマホをビデオ通話にして呼び出すと、父さんは3コール目で出てくれた。
良かった!
「お仕事お疲れ様!」
画面の向こうで父さんが微笑む。
「恭一、ありがとう! そっちはどうだ?」
「おじいちゃん、おばあちゃん、典亮叔父さんに晶子叔母さん、そして琴子……みんな居るよ」
『お母さんは?』と父さんは聞かなかったし僕も言わない。
母親が年越しの同期会へ行っているのはいつも事だから。
「あ、そうそう! 琴子が最近ディズニーにはまっててさ! 今日も『お兄ちゃんはいいなあ。いつでもランドに行けるから』って言ってるから。あれ、見せてあげてよ」
「あれって?」
「ほら! グランモール広場に「イッツ・ア・スモールワールド」のミニチュアがあるじゃん!」
「ああ、壁時計か!」
「そうそう! 9時になったら演奏が始まるから」
「よし、待ってな!」と父さんは駆け出した様だ。
再び画面に戻って来た父さんは少し息が上がっている。
間に合ったみたいだ。
僕は従妹の琴子の肩を叩いてスマホを示す。
「おお! 琴子ちゃん! 大きくなったな」
戸惑い、僕の方を振り返る琴子に僕は囁く。
「お父さんだよ、これから面白い物見せてくれるって」
程なくスマホから「イッツ・ア・スモールワールド」が流れて来て、からくり時計のパネルが次々と開いて行く。
僕はスマホ画面の隅にある録画ボタンをタップしてあげた。
「これで繰り返し見られるよ」
「ありがとう! お兄ちゃん!」と琴子は満面の笑みを浮かべる。
そして僕も心の中でほくそ笑んだ。
『これで確実な証拠が録れた』と
お父さんとの通話が終わり、録画が無事成功しているのを確認して、僕はスマホを琴子に預けジャンバーを羽織り、マフラーを手に取る。
「除夜の鐘を観に、お寺へ行って来る」
「雪道気を付けてな!」とのおじいちゃんの声が背中に聞こえた。
◇◇◇◇◇◇
長い休みの度に母親は僕を連れて田舎へ帰った。
そして大抵、父さんは一緒では無かった。
母親は度々僕に言っていた。
「お父さんは人が良過ぎてクソ真面目! 嘘の一つも付けないから、会社でも損ばかりしている。まったく情けない!」と
でも僕は父さんが大好きだ。
忙しい父さんは僕と遊んでくれる事も多くは無かったけど……遊ぶ時も褒める時も叱る時も、いつもいつも全力で接してくれた。
それなのに!!
『オジサンはお父さんなんかよりずっとカッコいいし、いつも遊んでくれるでしょ!』
僕を平手打ちした時に浴びせられた母親の言葉を僕は決して忘れない。
あれは中学へ上がる直前の春休み。
田舎へ帰った母親と僕はおじいちゃんの家から少し離れたショッピングモールでそのオジサンと会っていた。
それは僕が小さい時からの恒例行事で……オジサンは確かに色々と遊んでくれたりはした。
三人でマックでお昼を食べた時はトレイの紙をひっくり返してお絵描きもした。オジサンが持っていた小さな平べったい先だけ芯のあるプラスチックの鉛筆を使って。
けれど僕はもう中学生だし、その時は母親から三千円のお小遣いを貰ってゲーセンで遊んでいた。
多分2時間くらいは経った後、二人は戻って来て、オジサンは僕に「入学祝いだ」と筒状のペラペラの紙袋に入ったシャーペンを渡そうとした。
「要らない」
「なぜだ?!」
「だってまだ、お父さんから入学祝いを貰ってないから」
こう答えるとオジサンは舌打ちして母親は僕の頬をぶった。
「もういいよ!」
と背中を向けたオジサンのジーパンのポケットからは折りたたまれた一万円札の束が覗いていた。
そして僕は……それが母親の手から渡された物だと知っていた。
そう言えば幼い頃、
やっぱり母親とオジサンと三人で居た時、誰かに言われた事がある。
「本当にお父さんそっくり」と
「えっ?! この人、パパを知ってるの?」
と幼心に不思議だったが……
その理由を知ったのは高校入学直後の事。
クラスラインで夜更かししてトイレに立ったら襖から灯が漏れていて、その隙間からふと、覗いてみると、1枚の紙をタンスにしまい込んで肩を震わせて泣いている父さんの横顔が見えた。
僕はひどく動揺しつつも音を立てない様にその場を離れた。
後日、誰もいない時にその引き出しの奥の奥まで探したら件の紙が出て来た。
それはDNA鑑定書で……『0%』の記載があった。
◇◇◇◇◇◇
あれから9か月近く、僕はこの時を待ちわびていた。
父さんゴメンね!
僕の存在が……
あの男にそっくりな僕の存在が!!
ずっと父さんを苦しめて来たんだね。
でも、もう大丈夫だよ。
僕は消えるから。
僕は橋の上から、轟々と音を立てている川を覗き込む。
冬は落ちたら即死だそうだ。
何年か前、おじいちゃんが広げている新聞にその記事が載っていた。
だから僕は死に場所を
ここと決めていた。
僕はマフラーをほどき川へ投げた。
マフラーは狙い通り、川面から突き出ている倒木の先に引っ掛かった。
僕は土手の雪を踏みしめゆっくりと下りて行く。
本当は母親やあの男に
恨み事の一つでも遺してやりたいところだけど……
僕の死亡保険金は1000万。
受け取りはお父さんだから、万に一つも疑われる事があってはならない!
お父さんには完璧なアリバイがあって、僕は事故で死ぬのだから。
母親とあの男と僕がしでかした事の慰謝料と僕の16年間の養育費にはとてもとても足りないけれど、せめてこれくらいはさせて欲しい。
もっともこの保険金の半分は母親の手に渡るのかもしれない。
そしてそのお金は、あのクズ男のギャンブルで溶けてしまうのかもしれない。
実の子の命の金をギャンブルで溶かすなんて
いかにもあの男のやりそうな事だ。
そんな暗澹たる未来は見えているのだけど
僕は自分が存在してるが故の罪で
僕自身を赦す事ができない。
なぜなら!
嘘を付く事を是としない父さんに
こんなにも大きな嘘を付かせているのだから。
あの忌むべき人間どもの遺伝子だらけのこの僕が
どうしてのうのうと生きおおせようか!
僕の体は
クズの遺伝子で出来ているけれど
僕の心は!
大好きなお父さんの子供でありたい。
だから僕は
川へ向かって下っている
この雪の斜面を
滑り落ちるのさ!
<了>
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