3話「変化」
──翌朝。
ジャックは最悪の気分で目を覚ました。
現実逃避の時間を終わりにしなければ行けないと思うと憂鬱だった。枕元のスマホを手に取り、神に祈るように画面を見る。
……数字は変わっていない。2億USDT。
「⋯⋯夢じゃない、か。いや、修正されてないだけだ、今日か明日にでもされるだろう。チッ、めんどくさい。期待させやがって⋯⋯」
長く息を吐き出してから、ベッドから起き出しPCを開いた。
一応「デジタルアートが売れた説」を確認する。
結果は無慈悲だった。閲覧数ゼロ。
下手くそな絵はデジタルの海の中の藻屑のままだった。
誤送金でもない。バグでもない。 残る可能性は一つしかない。
『資産状況の変化おめでとうございます』
あのAIのふざけたメッセージ。 ジャックは震える手でマウスを握り、送金画面を開いた。
もしこれが罠なら、あるいは犯罪収益なら、銀行に移そうとした瞬間に終わる。
今の銀行は厳しい。普段数千ドルしか動かない口座に大金が入れば、即座にAML(資金洗浄対策)のアラートが鳴り、口座は凍結、数分後には警察から電話が来るはずだ。多分、知らないけれど。恐らくそんなはずだ。
「……テストだ、ただのテストだ、これは」
額は少なめに。10,000ドル。
これくらいなら、怪しまれないかもしれない。いや、それでも年収の4分の1以上だ。
指が震える。 だが、万が一にでも理屈すらわからないラッキーだったら?
ええい、ままよ、とクリックする。
『処理中……』
ジャックは身構えた。すぐにスマホが鳴るはずだった。
「身分証を出せ」「金の出所はどこだ」と銀行員が詰問してくるはずだ。
──だが。
『完了(Complete)』
PC画面には、あっさりと緑色のチェックマークが表示された。 同時にスマホの銀行アプリが通知を告げる。
『入金がありました:$10,000』
「は……?」
早すぎる。 審査は? ジャックは慌てて銀行アプリを開き、明細を確認した。そして凍りついた。
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摘要:Tech-Consulting Fee(技術顧問料) 種別:VIP即時決済
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「……顧問料? は? 誰の? 俺のか? ⋯⋯意味がわからない」
さらにアプリのトップ画面には、今まで見たこともないアイコンが表示されていた。 『Platinum Client』へのアップグレード通知。
「……はは」 乾いた笑いが漏れた。
思考停止が始まっていた。
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ジャック・ラスカルは都心にある高級ブランド店が並ぶストリートを歩いていた。
時折、ふふ、と口元が緩み笑いが漏れてしまうほど上機嫌だった。
両手に買い物袋を3つずつもって。と言ってもアホみたく金は使っていない。ほんのちょっと良い服を普段着にするだけだ。ほんの少しだけ。それだけでも気分がだいぶ良くなった。
普段食べるものが、良いものに変わった。ローンは返した。心が清々しかった。
まだ車も買ってないし、不動産投資もしていない。2億ドルもあるのに。なんだって欲しいものが買えるのに。
同じストリートにある高級ホテルに入っていく。高級娼婦を今夜は呼んでいた。ジャックはこういうのに慣れていないので、やや緊張ぎみだが、楽しみでもあった。
買い物袋を部屋においてホテル前で待っていると、金髪の女が現れた。表情や顔つき、雰囲気ををみて、すぐに気に入った。
見た目もいいが、それ以上に接しやすい女だった。サバサバしつつフレンドリー。女と共に近くの河川を流す船に二人で乗船して、そこで夕食を食べて夜は二人で楽しんだ。
ジャックはこんなホテルに乗ったことも、船上でデートもしたことがないので、まるで夢の中の出来事のように感じていた。
ホテルでは娼婦が官能的な映画で見るようなランジェリーで艶めかしくジャックを誘い、ジャックも彼女に乗っかった。
行為の終わりにテレビを付けた、とびきりに見た目のいい女にしなだれかかれながら。テレビではホラー映画がやっていて女が見ようといったが、自然とチャンネルを切り替えてニュースにした。
ニュースの内容は新しい監査組織が逆淘汰の原則から、政府機関幹部たちの個人的な資金にも調査を広げ、それが大きな逮捕劇に繋がりそうだという話だった。
「⋯⋯おいおい、こんなこと ⋯⋯本当にあるのか?」
女に可愛らしく文句を言われるまでジャックはしばらく呆けていた。




