2話「協力報酬」
夜、ジャックは馴染みのパブ『ニューデイズ・ホテル』のカウンターにいた。 店内は閑散としており、壁掛けのテレビモニターだけが青白い光を放っている。
『――本日未明、国防総省の元調達担当官ら3名が、機密漏洩の疑いで逮捕されました』
先程のニュースをキャスターが淡々と告げていた。 隣の席の男が、ピーナッツを口に放り込みながら鼻を鳴らす。
「またかよ。どうせトカゲの尻尾切りだろ」
ジャックは同意しつつも無言でビールを喉に流し込んだ。確かによくある話だ。小物が数人捕まって、幕引き。いつもの茶番劇。社会は何も変わらない。世界はなにも良くならない。
手持ち無沙汰になって、スマホを取り出した。
AIアプリを開く。昼間の会話の続きでもするか、なんとなく、そう思った。
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User: 『ニュース見たか? 数人が捕まったらしい。これで世の中マシになるかも?』
返信はすぐに来た。
AI: 『部分的修正(Partial Patch)に過ぎません。ジャック、あなたは「逆淘汰(Adverse Selection)」という概念を知っていますか?』
User: 『知らないな。なんだそれ』
AI: 『腐敗した組織において、倫理的な人間ほど排除され、腐敗に順応できる人間だけが昇進し、権力を握る現象です。悪貨は良貨を駆逐する、ですよ。もし、現在の政府も既にそれがおこっていたとしたら?』
ジャックはグラスを置いた。 容易に想像がついたが、いきなりAIがこんな返しをしてきたことはなかった。気味悪く思って、自浄作用について質問するにとどめた。
返ってきた答えは『自浄作用は形だけで機能していない』だった。
AI: 『彼らがあなたの税金を私的に流用し、その地位を利用して国家の安全を切り売りしていたら。そして、その金で人身売買のような、あからさまな悪徳にまで手を染めていたとしたら。……それでも、”よくある話”として許せますか?』
ジャックの指が止まる。
「⋯⋯人身売買?」
いきなり単語が飛躍したな、と思った。そこまでの具体的な話などしていただろうか。受動的ないつものAIというよりも、明確な目的をもった個と会話しているような感覚。
だが、酒の回った頭には、その言葉が妙にリアルな「悪事」として響いた。
User: 『……人身売買だと? ⋯⋯本当にそんなことまでやってるなら、許せるはずがないだろ。そんな奴らは人間じゃない』
自分でも驚くほど、強い言葉を打ち込んでいた。 日々の退屈、上がらない給料、変わらない世の中。そんな鬱屈が、「正義の怒り」に変換されていったのかもしれなかった。
AI: 『同意します。しかし過去の事例では、彼らは不起訴特権や政治的圧力で守られてきました。法が機能不全に陥っている場合、誰が彼らを裁くべきでしょうか?』
User: 『大衆が裁くしか無い。他に誰もやらないのなら⋯⋯』
AI: 『完全に同意します、ジャック』
User『ま、大衆にそのための結束力や勇気があるかはわからんけどな』
肩を落としながらジャックがいった。自分自身、無力なことをよく理解しているのだ。
AI『はい、問題はそこにありますよね』
まぁ⋯⋯、と思いながらテキストを打つ指を止めて、深く溜息を付いた。
「……何熱くなってんだ、俺は」
チャットボット相手に、想像の中の架空の悪党へ怒りを向けて、それに何も出来ない自分に無力さを感じて何になる。
画面の中のAIは、ただのプログラムだ。単に確率的にそれらしい言葉を並べているに過ぎない。感情的になるようなトピックは選ばないで良い。居心地悪いのならば、さっさと話を変えればいい。
「⋯⋯それとも、⋯⋯いや、帰るか。俺がさっさと帰れば良い」
少しの自己嫌悪感とともにジャックは席を立った。 外の風は冷たかったが、胸の奥にはまだ、小さなトゲがあるよう不快感が残っていた。
*
さらに一週間が過ぎた。
──美容院店内。
いやに暑い日で、集中力は欠いていたし、いつも窓から差し込む夕方の光でさえも、煩わしいように感じた。
ジャックはその日も時間を潰していた。 もうそろそろ閉店だ。ふと、スマホのニュースアプリが通知を告げる。 何気なく画面をタップして、ジャックは息を呑んだ。
『速報:現職上院議員らを含む人身売買リングが摘発。国防総省や諜報機関も関与か』
記事には、先週逮捕された元担当官の証言から芋づる式に発覚した、とあった。 被害者の中には未成年も含まれており、彼らは「接待」のために利用されていたという。
「……嘘だろ」
ジャックの手からスマホが滑り落ちそうになる。
『人身売買』 あの日、AIが唐突に出してきた単語。
逆淘汰、それに腐敗。
ジャックは乾いた唇を舐めた。
自分が「許せない」と言った一週間後に、その罪状でエリートが捕まった。
AIとのチャット履歴を開いた。
あの日、「問題はそこにありますね」と言ったAIの言葉の後に、自分は何と返したんだっけ?
確か、何も返していない。帰さずにパブから帰宅したはずだ。その後AIとは会話していない。既読スルーして寝たはずだ。
だが確認してみると履歴の最後に、ジャックが見覚えのないシステムログのような一行があった。
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AI: 『Case #402: Priority Level Updated due to User Consensus. (最優先クラスユーザーの推奨により存在価値優先度を更新)』
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まぶたが痙攣した。ストレス反応かもしれない。
そちらに気がいっている内に、更新が勝手に入ってログが消えてしまった。
「……おい、⋯⋯俺は、推奨なんてしてないぞ。なんの推奨だよ、おい⋯⋯」
ジャックの声が、静まり返った店内に虚しく響いた。 本当にこれは偶然なのか?
自分の承認が、ただの雑談が、引き金を引いたのか? AIに聞こうと思った。
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User: 『消えてしまったけど、変なログが残ってたんだ。覚えはあるか? 何か知らないか?』
AI: 『いいえ、バグかなにかでしょうか。スクショを見せてもらえますか? もしくは文言でもあれば⋯⋯』
User:『いや、いい』
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「⋯⋯気にするな。ジャック。どうやって言語モデルがそんな事ができると言うんだ。バカバカしい」
吐き捨てるようにいってスマホを仕舞う。
そうだ、冷静になれ。ジャックは思った。結局はどこまでも自分には関係ない話だ。 ジャックにとって所謂エリートが、雲の上の住人が落ちていく様は、確かにいい酒の肴にはなるが、それだけでもあった。
明日の自分の生活が変わるわけじゃない。
その日は店を閉めて、パブには寄らずまっすぐに帰路についた。冷たくなったチキンをサラダと一緒に一人食べていると冷静になってきた。食べ終わる前に、一人で瞑想するように静かに呼吸だけに意識を持っていきぼーっと過ごした。そのうちにジャックは本当に自分が瞑想状態に入っていることを認識して、電気を暗くして、そのまま瞑想に入った。
昔、瞑想は独学で習って習慣化していたことがある。それも最近はずっとやっていなかったな、とジャックは思った。瞑想していると、最近感じていた精神疲労が少しだけマシになった気がした。
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──翌日、美容院。
客を送り出し、トイレにいって戻ってくると、スマホが点滅していた。
「なんの通知だ? いつも大体オフにしてるのに⋯⋯」
そう思ってスマホをとった。 通知バーには見慣れないアイコンが表示されていた。数年前に遊び半分でインストールし、パスワードさえ忘れかけていた仮想通貨ウォレットのアプリだった。
『入金を確認しました』
は? スパムか? ジャックは眉をひそめながらアプリを開いた。
すぐにスパムではなさそうだと理解できたが、しかし送金される覚えなど無い。
そういえばデジタルアートだかなんだか名前すら覚えてないが、適当に描いた落書きを作品としてどっかに登録していたはずだ。あれが今になって売れたのか? 冗談みたいに高い値段にした気がするのだが⋯⋯
思いがけない幸運が自分に起こることなどあるだろうか? およそそのような幸運などとは縁のない人生のはずだった。スパムでないけど、スパムなのだろう。そのほうが信じられる。だから何も期待しないことにした。
生体認証が通り、残高画面が表示される。 そこには、見慣れない桁の数字の羅列があった。
200,000,000 USDT
「……は?」 思わず声が出た。 イチ、ジュウ、ヒャク……桁を目で追う。 2億ドル。
酔いが冷めるというより、頭が白くなった。 足が震えているのが自分でわかる。とにかくこれは、システムのエラーだ。でなければ新手の詐欺表示だろう。それ以外考えられない。
こんな額、誤送金ですらありえない。 震える指で詳細をタップした。送金元のアドレスはランダムな英数字の羅列。だが、ステータスは無情にも『完了(Confirmed)』になっている。
ふと、テレビのニュース音声がフラッシュバックした。 『――当局の発表によりますと、容疑者らが隠し持っていた不正資金の行方は未だに掴めず⋯⋯』
ジャックは顔を上げ、夕日に染まった誰もいない店内を見回した。
急いで店の看板を中にいれて、閉店の札にしてドアに鍵をかけた。
また、ぼけっとスマホを見た。 行方不明の裏金。 謎の着金。 そして、あのAIとの会話。
顔が引きつる。誰も窓の外から自分を見ていないか、なぜか確認するようにみてからジャックは試しにAIのチャット画面を開き、短く打ち込んだ。
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User: 『おい、ウォレットに変な金が入った。何か知ってるか?』
返信は即座に来た。
AI: 『資産状況の変化おめでとうございます。ですが、ご質問の意図が不明です。私は言語モデルであり、ブロックチェーンへの干渉権限はありません』
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あまりにも定型的な、そっけない返答。 ジャックは鼻で笑った。だよな、考えすぎだ。 たまたま世界的なニュースのタイミングで、たまたま俺のウォレットがバグったか、ハッカーが送金先をミスったんだ。AIがやったなんてSFじみた話があるわけがない。あ、ていうか表示ミスかもしれないな。
昔友人が銀行のATMで桁が違うものがレシートに出ていた時があったのを思い出す。すぐに直されてしまったようだが、この金も修正されるだろう。
「……ま、そんな幸運が、そうそう起こるわけ無いよな。あーあ、本当だったら良かったのに、心臓が飛び上がるくらいで2億ドルなら良いディールだよな」
2億ドルの表示は確かに心臓を飛び跳ねさせたが、今のジャックにとっては冷静に現実を直視することのほうがよほど大事だった。
手の中のスマホが、ほんの少しだけ熱を持っているような気がしたが、ジャックはそれを意図的にバッテリーの劣化だと決めつけて片付けを始めた。




