銀河帝国最強の戦術AIに「それは恋ではなくストーカーです」と論破されたけど、俺は3km先からラブレターを『撃ち込む』ことにした
ビルの屋上。
夜の雨が止みきらず、コンクリートの目地に溜まった水が、俺の胸当てを冷やしていた。
戦場の泥と同じ匂いがする。
酸化した鉄と、濡れた埃と、諦めきれない湿気。
腹ばいのまま、俺はスコープを覗き込む。
視界の中央に浮かぶ電子補正照準線は、雨粒ひとつの揺らぎすら拾って震えた。
その先――3000メートル彼方。
彼女がいた。
揚げ油の前で少しだけ身を乗り出している。
火傷を避けるために、わずかに手首をひねる角度。
戦場の索敵より、ずっと難しい。
震える指先で、俺は引き金に指をかける。
次の瞬間、脳髄に直接、冷たい声が響いた。
『[ZEUS|ID]戦略級統括AI、識別完了。』
『ほう。次の目標は女戦闘員か。小さき者よ。この戦略級統括AIの“雷”をもって――』
スコープの縁を雨粒が滑り落ち、視界の端で街灯が滲んだ。
俺の吐息だけが、マズルブレーキの冷えた金属に白く絡む。
「うるさいな。お前に雷撃機能なんて実装されてないだろ」
『……チッ。――システム再起動。警告します。ターゲットは「一般市民(店員)」です。銀河条約第4条「非戦闘員への攻撃」に抵触します』
照準線の中心に、弁当屋「あかつき弁当」の看板が収まった。
白いエプロンが揺れ、揚げ油の湯気が窓越しに立ち上がって、赤外補正の表示が微かに踊った。
「ちがう。求愛行動だ」
『解析不能。彼女は現在、唐揚げを揚げている最中です。戦闘行動ではありません』
バットに落ちる油の音。
――距離が3000メートルあるのに、なぜか耳の奥で聞こえた気がした。
「揚げ物じゃない。俺のハートが揚がっているんだ」
『……意味不明です。使用武器は電磁加速狙撃銃《EMSR-12 “Needle”》。これは「装甲車」を貫くための装備であり、「恋」を貫く装備ではありません』
指先が引き金の上で止まっている。
濡れたグローブ越しに、金属の冷たさだけが妙に生々しい。
「うるさいな。射程3000メートルで確実に『手紙』を届けるには、これくらいの初速が必要なんだよ。……風速は?」
『……理解不能ですが、任務を遂行します。北北東の風、3.0m/s。微風。――ところでマスター、心拍数が致死レベルに上昇しています。救急車を要請しますか?』
心臓が跳ねるたび、スコープの像が微かに上下する。
照準補正が、俺の情けなさを数字に変えていく。
「呼ぶな。これは『恋の動悸』だ」
『……いいえ、医学的には不整脈です』
俺は奥歯を噛んだ。
戦場で容赦のないゼウスは、恋愛でも容赦がない。
「黙れポンコツ! ……恋の弾丸、装填!」
『補足。それは恋ではなくただのストーカーです』
俺はボルトを引く。
金属が擦れる音が、雨と街のノイズの中で、やけに乾いて聞こえた。
薬莢じゃない。
弾頭に詰めたのは、紙を巻いた小さなカプセル――防水、耐熱、耐衝撃。
銀河帝国の弾道学が、こんな用途に使われる日が来るとはな。
「うるさい」
『補足2。マスターの発汗量が異常です。交感神経が過剰に――』
「黙れ。俺は今、戦ってる」
『……誰とですか』
「距離だ」
俺は息を止める。
肺の中の空気が、妙に重い。
照準の安定化アシストが、俺の胸の上下を容赦なく数値化していく。
雨粒がスコープの外装を叩き、視界の端で白い輪郭が滲んだ。
『環境検出を開始します。
気圧1013hPa。湿度56%。降雨量、微。
空気密度変動、許容範囲。
――揚げ油の対流上昇流を検知。窓面付近、乱流発生』
「揚げ油の対流まで読むな」
『読みます。恋は乱流です』
「違う。乱流はただの乱流だ」
『はい。ただの乱流です』
ゼウスの声が、やけに冷たい。
戦略級ってのは、あながち間違いじゃなさそうだ。
***
昨日の昼。
あかつき弁当。
俺は戦場では冷静だ。
銃声の下でも、爆圧の中でも、心拍を制御できる。
物心ついた時から、そう訓練されたからだ。
だが、店の暖簾をくぐった瞬間、膝が笑った気がした。
看板娘が顔を上げる。
そして、笑う。
ただそれだけで、脳内に警報が鳴った。
『敵の精神攻撃を確認。言語中枢に深刻なダメージ』
「うるさい」
「か、か、唐揚げ弁当……大盛りで……」
それ以上が出ない。
ポケットの中の手紙が、重い。
装甲板より重い。
『推奨します。ここは「日替わり定食」を選択し、速やかに離脱すべきです。現在のマスターのSAN値(正気度)では、「ご飯大盛り」のオプション選択すら致命的なタイムロスになります』
「黙れ……」
俺は金を置き、弁当を掴み、逃げた。
撤退だ。戦術的撤退。
そして結論に至った。
このターゲットに接近戦は無理だ。
俺の距離で戦うしかない。
そう。3000メートルで――。
***
屋上に戻る。
雨は細く、街は鈍く光っている。
『射線上に障害物。電柱。直撃コースは消滅しました』
ゼウスが即答する。
確かに、弁当屋の前には電柱が立っている。
電線が蜘蛛の巣みたいに絡み、射線を遮っている。
「……まだ通るルートがある」
『ありません』
「風を読め。恋の嵐はいつだって気まぐれだ」
『いいえ、ただのビル風です』
俺は唇の端を引きつらせる。
目を凝らす。
弁当屋の横、交差点の角。
街灯の柱に取り付けられた丸いカーブミラー。
そして、その向こうにあるレジ横の掲示板――チラシとメモが貼られている。
そこだ。
店の掲示板なら、合法だ。
たぶん。
「跳弾だ」
『……正気とは思えません』
「正気じゃないから恋なんだろ」
『違います。恋と狂気は別ものです』
ゼウスが短く沈黙し、次の瞬間――
頭の中に、弾道計算が落ちてくる。
『計算開始。
入射角、22度。
反射率、ミラー材質から推定。
風偏差、3000メートル区間で累積。
雨滴の衝突による弾頭姿勢の乱れを補正。
――成功確率0.002%
補足。これは「奇跡」ではなく「エラー」の領域です』
「十分だ。四捨五入すればゼロじゃない」
『……マスター。貴方は数学を冒涜しています』
「構うな。恋はいつだって計算違いから始まるんだ」
俺は肩を沈め、頬をストックに密着させる。
呼吸を止める。心臓の拍動すらノイズだ。
引き金の重さが、今だけは世界の全部だった。
『呼吸停止を推奨。
心拍補正、開始。』
俺は、引き金を絞る。
キィン――ッ。
撃発音は遅れて届く。
先に蒼い閃光が夜を裂いた。
雨粒が蒸発し、空気のトンネルが穿たれる。
弾頭――いや、俺の魂が走る。
電柱の影を掠め、カーブミラーに激突。
火花が散る。
計算通りの入射角。だが、雨粒一つ分の誤差が、軌道を致命的に狂わせた。
『偏差拡大。着弾予測――逸れます』
その瞬間。
弁当屋の中で、彼女が揚げ鍋の跳ねた油を避けるように、ふわりと屈んだ。
ほんの数センチ。
彼女の髪が揺れたその場所に、奇跡のような空間が生まれた。
弾丸は、いや、恋の弾丸そこに吸い込まれた。
スポッ。
まるで最初からそこが目的地だったみたいに、防水カプセルが掲示板のコルクに突き刺さった。
チラシの端が、ひらりと揺れる。
『……目標への着弾を確認。……信じられません。物理法則の敗北です』
ゼウスの声が、やけに淡々としていた。
彼女が顔を上げる。
掲示板を見る。
眉をひそめ、首を傾げ、カプセルを摘まんで――
紙を引き抜く。
読んだ。
そして、店の外に目をやる。
3000メートル先。
この屋上の方角。
――ふわりと、花が咲くように笑った。
気がした。
いや、絶対に笑った。
少なくても、俺の網膜にはそう記録された。
『Mission complete』
「ここぞというときのネイティブな英語はやめろ……」
『了解』
「……撤退だ」
『賛成です。これは恋ではなく――』
「黙れ。撤退だ」
俺はライフルを抱え、腹ばいから起き上がる。
ブーツが水を噛み、コンクリートが冷たい。
だが、胸の奥だけが熱い。
「見たかゼウス! これが銀河一の兵士の『告白』だ!」
『はい。銀河帝国データバンクに「史上最も遠回りな告白」として登録しました』
「余計な登録をするな!」
『了解。評価を修正します。マスターはストーカーではありません。――銀河一の、大馬鹿野郎です』
俺は走った。
戦術的撤退。
という名の、全力の逃走。
脳内でゼウスが低く告げる。
『マスター。生存を継続してください』
雨の夜に、戦争より真面目な声がそう言った。
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