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【オムニバスSS集】青過ぎる思春期の断片

恥知り人のプライド

作者: 津籠睦月

 物心ついた時から、父親に得体(えたい)の知れない“(おそ)れ”を(いだ)いている。

 うちの父は決して“見るからに恐いタイプ”ではない。

 むしろ他人に対して愛想(あいそう)の良い、社交的なタイプだ。

 だけど、何となく(あらが)(がた)い。何となく、(さか)らえない何かを感じる。

 母親に対しては普通に反発できるのに。

 我ながら、不可解(ふかかい)な心理だと思う。

 

 そんな父は、昔から人の言うことを聞かない。

 と言うより、俺の(・・)話を聞いてくれない。

 自分の中だけで勝手に物事を決めて、それを俺に押しつける。

 俺の意見などまるで聞かず、父が良いと思ったものを無理矢理強要(きょうよう)してくる。

 (じゅく)も、空手教室も、市が主催(しゅさい)のサマーキャンプも、(みんな)そうだった。

 ひどい時は「どうだ?」とも()かず「申し()んでおいたぞ」の事後承諾(じごしょうだく)だ。

 

 だが、塾や稽古事(けいこごと)は、入った後は父の目が(とど)かないから、それなりの自由がある。

 最悪なのは、夏休みの自由工作だった。

 自由と名が付くのに、俺にとってまるで自由の無かった夏休みの課題(かだい)

 俺が“将来の道”を一つ切り捨てるきっかけにもなった、(にが)いトラウマ。

 あれも、父の「良かれと思って」の行動の結果だった。

 “考え無しの善意(ぜんい)”は、時に“深謀遠慮(しんぼうえんりょ)な悪意”より、よほど性質(たち)が悪い。

 

 自分のことをそこまで深く分析(ぶんせき)できているわけではないが、俺はたぶん、独立心が強いタイプだ。

 下手に他人に口出し・手出しされるより、(むずか)しくても面倒(めんどう)でも、自分の手で物事をやり()げたい。

 他人に「ああだこうだ」言われると、やる気が()せる。

 テスト勉強を始めようかというタイミングで「ちゃんと勉強やってるの?」と()かれると、イラッとするのと似た心理だ。

 自分のペースで進めていきたいのに、他人に計画を()き回されると、もう何かもかもどうでも良くなる――あれと同じ心理だ。

 こういうタイプの子どもにとって、何かと口出し・手出ししたがる親は最悪に相性(あいしょう)が悪い。

 

 そもそもうちの父親は、元から日曜大工(DIY)やものづくりが得意(とくい)な人だった。

 そんな人間が子どもの夏休みの工作に興味(きょうみ)を持ってしまったら、もうおしまいだ。

 「子どもの課題を手伝う」という名目(めいもく)(もと)嬉々(きき)として自分の(・・・)作品作りに没頭(ぼっとう)してしまう。

 気づけば主従が逆転し「父が俺の課題を手伝う」のではなく「俺が父の作品作りを手伝う」になってしまう。

 「何を作るか」から、材料、作り方、デザインに(いた)るまで、全て父の指示するまま。

 「こうしたらどうだ?」「これがいいんじゃないか?」と提案(ていあん)の形を取ってはいても、俺にそれを拒否(きょひ)する選択肢(せんたくし)は無い。

 考えてもみて欲しい。

 元から(さか)らい(がた)い“父親”という生き物に、メンタルも肉体もまだ到底敵(とうていかな)わない小学生男子が、反対意見など言えただろうか?

 

 こちらが拒絶(きょぜつ)しないのを良いことに、俺の自由工作は全てが全て父親のセンスで完成させられてしまった。

 当時小学生だった俺と、とっくの昔に大人だった父とでは、好みも美的センスも何もかもが(ちが)う。

 父は緻密(ちみつ)で高度に計算された、皆を(・・)あっと(おどろ)かせる絡繰装置(からくりそうち)を作りたがる。

 だが俺は、大胆(だいたん)感覚任(かんかくまか)せな、自分の(・・・)趣味(しゅみ)全開の“きょうりゅうゆうえんち”を作りたかった。

 色も、木材の()の色を()かした地味(じみ)素朴(そぼく)なものなんかじゃなく、好きな色をカラフルに()りたくりたかった。

 

 今()り返れば、小学生当時の俺の感性は幼稚(ようち)で子どもじみたものだった。

 父の目から見れば、さぞ壊滅的(かいめつてき)センスに映ったことだろう。

 だが、子ども(・・・)のセンスが子どもっぽくて何が悪い。

 俺は、大人に(みと)められる(すご)いモノを作りたかったわけじゃない。

 自分の好きなモノ、自分の頭の中に()かんだ世界を、自分の手で(つく)り出してみたかっただけなんだ。

 

 実際に工作に取りかかる前の「あれを作ろう」「こういうのもいいかも」というワクワクした気持ちは、みるみる(しぼ)んで無くなった。

 他人の決めたモノを“作らされる”だけの行為(こうい)は、ただの作業(さぎょう)だ。

 工程(こうてい)さえ好きにできず、自由も工夫(くふう)も楽しみも無い作業は、ただの苦行(くぎょう)だ。

 俺にとって夏休みの自由工作は、いつしかそういうもの(・・・・・・)になっていた。

 そして最悪なことに、苦しみはそこで終わりではなかった。

 

 夏休み()けに、出来上(できあ)がった工作を学校へ持って行くと、ほとんど父が作ったハイレベルな作品は、クラスで一番の注目を()びた。

 先生にも()められ、学年の代表として県のコンクールにも出品された。

 俺にはそれが、とてつもなく()ずかしかった。

 

 どう考えても自分の(・・・)作品とは思えないシロモノが、俺の名前で出品され、あまつさえ賞まで()ってしまう。

 自分がひどい詐欺行為(さぎこうい)(はたら)かされているようで、気が気じゃなかったし、罪悪感(ざいあくかん)()(たま)れなかった。

 だが、正直に「これは父が作ったものです」と言う勇気も無かった。

 本当のことを言えない自分が(なさ)けなくて、父に歯向かって“自分の作品作り”を守れなかった自分が(みじ)めで、心の中がずっと鬱々(うつうつ)としていたのを(おぼ)えている。

 

 自尊心(じそんしん)が強い人間は、羞恥心(しゅうちしん)も強いのかも知れない。

 “夏休みの工作キット”なんて物が店で売られるこの時代、自由工作に子どもの独創性(オリジナリティー)なんて求められていないのかも知れない。

 (だれ)の手を借りようと、誰のアイディアを使おうと、(しつ)の高い作品さえ作れて良い賞がもらえれば、それが“成功”なのかも知れない。

 些細(ささい)なことに羞恥心(しゅうちしん)なんて(おぼ)えず、使えるモノは何でも使って(かしこ)く立ち回る(やつ)の方が、人生を上手(うま)(わた)って行けるのかも知れない。

 

 だけど羞恥心(しゅうちしん)というシロモノは、簡単(かんたん)に無視できるほど軽いものじゃない。

 恐怖や怒りと同じくらいの強さで、人の心を(しば)り、行動を不自由にする。

 俺はどうして、(はじ)を知らない人間に生まれなかったのだろう。

 

 父の(・・)作品が()められるたびに、自分の(・・・)センスを(けな)されている気がした。

 当時の俺は父の作品の良さなどまるで分からず、むしろ“よく分からないつまらない作品”だと思っていた。

 父の作品が称賛(しょうさん)されるたび、そんな自分の感覚を嘲笑(わら)われている気がした。

 俺の作品が父の(・・)作品になっていくのを、心の中では猛反発(もうはんぱつ)して、何としてでも止めたかったのに……そんな父の作品を、皆は(みと)めて(たた)えるのだ。

 これ(・・)()められるなら、真逆のセンスの俺の作品など、きっと認めてもらえない――そんな絶望的な“(さと)り”があって、俺は工作が(きら)いになった。

 決してこの先、そういう道など目指(めざ)すまいと、心に(ちか)った。

 

 (あやつ)り人形の(つか)んだ栄光は、()たして本人のものと言えるのだろうか。

 俺は父の(・・)作品が()った賞を、自分の成果(せいか)だとは思っていない。

 これは俺の矜持(プライド)だ。

 

 父の作ったあの夏の工作は、捨てるわけにもいかず、だが目に入る場所に(かざ)っておく気にもなれず、段ボール箱に封印して、物置の(すみ)に追いやった。

 きっといつか「この箱って何だっけ」とうっかり開けて中身を知った時、(よみがえ)る物思いにのたうち回るのだろう。

 俺にとってあの作品は“愛着(あいちゃく)ある思い出の品”ではなく“黒歴史の象徴(しょうちょう)”だ。

 

 たとえ賞を()るほど優秀な作品でも、俺ならぬ他人の作ったモノなら()らない。

 たとえ不器用(ぶきよう)不出来(ふでき)な作品だったとしても、俺は俺の作るモノを愛したかった。

 たぶんそれは、“自分を愛する”っていうのと同じことだ。

 

 “他人の評価(ひょうか)()られないこと”より“俺が俺の作品を愛してやれないこと”の方を、俺は恥に思う。

 他者への畏怖(いふ)や、その場の空気や……いろいろなものに流されて“自分”を(つらぬ)き通せないことを、恥ずかしく思う。

 簡単に周囲の色に()まってしまう、弱い自分に羞恥(しゅうち)(おぼ)える。

 きっと、守りたい“自分”や、理想の“自分”を持たない人間には、恥の意識(いしき)など、そもそも生まれもしないのだろう。

 

 小学生のあの日、俺には作品の優劣(ゆうれつ)よりも大切なものがあった。

 本当に自分の好きなものを、自分の力で精一杯(せいいっぱい)作れたなら、失敗してもそれは“夏の思い出”になってくれただろう。

 だが俺のあの日々は“思い出の一頁(いちページ)”にはならず、(にが)(とげ)として胸に()さっている。

 これからも、理想と現実の(はざま)で自分を押し殺すたび、“思い出”になれない苦い(とげ)が、一つずつ()えていくのだろう。

 

 (いま)だ弱い俺は、今もまだ、何度も現実に負けながら、(あらが)っている。

 苦い棘がこれ以上増えないよう――(いと)しい“思い出”が一頁(いちページ)でも増えるよう、今も、抗い続けている。

Copyright(C) 2024 Mutsuki Tsugomori.All Right Reserved.

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