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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

まぼろし

作者: アシカDX

僕の通ってる学校から海が見える。

夏は日差しが反射してキラキラ輝き、冬は雪が静かに海面に吸い込まれていく。

その様を眺めるのが大好きで、僕はいつも窓際の席を希望している。



その日も僕は海を眺めていた。

新学年が始まった最初の日。

新学年とはいっても1年上がっただけで新しいことは何もない。

見慣れた顔ばかりが揃って座り、教壇に立つ先生の方を向いている。


―今年の担任も去年と同じか。


頬杖をついたままチラと視線だけ投げると、僕はまた海の方を眺める作業に入った。

ところが、それは先生の一言によって遮られることになった。


「今年から転入生が入るぞー。」


変わり映えのない日々に終わりを告げたその声で、僕は今度こそ先生の方に顔を向けた。

続いて、ガラガラと耳障りな音を立ててドアが開く。

その隙間から見えた少年。

それは窓から零れる光をすべて受け止めたガラス細工。

細い手足は繊細な美しさを持ち、その白い肌は儚げで、色素の薄い髪は透明に輝き。

全身の全てが海の泡のよう。

触れれば消えてしまいそうな危うさがあった。

瞬きをすればいなくなってしまいそうで、僕はその子を凝視していた。



華奢な足が一歩ずつ教卓に向かって進んでいく。

まるで幻でも見せられているかのように周囲がぼんやりして見えて、世界のスピードが一気に遅くなる感覚に陥った。

僕の視線に気づいた少年は、海に漂う海藻のようにゆっくりとその長いまつげを揺らして目を動かし、視線を絡ませてきた。

その瞬間、弱い電流が走ったようなピリッとした感覚が全身を巡り、僕は思わず生唾を飲み込んだ。

と、先生の声が耳に響き、僕は現実に引き戻された。


鳴海(なるみ)りつ君だ。よろしくな。」


先生の隣で小さくお辞儀をすると、鳴海君は先生の指示を受けて、後方の空いている席に座った。

僕の席からは振り向く形になってしまうので、これ以上は目で追うことができなかった。



***



春特有のそわそわとした雰囲気が落ち着いてきたころ、鳴海君も教室に馴染んでいた。

鳴海君は運動神経が抜群でどんなスポーツも軽くこなし、陸上で行うすべての競技が可能なのではないかというほどの万能ぶりを見せた。

体育の授業は鳴海君の独壇場だった。

女子はそんな鳴海君に黄色い声を上げ、目をハートにして、一生懸命に話しかけたり、さりげなくボディタッチをしてアピールしたりしていた。

ただ鳴海君はそういったことに一切興味がないようで、いつも人当たりよく笑顔で対応しているものの、時には教室から姿を消して女子の目から逃れていることもあるらしかった。



というのも、たまたま通りかかった階段の上で鳴海君が座り込んでいるのを見つけたことがあったからだ。

そこは教室から一番離れた階段で、しかも使用頻度の低い教室が並ぶ廊下に繋がる階段でもあったため、人通りが少なかったのだ。

僕は先生に頼まれて、休み時間中にその人気のない廊下にある教材室へと授業道具を運んで行った帰りだった。


「鳴海君?」


声をかけてみると、鳴海君は肩を弾ませて驚き、素早く僕の方を見た。

そして声をかけたのが僕だと分かると、唇に人差し指を当てて「しーっ」と静かにするように促した。

僕は下の階から聞こえてくる女子の色めき立つ声を聞いて察すると、小さく頷いて鳴海君の隣に静かに腰かけた。

やがて女子の声が遠ざかっていくと、鳴海君はようやく一息ついた。


「ここ、静かでいいよね。」


鳴海君は踊り場にある小さな窓ガラスから外を見ながら言った。

僕もそれに倣って外を眺めながら答える。


「うん。海も見えるしね。」


窓ガラスの向こうには下に広がる海が見え、僕は毎日のようにその姿を見ているのにまるで初めて見たような新鮮さを感じていた。

それはきっと、だれかと並んで見る海が初めてだからだろう。

そう思って隣を盗み見ると、鳴海君は目を細めて愛おしそうな顔で海を見ていた。

初めて見る彼の表情に、僕はまたあの日の弱い電流を感じた。


「君、いつも海見てるよね。」


ふいに鳴海君が僕の方を向いた。

思いっきり目が合って、僕は不自然に目を泳がせると海に助けを求めた。


「あ、う、うん。えっと、綺麗だから…。」


鳴海君はふふっと笑うと「そうだよね」と共感し、また海を見始めたようだった。

僕は次の話題を考えて、今度は自然な流れで話を始めた。


「そういえば、夏になったらプール始まるね。僕、泳ぐのも好きだから夏は楽しみなんだ。」

「俺も泳ぐのは好き。でも、泳ぐなら海がいいかな。プールは好きじゃない。」

「…わかる気がする。」


鳴海君がプールで泳いでいるところは想像できないのに、海で優雅に泳ぎ回っている場面は容易に浮かんでくる。

僕はそういう意味で鳴海君に同意した。


「体育でいつも見てるけど、水中での運動もやっぱり得意なの?」

「う~ん…陸が得意だとは思ってないけど…そうだね、水中の方が好き。」


鳴海君は僕の問いに一瞬頭を悩ませたが、大きく頷いて答えた。

あれだけ運動神経抜群で『得意だと思ってない』というと嫌味っぽく聞こえるものだが、僕には全くそう聞こえなかった。

彼の自然体の姿がそう思わせるのだろう。

鼻にかけることもなく、見せびらかすでもなく、できることをやっただけ。

ただそういうことなのだ。



しばらくぼーっとそこに座り込んでいると、やがて始業を知らせるチャイムが鳴り響いた。

僕たちは慌てて階段を駆け下りる。

廊下に出ると小走りになって、少し前を行く鳴海君が「早く!」と急かしながら僕を振り返る。

鳴海君が走った後の残り香は、女子が使う香水の【何とかマリンの香り】に似たような海の香りがした。



***



本格的な夏が来てプールの授業が始まった。

鳴海君はプールが嫌いだと言っていたが、その宣言通り、プールの授業では一度も泳ぐことはなかった。

常に見学席に座り、日陰から僕たちを眺め、時には塩素の香りに顔をしかめたりしていた。

あの時は理由を聞かなかったけど、もしかすると塩素が体質に合わないのかもしれない。

この夏のプール授業で何度目かの鳴海君のしかめっ面を見かけ、僕はふとそんなことを考えた。

だとしたら、あの時の「わかる気がする」という返事はあまりに間抜けじゃなかっただろうか。

肌が弱そうだ、とかなよなよしてる、とかそういう偏見に聞こえたかもしれない。

そんなことが言いたかったわけでは…


僕がぐるぐると考えていると、いつの間にかタオルを持った鳴海君が目の前に立っていた。


「着替え、行かないの?」


僕は突然現れた思考の中心人物に驚き、自分の体がびしょびしょに濡れているのも忘れてあわあわと両手を動かした。

鳴海君は裸足で水たまりに入っていて、タオルを渡す姿勢のまま僕が振り落としたプールの雫を頭から受け止めた。


「冷たいよ。」


コロコロと笑いながら顔についた雫を指で弾き、更にずいっとタオルを前に出して僕に渡してくる。

僕はそれを慌てて受け取り、塩素で皮膚炎が起きるのではないかと心配しながら鳴海君の頭に乗った雫をタオルで払った。


「あ、ごめん!塩素大丈夫!?」

「え?塩素?」

「塩素だめなんでしょ!?だからプールはいらないんだよね、きっと!」


僕は裸足で水たまりにつかっているのもよくないと思い、乾いた地面まで鳴海君の手を引いて行こうとした。

ところが、鳴海君は今まで見たことないくらいの大きな笑いを見せ、涙を流してまで笑い続けた。

僕はポカンと口を半開きにしながらも、塩素が原因でプールの見学を続けていたわけではないことを理解すると目を泳がせてその手を離した。


「あはは!ご、ごめん!ふ、くく…ははっ!」


僕は鳴海君の笑いが収まるまでの間、タオルで全身を拭いた。

勘違いしたのが少し恥ずかしくなって、頭を拭くタイミングでこっそりタオルに顔を埋めたりもした。


「はぁ~。落ち着いた。」


鳴海君は大きく一呼吸すると、チラっと僕の方を見た。


「俺、本当にただプールが嫌いなだけなんだ。塩素って臭いしさ、偽物の水って感じが好きじゃないの。」


プールに張られたたっぷりの塩素水を見つめながら、心底嫌そうに鳴海君は言った。


「やっぱり海が一番好き。」


くるっと僕の方に向き直りながら、あの時の愛おしい目で彼はそういった。

僕はそんな鳴海君につられて笑顔になり、それでもなんだか気持ちが収まらなくて鳴海君の頭をくしゃくしゃに撫でた。

「やめろ~」と抵抗する鳴海君を無視して、僕は満足するまで撫で続けた。



***



秋口に入ると吹く風が冷たくなってくる。

台風の接近も増え、それに伴って雨の日も増える。

傘を差して登下校するのは片手が塞がって面倒だが、雨に降られてはそれこそ面倒なことになる。

その日も朝から土砂降りの大雨で、下校時間になってもその勢いは弱まらなかった。

僕は家にある中で一番大きな黒い傘を差して登校していた。

おかげで雨粒による被害は足元のみになり、家に帰ったらすぐに靴を乾燥させようと考えていた。



いつも下校途中に通りかかる公園。

今日は雨のせいで遊んでいる子供も散歩している老人もおらず、ただ濡れた遊具と砂場だけがそこに取り残されていた。

ところが、よく見るとベンチに一つ、影があった。

その背中は見慣れたサイズで、傘もささずにそこにいた。

僕は大急ぎでそのベンチに近づくと、傘を傾けて彼を中に入れた。


「あれ?」


見上げた顔は確かに鳴海君だった。

彼の目の前には逆さまにしたビニール傘が開かれており、その中には雨水が溜まっていた。


「何してるの?」


いつも通りの彼の様子に少しほっとして、僕は声をかけた。

すると鳴海君は僕が掲げた傘から出て立ち上がり、ビニール傘を雨水がこぼれないようにそっと持ち上げるとこちらに向いた。


「雨かぶり!」


言ったが早いか、彼は思いっきり傘を振り上げ、そのまま傘を差すように持った。

中の雨水がバケツの水のように勢いよく鳴海君を覆うと、地面に水たまりを作ってまた静かに雨を打った。

僕はあっけにとられてその様子を見ていたが、鳴海君は心底楽しそうに雨かぶりなるものをしていた。


「風邪ひくよ。」


僕はやや呆れ気味にそういったが、彼はまた傘に雨を溜めはじめ、ベンチに腰掛けて雨水の様子を眺めている。


「雨の日って好き。全身で水を感じるから。」

「海じゃないのに?」


僕は依然、傘を差して立ったまま話をつづけた。

鳴海君は少し考えたが、それでもうんと頷いた。


「雨も海になる。」

「う~ん、確かに。そうか。」


雨脚が弱まる気配はなく、鳴海君が帰る様子もなく、それでいて風はだんだん冷たくなってきた。

僕は彼の体温が気になって思わず頬に手を当てた。

冷たい。

分かり切っていたことだったが、改めて触ってみて彼の冷たさに衝撃を受けた。


「冷たいよ。本当に風邪ひくって。」


鳴海君は僕の手を両手で包み込み、その手にすりすりと頬を寄せた。


「あったか~い。」

「ね、ねぇ…」


冷たく濡れた頬の感覚が片手に集中する。

つやつやの鳴海君の肌が僕の手の中いっぱいにその質感を刻んでいくようだった。

鳴海君はふと動きを止め、僕の方を見上げた。

その目は雨のせいなのか潤んでいるように見えて、僕の心臓はドクンと脈打った。


「ねぇ、なんで俺のことずっと鳴海君って呼ぶの?名前で呼んでくれないの?」

「え…」


突然の質問に面食らった僕は何と答えていいやら、その質問の意味はどういうことなのか、思考回路を詰まらせてしまった。


「りつって呼んでよ。」


言葉に迷っている僕を見かねてか、鳴海君は僕をまっすぐに見つめたままそういった。

その目はまだ潤みを帯びていたが、真剣そのものだった。

もう雨が降っているのか分からないほどに心臓の音がうるさく鳴り、傘をちゃんと持てているのかも怪しいほど緊張して手の感覚を無くし始めた。

どぎまぎしていると、鳴海君は頬に置いていた僕の手を自分の口元に持っていき、口の形を教えるように指先をその小さくて柔らかな唇の上に乗せた。


「り、つ。」


わかった?というように小首を傾げると、指を離して僕の口が開くのを待っている。

僕は操り人形になってしまったかのように、促されるまま口を開いた。


「 り つ 。 」


呪文のように名前を唱えたとたん、ザーザー降りの雨が鼓膜にうるさく反響してくる。

世界から雨音以外が消え去ったように。




気付くと公園には僕しかいなかった。

逆さまに開いた傘も、目の前のベンチに座っていた人影も、雨に流されてしまったかのように消えてしまった。

雨はすっかり止んでいた。




それからしばらくりつは学校を休んだ。

やっぱり風邪を引いたのだろう。

頑固な風邪で、2週間ほど姿を見せなかった。

もしかしたらあの日のりつは幻だったか、本当はそんな人もいなかったのかもしれないと考え始めているときだった。

下校途中の公園で、僕は後ろから腕を引っ張られた。


「うわっ…っと、りつ!?」


りつはいつものような元気な姿でそこに立っていた。

かと思うと、にこにこの笑顔で俺の手を引っ張り、先に立って歩き出す。


「海いこ!」

「え、ちょっと…風邪は!?」

「もう治った!」


必死で引っ張られる腕に付いて行こうと、体を急がせて歩調を合わせようとしながら俺は声を上げた。

りつは振り向きもせずにただ海を目指してまっすぐ歩き続ける。



そういえばりつの私服姿を見るのは初めてだった。

クリーム色の綿のシャツが風を吸い込み、背中が少し膨らんでいる。

この寒い季節にシャツ一枚で冷えているはずなのに、僕を掴んでいるりつの手は温かい。



そんな調子でりつを観察しながらも坂を下り続け、やがて海岸にたどり着く。

りつは岩場に腰掛けて、隣に座るようにポンっとそこを叩いた。

僕は寒さに負けないよう、前で腕を組んで体を丸め、指定された場所に座った。


「足つけない?」


りつは靴を脱ぐと靴下も脱ぎ始め、そっと海面に足を近づけていく。

僕はびっくりして思い切り首を振ってその誘いを断った。

さすがにそれはやりすぎだ。

いくらなんでも凍えてしまう。

僕はそう思ってりつを制止しようとした。

その時だった。



りつの足先が海面に触れた瞬間から、海に入っていくにつれて段々と足がひれの形に光り変わっていく。

光の屈折なのか、そのひれに付いた鱗が七色に輝いているように見え、やがてその鱗はりつの腰あたりまで広がり、2本の人間の足だったものは今や魚のものに変わっていた。



驚きのあまり僕が何も言えずにいると、りつはスルリと岩場から降りて海に入った。

寒さや冷たさは感じないようで、僕に見せるように近くを泳いだり、少し離れてはジャンプしてみせたりした。



それを見つめている間、僕はりつとの出会いから特別な何かを感じていた理由がはっきりとわかった気がして、妙に冷静になっていた。

プールが嫌いなわけも、水が好きで海を愛していたわけも、すべてが腑に落ちる。



りつは軽い身のこなしで近くまで泳いでくると、僕の座っている岩場に頬杖をつき、顔を近づけるように指でくいっと僕のことを誘った。

僕は誘われるままに少し腰を曲げて顔を寄せると、りつは更に顔を近づけてきた。

最初の出会いのように目線同士が絡み合い、その距離が迫ってくると僕はキュッと唇を結んだ。



りつの唇は僕の横をすり抜け、耳元で小さくささやいた。


「内緒だよ。」


そのままりつは岩場に残した靴を持つと海に戻り、振り返らずに海の中へ潜っていった。

すぐにその姿は海の中に融け、鱗の輝きさえも見えなくなると僕はやっと姿勢を戻した。

手元に違和感を感じ、岩場に置いていた手の平を見ると、そこには七色に輝く鱗が一枚くっついていた。

僕はそのりつの分身を太陽にかざし、その反射を堪能するとそっと鱗に口づけた。




翌日、鳴海りつは家庭の事情により急遽転校が決まったと知らされた。

相変わらず僕は教室から海を眺めている。

いつもと違うのは、その手に七色の光を握っていること。

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