帰ってきた寿々喜節句
小説を書かなくなって随分経った。
書けなくなってといった方がいいのだろうか。
いや、本気を出せば書ける。うん、書ける。絶対。きっと。そのはず。
小説も読まなくなった。
ミステリー小説をよく読んでいたのに、今は自己啓発書やビジネス書を中心に読んでいる。
もう小説は読めなくなったのだろうか。
いや、本気を出せば読める。うん、読める。絶対。きっと。そのはず。
色々と小説の構想は実は出来上がっていて、書きたいと思っている。
でも整理をしたいと考えていて、それができていない。困ったものだ。
書こうと思えば書けるのだけれど、書こうと思わないというのが事実で、書いてほしいと自分では願っているのだけれど、全然書いてくれないという己と戦っている。
そう、これは己との戦いなのだ。
戦いの火ぶたは切って落とされたのだ。
そして今、君たちは、寿々喜節句の戦いを目の当たりにしているのだ。
君たちは観戦者なのだ。
どうだ、見ている感じは。存分に楽しんでくれたまえ。
足掻いて足掻いて足掻ききって、死ぬ気で生きて、生きるために死ぬ事まで考えて、闇に落ち、止まぬ病に彷徨い、筆を執っている(PCだよ)。
久しく文章を書いていなかったから、大体決めてた千二百文字が長い。
文字数稼ぎも苦手になったもんだ。あと半分くらい書かないと。
話題はないかな。
とにかく、ちょっとずつ復帰をしたいと考えている。
寿々喜節句の復活劇を目に焼き付けてやる。
いいか? 網膜に焼き付けて、ハレーションを起こしてやる。
失うものなんて何もないんだ。地獄と奈落の底を見た私は強い。
闇落ちしたアマチュア作家の恐ろしさを思い知らせてやる。
よく見ておけよ(口調が乱暴だよ)。
読みたい他の仲間の小説もあるけれど、ちょっと自分のことで手一杯なのは、ご容赦ください。
それは心が痛いです。まじで。ほんと、まじで、それは痛いし病む。
絶対に読むから。死ぬまでには絶対に読む。
だからちょっと待っててくれ。
逆に読むまでは死なないから、読んでないってことは生きているってことと考えていい。
もしかしたら読み切ったら死ぬかも。「読み切り死」するかも(なにそれ?)。
さて文字数もいい感じになってきた。締めにかかろうか。
文章書くって楽しいな。やっぱり続けることが大事だなと思う。
ブランクが空いてしまったけれど、徐々に更新も増やしていこうと思う。
とにもかくにも私には可能性が眠っているということだ。
まだまだ寿々喜節句は健在だ。
いや、もっとパワーアップしたはずだ。
それかバージョンアップか、アップデート。
とにかくアップしているということだ。
きっと。そのはず。