上を向いて……
『こうやって二人で並んで見る空は、俺とエミリア、二人だけの物……』
私はフレンの言葉に思わず息を飲んでしまった。
同時サラリと流れる風が私の髪を優しく撫でる。
「……本当に、ちょっとはいい事いうじゃない、でも青臭いわね」
フレンは「えー」と大げさに落胆した仕草を見せたが、再び空を見上げた。
「まぁなんだ……だから辛いとき、嫌な時、悲しい時は空を見上げるってのは一種の気分転換になっていいと思うぜ。そして……いつか大切な人と並んで空を見上げて二人で独占してやれ!」
私は気が付いたら再び瞳の奥からじわりと湧いてきた。
上を向いて流れる涙は瞳に留まり、見えてる景色が滲んでいく。
「……がんばれエミリア……負けるな……」
フレンはそういって優しく私の肩に手を置いた。
私はフレンの顔を見て、その手をキュッと優しく握る。
「ちょっとだけいい事いう時は『エミリア』って呼ぶのずるい……」
「惚れた?」
「惚れない」
得意げに決め顔をしたフレンは間髪入れずにそう突っ込んだ。
「じゃあ俺の事好きになってもらうまで、もっと頑張るかなぁ」
フレンは小さい声で何かを呟いた気がする。
「なにか言った?」
「なーんでも?」
フレンはグイーっと伸びをしながら大きな欠伸をする。
「ふわ~あ……てか服濡れたまま話しすぎた……クッソ寒い……帰るか……」
私たちは寒い地域に生まれ育っているので寒さには多少強いが、全身びしょ濡れで秋の夕暮れは流石に堪える……。
「そうだね……あぁ……また親に遅いって怒られちゃうなぁ……しかも濡れてるし……」
「そしたら夜にまた空を見ればいいんだよ、今日は空気が澄んでたから多分星空が綺麗だぞ」
「そうだね……あっ……」
洗濯カゴを持ち上げようと手を伸ばすとフレンは何も言わず、当然のように担いでくれた。
私は改めてお礼を言おうか迷ったが、フレンの性格上「気にすんな!」と笑顔を見せてくれる事が容易に想像できたので私は何も言わず持ってもらうことにした。
二人で歩いていると村の入り口辺りに小さな子供と親と思わしき大人がいるのが目に止まり思わず足を止める。
子供は服も顔も泥まみれになっているがとても嬉しそうに笑っている、おそらく親の畑仕事を手伝い終わったのだろう。
するとお母さんと思わしき女性に抱きしめられ、お父さんと思わしき男性に頭を撫でてもらっていた。
その姿を私は過去の思い出と重ねて観た。昔は私もああだったなぁ、と。
お父さんの大きな手の平で撫でられる感覚ってどういう感じだったっけ。
お母さんの腕の中の温もりってどんな感覚だったっけ……。
懐かしむように、少し羨ましく思いながら観ている私の頭にポンと手が置かれた。フレンだ。
フレンは相変わらずの笑顔でそのまま頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でまわす。
「ちょ、なにすんのよ!」
「ちょっと嬉しくならなかった?」
「ならないわよ!」
「もっと優しくして欲しかった?」
「そういう問題じゃない!」
私はプイとそっぽを向くと「そっかー」と残念そうに頭をポリポリ搔いていた。
だけど本当は少し嬉しかった……でも正直に答えるとこいつはすぐに調子に乗る男だ。
だからあえてそっぽを向いたがもしかしたら私の気持ちはわかっているのかもしれない。
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「遅い!」
案の定怒鳴られたがまぁこんな事は予想の範疇だ。
「しかもなんであんた全身びしょ濡れなのよ!」
「えっと……ちょっと足滑らせて川に落ちちゃって……あ、でも洗濯物は大丈夫!流されてないから……」
「……まぁいいわ、怪我はしてないでしょうね?」
あれ?随分あっけない……普段だったら『洗濯物を流してたらただじゃおかないからね!』とか『あんたの怪我なんてどうでもいいの!』とか怒鳴るのに……。
私は呆気に取られてボーッとしていると「早く着替えなさい!」と言われ、ハッとした。
「……それと、お風呂できてるから入ってらっしゃい」
「え……うん……お風呂……珍しいね。お父さん今日は調子良かったの?」
私達貧民層は一般層との浴槽の形すら違い、家の外にかまどの上に大きな釜を置き、そのかまどに火を焚べて入るといった形だ。
しかし、火を焚べる為の木材すらも限られるので、毎日お風呂に入るといった習慣は無い。
余談だが、うちの浴槽は大した壁で完全に囲まれていない上に天井がない。
なので場所によってはお風呂が見えてしまう……。
それをいい事に以前フレンが私の入浴を覗こうと、高所から足を滑らせ転倒し、足をねん挫した事がある。自業自得だ。
その為、基本汗を沢山かいた時は昼間のフレンのように濡らしたタオルで身体を拭いたり、夏は川に入って身体を洗ったりする事が多い。
しかしうちは今の生活になってからは、母と私だけお風呂に入るのは申し訳ないという形で、父の腰の調子が良い時以外はあまりお風呂に入る事は無い上に、腰も悪くなる一方なので最早ほとんど入らない日が多く、一週間に一度入れるか入れないか、それほどまでに少なくなっている、正直私の年頃としてはせめて3日に一度の頻度でもいいので入りたいが、そんな我儘も言えるはずもない。
「……まぁな」
父は本を読みながら適当に返事をした。
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「ふぅ~……」
湯舟に身体を沈めると、バシャアと湯舟から溢れたお湯が流れる音が響く。
「今日は色々疲れたなぁ……」
目を閉じてフレンと川で話した事を振り返ると、なんだかここ数日の憂鬱な気持ちが少しだけ軽くなったような気がした。
しかしこの程度の事はすぐに埋もれてまたいつもの生活を送り続けるのだろう……。
「あ……」
(空!空をみあげるってのはどうだ!?)
私は昼間フレンに提案された事を思い出し、空を見上げる。
「……綺麗……」
夜空にはたくさんの小さな星、そして月がまるで舞踏会の照明のように辺りを照らしていた。
「私だけの空……私だけの星……私だけのお月様……まるで私が物語の主人公で、私を照らしてくれてるみたい……」
なんて、聞かれてたら恥ずかしくて死んでしまうような臭い言葉を呟く。
「……私が主役なら……このお月様と他の小さな星はどんな物語を照らしてくれるんだろう……まぁ……きっといつまでもこのまま何も変わらないよね……両親はおじぃちゃんおばぁちゃんになっていって、私も大人になっていって……なんだかあまり楽しくなさそう……」
自分で言っておきながらなんだか虚しい気持ちになった。
「でも空を見上げるの……いいね……」