第30話「主人公は吸血鬼ですが鏡に映ります」
時間は、一日ほど過去に巻き戻る。
「らすのみ、入れ替わって!」
天袖のその言葉は、唐突だった。
このままでは死んでしまう無架を助けるためには彼女から吸血をする必要がある。
しかも、天袖が普段吸血している量の数倍を吸い取らなければいけない。でもそれほど多量の血液に天袖が耐えられるとは思えない。何より無架自身が大人しく吸わせてくれるとは思えない。
解決しなければいけないことの山積み。その中で天袖が言い放ったのは、あまりにも唐突だった。
「入れ替わるって……おまえがボクだけどわたしだってに変装するってことか?」
「うん。たぶん、らすのみが狙われると思うから」
「嫌な予報だな……」
「でも、無架に殺されるのがらすのみじゃなかったら大丈夫でしょ?」
殺されるのがラスノマィではない。……殺されるのが天袖だったなら、問題はないということ。
「……いいけど、勝てるのか?」
無架を吸血鬼化させる。工程としては血を吸うことだけなので単純だが、赤子の血を吸うのとは訳が違う。
相手はクオンティ王国出身のヒトのカタチをした怪物だ。人間が決して殺せない強さを持つ〝域物〟達を麩菓子のように千切っては投げ、叩き潰す。当然、ラスノマィでも天袖でも無架には勝てない。
「わかんない。……でも、死んでも血は吸うから」
「しぬなっての。でもまぁ、ちょうどいいか」
決死の覚悟で血を吸う。天袖がそう口にした以上、言葉の通りに死んでも吸血は行ってみせるということ。
「できるのか?」という疑念はラスノマィに湧かない。
天袖はやると言ったら必ずやる。その言葉に疑いの余地はない。なら、それを軸にして作戦を立てるのみだ。
「……天袖に見抜かれるくらい相手も間抜けなのか、丁度招待状も来てるしな」
ふりふり、と天袖の通信端末を翳す。
『天袖くんのご家族さまへ』と書かれた件名のメール。ラスノマィではなく天袖にメールが来たのは、呼び出そうとしているのが天袖ではなくラスノマィだから。宛先がラスノマィなので、天袖はそのメールの中身を読んではいない。
天袖が中身が気になってメールを開いたりしなかったことは、ある意味奇跡だ。彼がメールの中身を確認していたら天袖は「入れ替わって」などという提案はしなかっただろうから。
「中身は死んでも言わんけど、とにかく向こうさんから招待を受けました。ちょうどいいから天袖、入れ替わるぞ」
だけど、無架達の誘いに乗るつもりはメールを読んだラスノマィにはさらさらない。
メールを読むことで湧き上がった怒りの矛先も、ラスノマィにとっての使いどころはここではない。
あとは変装の手段をどうするか。
「ボクだけどわたしだっては実数弾のオプスで何とかなるけど、……ああそうか、お前だけ何とかなればいいのか」
天袖がラスノマィに変装するにはカツラやメイクなどでは誤魔化しきれない体格差があるし、声色だって変えなければ。
ラスノマィ自身が変身するのなら黎術で顔を変える、整形も可能ではあるが、天袖にはラスノマィの黎術が効きにくい。というより、試したことがない。
天袖にとって害となる呪術攻撃は天袖本人に効果を及ぼすより前に無効化されるが、天袖の姿を変える術式が天袖にとっての攻撃と判断されるのかはラスノマィも天袖にもわからない。天袖の体は本人が意識しないままでも害となるものを弾く。——その性質が、天袖の容姿を変えるという術式に対して働くのかどうかが、問題だ。
散髪でさえ攻撃と見做されてすぐに元の大きさに伸びてしまうのだから、もしかしたら変身させることは無理かもしれない。
「……どうするかな」
天袖を変身させるためにラスノマィが色々と考えていると、それまで見つめていた天袖の顔が——崩れた。
「……っ!?」
福笑い程度に顔のパーツが崩れるのではなく、顔全体が、熱されたチョコレート人形のようにドロドロと溶けている。
本物の天袖は一体どこに!? と、一瞬ラスノマィが思ってしまう程には、その変化は劇的だった。
だけど、溶けてしまったのは顔だけ。首から下は少しも溶けることなく、天袖の体は溶けた顔を両手を使って揉み始めた。
「……あ、天袖……?」
どこから発声しているのか「えっとー」なんて言いながら天袖本人は自分の顔をこねくり回している。
方向感覚もあって周囲も見えているのか、立ち上がってコーヒーを淹れていた碌亡のところへ駆け寄って「これ似てるー?」と聞いている。
「うおっ……えーと、眉の形がもう少し細くてちょっと上だな」
碌亡は天袖の状態に驚きはしたものの、天袖が顔を変えられることに驚きはしていない。
碌亡に言われた後、天袖はラスノマィのところへ戻ってきて、顔をじぃ、と見つめた後、リビングを出ていく。鏡を見て調整するのだ。
「碌亡は知ってたんだ?」
「だいぶ前にな。……配ってるポケットティッシュが何個も欲しいからって顔変えてた時に」
「それいつの話? なんでやめさせない?」
「個数制限とか無かったし、早く在庫処理できて良かったし。天袖が楽しそうだったからつい渡しちゃってなー」
「配ってたの碌亡かよ!」
「できたー!」
暫くすると、天袖の声。とてとてとてー、と走る音がして、リビングのドアが開く。……そこには。
「……ん、これでおっけ?」
顔のパーツの形やサイズはもちろん、髪型や背丈までラスノマィの相貌と寸分違わない、ラスノマィ自身がいた。
「……ばっちりだな」
碌亡がラスノマィと天袖を見比べて、言う。ラスノマィも天袖と自分を並べてみて、その違いがわからなかった。
「外見はこれでいいとして、……ああそうだ、ちょっと力よこせ」
「ふえ? ——んむっ!?」
唐突に。ラスノマィは、自分の顔と同じ容姿をした天袖にキスをした。
「……ん、んむぁ……」
ただのキスではない、舌と舌を絡め合う濃厚なフレンチキス。
天袖の中から力を吸い上げているのだ。
無架と天袖を二人きりにするとなれば、その妨害をラスノマィが防ぐ必要がある。ラスノマィが彼女の術式を行使するための力を天袖から吸い取っていた。
五分、一〇分——? ラスノマィがその愛を築き上げるのに費やした時間は、彼らの体感時間では計れない。
ちゅぱっ……。湿度を十分に含んだ音を立てて、天袖とラスノマィの唇は離れていく。
自分と天袖との間に繋がるか細い糸が途切れるのを目にして、シチュエーションに弱いラスノマィは顔を赤くした。
「……っ、これで一〇時間は戦える。……けど、それより早く決着は付けろよ」
自分の顔が赤い。それはラスノマィの目から見た光景であり、自分の顔をした天袖が照れている。その事実を認識したことによって発生した自分の照れを隠しつつ、天袖から借りた力の感触を確かめた。
「…………」
「……なに?」
それを見つめる、碌亡。彼の目は座っていた。
「…………今さらで悪いんだが、なんでちゅーじゃないと力の譲渡ができないんだ?」
「ちゅーじゃなくてもできるよ? でもらすのみがこっちじゃないとダメだって——もがもが」
「……効率がいいんだよ! 魂と魂の距離はできるだけ近い方が伝達中に起こる損失も少ないしな!」
「…………」
「……なんだ、天袖」
「碌亡もちゅーする?」
「しない」




