第20話「金属バットの用途別使用法と説教からの脱出」
階層都市サリカ、低階層一〇位第四区。
天袖とラスノマィは彼らが住まいとしている邸宅に戻ってきていた。
そこはサリカの中にあるとは思えないほど静かな場所で、人の賑わいもなく、他の区画とは違って人の姿も見かけない——無人の街並み。
「…………」
一つの街ほどの面積がある四区内、彼ら二人に加えた碌亡以外には誰もいないのだから当然だが……三人が同じ家の同じリビングにいて、目の前で見つめ合っているというのに——気配だけが死んでいた。
「…………」
「…………っ」
睨みつけるラスノマィ。彼女を見上げる天袖。……二人はオートロの下から逃げ帰ってきた直後から、こうしている。
「……あのな」
見かねた碌亡が仲裁に入ろうとするも——
「何キレてんのか知らねえが、そのへんにしと」
——金属製のバットが飛んできた。
「……け」
バットとは、野球というスポーツに使われる道具のひとつであり、決して言葉に対する返事の代わりに飛んでくるものではない。……はずだと、碌亡は信じていた。
碌亡は金属バットの投擲を、ギリギリのところで姿勢を低くすることで回避する。背にしていた壁へのめり込み具合をみても、ラスノマィは本気で怒っているらしい、と碌亡は判断した。
(……何怒ってんのか知らねーけど、早く逃げよ)
今回ラスノマィがキレているのは天袖だ。碌亡は関係ない……という理屈でリビングからの脱出を図ろうとする。
「俺ちょっと出かけてくる、……わおあっ!?」
二発目。二〝本〟目ではなく、二〝発〟目……その威力が示す無言のメッセージの内容は「この場にいろ」ということ。
ラスノマィが口を開いたのは、それから数分後のことだった。
「……なぁ」
「……はい」
「ボクだけどわたしだって、言ったよな? 『久那無架』には近づくな、って」
こく……。
天袖も、慎重に頷く。……そして、その視線は静かに、緩やかに下降する。
「…………」
無架の手元、彼女が手にしている金属バットはあと七本。
(……天袖に四本、俺にも三本。……くっ、一本目を避けてもダメ、直ぐに二本目が飛んでくる上……ダメ押しの三本目。あんなん躱せねえぞ)
もう一発、できれば二発、空振りで撃ってくれれば安全圏。
碌亡が「たった今自分達は何をしていたのか」を忘れかけていると、驚きの光景が彼の目前に飛び込んできた。
(マジか……!?)
バットの持ち手側を上にして、杖でもつくかのようにラスノマィが、こん、と床に置く。……すると、がらぁん、と音を立てて数本の金属バットが床に散らばった。
「…………!?」
近くで見ていたはずの天袖も、それがどうして起こったのか、理解できていない。
あと七本しか無いはずだと思い込んでいた金属バットが、いつのまにか一四本。倍にまで増えてしまっていた。これでは隙をついて逃げようにも、1人あたり七発……一発は確実に体の何処かをヒットする。当たれば、ゲームオーバーだ。
……だが、碌亡達がここで戦慄してしまったことは、明らかに間違いだった。明らかに隙を見せ過ぎていた。
「——?」
どくん、……と。
碌亡は自分の鼓膜に届く心臓の鼓動を聞いた。音の発生源を探そうとして——そして、直ぐに気づく。……その音は、自分の内側から聞こえていることに。
「まさか」
恐れる自分の体が無意識に発した警告音だったのだ。
「……まさか、あと七本如きで脱走を企てるとか。ボクだけどわたしだっても、甘く見られたもんだねー?」
じゃきん、と音が鳴る。それが何の原因よって鳴らされ、何に関係する音か、天袖達はわからない。
天袖達は、その獰猛な笑みとは裏腹に、……ラスノマィは相当、ご立腹だということを知っていた。
「…………あ、いや……」
(……天袖)
ラスノマィが天袖に迫る。当事者であるし、今回の件に限って言えば碌亡は手助けをしただけだ。
碌亡当人にしてみれば、情緒酌量は貰って当然。……のはず。
でもその一瞬、ラスノマィが武器を構えて万全の態勢に移行するそのほんの僅かな時に、碌亡は「好機」を見出した。
ラスノマィの目の前に天袖は正座している。しかも、叱っているのは天袖だ。……碌亡は見えちゃいない。
ドアノブをつかむ。……そして、ひねる。
「だからそこにいてって、……!?」
(……なら、天袖が死角になって俺は見えん、……んごぁっ!??!?)
その後何故か背後から飛んできた金属バットに打ちのめされ、碌亡の脱出は失敗に終わった。




