第18話「託される遺言と美味しいお弁当」
「…………」
「行ってきます!」
元気に出かける天袖の背中を見送る。……しかし彼女の視線は、家族を見る者の目とは少し違っていた。
(…………おかしい)
疑いの目。疑惑の心が、ラスノマィにはあった。
天袖が彼女ができた日。あの日の朝に、天袖は碌亡から血を吸わせてもらったのだという。
それは最初ラスノマィにとって疑りようが無い事実であり、言われた当初は「そうなのか。ならいいや」と信じきっていた。……だが。
(……血、吸わずに出て行ったな)
朝、碌亡に血を分けてもらっていたのが事実なら……そろそろ二回目を摂取しないとおかしい。だが、天袖にはまだ余裕があるように見える。それは天袖にとっての異変レベルの出来事だ。
天袖は血を吸って生きる吸血鬼の中でもさらに特殊な性質を持っている。血は確かに必要だが、天袖の中にある〝拒食症〟とも言うべき拒絶反応により、一回の吸血で適量を摂取することができない。
三回、できれば四回以上に分けて少しずつ摂取する。そうしなければ、体が血液を受け入れない。
そしてその二回目が、前回の時間から合わせるとそろそろ来る筈……いや、もう来ていなければおかしい。
昨晩からラスノマィはずっと天袖の側にいた。吸血があるなら次こそは真っ先に自分のを吸わせるつもりで。
だが天袖は吸血をしなかった。……それが、ラスノマィを疑惑の沼に突き落としていた。
「……さて」
天袖を見送り——今日はまた自分も、出かける準備をする。
「ラスノミも何処か行くのか?」
エプロン姿が何故かよく似合う二人の家族——碌亡が、玄関で靴を履こうとするラスノマィに声をかけた。
「ボクだけどわたしだっても遊んでくるよ。……少し遅くなるかも」
「わかった。なら、帰る時連絡をくれ」
「うん。……それじゃ、行ってきまーす」
「いってらっしゃい」
天袖の時と変わらない、別に何ら不思議は無い出掛けの一場面。天袖に続いてラスノマィも見送って、碌亡は後片付けのためにリビングに戻る。……と。
「……ん?」
リビングに、ラスノマィの私物を発見。この家にはラスノマィか天袖のもの、あとは碌亡が持ち込んだものしか置かれていないから、すぐに誰のものか見分けはつく。
……ラスノマィの財布だった。
「……ラスノミのやつ、財布も持たずに何処に遊びに行くつもりなんだ……?」
余程気持ちが逸っていたのか、肝心の財布をラスノマィは忘れてしまっていた。
(気づいて帰ってくるだろ)
そう思って、碌亡は家事を続ける。掃除機をかけ、天袖達が滅多にしない戸棚の埃取りなどを、入念に。……その途中で気づく。
「……あ」
今朝は、碌亡がラスノマィに「血を吸わせた」と言った時からのタイムリミット。それなのに、自分は天袖に血を吸わせるフリをしていなかったことを思い出す。
「……気づいた、かもな」
……今となってはどうしようもない。嘘がバレ、ラスノマィがそれに気づいたとしても、ラスノマィを不自然なく止める口実など碌亡には思いつかない。
碌亡は止めていた手を再び動かして、家事を続けることにした。
△◯
午後五時。天袖が向かったのは、前回とは別の階層。
……前回のデート場所は不慮の事故により立ち入り禁止となってしまったため、階層を変えることになったのだ。
ただ——先程無架から連絡があって、前回と同じ商業エリアではなく、工業エリアでの待ち合わせということになってはいたが。
「……あと、ちょっと……」
待ち合わせ場所の公園に到着する。……待ち合わせの時間までまだ時間はあるが、デートが楽しみすぎて逸る気持ちを抑えきれなかったのだ。
「…………」
その空き時間を、できるだけこの景色で落ち着かせようと天袖は思っていた。
今回デート場所に指定された工業エリアは、まさに何かを生み出す場所。衣類や加工食品をはじめとして、鋼や機械類の部品などが二四時間、眠らない場所で作られ続ける。
賑やかさで言えば、商業エリアを遥かにしのぐだろう。……だが、鉄と油と煙の匂いしかしないのだと思っていた天袖にとって、公園のような静かな場所が工業エリア内にあったのは意外だった。
対岸——工業のために掘られ水が流れる河——を挟んで、さまざまなものを生み出す工場がある。
夜になれば、工場の灯りや警告灯などでライトアップされたかのように人工的な幻想風景が浮かび上がるだろう。それは確かに、デートスポットの一つとしては魅力的だ。
ちょうど工業地帯を眺めることのできるベンチを見つけて、天袖は腰を降ろした。
「…………?」
だが……魅力的で有名であろうデートスポットのはずなのに、天袖の他には誰も見かけない。
それに対岸の工場も——灯りが付いているというだけで、人がいる気配もしなければ……工場が稼働しているようにも感じない。
不気味な静けさが待ち合わせ場所には漂っていた。——と、人の気配。
「……?」
「……お待たせ」
手荷物を持った少女が待ち合わせ場所に現れた。
「約束の時間よりだいぶ早いよ。……楽しみだったの?」
少女が、天袖の隣に座る。
「……」
少女の顔を天袖は見つめていた。たぶん、意味もなく——見つめられて、少女は首を傾げる。
天袖の視線は、自然と——下がっていた。
「……どうしたの?」
彼女が手にしているのは、小さな手提げ袋。中から、食べ物の匂いがする。
「……それ」
天袖が少女の手提げ袋を見つめていると、少女は「ああ」と思い出したように中身を取り出す。
「お弁当を作ってきたんだ。……少し失敗しちゃったけどね」
失敗した。作ってきた。……お弁当。
少女が、蓋をとって中身を見せる。……お世辞にも良いとは言えない、慣れない手つきで作ったのだということがわかる、そんな出来のお弁当だった。
「…………すごい」
ハンバーグ……のようなものは火入りが中途半端なのか、外側が白とピンクの境界線だし、煮込み料理らしい人参は花を模しているつもりなのか、毬栗のようにトゲトゲ——で、半分に崩れている。椎茸は軸だけでなく石づきまで残っていた。
プチトマトはプチトマト。気を利かせてくれたのか、ヘタが取られている。
何を煮込んだのかわからない白いクリーム状の煮込み料理……? スープにほぼ近いそれは、ご飯の方に液が染み出して混ざり合っている。
ひと目でわかる——失敗作だ。
「すごいって、……うわ、今見ても酷いなぁ。どうする? ……その、一応普通のお弁当も買ってきたけど」
恐る恐る、少女がもうひとつの手提げから弁当を取り出そうとする——が、天袖は首を横に振った。
「ううん、無架が作ったのが食べたい」
自分の彼女が、自分のために初めて作ってくれたお弁当。それを食べたい。
「……! 嬉しいね」
それを伝えると、少女は嬉しそうな表情を浮かべる。
「それじゃあ、恋人として食べさせてあげるよ」
「……なんで?」
「なんでって……ちょっと嬉しいからさ」
首を傾げる天袖に少女はほんの少しショックを受けたような表情をして、そのあとすぐに笑みを作り……フォークで刺した生焼けのハンバーグを天袖に差し出す。
「……はい、あーん」
「…………」
しかし、天袖は口を開けなかった。
「……どうしたの? やっぱり食べたくない……の?」
そのままではハンバーグが崩れてしまう。一度ハンバーグを弁当箱に戻しながら、少女は天袖に訊ねた。……だが。
「あなた、だれ?」
「————」
先程から気になっている、無架の作った弁当を持って無架とは全然違う笑みを向けてくる無架の代わりに現れた「謎の少女」に、天袖は疑問をぶつけた。
「————え」
少女は無架に似た顔をしている。……だが無架とは声色も、表情も、根本的に似ているところが何もない。言われてはないが「同じ人間のカタチをしているから似てるよね」と言われているような、本人の目には無架と何もかもが違っている——そんな風に感じていた。
「……それ」
謎の擬態少女に向かって、無架の作ったお弁当を、指差す。
「……作ったのは無架だよ。でも、あなたは無架じゃない」
少女は未だ硬直から戻らない。自分の擬態が見破られたのが、そんなにショックだったのか。……そもそも、天袖には少女が人間であるようにも思えてはいなかった。
だが、その正体に心当たりはある。
「……昨日、無架とデートしてた時に襲ってきたロボットだよね」
フードを被り、ヒトの形を取って、無架と天袖を襲撃してきた犯人。
ジッ——何かがズレる音がして、少女の声が変わる。擬態をやめたらしい。
『——ナンデ、ワカッタ?』
少女——オートロは、声を元に戻した。
普段の擬態よりもかなり気を遣って発声していた。その精度は、度々会う職員ですら気付かなかったほどだというのに。
「……無架とは声が違うから?」
それを天袖は「僅かな違和感」とかではなく、はっきり、あっけらかんと指摘。
『完璧ニ生身ノ声ダッタ。音声認証モ無架ノ声ト一〇〇パーセント同質ダト確認シタ。……ソレガ違ウ、ダッテ?』
「声だけじゃないよ。立ち方とか、喋り方とか……あと、笑顔の仕方とか。全部違ってた」
確信どころか、天袖は入れ替わっていることに最初から気づいていたという。
『……バレバレカ』
「うん」
……ということは。
『ウンジャネーヨ。……デ、ココカラドウスルツモリダ? 無架ハ来ナカッタ、ソレジャアバイバイ——ッテ訳ジャネエダロ?』
剣呑な雰囲気。デートスポットだというのに辺りに人がいない——その違和感の正体に、天袖はなんとなく、気づき始めていた。
……だが、それでも。
譲れない——譲りたくないものはある。
「……とりあえず、それはほしい。無架がせっかく作ってくれたし」
無架の作った弁当を指して、ちょうだいと言う。オートロのあーんは受け付けないが、食べたいと言う。それはつまり……。
「君からあーんはしてもらわないけど、自分で食べるからかして」
……無架ではない、無架のフリをした他人に食べさせられたくはないから。
『…………』
その気持ちが癪で、……でもオートロの脳裏によぎる、無架の伝言。
——頑張って作ったから食べて。
『「頑張って作ったから食べて」……ダトヨ』
無架の頑張りを潰すことは、オートロにはできない。たとえそれが任務上の——演出のためだったとしても。
「うん、ありがとう」
弁当を受け取る天袖の表情は、まるで彼女と接しているかのように……穏やかで柔らかいものだった。
『……ワタシノ姿ヲ見破ッタコトハ百歩譲ッテ違和感デ済ンダトシテモ、ナンデコノ弁当ハ無架ガ作ッタト言イ切レル?』
手渡しながらのオートロの疑問に、お弁当を受け取って、……天袖は答えた。
「……たぶん、失敗したんだと思う」
『見リャワカルダロ』
「……その時、無架は指を切ったりしてなかった?」
天袖の問いかけに思い当たる節があったオートロは、納得した声色で返す。
『……アー、シテタナ。……ソウイウコトカ』
「滲んだ血が入ってたんだと思う。……このお弁当は、無架の匂いがしたから。……いただきます」
手を合わせて、まずはハンバーグを摘む。
『……言ットクガ、全部食ッタラ腹壊スゾ』
誰が見てもそう思うであろうお弁当を、それをわかっていないと見た天袖への忠告を……彼は一蹴する。
「いい」
『聞カナイヤツダナ』
「あむっ。……ふもふも」
口の中に入れて、咀嚼する。……途端に、幸せそうな笑みを浮かべた。
「むふー……」
一緒に渡されたお茶などで雑に飲み込んだりしない。嫌そうな顔、口角を歪めることさえなかった。
天袖はひとつひとつ、本当に味わって食べていたのだ。
『…………』
吐き出しても仕方ない、不味いのは当たり前——そう思い込んでそれを見つめていた球体の心境や、いかに。
「……ごちそうさまでした」
手を合わせて、合掌。感謝の印だ。
『……本当ニ食イキルトハナ』
ものの見事に——天袖は無架の作った弁当を完食した。食べ残しもなく、弁当箱はぴかぴかだ。
天袖の顔も、少しも苦しそうではなかった。
——さて。
「美味しかったよって、無架に伝えてくれる?」
オートロは、今の天袖の声を録音の中から切り出して別ファイルに保存した。そのままを病室で待つ無架に伝えるために。
『……承ッタ』
立ち上がるオートロ。……それに対して、天袖は〝立ち上がらない〟。
『……一応、聞イテオコウカ』
「……? 何?」
オートロは天袖に向き直る。
『コレカラ——何ガアルノカ、ワカッテンノカ』
その目は、擬態をやめているからか——機械のように冷たい。
その温度の視線で見下ろされてなお、天袖は慌ててもいなかった。
「殺されるのかな。……いっぱいいるし」
オートロから視線を外して、辺りを見回す。
……四〇近い数の緑色の瞳をした黒ずくめの武装集団が、天袖達の背後にある公園の森や河の中、街灯の影から姿を現した。
全員が全員、首元や手首まで覆い隠したスーツを身に纏っている。
——明らかに、観光客やカップルではない。
『……余裕カ?』
頭数で二〇倍。明らかな戦力差を前にしていながら、天袖は変わらずに表情を崩さない。
「……別に、殺されるなら無架がよかったなって思っただけ」
『……ソウカ』
ならば、言葉はもう必要ない。天袖からの伝言もしっかり受け取った。
『……ナラ、モウイイナ』
「うん」
オートロが手を挙げる。……攻撃の合図だ。
『……ダカラ、ウン、ジャネエヨ』
それが、彼らの最後のやりとり。
天袖の遺言——に、なるはずだった。
「させねぇよ」
彼らの頭上から、声がした。




